第18話・神性

 狼はまだ人の姿になれない。新米神族なのだから仕方がない。

 ただ、彼女は見ていた。物が作り上げられて行く姿の、なんと面白いことか。働いて、重い木を懸命に持ち上げる人の、なんと格好の良いことかと。

 狼は、猿田彦さるたひこのところへ行きたくなった。それは、夜にでも宇迦之御魂うかのみたまに話そうかと考えた。


「出来たあああああああああ!」


 アダムは即席で作った木槌を持って、両手を天に突き出した。


「これ……すごいかも!」


 エヴァもその出来栄えにご満悦である。


「いやすげえ! こりゃ、子供も絶対残してもらわねェとな……」


 素戔嗚すさのおの発言は、現代ならセクハラだった。だが、この当時そんな甘ったれたことは言ってられない。優秀なすべての生き物はは子供を育てる義務がある。

 優秀さは後天的に遺伝するのだ。三歳までに愛を受け頑張るための燃料をもらう。三歳からは、その燃料で好奇心の炎を灯すのだ。くべられる知識は、その炎を大火に成長させる。結果、優秀な次世代が生まれるのだ。特に、サピエンスでは。


「え!? いや……早いよ……」


 この時エヴァ、16歳である。


「じゃあいつ作るんだい?」


 宇迦之御魂うかのみたまは正直な気持ちとして、楽しみなのだ。気に入った二人組から生まれた子供、それが自分にとって可愛くないはずがないと思っていた。

 女神が子煩悩なのは、この時代からである。


「え!? えっと……そっか、早くないのかな?」


 よくよく考えると、まだ16歳ではなくもう16歳だ。この時代の人間は30歳前後で死ぬ。なんなら、子供などというものは15歳で授かるのが最適だ。エヴァはそんなふうに考えた。自分の寿命がだいぶ伸びているのを、実感しすぎた結果である。

 この当時、性に対する羞恥などは存在しない。むしろ羞恥心は夜明けを迎えたばかりの感情である。嫉妬から分離し、攻撃性を失って羞恥という感情は生まれたのだ。


「でもなぁ、旅をしながらは流石に育てられないだろ……」


 と、アダムは人間が人間のままでいる尺度で話してしまった。


「待ってアダム! この洞窟ごと移動できるなら、大丈夫だよ! って、スサはそう思っていったの!?」


 自分で言っている途中で、そんなことにエヴァは気づく。もちろん、その洞窟というのはソリの上の家のことだ。まだ家の語彙がないのである。


「そういうこった! 俺が引く! お前らは、おっぱじめる! 困ったら、俺やウカが助ける!」


 と、素戔嗚すさのおは自分の思っていることを、あけっぴろげに言った。

 この当時、性行為は秘されるものではなかった。むしろ慶事だったのだ。人類が繁栄するにあたって絶対的に必要なものである。それを変えたのが性感染症である。

 性感染症を疫学的に発見した人類は、性行為を秘するようになったのだ。神話とは統治者による、民のための生きるすべを盛り込んで変化していったのだ。


「スサ! こいつらにとっては大切な儀式なんだ。もうちょっと、丁重な言い方をしてやりなよ」


 ただ、この時代から神聖視の傾向はあった。特にサピエンスが最も強く、そう見ていた。


「マジか!? 俺のとこの奴らは、もう仕事みたいにやるからなぁ……」


 素戔嗚すさのおは驚いた。ネアンデルタール人にとっては、義務であるということこそが一番だったのだ。必然、性行為は事務的になり、なんなら人肉の生産のような考え方を持つ層も存在した。


「まぁ、お祭りだよね……」


 サバトの原型はこの時代の人類にある。飾り立て、宣誓し、人々は交わる二人に子が授かることを祈るのだ。

 各々の部屋が存在しない時代だ。そんなものである。衆人環視どんと来い。原始人は逞しいのだ。


「つまりあれか! 頑張れ頑張れするのか!?」


 ハッとしたように素戔嗚すさのおは言うが、それで宇迦之御魂うかのみたまに肘鉄をもらってしまった。


「もうちょっと大切だっつってるんだよ!」

「ごフッ! すまん……」


 サピエンスは人類で最も信心深い種だ。その歴史は神聖視の歴史であると言っても過言ではない。


「ま、そんなわけで乗りなよ! 外で私たちが祈ってるからさ!」


 あけっぴろげで、羞恥の欠片もない宣言だ。だが、それでいて当時のサピエンスにとって、尊重されていると理解させる言葉だった。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 夜の砂漠を、家を乗せたソリが進む。砂の上を滑って。

 宇迦之御魂うかのみたまは巨大な狐の姿で、素戔嗚すさのおは巨大な蛇の姿でソリを引いていた。

 狼が周りを回って、襲い来る毛者けものに威嚇の声を上げる。

 そんなことをしていても暇なときはあった。そんな時に、狼は宇迦之御魂うかのみたまに言ったのだ。


『ウカ! 人……凄い!』

『肯定! お気に入り』


 イヌ科語の会話である。語彙は少なく、それでも互の言いたいことを察しあった。


『巣作り、凄い! もっと見たい!』


 狼の尾は高く掲げられ、その上で左右に揺れ動いている。


『東へ?』


 宇迦之御魂うかのみたまのそれは、行きたいかという問であった。


『肯定』


 狼は、宇迦之御魂うかのみたまが何でもかんでも察してくれるのがありがたかった。


『許可!』


 宇迦之御魂うかのみたまにとって、大切な弟子である。やりたいことは、危険でない限り無限に尊重した。


『感謝!』


 そして、狼は旅立ったのである。はるか東、アジアの地へ……。猿田彦さるたひこのもとへ……。

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