見聞きしたこと


 という訳で、神騙の髪を乾かすことになったのだが、あの神騙の髪の毛である。

 誰もが目を惹かれる、亜麻色の美しい髪──今の僕には、金にすら見えて少々不気味だけれども──というのはどうでも良くて、今重要なのは、それがやたらと長いということだ。


 長いと乾かすのには時間がかかる。当たり前だね。

 ブオォとドライヤーに唸り声をあげさせながら、丁寧に風を当てていく。


 正直なことを言うと、僕は他人の髪の毛を乾かすなんてことは、もちろん初めてであるのだが、身体は覚えてるとでも言うのか、特段困ることはなく、手付きは淀みなかった。

 いや、正確に言えば、幼い頃に愛華の髪は乾かしたことがあるから、全くの未経験という訳ではないのだが……。


 だからと言って、ここまで慣れた手付きにもならないだろう……という、客観的な感想が自傷ダメージとなっていた。

 深々としたため息も出てしまうというものだろう。大きな吐息が、ドライヤーの吐き出す温風に紛れて消えていく。


「しかし、本当に長いな。手入れとか、毎日大変じゃないのか?」

「大変だけど、流石にもう慣れちゃったかなあ。もうずっと、このくらいの長さだしね」

「へぇ……短くしたいとか、思わなかったのか?」

「もちろん、思ったことはあるけれど……きみは、長い方が好きでしょう?」


 それに、短くしたらきみが気付けないかなって、そう思ってた時期があるから。

 と、神騙は思い出すように言う──いいや、事実そうなのだろう。


 自身が前世の記憶を持っている時点で……生まれ変わった時点で、自分以外の親しい人間も、同じ現象に遭遇していると、そう期待するのは自然なことだ。

 けれども、そんな現象は当然ながら不自然極まりないことで、だからこそ、”そう思っていた時期がある”なのだろう。


 期待は時を重ねるごとに捨てられて、僕と出会った頃には、欠片一つも無くなっていた。

 あるいは、期待なんてすっかりしなくなったからこそ、僕の存在に過剰に反応してしまったのかもしれないが。


 神騙はスキンシップの激しいやつではあるが、見境が無いわけではない──意外と、時と場合くらいは選ぶやつだ。

 クラスメイト全員の前で抱き着いてくるなんて、早々滅多にあることではない。


 ああいうのを、感情が爆発したとでも言うのだろう。

 一方の僕は、勝手に爆発されてもう訳分からん状態だった訳であるのだが……。


 今は、少しだけ違う。

 その感情の動きに、多少程度の理解を示せる──示すことが、出来てしまう。


 とはいえ、前世の自分のことをまるっと思い出した訳ではないのだが。

 あー、僕の記憶っぽいなこれ……とは思うが、「ああ、こんなこともあったっけな」という風な見方は出来なかった。


 飽くまで、他人の記憶を見ているような、そんな感覚だ。

 ただ、短い髪の神騙は、確かに神騙っぽくはないな──とは思った。


「ま、長くても短くても、似合うとは思うけどな」

「つまり……わたしのことが大好きってこと!?」

「エキサイト翻訳並みの翻訳するな! いや、そりゃ嫌いではないが……」


 好きと嫌い以外にも色々とあるでしょうが。

 人間ってのはそういう、複雑な感情と語彙を携えて生きてるもんなんだよ。


 それに、今となっては本当に、神騙に向けている感情がどういうものなのか、自分でも分からないくらいなのだ。

 特別視はしていると思う──それは流石に誤魔化すことが出来ない部分で、しかし、だからと言って、ただ好きであるのかと言われれば、かなり微妙なところだ。


 ただでさえ、さっきから神騙にダブって、別の女性が見えて仕方がない。

 ここだけ切り取ると、マジで錯乱してる人みたいだな……。


 亜麻色だったり、金色だったりする髪を手に取る。

 ……チカチカして目に痛いな。


「……でも、前よりは長いんだな」

「前?」

「! ああ、いや、悪い。独り言だ、ただ、金髪の時より長いんだなって思って」


 全然独り言に出来てなかった。

 思わず口に出してしまったことにも、それをちゃんと聞かれてしまったことにも、どちらにも内心震えあがってしまうくらいには動揺してしまって、思考を全部吐き出していた。


 いつもとは反対に、僕が電波を受信したみたいになっちゃったんですけど……。

 恥ずかしすぎる……。


 僕が思わず天井を仰ぐと、しかし神騙は、素早くこちらに振り返った。

 律儀に僕の手にあるドライヤーをオフにして、もう片方の手でガッと僕の肩を掴む。


 琥珀の──はしばみ色の瞳が、僕を射抜いた。


「わたしは、金髪の時だったことはないよ。少なくとも、今世では。ずっと、ずーっとこの色」

「そ、そうか……」

「でもね、前は金髪だったんだ。どんな金だったか、分かる?」

「……ぷ、プラチナブロンド的な?」

「あははっ、そこまで元気な色じゃなかったかもだけど──うん、そうだね。あってるよ」


 さて、それじゃあ質問です。と、神騙は言った。


「きみはこの家で、何を思い出したのかな──あるいは、何を知ったのかな?」

「……か、神騙が好きな人のことを、中々名前で呼べずに先輩呼びをごり押してたってこととか……?」

「そっ、それは思い出さなくても良いことなんですけどー!?」


 どうしてきみはそう、微妙に期待を外すの~!? と神騙が不満げに飛び込んでくる。

 人ひとり分の体重を感じながら、これ僕が悪いやつなのか? と思った。



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