夢と記憶の立証


「さて、と」


 それじゃあ散策でもするか、と徐に立ち上がる。

 別に、神騙が席を外すタイミングを見計らっていた訳ではないが、結果的にそうなってしまったのは否めない。


 しかし、特段そうした理由があった訳でもない、とは言っておくべきだろう。強いて言ったのだとしても、何となくとしか言いようがない。

 そう、本当に、気分の問題だけで、一人で歩き回りたいなと思っただけだ。


 スマホをポケットに滑り込ませて、ぼんやりとリビングを出る。

 この屋敷は三階建てだ。見た目的に、もしかしたら屋根裏部屋もあるかもしれないが……流石に、そこまで冒険する気にはなれなかった。


 これが、まだシャワーを浴びていなければ考えていたかもしれないが、時すでに遅しというやつだ。

 出来れば汗をかきたくはない。だから、散策とはいっても、そこまで本格的になことをするつもりはなかった。


 ただ、時間潰しに色んな部屋を見て回るだけだ。それ自体はダメとは言われてないし、そもそも前世のことを知るだなんて言うのであれば、むしろ積極的に、こういうアクションは起こしていくべきなのだとは思う。

 仮に徒労に終わったのだとしても、金持ちの別荘なんて見てるだけで楽しいだろうからな。


 その辺に飾ってある絵やツボが、幾らするのか考えるだけでちょっとワクワクするもん。

 触っても良いかなー、やっぱダメかなーとかアホな思考を回せば、少しのスリルも味わえる。


 ただでさえ、一人遊びが得意中の得意な僕である。

 目新しいものが一つでもあれば、暇なんてごまんと潰せる自信があった。


 そういう訳で、ノロノロと歩きながら視線を飛ばす。

 屋敷内部は、やはり外観から見て取れるように、西洋風な意匠が凝らされていた。


 まあ、ざっくり都会でも見るような家ってことだな。

 正直、かなり和風チックなのを想像していたから、ちょっとだけ驚いているのは内緒である。


 何故和室なんかを思い浮かべたのかは、ちょっと僕にも良く分からないのだが……。

 まあ、僕の中の金持ちのイメージが、そっち方向なのかもしれないな。


 手近な扉に手をかけ、開きながらそう思う。

 そしてその先を目にして、そんな思考がふわっと吹き飛んだ。


「────……これ、夢か?」


 反射的に頬を引っ張って、ちゃんと痛いことを確認しながらも、実に間抜けなことを呟いてしまった。

 けれどもそれは、本当に仕方のないことだったのだ。


 何故なら僕は、その部屋を知っていたのだから──あらかじめ、断言しておくのだが、僕はここに来たことはない。それは確かな事実で、覆りようがない現実である。

 もちろん、入ったこともなければ見たこともなかったし、そもそもこんなところに、こんな屋敷があるなんてことすら知らなかった。


 だから、知っている訳が無いのだ。当然ながら、既視感なんて覚えようもないし、「おっ、ここ知ってるな」なんて感想は抱きようがない。

 その、はずだった。というよりは、そうであるべきだったのだ。


 それはつまり、そうはならなかった、ということである。

 扉の先に広がっていたのは、小さな畳の部屋だった──それこそ、想像していたような和室が、そこにはあった。


 いや、いいや。

 おためごかしな言い方はよして、こう言うとしよう。


 その小さな部屋は、ついこの前、夢に見た和室そのものであった──ここに、名前も分からない、僕を先輩と呼ぶ彼女がいれば、完全な再現となるのが分かるくらいに。

 目に入る細々とした置物にすら、見覚えがある……とはいえ、そこに関しては多少の差はあるが。


 ──これでも、結構復元はしたんだけどね。


 そんなことを、神騙が言っていたのを思い出す。

 まさかな……とまでは思わないが、いやな汗が頬を伝った。


 夢とは、記憶の整理である。

 だからこそ、あの日あの朝、僕は見た夢に対して、小さな疑問を抱いたのだ。


 本当に記憶の整理であるのならば、それらの接続自体は曖昧なものであっても、その記憶の断片の一つ一つは、僕自身の経験に紐づかれたものであるべきではないのかと。

 一度も経験していないことは起こり得ないし、一度も見たことがないよう舞台が選ばれるようなことはないのではないかと。


 全く知らない女性と、会話をすることは有り得ないのではないかと。

 だから────だから、そう。


 それらが示す意味合いというのは、つまりということになる。


 見たことがあり、入ったことがあり、くつろいだことがある家であり、部屋であった。

 話したことがあり、触れたことがある人だった。


 だから、夢に見た。


 要するに、そういうことになるのだろう。

 確証とするにはあまりにも主観的過ぎる。けれども、不可解ながらも知っているという事実は覆らない。


「はー……マジか」


 ため息と共に、一言漏らす。

 次いで、その場に座り込んで、更にはパタリと仰向けに倒れた。


「知ってる天井……なんだよなあ」


 一部屋目でこれなのだから、面白くも恐ろしいものである。

 これ、全部の部屋を回った頃には僕、記憶に滅茶苦茶にされて、別人みたいになっちゃうんじゃない?

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