今世から前世への旅路

夢の夢


 一説によると、寝てる間に見る夢というのは、起きている間に脳が溜め込んだ、記憶を整理する過程であるらしい。

 それゆえに、その中身は取り留めががなく、また一貫性がない、ひどく断片的なものが連続するのだと言う。


 しかし、そうだとするのならば、夢というは全て、実際に体験したものに紐づかれてなければならないのではなかろうか。

 決して、一度も経験したことがないようなことは起こらず、一度も想像したことがないような場所が、舞台になるようなことはないのではないだろうか。


 出会ったことのない人物と、顔を合わせるようなことは有りえなくて、話したこともない人物の声を聞くようなことは、有りえないんじゃないだろうか。

 そんな、考えても仕方のないようなことを、しかし考えずにはいられない。


 というのも、どうやら僕は、明晰夢というやつを見ているらしいからである。

 明晰夢──一般的に、夢の中でも自由に自分の意志で行動したり、夢の内容を操れたりするという、例のアレ。


 夢を操るというのはイマイチ実感が湧かないし、出来そうにもなかったので、正確には明晰夢ではないかもしれないのだが、自由に行動出来て、自由に思考ができているのだから、その一種ではあるのだろう。

 僕は今、まったく見知らない部屋の中にいた。和室と言われてパッと思い浮かぶようなテンプレチックな畳の一室。


 知らない天井どころではない。目に入るあらゆる物品に覚えがないし、そもそも僕は、和室なんかに踏み入れたことはなかった。

 とはいえ、夢を記憶の整理だというのなら、それはおかしなことではない──いくら踏み入れたことがなくとも、見たことくらいはあるのだから。


 だから、決定的におかしな点を指摘するのならば、やはり目の前に佇む一人の少女になるだろう。


 腰元まで伸ばされた金糸のような長髪。

 どこまでも透き通った琥珀の双眸。


 今にも手折れてしまいそうな儚さを感じさせる、華奢な身体。

 お世辞にも健康的とは言えない、いっそ病的なまでに白い肌。


 それでもどこか見たことのあるような、零れるような笑みを、彼女は僕に向けていた。


「……? どうかしましたか? 先輩。そんなにじっと見られると、いくらわたしでも照れちゃいますよ?」


 先輩、なんて僕は呼ばれたことはない。高校でもそうだったように、僕の中学自体はまあまあな黒歴史であり、親しい後輩なんて一人もいなかった。

 もちろん、高校生活だって知っての通りの有様である。


 だというのに、この見知らぬ少女に”先輩”と、そう呼ばれるのは、いやにしっくりときた。まるで、ずっとそう呼ばれていたかのように、耳に馴染む。


「あっ、えぇっと……えへへ。もう先輩という呼び方は、あまり適切ではないですね。そうなると、うーんと、だ、旦那様……とか?」


 耳まで真っ赤に染めて、少女が疑問符と共に言う。

 最近、あまりにも耳にすることが多くなった単語で、思わず身震いしてしまいそうになったが、あちらが恥ずかしがっているせいか、どうにも素直に受け入れてしまう。


 状況的に言えば、まったく知らん女子に全く知らん場所に連れ込まれ、何故か奥さん面されているという、実に意味不明な図であるのだが、不思議と居心地の悪さはない。

 いや、まあ、そりゃ僕の夢なのだから、当然と言えば当然ではあるのだろうが……。


 夢というにはあまりにも新鮮すぎたし、そもそも僕は、この少女のことを知らなかった。

 顔を見た覚えもなければ、声にだって聞き覚えはない。


 これだけハッキリと見聞き出来ているというのに、どうにもピンとくるものが無かった。

 けれども妙な懐かしさだけはあって、歪な違和感がある。


「あはは、やっぱりまだ、ちょっとだけ恥ずかしいですね。ふふっ、もう結婚もしたのに、気にしすぎでしょうか?」


 簡素な銀の指輪を愛おし気に撫でて、彼女が言う。

 見れば、僕の左手にも同じ指輪が嵌められていて、そのあまりの自然さに眉をひそめた。


 そう、自然さに、である。

 不自然さでも、おかしさにでもなく、そうあるのがまるで当然であるかのように思った自分自身に、妙だなと思う。


 当たり前と言って良いのかは分からないが、指輪の類とは無縁の人生だった僕だ。

 それが結婚指輪だなんて、色々な意味で縁遠いにもほどがある一品と言えるだろう。


「ですが、先輩。わたしはこういう気持ちも、大切にしたいんです。一つ一つの積み重ねを、大事に大事にしまっておいて、いつでも取り出せるようにしておきたいんです。きっと、わたしはそれを、長く積み上げることは出来ないから。そして、それが先輩にもちゃんと刻まれてくれるなら、わたしはそれが、とっっても嬉しいです」


 だから、きっと忘れないでくださいね。と少女が言う。

 同時に少しだけ声が遠くなった。


「大好きですよ、先輩……ううん、────くん。なんて、えへへ。朝から言うことじゃないかもしれませんけどね」


 ふわりとはにかんだ少女に、思わず言葉を返そうとする。

 同時に周りの風景が急に滲んだ。


 意識が持ち上げられるような感覚がして、夢の目覚めを悟る。

 もう少しだけ見ていたかった名残惜しさを感じながらも、それに身を委ねれば、最近見慣れたばかりのはしばみ色が、キラリと僕を覗き込んでいた。


 ぱぁぁ、と華やぐような笑みが、目の前で咲く。


「あっ、おはよう、邑楽くん。今日も早起きだねぇ」

「…………???? 神騙かんがたり……?」

「せーかい。きみのお嫁さんの、神騙かがりですよー。えへへ、お嫁さんらしく、起こしに来ちゃった」

「いや、起こしに来ちゃったって……え? すまん、全然理解が追い付かない。お前、どうやって家に入ってきたんだ!?」

「どうやってって……普通に?」

「不法侵入が普通……!?」


 倫理観が終わりすぎだろ! と絶叫する朝の五時過ぎ。

 高校生活が始まって、一番痛快な目覚めであった。 

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