オマケの話:とある日のリベンジマッチ-01


『ようお嬢、今暇か?』


 その言葉が耳朶を叩いた瞬間、その声が誰のものかを理解した瞬間、わたしは”ああ、これは夢だ”と気が付いた。


 懐かしい姿、懐かしい声音。

 愛しい表情、愛しい仕草。


 その全てが、かつてのわたしの青春の一ページ。

 どれだけ色褪せようとも忘れない──忘れられない、わたしの人生の一欠片ワンピース


『聞かなくても分かるでしょう、こんな部活に顔出してるくらいなんですから、暇なんて持て余してるくらいですよ』

『いやお嬢、そんなこと言って昨日は”暇じゃありませんっ!”とか言ってたじゃん……』

『あっ、あれは、宿題やってたからですっ! そのあとちゃんと、先輩の相手してあげたじゃないですか』

『まるで僕が構ってちゃんしてたみたいな言い方!』

『違うんですか?』

『…………へへっ』


 違わないことないけどさ、とわざとらしく笑う彼に、わたしはやっぱり笑みを浮かべてしまう。

 本当は、いつも構ってもらっていたのはわたしの方だったのに。


 わたしの為なのに──ううん、わたしの為にすることばっかり、一切そんなことを悟らせない人だった。

 優しい人で、けれどもズルい人。


 そういうところも、大好きだったなあ。


『もう……それで? 今日はどうしたんですか? 生憎、放課後散策には付き合えませんよ』

『分かってる分かってる。だいたい、放課後デートなんてしたら、お嬢ははしゃぎ過ぎて、こっちの身がもたないしな』

『で、でででデート!?』

『あ、反応するのそこなのね……なに照れてんだよ、今更だろ』

『言葉にするのと、しないのとでは、大きな違いがあります!』


 恥ずかしくなってきちゃうんですけど……! なんて頬に熱が上がってくるのが分かる。今ならもう、デートなんて慣れっこなのに、それでも改めて言われると、今のわたしでも少しくらいは照れるというものだ。

 あるいは、記憶に引っ張られているのかもしれないけれど。


 自身のことでありながら、自身のことではない記憶を夢に見るのは、追体験するのに等しいのかもしれない。


『ほら、あんまり興奮するなっての。顔真っ赤になってるぞ』

『誰のせいですか、誰の……!』

『僕に全責任を押し付けようとするんじゃないよ、そっちの耐性が低すぎるのが悪いんだろ』

『詐欺には、引っかかった方も悪いみたいな論調出すじゃないですか……』

『そこまであくどいこと言ったかなぁ……!?』


 ああ、もう分かったって。悪かった悪かった。と彼は笑って、わたしの頭を乱雑に撫でる。折角整えている髪が乱れるけれど、それでも嬉しさの方が勝って、えへへと黙り込んでしまった。


『まぁ、何だ。暇してるなら、相手してもらおうかと思ってな。昨日、倉庫で見つけたんだよ、これ』

『これって……チェス盤、ですか?』

『そうそう、ちょっと古いけど、駒もちゃんと揃ってるからさ。どうせなら、一回くらいはやってみたいなって思って』

『というと、先輩はあまり嗜んでいない……ということで良かったですか?』

『うん、そうなる。一応、教本もあったからザッとは読んだけど、まともに……対戦? とかはしたことないな』


 でもこういうのって、出来たらかっこいいじゃん……だから、やってみたいんだよね。なんて馬鹿丸出しのことを彼は言う。

 一つ年上なのに、未だに中二病が抜けきらないような、どこか子供らしい人。


 それが懐かしくて、大好きで、変わらないなあと思った。


『ふふふ……良いでしょう、相手になってあげます。でも、負けて泣かないでくださいね?』

『随分な自信だな……え? なに? もしかして経験者?』

『ええ、まあ、多少嗜む程度ですけれど。お爺様に、良く付き合っていたので』

『おぉ、金持ちっぽいエピソードだ……』

『お金持ち要素、今ありましたか……!?』


 別に関係ないと思うんですけど! と反論するわたしを、”まあまあ”と雑に宥める先輩。

 わたしもわたしで、それですっかり大人しくなってしまうのだから、何とも簡単な少女だったな、なんて大人らしい感想を抱いてしまう。


 まあ、今同じことをされても、やっぱり大人しくなってしまうんだろうけれど。

 いつだって、わたしの弱点は、彼自身なのだから──ううん、違うね。


 一緒にいればいるほど、きみの全てが堪らなく愛おしくなって、勝手にきみの全部が弱点になっちゃったんだ。

 困ったような、嬉しいような、そんな感覚に満たされる。


『でも、それならある意味、ちょうど良かったかな。こういうのって、習うより慣れよって言うし。経験者に相手してもらえるなら、色々楽しめそうだ』

『あら、大丈夫なんですか? そんな余裕で。知ってるとは思いますが、わたしは手加減が苦手ですよ?』

『そこはこう……ちょっとくらい手心加えてくれても良くない? ねぇ……僕、初心者だよ?』

『えへへ、だめでーす』


 それではやりましょうか、と机を挟んで対面に座る。彼が黒で、わたしが白。

 ”えぇ~……”と文句を言いたげな彼に、わたしは勝利を確信した笑みを浮かべた。


 勝負開始のゴングがカーンッと鳴り響く。

 ついでに、いつもの意趣返しがしたくって、負けた方には罰ゲーム、なんてルールまでわたしは追加した。


『……? ……??』

『……………………』


 そして、十数分後。


 結果だけを言えば、わたしは滅茶苦茶な大惨敗を喫そうとしていた。

 こ、こんなこともあったなー……と遠目になってしまうわたしである。


『──っすー……先輩、ちょっと立ってもらえますか?』

『? ほい、どうした?』

『そしてこちらに座ってください』

『……お、おぉ?』

『そしてわたしがこっちに座ります。良し、ゲーム再開ですね!』

『あぁ!? おまっ、自分が負けそうだからって、位置交代は卑怯だぞ!?』

『いっ、良いんですっ。勝てばよかろうなんです!』

『勝ちに執着しすぎだろ……』


 まあ良いけど……と彼が座ってゲームが再開される。

 で、十分後。


『チェック』

『……あの、先輩。お願いがあるんですけど──』

『ダメだ、キッチリ負けとけ。つーかお嬢、お前チェスよッッッッわ……』

『えーん! 先輩がいじめてきますー!』

『あっ、ちょっ、お前それは盤外戦術だろ!? 人聞きの悪いことを言うんじゃない!』


 あの、ちょっと? それはズルすぎるでしょう? と苦笑いを浮かべた彼に、はてこの後はどうなったんだっけ、なんて思った。


「──ろ」


 思うと同時に、意識がふわりと軽くなった気がする。

 夢でありながら、記憶の追体験が終わろうとしているのが、良く分かった。


「──い、起きろ」


 声が聞こえる。愛おしい、いつまでも聞いていたい声。


「神騙。おい、起きろ。もう一時間経ったぞ、神騙が起こせって言ったんだから、ちゃんと起きろ」


 そんな声に、飛びつくようにわたしは目を覚ます。

 パチリと見開いた目は、少しだけ驚いたような彼を良く映してくれて、思わずギュ~ッと抱き寄せてしまった。


「ちょっ、うおっ、力つよっ。寝起きから元気なやつだな……」

「えへへ……ねぇ、邑楽くん。わたしとチェスしない?」

「はぁ? 何でまた、急に……別に良いけど」

「あれ? 邑楽くんにしてはあっさりだ」

「僕を何だと思ってるんだ、お前は……ま、なんだ。この教室……部室に来たばっかの時から、チェス盤あるんだよな」


 やったことはないけど、その辺は教えてくれるんだろ?

 そう言った彼に、わたしは思わず笑ってしまう。


 なるほどなるほど。

 これは本格的に、リベンジマッチが出来そうだ、と。


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