やっぱり彼女はそこにいる。



「あ、おはよう、邑楽くん。自転車なのに、朝早いねぇ」

「うわっ、ビックリしたー……何でうちの前にいる、神騙。迎えに来るなって、アレほど言った記憶が、僕にはあるんだが?」


 普段の三割増しくらい、居心地の悪さを感じるようになった家から、逃げるようにして出れば、声をかけてきたのは神騙であった。

 いやもう何か当然みたいな面して出てきたんだけど、この子何なのかしら……。


 困惑というか、若干引いてる僕に対し、神騙はいつも通りの、気を抜けば見惚れてしまうような笑みを浮かべる。


「迎えに来てはいないよー。ただ、待ってただけだから」

「それ、ほとんど大差ないだろ……」


 というか、待っていたって……。

 一体、何時から待っていたのだろうかと、思わず考えてしまう。


 神騙はアホではないが、頭がおかしい女ではある。

 真剣に計算して僕が家を出るタイミングを計って来た可能性も、ずっと前からここで張り込み刑事の如く待っていた可能性も、どちらも同じくらいあった。


 き、聞きたくねぇ……。

 詳細を聞いて朝から恐怖体験はしたくなかった。


 結果がもう目の前に来ちゃってる訳だしな。

 どうせ行く先は一緒だし、別々に登校しようと言っても、既に僕の片腕をガッチリキメてる神騙を見れば、それも無意味だと諦めるしかないというものであった。


 すげーよな、離れようとしても全然外れないんだぜ? この腕。

 このままでは、登校中に出会う生徒達に、視線だけで全身を滅多刺しにされてしまう僕の未来が、ありありと目に浮かぶようだった。


 考えるだけで憂鬱だな……。

 ヒョイと神騙の鞄を籠に入れて、並んで歩き出す。


「なーんて、冗談なんだけどね。偶々だよ……もちろん、会えたら良いなーとは思ってたけど、まさか出てくるなんて、こっちがビックリしちゃったよー」

「そりゃ大層な偶然だな」

「あっ、信じてないでしょ」

「こんな早い時間に出くわしたら、馬鹿でも意図的なもんだって分かるっての……」


 流石に無理がある嘘に、思わず言葉に苦笑が混じってしまう。

 今の時間はピッタリ七時。家から学校までは、大体歩いて30分程度だから、自転車通学の僕がこんな時間に出るのは、些か以上に早すぎるし、歩きの神騙にしたって、早すぎるというものだ。


 どんだけ学校好きなんだよってくらいの早さである。

 一応言っておくのだが、僕は特に学校が好きな訳ではない。


 どちらかと言えば、苦手な部類にすら入るだろう。僕にとって、学校とはそういう場所で、けれども家よりは居心地のいい場所だった。

 まあ、それもどちらがマシか、という見方をした結果に過ぎないのだが。


 それでもこんな時間に家を出るくらいには、学校を拠り所としているのは間違いが無かった。


「嘘じゃないよー、言ったでしょ? わたしは歩くのが好きだって。登校前に寄り道するのが好きなんだ、それが今日は……というか暫くは、邑楽くんのお家になるってだけで」

「そこまでいくと、好きって言うか趣味の領域だな。散歩が趣味って……年寄り臭いな」

「んなっ、し、失礼! 失礼だよ!? 邑楽くん!」

「安心しろ、普段の失礼さでいけば神騙の方が凄まじいから」


 特に僕に対する失礼さとか、天井越えて今もうなぎのぼりって感じである。 

 問題はその、うなぎのぼりしてるやつが他にもいるってことくらいだな。


 ヤダ……僕の知り合い、だいたい全員僕に失礼……!?

 まあ、知り合いと言っても高槻先生と神騙くらいなものであるのだが。


 ちょっと洒落にならないくらいの交友関係の狭さだった。

 明日から本気を出すと己を励ましてきた結果であると思うと、自然と涙が零れ落ちてくる。


 チッ、良いんだよ。一人でも人生は楽しい、そういうもんだ。


「朝早いってことを加味しても庇いきれない目付き悪さになってるよ、邑楽くん……また変なこと考えてるでしょ」

「だから、何で分かるんだよ……人の思考を盗み見るのはやめろ」

「人聞き悪いなぁ……嫌なら顔に出さないようにしてくれないと、困っちゃうよ?」

「困っちゃってるのは僕なんだよなあ」


 どう考えても勝手に読み取られているのだが、あっちにはそのつもりがないので堂々巡りだった。

 互いに「何か分かられてる」と「何か教えられてる」で認識してるっぽいんだよな。


 全然そんなことはないのに、急に熟年夫婦のスキルを与えられたみたいになってんだよ。

 こういうところで神騙の前世設定が、妙にリアリティを持ち始めるので本当に勘弁してほしかった。


 最悪の噛み合い方である。

 世界は神騙を中心に回るよう、贔屓されているんじゃないかと思ってしまうくらいだった。


 天は二物を与えずとは言うが、神騙の場合は別格である。この女に一体、神は何物与える気だよ……なんて考えていれば、その神騙が、妙に目を細めて僕の頬へと触れた。

 それからグイと顔を近寄せて来て、眉根を寄せて僕を見る。


「邑楽くん、具合悪い……? ううん、違うね。今朝、何かあった?」

「凄いな……いや、つーか、そんなに顔に出てるか? 僕」

「大丈夫、ちゃんと隠せてるよ。でも、わたしはきみのお嫁さんだから。このくらい、お見通しに決まってるじゃない」

「……さいですか。ま、確かに何も無かったって訳じゃないけど、特別何かがあったって訳でもないよ。そう気にしなくて良い」


 そう紡いだ言葉は、あるいは自分自身に向けたものだったのかもしれない。

 気にしないだなんて、実際簡単に出来るのならば、どれほど楽だろうかと思う。


 全く意外ではないだろうが、僕はこういうのを結構引っ張るタイプだった。

 自分で考えてため息が出るほどである──しかし、神騙はそんな僕を見て、「そっか」と小さく微笑んだ。


「それじゃあ、きみを元気づけるために、いっぱいギューってしてあげる!」

「いやいらんいらん! そんなバカップルみたいな回復の仕方あるか!」

「えぇ~……それじゃあ、お昼。その時に、きっときみを元気にしてあげる。楽しみに待っててね」

「今から昼が不安になってきたな……」


 バックレようと瞬時に思ったが、そういえば神騙は僕の隣の席である。

 つまり、逃げることは不可能ということであった。


 ……やっぱり神騙の隣の席、罰ゲームだろ。

 結局意味もなく、きつく抱き着いてきた神騙を見ながら、ぼんやりとそう思うのだった。


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