彼のお家事情。
新しい父と母、なんて雑な括り方をしてしまったのだが、正確に言えばそれは違う──のだと思う。
ひどく曖昧な物言いになってしまうので、非常に申し訳ないのだが、旭さんが父で、沙苗さんが母というのは、便宜上そうなるのかもしれないが、しかし実態はもう少し違った。
とはいえ、不仲という訳ではない。何も僕が、二人のことを心底嫌っていて、だからこそ父と母だなんて認めていない……という訳でもない。
どちらかと言うまでもなく、僕は彼らのことを嫌ってはいない。むしろ、好ましいとすら思っているほどだ。
だから、家族と言っても差し支えはない──というか、実際に家族なのである。彼らは僕の保護者であり、僕は彼らに養われている。
そこは純然たる事実であり、否定しようのない、否定する必要のない現実だ。
けれども、そうだとしても、僕がこの先彼らのことを、父と母と呼ぶことは、恐らくないんじゃないだろうか。
少なくとも、今の僕からしてみれば、そんな未来はちょっと想像できなかった。
何せ、僕らが家族になったのは、たった一年と少し前のことなのである──産みの親であり、育ての親でもあった父と母は、その一年と少し前に他界した。
特段、珍しいことではない。ただの、交通事故だった。
即死だった──らしい。詳しくは知らない。というよりは、あまり聞かされることがなかった。
遺体の損傷が激しいという理由から、二人の最期を見ることは出来なかったし、当時の記憶はお恥ずかしながら、少々ぼやけている。
ただ、僕よりも、僕の周りが、ひどく忙しなかった記憶だけが鮮明に残っている。今思えば、誰が僕を引き取るかなんて話を、親戚同士でしていたのではないだろうか。
その結果、手を差し伸べてくれたのが、
元より藍本夫妻とは、幼い頃から見知った相手ではあった──旭さんは父さんの弟だったし、二人の仲は良好だったから。
僕の両親は、あまり親戚付き合いはしない人達であったが、藍本家は別だった……だからこそ、二人は僕を引き取ってくれたのだとも思うが。
と、まあ、そんな珍しくもない、今時どこでもありそう経緯で、僕は彼らに養われているのだった。
だから、保護者であり、家族ではあるが、きっと、父でも母でもない。
形式上はそうだとしても、感情的な部分があまり認めなかった──嫌という訳ではなく、単純に僕の中で、旭さんも沙苗さんも、どちらも『親戚の人』なのである。
あるいは、『長期休暇時に良く会う人』でも良い。実際、その程度の関係だった。
物心ついた頃から中学三年生になるまで、だいたい十五年。その間に固まった認識は早々揺らぐことはない。
だけど、それで良いと僕は思っていた。無理に変えることではないし、変えられるものではないのだから。
それはきっと、藍本夫妻もそうなのだろうと、僕は思っていた。
そう、思っていた。過去形だ、現実は違った。
『邑楽くん、俺達は家族だ。家族になった。だから、俺達を親だと、そう思ってくれて構わないからね』
引き取られて、数日経ったある日のこと。そんな風にかけられた言葉に、恐ろしいほどの吐き気を催した。
ああ、これはダメだと、本能的に理解した。
彼らは僕の親の代わりになろうとしている。
それは、もしかしたら大人として、自然な行動だったのかもしれない。
十代半ばで親をどちらも突然失った、可哀想な少年に対する、慈悲や慈愛の類だったのかもしれない。
だとするのならば、僕がそれを余計なお世話だと、切り捨てるのもまた違うように思えたけれど、しかし、僕の親として振る舞おうとする二人を見ていると、なおさら父と母はこの世にもういないのだと、そうマジマジと見せつけられているような気すらして、目の前が真っ暗に染め上げられた。
代わりなんていらないと、そう言えたらきっと楽だったけれど、言葉にすることはできなかった。
『今日からここが、君の家だ。不都合あれば言ってくれ、なるべく対処しよう』
そんな、優しさ由来の言葉が、耐えられないほどの不愉快に感じられた。その場にいる誰もが、何も悪くないというのに、不快感だけが腹の底から湧き上がってくるようだった。
与えられた新しい部屋は、まるで自分の部屋とは思えなかった。元の家にあった私物を持ち込んで飾っても、それは何も変わらなかった。
敢えて言葉にするのなら、間借りしているという感覚だけがあった。
自分の家ではなく、自分の部屋ではなく、この家はどこまでも他人の家で、他人の部屋だった。
そういう奇妙な理解と感覚のズレが、藍本家に対する莫大な忌避感を、僕の心の中心部分に生み出していた。
──だから、帰りたくなかった。
毎日帰宅するという行為が苦痛に感じられて、だからいつも、どこかしらで時間を潰していた。
なるべく家にいなくて済むように。
僕の親を振舞おうとする二人を、見なくて済むように。
神騙の誘いに”都合が良い”と、そう感じたのはその為だ。
といっても、繰り返すようではあるが、僕は二人のことを嫌っている訳ではない。
多大な恩は感じているし、元より好ましい二人である。それは当然のことだし、余程のことがない限り、変わることはないと思う。
ただ、このどうしようもない気持ちのズレが、僕をこの家に馴染ませていなかった。
きっとそれは、どれだけ時間を重ねても、変わることはない。
「沙苗さん。夕食、美味しかったです。ごちそうさまでした」
「お粗末様でした……ふふっ、いつもそう言ってくれて、私も嬉しいわ。お風呂沸かしてあるから、入ってきて良いわよ」
「ありがとうございます。でも、先は旭さんが。僕はちょっとやることがあるので」
「おや、そうかい? それなら有難く、お先に入らせてもらうよ」
特段、おかしくはない会話。いつも通り、取り繕った笑顔と、慎重に選んだ言葉で成り立つ会話。
僕は今、ちゃんと家族らしく出来ているだろうか。
二人に怪しまれず、馴染んでいるように、リラックスしているように見えるだろうか──そうであると嬉しいな、と思う。
だけど、同時に耐えがたい疲労も感じる。
ああ、早く明日になれば良いのに。
そうすれば、一時だけだとしても、この家から解放されるのだから。
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