でっかい感情。


「いやっ、ちょ、まっ……待ち、はやっ、はやす、ぎ……待ちな、さああぁぁぁぁ……!」


 という、妖怪の断末魔の如く台詞を耳に残した高槻先生を振り切ることに成功した僕たちは、早くも家の近くまでやってきていた。

 予想外の展開に後押しされたせいで、かつてないほどのスピードを出してしまったせいである。


 特段、時間的な不都合はないのだが、体力的不都合は大いにあった。シンプルに言えば、すげー疲れた。

 思いっきり肩で息しちゃうレベルなんだけど。高槻先生、しつこすぎである──いや、それも仕事なんだから、違反していた僕が文句を言うのはお門違いではあるのだが……。


 それはそれ、これはこれ、というやつであった。

 基本的にインドア人間の僕を嘗めないで欲しい。確実に今年一番とも言える運動をしてしまった自覚があった。


 自転車から降りて、押しながら進む体勢となり、長く大きい息を吐く。

 もう暫くは運動したくねぇ……。


「あはは、お疲れ様。ごめんね、わたしのせいで無茶させちゃった」

「いやマジそれな」


 全部とは言わないが、半分くらいは神騙のせいなんですけど! と、大人げなく不満を露にすれば、よーしゃよしゃよしゃと、飼い犬を褒めるかのような手つきで僕の頭を撫でる神騙であった。

 いや、あの、ちょっと? もしかして、それで全部帳消しに出来るとか思ってない?


 一瞬だけ「まあ仕方ないか」と度量のデカい僕が”うむうむ”と頷きそうになってしまったのを、慌てて取り消す。 

 今どきチョロインは流行らないからな。いやヒロインは僕なのかよ。


 売れなさそうなラブコメだな……というところまで思考を飛躍したところで、やっと手を振り払う。

 未だに整わない呼吸を、長く大きい息で整えた。


 それから、住宅街らしく家々が並ぶ内の一つを指さした。


「ほら、ここが僕の家だ。満足したか? したよな? それじゃあさっさと帰っ──ちょぉい! 何インターフォン押そうとしてんの!?」

「え? いやだってほら、邑楽くんのお父様とお母様に、恋人として挨拶しないとかなって」

「何をさも当然でしょう? みたいな面で言ってるんだ……」

「あっ、やっぱり婚約者の方が良かった?」

「違う! 関係性に不満があったのはそうだが、足りないって意味合いじゃないんだよ!」


 むしろ、逆である。関係性を無暗にグレードアップさせるなって言ってるんだよな。

 今でさえギリギリ、クラスメイトを超えて知り合いかどうかってラインなのである。


 距離の詰め方は計画的に、慎重に丁寧にして欲しかった。


「だってきみの場合、反応できないくらい、早く強く踏み込まないと逃げられちゃうし……」

「急に戦士みたいなこと言い始めたな……」


 完全に語彙が戦う人のそれだった。何だよ、早く強く踏み込むって。それはもうその後、大上段からの一閃が放たれたりするやつだろ。

 さしずめ勇者に叩きのめされたぽっと出のモブの如く、圧倒される僕であった。


「でも、そうね。ちょっと急ぎ過ぎたかも……時間も時間だし、ご挨拶はまた今度かな」

「安心しろ、そんな機会は二度と訪れない」

「勝手に訪れるから大丈夫だよ?」

「ちょっと? 自由すぎるでしょう? 僕の意思を何だと思ってるんだ」


 やはり家を教えたのは失策だったか……と思うも後の祭りである。まあ、後をつけるのは冗談だったにしろ、近い内に知られていただろうから、どうしようもないことではあるのだが。

 そのくらいの本気加減が、神騙からは伝わってくるというものであった。


 ヤダ、この子怖すぎ……? 知れば知るほど怖い面ばかり知ることになって、僕的には超ディスアドって感じです。


「フットワークが軽すぎるんだよな、せめて冗談は冗談らしく、分かりやすくしてくれ」

「……? 冗談なんかじゃないよ。何なら今は、ここなら毎朝通えそうだなーって思ってたくらいなんだから」

「どうやら僕の知らないところで、恐ろしい計画が立てられていたようだな……」


 毎朝通うって……。美少女に毎朝起こされる、なんて言葉にしてしまえば、確かに夢のようなシチュエーションかもしれないが、相手が神騙かがりであることを思えば、ただの微笑ましい光景になるとは思えなかった。

 ていうか、そんなことされたら、下手したら家庭が乱されかねないし……。


 こちらは冗談ではなく本気マジである。

 本当の本当に、こいつのこの強引さは、今とても繊細なところにあるその辺に、致命的なダメージを与えそうだった。


 ここは理論的な武装を用いて、しっかりと撃退した方が良いかもしれない。

 ふむ……と二、三秒考え込んだ後に、僕は神騙の論理的な撃退を試みた。


「歩くのが大好きって言ったって、限度があるだろ……元より家は、学校から少し離れた所にあるんだろ? そんなことに無理をされても、僕はちっとも嬉しくないぞ」

「えへへ、それがそうでもないんだ。だってわたしのお家、ここから歩いて十分ないくらいだもん」

「なんて?」

「わたしの家、ここから、歩いて十分」

「……なるほど」


 論破を試みたら逆に論破をされてしまい、理論的な立場を獲得された僕であった。嘘だろ? 論議を交わせたの、数秒にも満たない時間だったぞ。

 単純に僕のレスバ力の低さが露呈しただけであった。


 ついでに言えば、嘘ではないかを検証する為に、神騙の家へと向かったところ、本当に十分弱で到着してしまったので、ぐうの音も出せない僕だった。

 完全敗北とは多分、こういうことを言うのだろう。


「ていうか神騙、一人暮らしだったんだな」

「うん──別に、お家が特別離れてる訳じゃないんだけどね。我儘言って、部屋を用意してもらっちゃった」

「我儘で用意してもらえるものなのか、部屋って……」


 神騙、普通にお嬢様なんじゃないか説が浮上してきた瞬間であった。噂になってないから、などという不安定なソースを基にした決めつけは良くないな。


「だけど、それなら何と言うか……悪かったな。もっと早くに切り上げれば良かった、一人暮らしって……何か、アレだ。やること多いんだろ?」

「ふふっ、それはそうだけど、謝らないで欲しいな。わたしは、わたしがきみといたくて、こうしたんだもの」

「……そうか。それならまあ、良いけど。じゃ、また明日な──あっ、絶対に明日、迎えに来たりするなよ! フリじゃないからな!?」

「えぇ~……」


 神騙の部屋であろう扉の前で、酷く不満げに唇を尖らせる神騙であった。こいつ、本気で朝突撃してくるつもりだったのか……。

 一応、忠告しておいて良かった、と思う。


 ほっと胸をなでおろした僕に、神騙は「んっ」と両手を広げてみせた。

 ……え、なに?


「それじゃあ、妥協案。わたしを抱きしめて?」

「何をどうしたらそれが妥協になるんだよ……!」

「だって、寝起きのきみに会えないと寂しいし……それがダメなら、今こうしてギュッとしてくれないと、割に合わないかなって」

「逆にそれで釣り合いが取れるものなのか、それは……」


 僕の苦し紛れにも近い苦言に、しかし神騙が動揺することはない。

 むしろその、はしばみ色の瞳は「早くして!」と言ってすらいるようだった。


 何となく、逃げ場のないことを感じ取る。

 ここが最大にして最低のであることを、直感的にではあるが、分かった気がした。


 ため息を一つ。

 これで済むなら安いものか、と思うことにした。


「ほら、これで良いか」

「ん、もうちょっと強く」

「注文が多いやつだな……」


 僕より少しだけ身長の低い神騙は、女の子らしく華奢な体で柔らかく、あまり強くすると壊れてしまうんじゃないかとすら思った。

 だから、慎重に力を込めた。丁寧に、壊れないように、傷つけないように。


 それでも要望通りに抱きすくめれば、そっと抱きしめ返される。

 それが妙に心地良くて、ふわりと香る彼女の匂いにドキリと心臓を跳ねさせた。


「良し、これで満足だろ」

「うーん、あと半世紀くらい……」

「スケールがデカすぎる……何年生きる気だよ」

「きみが生きている限り、かな」

「感情デカ……」



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