本当にズルい人。
会計を終えて外に出れば、沈んだばかりの陽の名残りを残す、薄っすらとした夜が空を染めていた。
とはいえ、四月ともなれば冬の残り香も、春風に吹き流されていて、半袖でも過ごせそうなくらいには暖かい。
チラホラと点き始めている電灯を眺めながら、何だかんだと居座り過ぎたらしいと思う。
時刻を確認すれば、いつも帰ろうか考え始めるような時間だった。
意図した訳ではないがちょうど良い。帰ること自体は億劫ではあるが、それはいつも通りのことである。
駄々をこねても仕方ない──というか、こうしていたこと自体が、駄々をこねていたに等しい訳だしな。
少しだけ遅れて出てきた神騙に振り返って声をかける。
「それじゃ、帰るとするか。神騙はどっち方面だ? 駅の方?」
「送ってくれるんだ、優しいね」
「優しいって言うか、当たり前のことだろ……」
幾ら神騙が頭のおかしい女だったとしても、こんな時間に同級生の女子を、一人で帰すなんてことが出来るやつは、下心の有無を抜きにしたって、そうはいないだろう。
それにほら、明日になって何かしらの事件に巻き込まれたことが発覚でもしたら、僕の寝覚めが最悪である。
だから、優しいのではなく、ある種の自己防衛であった。少なくとも僕の場合は、という枕詞はつくが。
「そういうことを当然だって言えるのは美徳だよ、邑楽くんはちょっと卑下しすぎ」
「悪いがこういうのが僕なんでな、我慢しろ」
「堂々とした開き直りだなあ……」
まあ良いんだけど、と再び僕の後ろに座る神騙だった。二人乗りで帰ることは決定事項らしい。
今更文句を言っても仕方あるまい。何せ一度、許しているのである。
久し振りに人と長時間話したせいか、くぁと出てきた欠伸を噛み殺してペダルを踏み込んだ。
警察に見つかりでもしたらお説教されてしまうだろうが、まあ、大丈夫だろ。
……大丈夫だよね? 何だか不安になってきたのだが、止まる訳にもいかずスイと自転車を滑らせた。
「それで、どっち方面なんだ? そこまで遠くはないんだろ」
「んー、それはまあ、そうなんだけどね」
微妙に歯切れの悪い返事をした神騙が、少しだけ悩むような声をあげる。
珍しい──と思うには、僕は神騙のことを知らなすぎるのだが、それでも珍しいと思わざるを得なかった。
「あぁ、悪い。配慮が足りなかったな、家とか知られたくなかったか?」
「? あははっ、まさかそんな訳ないじゃない。むしろ知って欲しいくらいだよー、邑楽くんにはいつだって、お家に来て欲しいくらいなんだから」
「そうかよ……絶対に遊びに行くことはないが、それなら何で渋ってんだ」
「うーんとね、今日の目的は邑楽くんの家を知ることだったけど、先に送って貰ったら達成できないからなぁ……って思ってて」
でも、順番を逆にしたら、邑楽くんに二度手間かけさせちゃうでしょ? と神騙が言う。そう言えばそうだったな。
この女、僕の家を特定しに来ていたのだった。すっかり忘れていたな、出来ればお家に着くまで忘れていて欲しいところだった。
「こうなったら送ってもらったあと、こっそり邑楽くんの後をつけるしかないかもって……」
「いや怖い怖い、発想が怖すぎるだろ。しかも、あらゆる面において僕の気遣いを無視してるじゃねぇか!」
「大丈夫、バレなきゃ犯罪じゃないって、きみに教わったから!」
「全然大丈夫じゃないし、過去を捏造するのはやめろ! 僕が超悪いやつみたいじゃん!」
知らない内に、純粋無垢な少女を誑かすタイプの悪魔みたいな設定を付与されている僕だった。
失礼過ぎるだろ。神騙の脳内にある前世の僕は一体どういうやつなんだ。
「ふふっ、実際悪い子だったよ、きみは」
「そうかよ……なら尚更、僕とは似ても似つかないな」
「えー? そうかなぁ。そんなこと無いと思うけどなー」
楽しそうにくすくすと笑いながら、神騙が言う。人畜無害なことに定評のある僕の、どの辺に性悪さを見出したのかは分からないのだが……まあ良いか。
僕とて、完璧な善人という訳ではない。人の数だけ見方があるものであり、人の良し悪しなど、どういう風に見るかで変わるものだろう。
たとえばクラスメイトが、神騙のことを完璧な美少女と見ているのに対し、僕は頭のおかしい女だと見ているように。
人次第である、何事も。
「ま、分かったよ。先に僕の家に行きゃ良いんだろ」
「……い、良いの?」
「何でそっちが驚いてんだ──後なんてつけられたくないからな。自己防衛だ、これも」
「えへへ、きみはやっぱり優しいなあ」
だから、優しい訳じゃないんだが……。
何を言っても聞かなさそうな神騙だったし、実際何を言ってもニコニコと「はいはい、分かってる分かってる」なんて笑いそうなものである。
短い──本当に、短すぎるくらいの付き合いではあるのだが、そのくらいは容易に分かった。
神騙かがりとは、そういう少女なのだ。
そうと決まれば、少しくらいは急いだほうが良いだろう。こんなことで、あんまり遅くなりすぎても仕方ない。
ゆるゆると踏み込んでいたペダルの回転率を上げようと、足に力を込める。
瞬間、声がした。
「そこの高校生男女ーッ! ちょっと止まりなさーいッ!」
張りのある声だった。少しだけビビって見れば、そこにいたのは我らが担任の女教師──高槻先生。
やべっと思い、反射的にペダルを踏み込んだ。
「しっかり捕まってろよ、神騙!」
「わ、わわっ、止まらないの!? 邑楽くん!」
「生憎、僕は悪い子らしいんでな」
「あ、ズルいんだ。都合の良い時ばっかりそうやって」
「うるせ、人なんてちょっとズルいくらいが、ちょうど良いんだよ」
なんて、面倒ごとを回避したかっただけの方便であるのだが、神騙は少しの逡巡の後に「そっか」と言うだけだった。
怒った訳でも、咎めるつもりがある訳でもないだろう──そのくらい、その声音は嬉し気に弾んでいた。
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