居場所

羽澄「次はこっちですね。」


真帆路「多分隣の棚にあるんじゃないですか?」


羽澄「あ、本当だ。ありがとうございます!」


羽澄さんはお礼の言葉を口にした後

てとてとと隣の棚の方に向かった。

日用品等々が並ぶホームセンターでは

それのみならず家具や

アウトドア用品も揃えられている。

見ているとさまざまな用品があって楽しいのか

自然と心持ちまで軽くなる。


羽澄さんと過ごすようになって

2週間は経ただろうか。

周りの環境に対して常に

憎悪や敵意を持っていた当初とは違い、

だいぶ多くのことを

受け入れるようになってきているような

気になっている。

花奏のことや両親のことなど

引っかかる部分は多々あるけれど、

施設の人との関わりの中で

だいぶそのしこりは解れてきた。


特に羽澄さんや千聖ちゃん、

職員の佐々川さんを中心に

色々な人と話すようになった。

些細なことだってそう。

例えば、今日は猫がたまたま

施設の前を通っていて可愛かっただとか、

子供がはしゃいでて転んじゃったところを

施設の子が走って

助けにいってあげていただとか。

そうして傷を塞いでいった。

否、見ないようにしていった。

花奏と会った時に泣きながら喚いたことも、

大阪での土砂崩れの場所へ走ったことも、

あたしの苗字のお墓参りをしたことも、

家に帰ったら知らない人が

住んでいたことも、

見ないようにと顔を背けるようになった。


見たって何かあるわけではなく、

見続けたって解決するようなことではないから。


立ち直ったのか諦めたのか

自分でも判別はつかなかった。


羽澄「あ、これこれ。…ふう、だいぶ揃ってきましたね。」


真帆路「あとは何が必要なんですか?」


羽澄「洗濯ネットと、あとは…」


つらつらとメモをもとに

読み上げてくれるのだが、

洗濯ネット以外覚えられるはずもなかった。


羽澄さんは大学受験に合格し、

今後は寮で暮らすことになるらしい。

今はその新生活に必要なものを

買い揃えに来ていたのだ。

自衛隊になりたいようで、

そのための大学に通うという。

そこでは、学生ではあるものの

国のために動くということで

給料が入るのだとか。

その給料で施設にいた分のお金を

返すのだと言っていた。

お金を返すために自衛隊のための

大学に入るのか、

それとも別の理由で自衛隊になりたくて、

そこではたまたま給料が

手に入る仕組みだったのかまでは知らない。


羽澄「あとは、髪も切らなきゃですね。」


真帆路「長いとだめなんですか?」


羽澄「動きやすいよう切っておきたいんですよ。たくさん訓練がありますからね。」


ふんす、と鼻を鳴らす。

随分と意気込んでいた。


真帆路「羽澄さんは、親御さんって…。」


羽澄「え?」


あ、と思った。

気づけば口から言葉が漏れていて、

手で口を押さえるけど遅かった。

どうして聞いてしまったんだろう。

施設内では過去のことについて触れるのは

タブーのような空気が出ていた。

どこの誰だろうと、どんな過去を持とうと

あなたはあなただと受け入れるような、

そんな空気があった。

それを、壊してしまった気がした。


羽澄さんなら、もしかしたら

大丈夫かもしれないなんて、

思ってしまった。


羽澄さんは少しばかり目をぱちくりとして、

手に持っていた品物をかごに入れながら

目を伏せて言った。


羽澄「羽澄の両親は誰かも知りませんし、どこにいるかもわかりません。気づいた時からあの施設にいるんです。」


真帆路「あの、ごめんなさ」


羽澄「でも、寂しくはないです。」


真帆路「…え。」


羽澄「周りの方々が優しくしてくださって、愛情たっぷりに育ててくれたんです。」


その言葉の意味の重さは、

重々に理解することができた。

あたしも、その実感があった。

それは羽澄さんとは違って

家族からではあったけれど。


羽澄「羽澄は単純なので、上部の言葉すら本心だと思って受け取っていたのかもしれません。でも、大切な家族です。」


真帆路「素敵…ですね。」


羽澄「えへへ、よく言われます!」


羽澄さんは信じられないほどいい人で

純真であると改めて気付かされた。

目を伏せていたけれど、

目を少しばかり細めてからカゴを持ち直し

またメモを見始めた。

そして次はあっち、こっちと

連れ回されるだけだった。

けど、全く悪い気はしなかった。





***





千聖「いーなぁ、羽澄は。」


羽澄「ちーちゃんももう少しじゃないですか。」


千聖「うーん、私高校行くかわかんないし。」


羽澄「でも、その年齢になれば個室か2人部屋ですよ。」


千聖「みんな個室希望だろうし、私は2人部屋でいいや。」


羽澄「またまたぁ。寂しいんですか?」


千聖「羽澄は試験受かってから急に余裕そうになったよねー。」


羽澄「えへへぇ。」


ご飯を食べていると、

横からそんな声が聞こえた。

あたしはお腹が空いていたので

ぱくぱくと無言で食べ物を口にするばかり。

隣では2人がこの施設の

部屋のことについて話していた。

思えば、羽澄さんが大学の寮へと

移り住むことになれば、

あたしはあの部屋で1人になる。

隣のベッドは移されるのか

今の場所のままになるのかは不明だが、

羽澄さんがここから

出ていくことは確かなのだ。

巣立っていくことには変わりない。


千聖ちゃんはそれを踏まえてか否か、

羽澄さんと過ごす時間を

少しでも多くしたいと思っていそうな

行動をとっているように見える。

夜ご飯を一緒に食べるのもそう、

空いた時間に話しかけにくるのだってそう。

普段からこうだったのかもしれないが、

何かしらの感慨深さや

寂しさが混じっていることには変わりない。


あたしは2人の会話を邪魔しないようにと

そそくさと食べ終えて

部屋に戻ることしかできなかった。


真帆路「はぁ。」


部屋に戻ると、急に1人だという

感覚が襲ってくる。

じわじわと足の爪から侵食し、

徐々にくるぶし、膝裏、太ももへと

這いずり登ってくる。

鬱血しそうなほど強く締め付けてくるそれは、

決して誰の目に見えないものだった。

もちろん、あたしにも見えない。

幽霊の類ではなく、

ただただ心のままに、感情のままに

締め付けられる思いがした。


虚しい、空っぽ、寂しい、誰か来て。

助けて。


真帆路「……はぁ。」


もう1度ため息を吐いてみる。

それでもすっきりしないものだから、

眠ることにしてみた。

眠ると不思議なことに

多くのことを長く忘れていられる。

その眠るまでが長いことが多いのだが、

今日に限っては疲れていたのか

すうっと眠りにつくことができた。

布団は冷たかったはずだけれど、

自分の熱で温まるのを感じる。

足先が暖かい。

指先も。


ああ。

あたし、生きてるみたい。


何故か泣きたくなる思いが過ぎった。





***





また、夢を見た。

夢を見ているという自覚がある。

明晰夢というんだったか。

周囲一帯は草原で、

手をまっすぐと伸ばした高さくらいまで

様々な種類の植物が生い茂っている。


匂いまで感じ取れそうなほど

鮮明であるがために、

思わず手を伸ばしてしまう。

草むらの中に、ぽつんと白い獣が見えた。

草むらに隠れるようにしゃがみながら、

優しく優しく手を伸ばす。


真帆路「お願い、逃げないで。」


白い獣はこちらをじっと見据えている。

尻尾をゆらゆらと威嚇するように

揺蕩わせていたけれど、

やがてそれも落ち着いて

ぱたりと地面に寝かせていた。


真帆路「大丈夫だよ、怖くないよ。」


伝われ。

伝われ。


そう思いながら手渡す言葉は、

間違いなくあたしが今欲しい言葉だった。


もう少し。

もう少しであなたに手が届く。

けれど、そこで手はぴた、と止まってしまった。

動かそうにも石膏のように

動かなくなってしまったのだ。

あたしの時間はここで

止まってしまったかのように。


それを見た白い獣は、

すくっと立ち上がっていた。

このままでは逃げてしまう。

そんな思案とは裏腹に、

白い獣は伸ばしたあたしの手に

すりすりと頬や体を擦り付けた。


その一瞬に、片足の腿の辺りに

花の雌蕊のような模様があるのを見つけた。


真帆路「くも?」


恐る恐る呼ぶと、みー、と声がする。


目の前にはくもがいた。

紛れもなく、くもだった。


改めてくもに刻まれた模様を眺める。

花の雌蕊のよう。

その感想は変わりないのだが、まるでー。


真帆路「…彼岸花みたいだね、くも。」


みー、と子猫みたいに鈴のような

かわいい声で鳴いていた。

くもが大人になってから

こんなにかわいい声で鳴いたことって

あったっけな。


真帆路「…ふふ。」


かさかさと音がする。

草が擦れるような、微かな。





***





真帆路「…。」


羽澄「ぅあれ、起こしちゃいましたか?」


真帆路「…いえ。」


布団は相変わらずぬくぬく。

だけれど、体を起こすと

即座に逃げられてしまう。


それが嫌で起き上がりたくなかったけれど、

起きなきゃいけない時も多々あるわけで。

今もその時かもしれないと思い

ゆっくりと体を持ち上げた。


羽澄さんは今日買った品品を

片していたのか、

ありとあらゆるものが

床に広がっている。


羽澄「すみません、汚くしちゃって。」


真帆路「全然大丈夫です。」


羽澄「早めに準備しておかないと焦っちゃうなって思ったんです。」


真帆路「早めに準備してても入学直前は焦ってそう。なんだか想像できちゃいました。」


羽澄「あはは、確かにそうですね!」


かさりかさりと音が鳴る。

どうやらこの音で起きたらしい。


羽澄さんはばつが悪そうに

しゅんとしながら

レジ袋を畳んでゴミを入れていた。

あたしを起こしてしまったことが

ショックだったようだ。


あたしは布団から足を出し、

ベッドに腰掛けるようにしながら

羽澄さんへと向かう。


真帆路「あの、全然音が鳴ってもだいじ」


羽澄「はい!」


ば、と目の前を遮るものがあった。

羽澄さんは何かを手に持ち、

それをこちらへと伸ばしている。

先日施設から編み物をするための毛糸を

もらったばかりだというのに、

これ以上貰ってもいいのだろうかと

どうしても不安になる。

それでも、受け取らないのも失礼で。


頭の中は混乱し切っているけれど、

その複雑な頭の中のまま

羽澄さんから手渡しで何かをもらう。

まるで白い大きな毛玉だ。

夢で見たくもを思い出す。


それでもこれは暖かくなくて

生き物ではなかった。


真帆路「何ですか…これ。」


そう言いながら、無機質な獣を解く。

随分と長く、ふさふさ。

蛇のようだったけれど、

よくよく見てみればマフラーのようだった。


ぎゅっと抱きしめてみると、

真新しく作られた匂いがする。

ちらと羽澄さんを見ると、

手を後ろで組んで相変わらず

日向のように笑っていた。


羽澄「新生活の応援です。」


真帆路「えっ…?」


羽澄「防寒着はほとんど持っていなかったと記憶していたので、施設の方と話し合ってプレゼントすることにしてたんです。」


真帆路「そんな…いつから。」


羽澄「伊勢谷さんのご両親のことを聞いたあたりからです。」


真帆路「やっぱり知ってたんですね。」


羽澄「…身寄りがいなくて、孤独に感じるその気持ちが……羽澄には痛いほどわかります。」


真帆路「…。」


羽澄「だから、羽澄がここから離れても、家族の方と離れても、1人じゃないよって…居場所はあるよって言いたくて。」


真帆路「…。」


羽澄「夏は使えないかもしれませんが、冬に凍えないように」


そこまで聞いて、

なんだか耐えれなくなって

羽澄さんの声を遮るように

彼女の胸に顔を埋めた。

片手にマフラーを握りしめたまま

もう片手で羽澄さんの服を

シワになるまで握りしめる。


あれ。

花奏の時も、愛咲の時も

こうしていなかったっけ。


意味もなく嗚咽を出してみる。

涙に合わせて手に力を入れてみる。

流れる洟をすすってみる。

爪が剥がれるほど握りしめる。

足から力が抜けるほど抱きしめる。

それでも、まだ立っていて、

羽澄さんにしがみついていた。


真帆路「うぅ…ぅあ、ぅ…っ。」


羽澄「…大丈夫。伊勢谷さんのこと、多くの人が見守ってくれていますよ。」


大丈夫。

大丈夫です。


そう優しくいうものだから、

声が溢れて仕方がない。

仕方がないほどに熱を感じる。

自分の顔が熱いのもそう、

羽澄さんの体温が高いのもそう。

マフラーが熱を込めて離さないよう

温め続けてくれているのもそう。


あたし、1人になった。

愛咲も花奏も変わっていた。

学校の頃の同級生と

連絡を取る気も失せた。

就職や進学をして、あたしを置いて

ずんずんと先に進んでしまったから。

そんな子たちをみたら、

今の自分が情けなくなるから。


1人になった。

家族がいなくなった。

ママは自害して、パパは事故に巻き込まれた。

唯一くもはまだわからない。

くもは、どこにもいなかった。

行方不明の彼岸花は

今もどこかで鳴いているのかもしれない。

でも、人知れずどこかで

死んだのかもしれない。


1人に。

1人になってた。

けれど、ここで暮らすうちに

少しだけ友達が増えた。

同居人が増えた。

話すことができる空間が、環境ができた。

多くを、本当に多くを失った。

何も残らなかった。

けどね。

1人じゃなかったみたい。

1人だって思い込んでただけで、

愛咲も花奏も羽澄さんも

千聖ちゃんも佐々川さんも

施設のみんなだっている。

その証がこのマフラーだと思った。

あたしたちを繋ぐ、短くて拙く脆い縁。


…少しだけ、前を向けそうな気がした。

もうちょっとだけ休んで、

心の傷が癒えてきたら。


そんな未来すら考えられそうな気さえした。


少し、口角を上げてみる。

ママみたいに。

羽澄さんみたいに。

ちょっと、楽しみ。

そう言うように。


みー。


遠くで声がした気がした。

きっと、くもだろう。





憧憬 終

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