結えた約束

みー。

あ、くもが鳴いてる。


くも?

くもだよね。


みー。

ほら。

どこかから聞こえる。

間違いないよ、くもだよ。


みー。


真帆路「くも?」


みー。

近くで聞こえているはずなのに、

足元を見ても、家の中を見回してもいない。

声のする方へ向かうと、

今度は後ろから聞こえてくる。


真帆路「くも!」


どんどんとくもの声は遠ざかる。

まるで親から引き離された子供のような

か細い鳴き声が耳を掠める。


真帆路「くも、どこっ!」


くもは大きくなった。

もう子猫じゃない。

大人もいいところ、

10歳になるかどうかくらい。

とっくに人間で言うあたしの年齢は越した。

いつの間にか先を越されてた。


だからこそ、あんなに細く

不安になるような声を上げるなんて

想像がつかなった。

いつも太々しく鳴くの。

なーお、って。

でも今日は違う。


真帆路「くもーっ!」


くも、ひとりぼっちなんだ。

待って。

お願い、待って。

そう思うほどに声は離れていく。


家は空っぽ。

ピアノの音もりんごパイの匂いもしない。

掃除もされていないのか、

隅には埃が溜まり始めている。


ああ、この家ももうすぐ

出ていかなきゃいけないらしい。


真帆路「くも、一緒に行こう!ねぇ!」


くもは、返事をしてくれない。

しているのかもしれないけれど、

もうあたしの耳には届かない。


真帆路「どっかに行かないでよ!帰ってきてよ!」


帰ってきてよ。

そう思っていたのは、

家族みんなの方だというのに。

…ああ。

こんな気持ちだったんだ。


真帆路「ひとりにしないでよ、くも!」


でも、返事は。

家がどんどんと廃れていく。

地面からは草が伸び、

壁には文字と蔦が刻まれていく。

壁の文字は読みたくなかった。

怖くて、近づくこともできなくて、

その場でしゃがんで床を眺む。

草だけが伸びる中、

花が咲くことすらない。


草は高さを増し、天井までに届くようになる。

あたしは、それらに呑み込まれてしまって

自分がどこにいるかすらわからない。


くもも、家も見えなくなっていた。


あたしの大好きな家族。

パパ、ママ、それから、くも。

あたしの、大切な居場所。

守りたかった時間。


全部、なくなってしまった。





***





真帆路「…。」


朝目覚めると、恐ろしいほどに自然と

目元を拭っていた。

目がしばしばとする。

目やにが目に入りかけて、

より一層瞳が潤む。


真帆路「…くも。」


今日は、とても晴れていた。

夢とは大違いで、

手を翳したくなるほどの青白い空。

雲ひとつない、青空だった。


思うことも考えることも少なく、

今日は流れるように始まっていた。


既に慣れたかのようにして

リビングに行ってみんなとご飯を食べる。

時々、近くに座る人と話をする。

けれどグループがいくつかできているようで、

多くは1人で食べ物を頬張った。

それか、羽澄さんや千聖ちゃんと

一緒に食べるかだった。

今日は、たまたま一緒に

食べる日だったらしい。

今日は、あたしに居場所がある日らしい。


千聖「ここの生活、慣れてきた?」


真帆路「はい、少しは。」


千聖「ふうん。」


千聖ちゃんは興味なさげにそういうと、

パンをちぎりひと口、口の中へと放る。


千聖「今は珍しく見える生活かもしれないけど、完全に慣れちゃったらつまんなくなるよー。」


真帆路「つまらなく…。」


千聖「そう。」


羽澄「羽澄は毎日楽しいですよ?」


千聖「私も楽しい時はあるけど、それだけじゃないじゃん?」


真帆路「そうなんですか?」


助けを求めるように羽澄さんを見ると、

少し困ったように笑って

小さな声で言ってくれた。


羽澄「まあ、超超大家族ですから、喧嘩や仲間はずれだってあるにはありますよね。」


真帆路「え…。」


千聖「それに、ここにくる子はいろんなこと抱えてるケースがほとんどだし。」


真帆路「…!」


千聖ちゃんだってその1人だということを

忘れていたようで、

何故か心臓の隅を突かれたような

ちくりとした痛みが走る。

今だって大きな机がいくつかある

この部屋の中には、

多くの子供達がいた。

あたしたちの話が聞こえている人も

何人かはいるだろう。

だけど、それを承知しているのか、

それとも周りがわいわいとしているから

そんなには声が広がっていないのか

周りはこちらを見ることはなかった。


千聖「だから、急に泣き喚いちゃう子や暴れちゃう子だっている。健常者の子もいれば、生まれつき精神的な病気を持っている子だっている。」


羽澄「みんながみんな、上手に仲良く過ごすっていうのは難しいのかもしれません。」


真帆路「みんなが…そうですよね。学校みたいなもの…ですし。」


千聖「そう。暮らす学校みたいなもんなんだよね。」


羽澄「個室や2人部屋だって高校生以上からですし、なかなか1人の時間って持ちづらいところはありますね。」


真帆路「…嫌にならないんですか?」


千聖「え?」


もぐ。

パンをちぎるのはやめて、

そのまま齧り付いていた。

そして口を数回動かして

慌てたように飲み込んでいた。


千聖「嫌だって駄々こねたって、居場所ないもん。」


真帆路「あ…その、ごめ」


千聖「謝ることじゃないよ。聞いただけなんでしょ?嫌味言ったわけでも、傷つけようとしたわけでもないんだし。」


真帆路「でも…。」


千聖「私は気にしない方だしいいよー。それに、全くの無関係でこっちのことを知ろうともしない人から言われるのと訳違うからいーの。」


最後に残っていたパンを口に詰め、

僅かに残ったスープを流し込む。

「お先。ご馳走様でしたー」と言って

千聖ちゃんはさっさと席を立ち

お盆を片付けに行った。


真帆路「…本当にあれ、怒ってない?」


羽澄「はい。むしろ歓迎してくれてるんだと思いますよ。」


真帆路「え…?」


羽澄「ここに住むようになったからには、痛みの深さや濃さは違えど、似たような傷を持つもの同士なんです。」


真帆路「…。」


羽澄さんはいつの間にか朝ごはんを

食べ終わっていたらしく、

ゆっくりを手を合わせた。


羽澄「だから羽澄たち、喧嘩しようとなんだろうと、協力しあってわかりあって、なんとか生きているんだと思います。」


ご馳走様でした。

そう、控えめに口にしていた。


あたしは、その一員になっているとも

思うことができなければ、

その一員になる勇気もなかった。

この施設が1番の居場所になるだろうことは

想像に難くないのに、

まだ夢だと思い続けているようで、

体は宙に浮いているような感じがした。


ご飯を食べ終わって、身支度をする。

今日は、花奏に会う日だった。

羽澄の勧めのままに

花奏に会うことにはしたのだけれど、

何と言えばいいのだろうか、

心の中がもやもやして止まなかった。


羽澄「忘れ物はありませんか?」


その声を聞いてはっとして振り返ると、

あたしは玄関にいて、

羽澄さんはあたしのことを

見送ろうとしていた。


わー、と少年が2、3人隣を駆け抜けて

外へと飛び出していってしまった。


真帆路「わっ…。」


羽澄「あはは…元気ですねー。」


ぼうっとして仕方がない。

どうしても思考は空を飛んで

どこまでも飛んでいって

なかなか戻ってこない。

気づけば時間は勝手に過ぎ去っていて

戻ることはできなくなっている。

最近では、そればかり続いた。

ほら、今だって。





***





花奏と直接連絡を取るのは

真っ黒な水の中に手を突っ込むほどに

怖くてたまらなかった。

羽澄さんから連絡先を教えてもらって、

電話するまでは勇気が出なかったから

文字でひと言を送った。


久しぶり、今週末時間があれば会いたい。


たったそれだけの文を送るだけに、

一昨日くらいにはひと晩かかった。

最後、悩むのに疲れて

たまたま落ちた指は

送信ボタンに触れていたっけ。

花奏からはなかなか連絡が

帰ってこなかったけれど、

つい先日、やっとひと言返ってきた。


いいよ。私も、


本当にそれだけだった。

私も会いたいという意味なのだろうか、

力尽きたように句点が打たれていた。

もしかしたら打ち間違えただけかもしれない。

なんて深く考えているようで、

きっと表面上そう思っただけ。

するりとその思考は抜けて、

次に花奏と会う日時や場所について

ざっくりと話し合っていた。


けれど、そんなものは話し合わずとも

ほぼ決まっていたようなものだろう。


時間は、15時半。

場所は。


真帆路「…。」


場所は、あたしと花奏が

初めて会った河川敷。





°°°°°





真帆路「駄目!」


「えっ…?」


真帆路「そこ、嫌な感じするから、駄目!」


「え、待っ」


真帆路「危ないの、離れて!」


「だ、誰…。」





°°°°°





真帆路「…。」


自分の手のひらを見てみる。

あの時、川に手を伸ばす彼女の手を

思わず握って引いた手。

既に面影は無くなって、

指はすらりと伸び、

爪はぼろぼろではなくなった。


真帆路「…花奏。」


ぎゅ、と手を結ぶ。

今日から大きな寒波が

日本を襲いにくるらしい。

河川敷はより風が冷たくて、

手をポケットに突っ込んだ。

もう誰も注意する人はいないから。


15時半。

ぴったりに来てみたけれど、

花奏はまだ来ていなかった。





***





それから1時間たった。

時間はもう16時半。

日も落ちてきて、段々と水辺には

どんよりとした嫌な空気が流れ始める。

けれど、前よりも濃度は低い感じがする。

背筋が凍りつくほどの寒気はしない。

ここもここで、ゆっくりと

風化していったのかもしれない。


雑草の生える斜面に腰をかける。

立ったままいるのも疲れて、

大の字で寝転がりたくなってしまう。

どうして、花奏と会うことに

なったんだっけだなんて

初歩的なことまで忘れそうになる。





°°°°°





羽澄「今度は花奏ちゃんに会ってみませんか。」


真帆路「…花奏に?」


羽澄「はい。」


真帆路「どうして。」


羽澄「花奏ちゃんは、伊勢谷さんのことを心底慕っています。伊勢谷さんを待っています。」


真帆路「…あの子が?」


羽澄「はい。それに…お互い、この先に何かを見いだせたらいいなと思うんです。」


真帆路「…。」





°°°°°





…なんて話があったから

連絡をとって来てみたはいいものの、

結局会えないんじゃ意味はない。

花奏、途中で事故に

遭ったんじゃないだろうか。

何かが起こったんじゃないか。

もしかしたら。


真帆路「…一叶が…。」


一叶が、何かしたんじゃ。

だって、羽澄さんは言っていた。

彼女たち自身にいろいろなことがあったと。

花奏も例外じゃないと。

ならー。


そう思った時だった。

しゃく、しゃくとこちらへ

向かってくる足音がする。

雑草を踏む音がした。

確実にこちらへ向かってくるのが

嫌というほどわかる。

考え込む間に、時間は17時を回っていた。


勢いよく振り返る。

怖かったから、いっそのことって。


…そしたら。


真帆路「…っ!」


花奏「…真帆路先輩?」


真帆路「花奏…花奏っ!」


暖かそうな上着を身につけて、

ロングスカートを風で揺らす彼女の姿は

何故かママと重なった気がした。

髪は、ポニーテール。

長い長い髪を縛っていた。


気づけばそこから腰を上げ、

思いっきり坂を駆け上がり

花奏へと抱きついていた。

斜面なこともあり、

ゆらりと彼女がふらつく。

もともと彼女はスタイルが

いい方だったけれど、

服の上からでも随分と

華奢になっていることがわかってしまった。

お腹の薄さに驚きながらも、

久しぶりの香りに包まれる。


花奏「…。」


真帆路「久しぶり。」


花奏「…うん。」


あたしは顔を上げずに服に言葉を流す。

花奏はぎりぎり聞き取れたのか

聞き取れなかったのか、

ぽつりと曖昧な返事をした。

そして、あたしの背に手を伸ばして

少しの間を空けてから

背中部分を軽く握っていた。

お世辞にも抱き締めているとは言えなかった。


あたしよりも背の低かったはずの花奏は、

頭ひとつ分とまでは言わないけれど、

全然あたしよりも大きくなっていた。

きっと愛咲よりも背は高くなっている。

それに、髪の毛は腰の少し上あたりまで

伸びきっている。

あたしがよく知っているのは、

ボブくらいの長さの時。

長くても肩下あたりまでしか

伸ばしてなかったというのを覚えてる。

何もかも、やっぱり違う花奏だった。


真帆路「遅い…遅い!」


花奏「…。」


真帆路「何で来なかったの!」


花奏「…。」


真帆路「あたし、待ってたのに…何でっ!」


あれ。

何でだろう。

言葉が、感情が止まらない。

あたし、こんなことを言いに

ここまで来たんじゃない。

あたし、花奏とただ、話したくて。

花奏と会いたくて、来たのに。


寒さのせいか、孤独感のせいか、

あたしはいつしか

さらに強く抱きしめていた。

彼女の骨が折れるのではないかというほど。

実際、苦しそうに「う」と

声が漏れるのを聞いた。

それでも離さなかった。

離せなかった。


ぼろぼろと心が溢れる。

靴の先に花火が咲いた。


真帆路「馬鹿、馬鹿っ…何で…。」


花奏「…真帆路せ」


真帆路「あたし、1人だったんだよ!1人で、ずっと待ってたの、花奏を待ってたのっ!」


花奏「…っ!」


真帆路「1人になったの、1人っ!…誰も、知ってる人、いないの!」


花奏「…。」


真帆路「みんな、変わっちゃって、みんな、別の人でっ…!」


ああ。

あたし、別のこと話してる。

それがわからないから、

感情のままに吐露してしまっている。


花奏のせいじゃないことも、

不安だからって理由で全部。

駄目なのに。

駄目なのに。


真帆路「家族も友達も、みんな、もう…っ!」


花奏「…。」


真帆路「もう、あたしのこと覚えてない!」


花奏「…覚えてるよ。」


真帆路「それは2年前のあたしでしょ!今のあたしじゃない、そのあたしは死んだんでしょ!」


花奏「…どの真帆路でも、覚えるよ。」


真帆路「…っ。」


花奏「…。」


真帆路「パパも、ママも、あたしを捨てたの…っ、家も、居場所も全部!」


花奏「…。」


真帆路「全部捨てて、あたし、帰る場所が無くなったの…。」


花奏「…。」


真帆路「……寂しい…っ…。」


花奏「…。」


真帆路「遅いよ…っ……。」


ぽす。

背中をひと殴りした。

その瞬間、あたしの服を

ひいていた手がぱっと離れて、

だらりと垂れたのがわかった。

それを見てどきりとして、

思わず顔を上げた。


花奏「ごめん、なさい。」


花奏は、見たことのない顔をして

あたしをじっと見下ろしていた。

それを見て、これまであたしが

何を言ってしまったのか自覚した。

刹那、心臓はぴたっと

止まってしまったかのように冷え出した。


あたしも、悪かった。

むしろ、あたしの言い方が悪かった。

会って早々責められたんじゃ、

花奏だってたまったもんじゃない。

それに、関係ないことまでべらべらと

花奏にあたってしまった。

支離滅裂な、不安定な言葉を。

あたしが、駄目なことをした。

そんなの、今となってはわかってる。

こんなことしちゃよくないって

わかってたはずなのに。


そっと花奏は離れて、

久しくお腹の部分がすうっと冷える。

やけに冷たい風が通る。

花奏は、マフラーも手袋すらせず、

まるで川まで死にに来たのかと思うほど

他の防寒グッズを身につけていなかった。


真帆路「ごめん。あたし、おかしくて。」


ぞくっとしたけれど、

慌てて流れていた涙を拭う。

袖が些か濡れて、

それが風に吹かれてだいぶ寒い。


花奏は、何を思ったのだろう。

よくわからないまま、にこっと笑っていた。


花奏「私、変わってないよ。」


真帆路「…変わったよ。」


花奏「置いてかれてばっかり。」


真帆路「勉強?」


花奏「…。」


真帆路「…花奏のお母さんの話?」


花奏「…真帆路先輩と、大切な友達もそう。」


真帆路「…!」


花奏「それから、同世代の人たち、みんな。」


真帆路「…どういうこと?」


花奏「…。」


真帆路「…ねえ」


花奏「真帆路先輩。」


真帆路「…っ!」


文脈のその先がうまく見通せないまま

手探り状態で話しているけれど、

やはり奇妙な感覚が伝った。

久しぶりだから緊張しているわけでもなく、

さっきのあたしの言葉で

気まずいと思っているこの感じとも違う。

全く別の、何か。


花奏は、手を後ろに組んで、

少しだけ肩を持ち上げた。

そのはにかむ表情は、

いつか見た時と一緒なのに。





°°°°°





真帆路「ねえ、花奏。」


花奏「ん?」


真帆路「何でずっと髪短いの?」


花奏「えー、だって邪魔だもん。」


真帆路「伸ばしてみてよー。」


花奏「げ、やだ。」


真帆路「えーっ、何で!」


花奏「私は真帆路先輩みたいに長くなるまで待てないの。絶対嫌になる!」


真帆路「あはは。嫌ってそんなに?」


花奏「嫌ー。お手入れ大変そうだし。髪乾かないし。」


真帆路「うーん、そうだけど、ヘアアレンジは楽しいよ?」


花奏「そこまで女子力ないなぁ。」


真帆路「そう?っていうか、先輩呼びやめてよー。」


花奏「だって私も4月から中学生だよ?学校は違っても、上下関係ってものを大事にした方がいいのかなーって。」


真帆路「私はまほちゃんって呼ばれるの好きだったのに。」


花奏「はいはい、今度ねー。」


真帆路「あ、ひどーい。」


花奏「でも呼び方くらい何でもいいじゃん。今こんなに仲良しだし!」


真帆路「そうだけど…。」


花奏「でしょー?あーあ、中学生楽しみだなあ。」


真帆路「部活入るの?」


花奏「迷ってるの!」


真帆路「そっかそっか。うんうん、存分に悩むといいよ。」


花奏「なんかムカつく。」


真帆路「そこ、先輩に向かってなんて口のききかたをするんだね。」


花奏「うわ、もー、嫌!」


真帆路「あはは。」


花奏「ずるい、ずるい!年上だからって!」


真帆路「まあ、受験受かれば来年から高校生だもんねー。」


花奏「ずーるーい!」


真帆路「高校生になったらね、髪染めたり、お化粧したり色々したいなー。」


花奏「今度教えて!」


真帆路「ん?いいよー。その代わり、ヘアアレンジもしたいから髪伸ばしといてね?」


花奏「うげ。」


真帆路「うーん、そうだなあ。花奏ならね、多分ポニテが似合うよ。」


花奏「上で結ぶやつ?えー、あれ、痛そう。」


真帆路「全然痛くないよ。花奏は可愛いっていうよりもかっこいい感じだから、絶対ポニテ似合うって。」


花奏「嘘つきー。」


真帆路「嘘じゃないよ。じゃあ、花奏は髪を伸ばすこと!いい?約束!」


花奏「えー…はあい。」


真帆路「絶対似合うよ、お洒落になるとみた!」


花奏「あーもう、わかったから!」





°°°°°





いつか見た時と一緒なのに。

照れたように、笑っていて。


…一緒なのに。


花奏「…おかえり、真帆路先輩。」


花奏はそれ以上あたしに

近寄ってこようとしなかった。

一線引かれたその奥に

永遠に立ち続けているような

気がしてならなかった。

こちらを見ているはずなのに、

あたしに向けておかえりと

言ってくれているはずなのに、

どうにもあたしのその奥にいる

何かに向かって話しかけているような

錯覚に襲われてやまない。

花奏すらもあたしを見ていないような、

それ以前に、花奏自身どこにいるか

わかっていないような。


そんな、不安定な存在に見えた。

酷く脆く、儚い夢のようだった。


真帆路「…ただいま。」


花奏「…待たせて、しま…って…ごめん…」


真帆路「いいよ、もういいの。ごめんなさい。あたしも言いすぎた。混乱してたの。」


花奏「…。」


真帆路「花奏。」


花奏「…。」


真帆路「また今度、髪、いじらせて。」


花奏「…。」


花奏は、それを別れの挨拶ととったのか、

こちらを向いたまま1歩後ずさった。

気づきたくなかったことに

気づいてしまっていたような、

そんな絶望感と虚無感が

ここには充満していた。


何故なのだろう。

もしあたしが両親の死を知る前に

花奏と会っていたら別だったのかな。

愛咲と会っていたら、

慰めてもらって円満に終わりだったのかな。


違う。


花奏「覚えてたら、ね。」


あたしは、自分のことしか見えてなかった。

花奏は変わった。

あたしの知らない2年間が、

それに加えて、あまり関わっていなかった

2、3年があったのだ。

その間に彼女の身に

何が起こっていたのかなんてしらない。

何も、知らない。


花奏「じゃあね。」


真帆路「…うん、またね。」


花奏は惜しげもなく背を向けて、

もときた道なのだろう場所を

ゆっくりと歩いて去っていった。

お腹が痛いのか、

少し前屈みになっているようで

丸まった背中をいつまでも目に

焼き付けることしかできなかった。


真帆路「…っ…。」


誰かに、聞いて欲しかっただけ。

寂しいって、1人で苦しいって。

なのに涙も出ないんだって。

誰かに知って欲しかっただけ。


慰めて欲しかっただけなのかもしれない。

大人だっていうのに、

どうしてこんなに惨めなんだろう。


辺りが真っ暗になっても

その場を動けずにいた。

どんどんと冷え込み、

その場に居ても立っても居られなくなって

ようやく動く決心がついた。


冷たい風に吹かれて歩く。

そうだった。

冬ってこんなに寒いんだった。


もういっかい、頬を拭った。

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