映写

奇妙なことというのは

実際にあるのだと思い知る。

朝から公園のベンチに座り込み

息をゆっくりと吸うと、

棘のような冷気が肺へと潜ってきた。

朝にもなると、この辺りは住宅街のようで

多くの学生や社会人の姿を目にした。

羽織を1枚着て手を突っ込んだまま

ブランコに腰掛ける自分の姿が

随分と見窄らしく映る。

客観的な視点でどのように見えているのか

それとなく想像がつく。


昨日はひたすらに考え込んだ。

考え込むうちに、環境の変化により

疲労が蓄積したのか瞼を閉じていた。

気がつけば横になっており、

朝日があたりを爽やかに照らし始めていた。


夜明けの街自体はぼんやりと

靄がかっているように見えたが、

手で曇った部分を擦ると

鮮明に浮き上がってくる。

段々と線をはっきりとさせ、朝を迎える。

あたしはしばらくその場に留まり、

人がいなくなったあたりで

その講演を後にした。

日は随分と高くまで登っていた。


歩くうちに、ポケットが

昨日よりも重たいことに気づく。

何かと思って取り出してみれば、

一叶のくれたスマホだった。

もう片方のポケットには

相変わらずお札がいくつかと

小銭が転がっている。

近くのコンビニでご飯を買ってから

ひとつ目の目的地へと向かうことにした。

昨日から何も食べていなかったからだろう、

くう、とお腹の虫が鳴いた。





***





学校に直接向かってもよかったのだが、

ひとつ確認したいことがあり

近くの霊園へと向かった。

何度思い返しても、

自分が死んだことになっているなんて

信用できなかったのだ。


本当に死んだなら、

お墓くらいはあるはずだ。

パパとママはお墓を立てないなんて

ことはしないはず。

あたしの家は、普通だった。

裕福でもなく、貧乏でもなかった。

でも幸せだった。

喧嘩はときにするけれど、

時間が経てば勝手に仲直りしていた。

なんだかんだでずっと仲のいい

家族だったように思う。

愛されていることだって

十二分に理解しているつもり。


自分のお墓があって欲しい気持ちと

そんなもの存在しないで欲しいという

気持ちが混在している。

矛盾を抱えたまま、霊園についていた。


空は青々としており、やけに広く感じる。

思えば、雲がひとつもなかった。

鬱陶しくなるほどの晴天を目の前に、

あたしは手をかざすことしかできなかった。


受付へと向かい、自分の名前の

お墓があるかを問う。

こんなこと、誰もが経験しないことだろう。

受付にいたおばあさんは、

当たり前のようにマップを取り出し、

あたしのお墓がある位置を説明した。

嬉しいような、悲しいような。

気持ちが行方不明になって

戻ってくる気配がない。

どこか嘘であって欲しいと

思い続けていたのだと思う。


真帆路「ありがとうございます。」


一礼をして、外に出る。

雨が唐突に降ることもなく、

あたしの心とは裏腹に

晴れ続ける空があった。


霊園は広く、車に乗って

お墓参りをする人も何人かいた。

バスに乗ることもできたけれど、

お金がいつ底を尽きるか

不安で仕方なかったので、

歩いて向かうことにした。

坂が多く、息を切らして

お墓の前へとたどり着く。


真帆路「…。」


そこには、お墓があった。

あたしの家のお墓だった。

間違いなく存在していて、

周りも同じような素材ばかりが

立ち並んでいるはずなのに、

ここだけが異彩を放っているように

錯覚しそうだった。

不思議な感覚が漂っている。


近くに寄って、しゃがんで眺む。

それでも事実は変わらなかった。


あ、そうだった。

唐突に思い出したことがある。

あたし、こういう場所にずっと

近づかないようにしていたんだった。


ぞぞ、と背筋を何かが撫でる。

肩が震えるけれど、

これは悪いものではないのだと

直感でわかった。

長年寄り添ってきた感覚だけれど、

しばらくの間はなかったものだから

久しい感覚にぞくりとした。

それを感じてすぐにその場所を後にする。

感傷に浸らずに済んだとも

言えるのかもしれない。

この体質に感謝する時なんて

ないと思っていた。


でも、ひとつだけあったか。

あたしと花奏を繋いでくれたのは

紛れもなくこの体質のせいだった。





***





丸1日を経る前に

再度学校へとたどり着く。

授業中のようで、

玄関口に生徒はいなかった。

外のグラウンドでは、

2クラス分ほどの男子が

元気に駆け回っている。

サッカーをしているようだった。


誰もいない靴箱に入ると、

遠く遠くから先生の声がする。

授業をしているようだ。

何の授業だかわからないけれど、

なんだかこの空間は学生の色が濃く

懐かしい気持ちになった。

あたしは、卒業する前に

いなくなってしまったから。

2年経たということは、

あたしはもう20歳を

越しているということだろうか。

時間の進む速さが異なれば、

まだ18歳ということもあるのだろうか。

それとも、逆もあり得るのだろうか。

怖くて知りたくなかった。


今日は使用されていない靴箱に

比較的新品な靴をしまい、

変わらず靴下のままで職員室へと向かう。

お風呂も入れなかったものだから

自分の匂いや見た目が

どうなっているか気になる。

軽く前髪を整えるふりをして、

目を擦って目やにをとった。

あまり変わっていないだろうけれど、

心持ちは多少ましになった。


昨日と同じように職員室へと入り、

平岡先生の名前を呼ぶ。

幸い、授業の入っていなかった時間らしく

慌ててこちらへと向かってくれた。


平岡「伊勢谷さん、来てくれてありがとう。」


真帆路「いえ、こちらこそ…。すみません。」


謝ることはないのかもしれないけれど、

困惑させていることは確か。

そう考える間に無意識のうちに

声に出ていたらしい。

平岡先生は首を横に小さく振って、

眉を少しばかり顰めたまま

あたしの肩に手を添えた。


平岡「昨日ね、あの後すぐに暮らせる場所がないか探したのよ。親御さんもお引越しされてるみたいだったし、電話も繋がらなくて。」


真帆路「…父と母に、連絡がつかないんですか?」


平岡「ええ。」


先生は、さらに顔を顰める。

居た堪れない気持ちが

溢れてやまないのかもしれない。

あたしはまだ、理解できずにいた。


お墓があるのは見た。

あたしの家のお墓だった。

おばあちゃんやおじいちゃんのお墓とは

別の場所にあったのだから、

きっとあたしのものという認識で

間違ってはいないと思う。

娘のことを思ってくれているのは

わかっているのに、

その後の足跡が見えない。

引っ越すのは理解できるにしても、

電話が繋がらないことはあるのだろうか。

1回しかかけていないなら

たまたま出れなかったなんてことも

あるかもしれないけれど。


そんな不安と疑問をよそに、

平岡先生は紙を手渡してくれた。

A4の紙が数枚重なっており、

1番上のものには住所と

簡易的なマップが添付されている。


平岡「ひとまず、この紙に書かれた住所の元へ向かって欲しいの。」


視界に飛び入るのは全く馴染みのない住所。

認識できるのは海が近い場所らしい

ということだけだった。

園、と見て、浮かぶのは

幼稚園や保育園といった

幼少の頃にお世話になる場所ばかり。


平岡「ここはね、児童養護施設って言って、主に家庭でいろいろな事情があって家族と一緒に暮らせなくなった子供たちが集まって生活しているところなの。」


児童養護施設。

ああ、聞いたことあるな、とは思った。

孤児が集まるところだったっけ。


言葉があまり、連ねて理解できない。

頭に入ってこない。

ジドウヨウゴシセツ…?

1回飲み込んだはずの言葉は

疑問と絡まってまた喉まででかかった。


平岡「親御さんとも連絡が取れない中、このままだと生活に困るでしょうし、1度落ち着くまでここで暮らすのはどうかしら。」


真帆路「お金は。お金はどうするんですか。」


平岡「大丈夫、心配ないわ。自治体の補助とか、色々あるから。詳しいことは施設の人に聞いてみて。」


平岡先生は本当に分からないらしく、

困ったように弱々しい声を出した。

書類は透明なファイルに入れ、

そのまま全てを渡してくれた。


あたし、孤児ってことになるんだ。

まだ、夢だと思ってた。





***





児童養護施設に着くや否や、

施設の説明や部屋を紹介された。

小さい子供から中学、高校生くらいの子まで

さまざまな年齢層の人がいた。

中には、まだ幼稚園児くらいの子もいて、

そんな子もここで暮らしているのかと

心が痛くなった。

隅っこで1人でいる子、

何人かで集まって

アナログゲームをしている子たち、

数人で机を囲んで

学校の宿題をしている子たち。

思っている以上に人がいて

驚きを隠せなかった。


職員の方は良い方ではあるのだと思う。

笑顔で迎え入れてはくれたけれど、

多分心の底からというわけではない。

ここで働くのも心がすり減るだろう。

想像するに容易かった。


今後あたしが過ごすのは、

あたしと多分同い年くらいの

女の子のいる部屋らしい。

その子と会えるのは

夜になるとかなんとかで、

ひとまず夜ご飯までそこで

時間を潰すことになった。

勝手に人の部屋に入るのは気が引けたが、

これからはここがあたしの家。

2人部屋で、ここで過ごす。

思えば服も雑貨も何もない。


真帆路「…はあ。」


何もない。





***





ぼうっとしていると、

自然と時間は過ぎていて

夜ご飯の時間になった。

みんなで集まってご飯を食べるらしい。

似合わないことをしているなと

自分でも思った。

あの空白の時間では、

1人で食べることしかなかったものだから

居心地が妙に悪くて仕方がない。

けれど皆は慣れたように席に座り、

わいわいと話しながら食事していた。


「あれ、新しい人?」


振り返ると、そこには普段着を身につけた

幼そうな子供がいた。

幼そうとはいえど、小学生の高学年か

中学生くらいだろう。

その子は、夜ご飯を一緒に食べたい人が

いるはずなのに、

あたしを見ては「こっち」と

怖気付くこともなく声をかけてくれた。

そして、あろうことか隣に座る。

慣れているようで、恐ろしくなった。

新しい人が入るのは、

そんなに珍しいことではないのかもしれない。

幼稚園くらいの小さい子も、

話しかけてくれたこの子以外も

皆あたしを、新しいものを見るような目で

見てくることがない。


「いただきまーす。」


真帆路「…いただきます。」


千聖「私、千聖。中学2年生。あなたは?」


そう問うと、

ぱく、と既にご飯を口にしていた。

そしてちらとこちらを見ることもなく

次に口に運ぶ分のご飯を

お箸で摘んでいた。


真帆路「伊勢谷真帆路です。…多分、20歳かな。」


千聖「げ、大人じゃん。タメ口で話しちゃった。」


真帆路「あ、全然大丈夫です。気にしないから。」


千聖「真帆路さんこそタメ口でいいよ。こんなガキっちょ相手に敬語じゃちょっと気まずいでしょ?」


千聖ちゃんがそういうと

近くの席から「誰がガキっちょだよ!」と

男の子の声が飛んでくる。

仲のいい人なのだろうか、

「お前のことじゃねーよ!」と

茶化すように千聖ちゃんは返した。


千聖「ああいう口悪いのもいるけど、悪い人じゃないからね。」


真帆路「あ、うん。」


千聖「人多くて覚えられないんじゃない?」


真帆路「全く。職員さんの名前ももう忘れちゃった。」


千聖「あははー、最初そうなるよね、わかる。」


ぱくり。

ご飯を口にする。

すると、あまりに暖かくて

涙が出そうになるのがわかった。

じんわりと目尻を暖めてゆく。

けれど、泣くわけにもいかず、

鼻をすするだけにとどめておいた。


美味しい、と、思った。

コンビニのご飯とは全然違った。


千聖「ここさ、職員も児童も人の入れ替えも多いから、仲良くしたい人だけ覚えるのでもいいと思うよ。」


真帆路「千聖ちゃんも全員覚えられてない?」


千聖「私はここ、長いから流石にみんなわかるよ。古株ってやつ?」


千聖ちゃんは笑うけれど、

そこに悲壮感はなかった。

悲壮感がないことに対して

全てを諦めているような気がして

心が痛くなった。

あたし、人に気を遣っている場合じゃ

ないだろうというのに。


千聖ちゃんは気にせず

ご飯をかきこむように口にしてはよく噛み、

口の中がすっからかんになってから

また話し始めてくれた。


千聖「いつもは時間が合えば、羽澄っていう高校3年生の人とご飯食べてるんだ。」


真帆路「そうなんだ。」


千聖「真帆路さんと同じ部屋の人ね。」


真帆路「あ、その人が羽澄さんなんだ。」


千聖「そうそう。羽澄はねー、ほんっとうにいい人なんだよねー。こう、向日葵みたいな。」


真帆路「向日葵…。」


千聖「そう。みんなと仲良くできるし、頭の回転早いし、運動もできるし。」


真帆路「凄い。完璧みたい。」


千聖「でも天は二物を与えずっていうかさ。変なところも結構あるよ。センスが独特なんだよね。」


真帆路「へえ…。」


千聖「大丈夫、羽澄もここ長いから、なんでも聞いていいよ。あ、私にもね。」


付け加えるようにそういうと、

次には「ご馳走様でした」と

手を合わせて言っていた。

この子も家庭で何かあった子なのだと

思うことはできそうになかった。


千聖ちゃんと別れてからは

粛々とご飯を食べ進め、

あとは職員の方に生活の仕方を聞いた。

消灯時間があるのも初めて知ったし、

お風呂に入る時間も大体で

決められているのも初めて知った。

規則正しい生活そのものでしかなく、

馴染むことができるかは不安だった。

馴染む、というあたり

ここで生活していく気が

満々のようだけれど、

あわよくばパパとママの元へ

帰りたいとは思っていた。

どこかにはいるのだから、

早いところ探して家に帰ろう。

2人を安心させてあげたいし、

あたしが安心したいのもあった。

居場所があるって、どうしても感じたかった。


お風呂に入って、職員さんの言う通りに

部屋にあった服を借り、

片方のベッドに布団を敷いた。

その上で膝を抱えて座り込む。

あの2年間のはじめの頃と

ほぼ同じであることに

気付かざるを得なかった。

そうか。

2度目だから環境の変化に

慣れるのが早かったのか。

あの時もパパとママから離れて

急に1人になったのだった。


スマホを充電し、けれど画面はそのままに

またベッドの上で小さくなる。

それからどれほどの時間が経たか

わからないけれど、

唐突にガチャ、と扉が開いた。


「あ、はじめまして!」


真帆路「はじめまして。」


快活な声が響くものだから、

肩をびくっと震わせて

小さくなったまま一礼をした。

髪は長いのか後ろでお団子にしている。

ぱっちりとした目に

吸い込まれるような気さえした。


「起きて待っててくれたんですか?」


真帆路「いえ、そういうわけではなくって。」


「そうなんですね、自己紹介できそうでよかったです!明日の朝起きたら隣に知らない人がいても困っちゃいますもんね。」


真帆路「はあ…。」


羽澄「羽澄は関場羽澄です。伊勢谷真帆路さんでしたっけ?」


真帆路「あ、はい。」


羽澄「よかった、合ってました!これからよろしくお願いしますね。」


羽澄さんは当たり前のように手を伸ばす。

それが握手の合図だと気づくまで

ほんの数秒を有した。

そして、ゆっくりと手を伸ばして

手を握り返した。

あたしよりも何倍も暖かいんじゃないかと

思うほどに手は温まっていた。


なるほど。

千聖ちゃんがいい人だというのも

なんとなくわかる気がした。

第一印象でしかないけれど、

この人は大丈夫そう、という

安心のフィルターがかかっていった。


羽澄さんはどこかにいっていたのか私服で、

持っていた鞄をいつもの場所なのだろうか、

床へとそっと置きながら口にした。


羽澄「この施設は案内してもらいましたか?」


真帆路「はい。でも全然覚えていなくて。」


羽澄「そんなものですよ。場所がわからなかったらいつでも呼んでくださいね!羽澄が飛んでいきます!」


羽澄さんはヒーローのように

片手を伸ばして天井へと突き上げた。

それをぼんやりと眺めるだけだった。


真帆路「ありがとうございます。」


羽澄「…って、今日はもう疲れてますよね。もう横になってください。」


真帆路「あ、はい。」


羽澄「羽澄は、さっきご飯を食べたと思うんですが、そのお部屋にいますから。」


真帆路「そこがリビングみたいな感じなんですか?」


羽澄「そうです!自然と集まれる場所って感じですよ。また今度、ご飯以外の時間で一緒に行ってみましょうか!」


にこ、と笑う彼女の手には

いくつかの冊子があった。

勉強をするらしく、英語の文字が目に入る。


次に顔を上げると同時に、

羽澄さんもその場を立った。

まだ聞きたいこともある気がしたけれど、

今その体力があるとはいえなかった。

眠っていいよ。

そう言われた途端に眠気が襲ってきて、

こてんと横に倒れたくて

仕方がなくなってきた。

安心した、のだろう。


羽澄「それではおやすみなさい!」


真帆路「…はい。おやすみなさい。」


挨拶を交わして、彼女の背中を見送る。

あれ。

なんだか人と挨拶を交わしたのは

久しぶりなような気がした。


それからはすぐに闇に包まれた。

視界は閉ざされ、

呻き声の多い夢の中へと幽閉される。


その事実からすら目を背けたかった。

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