憧憬
PROJECT:DATE 公式
あたしの在処
ふらり。
1歩、踏み出してみる。
よたり。
また1歩、踏み出す。
くらり。
あと1歩だけ。
ゆらり。
あぁ、まだまだ。
冷たい。
風ってこんなに冷たかったっけ。
今、世間は冬というものに
抱きつかれているのだろうか。
遠く、遠くから聞いたことのない音楽が
じゃかじゃかと鳴っている。
テンポの速い曲、それからローテンポの曲も
どこからともなく聞こえてくる。
思わず、ポケットに手を突っ込む。
お母さんからは危ないから
やめておくようにと言われていたけれど、
今は何となくそうしてしまった。
ふと上を見上げると、
架道橋らしきものが存在している。
時折がこんがこんと音を立てた。
長い間放心しながら
足をすすめていたようだった。
電車。
この先、人が沢山いるかもしれない。
はじめ、気がついた時は
人1人すらいない駐車場のような場所にいた。
左右を見ても上下を見ても、
さっきまで一緒にいた子すらいない。
少し歩くと、立ち入り禁止の
立て看板が目に入った。
入ってはいけないのかと思ったが、
それは多分あたしのいる側のことだった。
立て看板の奥では車通りが少しばかりあり、
小さくだが人が歩いているのも視認できた。
それを乗り越えて、歩道に出る。
あぁ。
どうしようもなく1人だと理解する。
1人で投げ出されてしまった。
全く知らない、否、
大きく変わってしまったであろうここに。
「…。」
立ち入り禁止だった場所から出て
ぼんやりと歩いていたところ、
偶然この架道橋の下を通っていた。
進行方向を変え、
相変わらずゆっくりとした足取りで
都会から微々ながら
離れているであろう場所を歩いた。
ここがどこなのか見当もつかない。
九州なのか関東なのか北海道なのか。
看板は日本語だったあたり、
海外ではないとは思う。
寒いは寒いけれど、
夏か冬か、春か秋かすら分からない。
何も知らない。
分からない。
今、記憶を呼び起こしてみても
最後のひと言がやけに色濃く残っていると
感じるだけだった。
°°°°°
「急で申し訳ないんだけど、今から元の場所に帰ってもらう。」
°°°°°
そう伝えられると、
あたしが反論する前に
あれよあれよとどこかに連れていかれ、
装置やら何やらをつけられた。
そして、凍てつく寒さで気がついた。
あたしは、一体どのくらい
あの空間で過ごしていたのだろう。
「…はっ…。」
息を漏らすと、白い靄が目の前で浮遊した。
寒い。
寒い割に、人は溢れかえっている。
あ、と思った時には
なんだか見覚えのある場所に着いていた。
どれくらいの時間歩いたのだろう、
今は何時なのだろう。
そこには、でかでかと横浜駅と記されていた。
横浜駅、らしい。
相変わらず人は多く、洒落た店が立ち並ぶ。
皆上着を羽織っている。
女性の多くはマフラーをしている。
思えばあたし、最後の日に着ていた制服に
貸してもらったコートを1枚
羽織っているだけだった。
マフラーか手袋くらい、貸して貰えばよかった。
この場合、貸してもらう、ではないか。
純粋に貰う、になるか。
ポケットの中に突っ込んだ手を
くしゃっと丸める。
すると、手の中にあった紙が1枚
緩やかにしなった。
不便しないようにともらった
1万円札だった。
それを取り出すこともせず、
ただ横浜駅を見やる。
どうやら西口らしく、
相鉄線の乗り口の案内がすぐ近くに見えた。
懐かしい。
疑問は多いけれど、とりあえず家まで帰るべく
ひとまず駅構内へと向かった。
切符売り場で購入するにも手間取った。
久しぶりの所作だからこそ、
記憶を頼りに手を動かすしかなかった。
そして、お釣りを全て
生のままポケットに突っ込む。
ちりちり音が鳴って気が散った。
その上、いつ落ちるか分からず
不安なものだから、
変わらず手を突っ込み続けた。
何だか軽快な音がする。
聞き覚えがあるような気もするし
ないような気もする。
上に吊られていた電子時刻表を見ていると、
今は昼間のようで14時前後の
記載が多かった。
駅には、相鉄・東急直通線たるものが
3月に開業される予定だと記されている。
あたしが覚えている限りだと、
まだJR線と繋がって
少しだったはずだけれど。
受験で合格すれば
行く予定だった大学へ通う際、
この線があればだいぶ乗り換え回数も減り
便利になるねと離した記憶がある。
ぽろんぽろんと、
耳の奥でピアノの音がする。
あの秋、パパはいつものように
上手くも下手でもないピアノを
楽しそうに弾いていた。
趣味だからと言って本業には
しなかったらしいけれど、
心のどこかで本業に
したかったのだろうなと思う。
あの秋、ママはいつものように
りんごパイを焼いていた。
特に11月を過ぎると、
2週間に1回は香ばしい匂いを嗅いだ。
とても甘くて、ほっぺたが落ちるほど
美味しかったのを覚えている。
パパのピアノを聴きながら、
ママの作ったりんごパイを口にしながら
お裁縫をするのが好きだった。
°°°°°
「できた!」
°°°°°
あみぐるみを作っていた日は
確か秋ではなかった気もするけれど、
近くにその2つが揃っていたのは
鮮明に記憶に残っていた。
あたし、秋が好きだった。
けど。
「…あ。」
電車を待っていると
いつの間にか到着していたらしく、
背中を押されるようにしてそれに乗る。
どこに向かうのか確認していたはずなのに
もう忘れてしまった。
きっと、相鉄線の文字が多くあったから
海老名か湘南台、その方面だろう。
くるくると車内を見回す。
電光掲示板は増えている気がするけれど、
電車自体が磁気で浮いて走行するなど
信じられないほど進化している
わけではなさそうだった。
そこに少し安心する。
あっという間に席が埋まりそうだったので、
中央あたりの席にそっと座る。
たまたま隣にいた人は
今日は仕事はないのか、
かしゅ、と音を立ててお酒を嗜み始める。
まだ昼であるのはわかったけれど、
一体曜日はなんだろう。
休日なのだろうか。
平日なのだろうか。
ポケットに手を突っ込むと、
お札から姿を変えたお金が
ぱらぱらと散在しているのを感じた。
それが間も無くして、電車は発車した。
移り変わる景色は、
これまでと異なっているようで同じだった。
同じようで、異なっていた。
そんな気もした。
車窓の景色を1から10まで
覚えているわけではない。
変わっていると思えば変わっているし、
変わっていないと思えば
変わっていないのだ。
揺れる感覚が久しいからか、
既に腹の奥底が迫り上がるような
奇妙な感覚に溺れる。
今までずっと平坦な場所にいた。
揺れることはあれど、
電車とはまた違ったものだった。
あるとしても地震のような、
床そのものが動いているような。
それが、あったとしても数回くらいだろう。
「…。」
何年経ったのだろう。
逆に、何日しか経っていないのだろう。
心細い。
電車内では、友達といるのか
話している声が聞こえた。
女性の声だった。
こういう時に限って、
好きでもない、むしろ憎むべき対象でもある
あの人たちにいてほしくなる。
付き添っていてほしくなる。
特に、あたしとよく一緒にいた子には。
一時期全く会えない時があったけれど、
ずっと経ってようやく会えた。
ずっととはいえど
時計もカレンダーも何もないところじゃ
どれだけ日が経たのか知る由もない。
もしかしたら2週間くらいかもしれないし、
半年ほども経ていたかもしれない。
誰か。
誰か1人でいい。
あたしを知る人が、いれば。
あたしを迎え入れてくれる人がいれば。
いれば、それで。
***
せっかく相鉄線に乗ったというので、
学校まで行ってみることにした。
久しすぎて、どんな見た目か
ぼんやりとしか覚えていない。
ぶうんと隣を通り過ぎる車の音が、
小鳥の囀る声が、
子供のはしゃぐ声が。
全てが、久しぶりで新鮮だった。
微かな音でも大きく感じる。
バイクなんて桁違いにうるさい。
空が広い。
天井がなく、高い。
見上げると、景色が変わる。
楽しい。
なんだか、生まれてきたみたい。
ずっと暗い場所にいたわけではない。
けれど、心の内面は小さな
箱の中に閉じ込められていた。
歩く。
歩く、歩く。
段々と駆け足になっていく。
風を切って、髪を揺らして、
息を吐いて、吐いて、吸って。
そして、走る。
「はっ、はっ…。」
息切れすると共に、膝に手をつく。
走ったのだって久しい。
空気が冷たいのもあって
肺にすうっと清涼感が行き渡る。
涼しい。
寒いほどに、涼しい。
耳が痛い。
寒さのせいだ。
動悸がする。
走ったせいだ。
あたしの体のせいだ。
ひゅう、ひゅうと数回息をして、
息を整えてから顔を上げる。
そこには、母校が存在していた。
私服だけれど、定時制もある学校だし、
その影響で社会人も通っているのだから
問題ないはずだ。
あたしは当時全日制の学生だったから
私服で入ったことはなかったと思う。
妙に緊張する。
それもそのはず。
いくらかぶりの登校だもの。
授業も終わっているようで、
多くの人とすれ違う。
校門からわらわらと出て行く
制服姿の学生達。
それが酷く懐かしく見えた。
会話の内容は混ざってしまって
何ひとつ鮮明には聞こえないが、
遠くでは運動部の合図の声や
吹奏楽部が楽器を吹いた音など、
さまざまな欠片が降り注いでいた。
恐る恐る当時使っていた靴箱へと向かう。
そうそう、ここだった。
そして、上から2番目の。
じっとみていると、
横から視線を感じて振り返る。
そこには、髪の長い女子生徒がいた。
癖っ毛だが結ぶこともなく放っているようで
お手入れが大変そうだなと
漠然と思うのだった。
そういえば、あの子も癖っ毛だったっけ。
「すみません、すぐ退きます。」
一礼だけして靴を脱ぎ、
その靴を持ってそそくさと学校内へ入る。
まだその女子高生が
こちらを見ていたかはわからない。
振り返らず、まずは職員室を目指した。
もう2度と上の方の階には向かいたくない。
また同じようにあの場所に戻って、
繰り返し長いこと幽閉されるのはごめんだ。
そうだ。
あたしは自由になったんだから。
るん、と跳ねるように歩き、
職員室前へと向かう。
それとなく前髪を整えてみる。
うん、思っていたほど
くしゃくしゃにはなっていない。
一応後ろ髪もしっかり
縛られているか確認する。
よし。
大丈夫。
先生方も驚くだろうな。
よく帰ってきたね、なんて言われるのかな。
無事でよかった、と泣かれるかな。
それとも、案外普通かな。
割れ物に触れるように
職員室の扉に手を添えてぐっと力を入れた。
「失礼します。」
そこではっとする。
誰を呼べばいいのかわからない。
とりあえず、当時の担任でいいだろうか。
それにしても、知らない人が多い気がする。
ただでさえ大きな学校なのだから、
知らない人はいて当然なのだが、
今になってそれが明瞭に感じられた。
「えっと、平岡先生、いらっしゃいますか。」
すると、近くにいた先生がちら、と
こちらを向いた。
そして、平岡先生だね、と
確認を取ってくれた。
朗らかな笑みを浮かべることもなく、
仕事で疲れているのだろうなんて
頭が勝手に働く。
見知らぬ若い男性の先生は、
平岡先生のことを呼びに行ってくれたのか
姿を消したのだった。
待っているのもそわそわする。
これが何時間も続くのであれば、
あたしは耐えきれないだろう。
5分も持たないかもしれない。
何故だろう、不安なのかな。
そんな心配はいらなかったようで、
ものの数秒で先生は来てくれた。
平岡先生は、若い女性の先生だけれど、
考えがしっかりしていて好きだった。
ぱっと見はなよなよしていて
優柔不断に見えるけれど、
自分の中にはちゃんと芯のある人だった。
それを知った出来事が
あったという記憶があった。
当時の担任ということもあり、
お世話になった先生だ。
先生は変わらず美人だった。
先生と出会えた瞬間、
体の内側から血が沸騰するように
轟々と巡るのが分かった。
勢いを増し、どこかから出血して
しまうのではないかと思うほど。
それほど、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
「あの、すみません。お忙しい中。」
平岡「いいえ。えっと…」
「あたしのこと、覚えてませんか。」
どうしても。
どうしても、あたしを知っている
誰かと出会いたかった。
やっと出会えた。
1人でもいい。
あたしのことを覚えているよと
言ってくれる人がいて欲しかった。
あたしの居場所はまだあるよと
優しく迎え入れて欲しかった。
それだけ。
それだけなの。
真帆路「あたし、伊勢谷真帆路です。覚えてませんか、先生!」
そう、口にした瞬間だった。
平岡先生の顔色はみるみるうちに悪くなり、
口元を抑えて屈んでしまった。
それを理解できぬままに、
たまたま近くにいた
中年の男性である先生が近寄ってきて、
がしっと肩を掴んだ。
きっと力は入れていないのだろうけれど、
その圧のある顔つきや雰囲気のせいで、
重量は何倍にも感じられた。
「本当に、伊勢谷さんなのかい。」
真帆路「…え?」
本当に?
あ、そっか。
しばらくいないと、
こういう反応になるんだ。
喜びよりも先に、疑いがくるのか。
信じられないのか。
そうわかると一気に安心した。
出来るだけふんわりとした笑顔を作り、
目の前の先生に答える。
真帆路「はい、伊勢谷です。伊勢谷真帆路。」
男性の先生も血相を変え始めた。
そこで、なんだかおかしいことに気づく。
あれ、なんでそんなに
怯えた目をしているの。
あたしは。
ここに。
「そんなはずない。君は、2年前に死んだはずだ!」
真帆路「死んで…え?」
「2年前、ここの校舎から飛び降りて君は、自殺した。何人かの生徒も見てたんだよ。」
先生は声を荒げてあたしに言うけれど、
ごめんなさい、何のことか
何ひとつ理解できなかった。
死んだ?
…自殺した?
あたしが?
***
その後、先生からなにかと口にされたが、
何ひとつとして頭には残らなかった。
とりあえず明日、もう1度学校へ
向かうことになったらしい。
それまで、何をすればいいのか
本当にわからなくなった。
外に出れて、先生とあえて
心の底から嬉しかったはずなのに、
今じゃ冬の水場より冷え切っている。
寒い。
指先も、耳も、心も何もかも。
気がつけば帰路をたどり、
自分の家の前にいた。
インターホンを押すと、
パパとママが迎え入れてくれる。
そう信じて疑わなかった。
疑いたくなかった。
けれど、出てきたのは
全く知らない人だった。
引っ越したのかもしれない。
そう。
そうだよ。
そんな、1人なはず、ない。
拠り所がない中、日は沈む。
近くの公園にあったトンネルのような
遊具の中に潜り込む。
膝を抱えると、どうにも孤独が襲ってくる。
辛い。
そう、言葉が頭の中で流れる。
お金はあるものの、
ご飯を食べる気にも
飲み物を飲む気にもなれなかった。
それよりも、今は安心させてくれる
人肌が欲しかった。
ぎゅって抱きしめて、
あたしがどれだけ泣いても
大丈夫だよって言ってくれる存在が
今は異様に隣にして欲しかった。
少しだけ、仮眠を取ろう。
そう。
きっと、夢。
短い言葉を残して、
あたしの頭はシャットダウンされていく。
***
次に目が覚めたのは、まだ暗い頃だった。
つん、と肩をつつかれて
驚いて目を開く。
警察だろうか。
確かに公園で女子が1人
遊具のところで寝ていたら、
家出と思われてもおかしくない。
まずい、逃げなきゃ。
そこまで考えて顔を上げると、
見たことのある姿があった。
あ。
…と、涙がこぼれそうになる。
一叶「ここ、寝心地悪そう。」
一叶は相変わらず感情のない声だったけど、
そこにいるという安心感があった。
間違いない。
夢ではない。
一叶は存在している。
彼女は見下すように遊具の外から
あたしを眺めていたけれど、
何を思ったのか彼女も遊具に入り、
あたしの隣へと位置付けた。
肩と肩が触れる。
服越しだから体温なんてものは
全く伝わらないけれど、
人間のいるこの存在感が、
この適度な物理的な圧が好きだった。
真帆路「何しに来たの。」
一叶「どう、戻ってみて。」
真帆路「あたし、死んだことになってた。」
一叶「そうだね。」
真帆路「知ってたの?」
一叶「うん。」
真帆路「あたしの家族は今、どこにいるの。」
一叶「知ってるけど、言わない。」
真帆路「何で。」
一叶「自分で知る必要があるから。」
一叶はそういうと、
ポケットの中から何かを取り出して
あたしへと手渡した。
それは、あたしが見たことのない
新しそうなスマホだった。
ホームボタンがない。
どうやって使うのかがまるで検討つかない。
一叶「先生から真帆路へ。」
真帆路「…嬉しくない。」
一叶「Twitterを開いてみて。」
真帆路「Twitterを?どうしてー」
どうして。
せめて、スマホの使い方だけでも。
そう聞こうとしたのに、
不意に触れていた肩は消え失せ、
あったはずの存在は溶けて、
また夜に1人、放り出されていた。
何が何だかわからない。
寂しいのに、涙は出ない。
寒い。
スマホを持ち上げると、
花が咲くようにふわりと
画面が光り出していく。
初期設定のままのようだ。
充電は最大量されている。
真帆路「…誰か。」
誰か。
あたしを知っている人へ。
あたしを覚えている人へ。
あたしはここにいます。
生きています。
だから。
だから、助けてくれませんか。
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