第1章 黄昏の学園

 世界がゆっくりと夜闇に侵食され始めると、人々の歩みは早くなる。

 それは遠い昔、火のない生活をしていた頃を想起させ、夜闇に恐怖心を抱くからだという。

 ポツリポツリと帰路につく人の群れ。

 その歩む速度は人様々だ。

 長い影を生み出しながら、西日に背を向け行進する。

 スーツ姿の男性。学生服の女子生徒。私服の小学生。

 老若男女の群れが、喧騒を生み出しながら繁華街の中を行き交っていた。

 そんな中、一人。学生服の少年が人の波とは逆に――喧騒から離れるようにして歩いていた。

 齢は、十六歳ほどだろうか。

 長く目に掛かるほどの黒髪に猫背のせいかやや低い身長。

 そして耳には喧騒を遮るようにヘッドホンを身につけていた。

「眩しいな……」

 容赦なく視界を遮る西日。朝日とはまた別種の、射すような陽光。

 それに思わず眉を寄せ、掌で影をつくると自分が歩くべき道と地図を確かめる。

 藁半紙に記載された地図は簡素な物で、入学試験以来の道を再確認しながら歩く。

「ろくな挨拶もしないまま出てきちゃったな……」

 実家のことを思い返すと、後ろめたい気持ちが湧き起こる。

(まあ、出てくるにはいい理由付けだったんだろうけど……)

 それでも十数年間育ってきた生家を出るというのは、それなりの覚悟を持ってのことだった。

 なにせこれから入学する学園は全寮制だ。

 一度入れば、しばらくの間は家族と会うことも……もしかしたら最後になるかも知れない。

 けれど何より、挨拶を交わせる相手がほとんどいなかったという事実を改めて突きつけられると胃が痛くなった。

(やっぱり、今から戻ってでも挨拶しておいたほうが良いかな?)

 言葉に出すでもなく、頭の中に思い浮かべる。

 刹那、その言葉に返す答えがあった。

【よせよせ。義理人情など、あの屋敷の人間共に抱くだけ無駄というモノじゃぞ】

 頭の中に直に響く声。

 それは屋敷にいた頃からずっと耳にしてきた、慣れ親しんだモノだ。

「そうはいっても……育てて貰った恩義には報いたいよ」

【〝育てて貰った〟……か。クカカッ、よく言うものよ。おまえの尊敬する〝兄様〟とやらと比べてもか?】

「……兄様の話はしなくていいよ。今は」

 僕の友達は、時々こうして意地悪なことを言う。

「入学式なんだから、もう少し優しい言葉をくれない?」

【ふん。そんなモノ――関係なく、私は優しいではないか】

「……。そうだね、そうだった」

 昔の思い出が、ゆっくりと鎌首をもたげる。

 それを無理やり意識の外へと散らすと、微かに笑みを浮かべた。

「リツ。一緒にいてくれてありがとう」

【ふん。当然じゃろう。何を今更】

 夕方が近づきつつある中、僕――日暮れんはある場所へと向かっていた。

 この都内で、その学園の名を知らない人はいない。

 全寮制で、文武両道を掲げる名門校――その名も八百万やおよろず学園。

 そのカリキュラムは主に黄昏から夜間に行われる。

 政府公認の――一般校とは異なる特殊なカリキュラムに興味を抱く者。

 学歴社会であるが故に、名門校出身という偉功にあやかりたい者。

 卒業さえしてしまえば、将来を約束されたことと同義であるなどやや誇張された噂まであるほどだ。

 八百万学園を志望する者は様々で、後を絶たない。

 だが、入学をするには学力だけではない。

 特別な〝才能〟を求められるがその選考基準は秘匿とされているが故に、一部では摩訶不思議な学園という認識がされていた。

「はぁ……不安だなぁ」

 思わず零れた本音と溜め息。

 それを耳にしたのか、僕の影の中からズルリと這い出てきた何かがいた。

 それは黒猫――だが、そこらにいる猫とは違う。尾は二又に分かれていて、そして黄金色の瞳が額にある、三ツ目の猫だった。

【緊張なんぞするだけ無駄じゃぞ】

「緊張よりも不安だよ……。やっていけるか」

【そんなモノ、杞憂じゃて】

 クカカッ、と三ツ目の黒猫は笑う。

「楽観や」

【ならば、おまえさんは心配性じゃな】

 十数年という付き合いのこともあり、つい互いに砕けた口調で言い返す。

「ねぇ、あの子……。さっきから一人でぶつぶつ喋って気味悪いわね」

 ふと、耳に届いた言葉。

 気づくと、すぐ近くに高校生くらいの二人組がいた。

 制服は――八百万学園の物じゃなかった。

 パチリと僕と目が合うと、少女達は慌てて逃げるようにその場を後にする。

 帰宅途中の学生が、気づくとそこらかしこにいた。

(しまった……つい気を抜いて喋りすぎた)

 妙な空気に背筋が冷たくなり、慌ててその場から逃げ出した。

(リツのせいで怪しまれたじゃないか)

【クカカッ、良かろう? 別に見えやしないのじゃから】

(そういう問題じゃないよ)

 小さな溜め息を吐く。

 僕の親友である黒猫――リツは時たま少しばかり意地悪だ。

【それよりれんよ。おまえさん、荷物はそれだけでいいのかね】

(うん、寮に先に送ったんだよ。それに入学案内にも初日に持ってくる物は書かれてたし)

 少ない手荷物と一匹の猫――これが僕の入学に際して用意した物だった。

 赤レンガ造りの塀に沿って道を歩く。

 入学試験の時とは違う高揚感に、自然と足が早くなる。

「あ……」

(同じ制服だ……)

 ふと気づく。

 歩くに連れ、人の波がいつの間にか同じ方向に流れていた。

 そして男女問わず、身につけている校章も制服も自分と同じ。

 八百万学園の生徒だと、一目瞭然だった。

 今まで住んでいた世界とは違う――そう再認識させられる。

 後ろめたい気持ちもある。寂しい気持ちもある。

 けれど今は心の奥底にしまい込み、前を向こうと思った。

「行くよ、リツ」

【はいよ】

 これから入学する八百万学園の門へと急いだ。

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