第2話
「いやいや、大家さん勘弁してくださいよ。いつも言っているじゃないですか。小夜子は親戚の子ですって」
俺は顔を引きつらせながら、最大限の愛想笑いを大家の婆さんに見せつけてやった。
この婆さんは弁護士時代の顧客で、相続に絡んでこのビルを取られそうになったところを守ってやったのに、今じゃすっかり店子の立場にされたな。
泣きそうな面で相談に来たことを忘れるぐらい、業突張りな婆さんになった。
イヤ、こっちが元々の婆さんだったんだな……。
モゴモゴする俺の様子を見て、大家がジロリとにらみ上げる。
「何か言いたいのかい?」
「いや~、またバイトをお願いしようかなぁって思いまして……」
「あぁ、いつでもおいで。毎月お前さんが帳簿を見てくれると助かるんだがな?」
婆さんは小夜子にもバイトをしないかと持ちかけている。
大家はこのビルの一階でリサイクルショップを経営していた。
人の出入りが多いアキバの街だけあって、家庭用から事務機器まで不用品の売買は盛んだ。店番から始まったバイトも、今では経理や在庫管理まで手伝う様になってきた。
ただ単に、人使いが荒いといえばそれまでだが……。
「今日は仕事で出掛けるんで、また店に顔出すよ」
「お嬢ちゃんを連れて仕事に行くんだったら、やっぱり同伴出勤じゃないかい! この助平探偵が!」
「バイトの件はまた今度〜!」
俺は小夜子の背を押しながら、大家から逃げるようにその場を離れた。
遠くで婆さんが手にした箒を振り上げながら、何かを叫んでいたが、俺は無視を決め込んだ。
棲み家のビルを出て神田川沿いの道を行く。
ウチの事務所は、広く知られている電気街とは反対側の、住宅や雑居ビルの建ち並ぶ、比較的静かな地域にあった。
俺の数メートル前を小夜子が歩く。
カーキ色の清楚なスプリングコートに身を包んだ彼女は、まさに都会のお洒落な女子大生そのものだった。
こう言っては何だが、小夜子は政治家だった祖父の遺産を一人で相続したため、平均的なサラリーマンの生涯賃金を遥かに超える程の資産を持っている。
だからと言って、高級なブランド品などで身を固めている訳ではなく、いつも大学近くにある、シックな品揃えが自慢のセレクトショップで買った洋服を着ていた。
それに比べて俺は着古したスーツにヨレヨレのトレンチコート。
「格差よ……」
一つと言わず、二つも三つもため息が出る。
事務所の最寄駅から小夜子の大学までは地下鉄で一本だった。
渋谷駅からほど近い喫茶店で、俺たちは楓という女性が到着するのを待っていた。
流行りの外資系カフェではなく、落ち着いたレトロなジャズの流れる喫茶店だ。今も1920年代のジャズが流れている。
いつもながら、昔のレコードで聞くトランペットは最高の響きだと思う。
俺はふと、ある事を思い出した。
「そう言えば、なんで第六感なんて話になったのか聞いていなかったな」
隣に座る小夜子が上品にティーカップをソーサーに置いた。
「あれ、言ってませんでしたっけ? 実は最近、楓がストーカーにあったり、泥棒に入られたりして引っ越したんですね。それで学校からの帰り道を歩いていたら、真後ろから急に『止まって!』って声が聞こえたらしいの! 驚いて振り返っても誰もいなくて、おかしいなって前を向いたら、そこに大量の植木鉢が落ちてきたんですって! その声で立ち止まっていなかったら、間違いなく大怪我を負っていたそうよ」
小夜子はかなり興奮気味に話した。
彼女は、見た目こそ今どきの女子大生にしか見えないが、少々マニアックな趣味を持っていた。
それはオカルト好きという一面だった。
彼女も特段、幽霊が見えるような娘では無いのだが、心霊現象や流行りの事故物件などの話題が大好きであった。
「それでね、この間も図書館で本を探していたら、なんだか嫌な予感がして、本棚から離れたら急に棚が崩れて何人もの人が怪我をしたらしいの」
――あぁ、その話はニュースで見たな。確かどこぞの区立図書館で本棚が崩れたって話だ。
ちなみに俺は幽霊とかを全く信じていない。
第六感と呼ばれる直感や嫌な予感と呼ばれる物は、自身が忘れている事も含め、すべて今まで経験した事と現在の状況を心の奥底で勝手に比較し、相違点を感じ取っただけの物だと思っている。
そんな事を考えていると喫茶店にショートヘアの少女が入ってきた。
少女は少し緊張した面持ちで店内を見回す。
「あっ、来た来た。楓!」
小夜子が手を振ると、彼女はホッとした表情を見せて近づいてきた。
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