55/用意された舞台
「失礼しまーす」
がらがらと扉を開ける音と共に響く元気な声。
放課後の美術室に飛びこんできた客人はきょろきょろと辺りを見渡した後、肇を目にしてニカッと笑った。
誰であるかは件の人物にとっても声で分かる。
クラスメートの陽気なイケメンこと海座貴三葉だ。
「おっ、いたいた。すいません肇ちょっと借りていいっすかー?」
「別にいいわよー」
「あざっす!」
「?? ……三葉くん?」
どうしたの急に、なんて席を立ち上がるお絵かき中だった美術男子。
やはりというか簡単に中断してしまえるあたりに集中力の薄さがある。
嫌々描いているというワケではないだろうが、熱意に駆られての衝動的なものと比べるとどうしても。
如何せんしょうがない。
「ちょっとな。部活もう終わりか?」
「いや。まだあと三十分ぐらいは」
「そっか。ならまあ……三十分は……妥当だろうなあ……」
「……?」
うんうんと頭を上下に振って三葉は頷く。
と、肇はそんな彼に立ち寄ってようやく気付いたところがあった。
あまりにも薄くて。
ともすれば見間違いに思えるぐらいなものだったが。
「……三葉くん、なんか顔……ていうか鼻? 赤くない?」
「おう。分かるか肇。これはな、酷い霜焼けなんだよ」
「いま四月の末だけど……」
「いたく冷たい雪がな、容赦なく降ってきたんだ…………」
――――膝のカタチで。
こう、思い切りよく顔面へガンッ――と。
そう語る三葉の視線はどこか遠くを向いていた。
情け無用の一撃は確実にひとりの少年へ痛みを植え付けていたらしい。
鼻血が出なかったのは偏に雪の女王様の恩赦……ではなく非力さだろう。
力にせよ心にせよ渚はよわよわなので。
「……なんかよく分かんないけど大丈夫?」
「少なくともこうやって立って歩けるぐらいには平気だな」
「それなら良いんだけど。……どうしてここに?」
「まあ軽く伝言というか、助言というか。端的にいうとお節介をな」
にしし、と笑う三葉に肇がこてんと首を傾げる。
彼の雰囲気的にそう悪い話ではないのだろうが、お節介と言われてもイマイチ思い当たる節がない。
助言としてもなにをどう助けるのか皆目見当もつかない。
なにか三葉にそこまで心配させているコトがあっただろうか、とわずかに考え込む。
「? それって……」
「部活終わったらオレらの教室に寄ってみな。かぐや姫が居るから。いや、白雪姫……? うん、白
「え、どういう話」
「いいから一年一組の教室に顔出して来い。意味は行けば分かる。分かれば行けるさ。それだけ。――じゃあな、肇。失礼しましたー」
「え、あ、うん。またね」
それで短いやり取りは終了。
ひらひらと手を振って、三葉は入ってきたとき同様明るい声を出しながら去っていく。
残された肇は一体どういう意味だろうと不思議に思うばかり。
かぐや姫や白雪姫なんて現実にいるワケもなし。
なにかの比喩だろうか、と無駄に豊かな想像力を膨らませてみた。
「肇、あんた賑やかなのと付き合いあるのね」
「はい。昼からの深い付き合いです」
「へぇー。おもろい奴ねあれ。名前なんていうの?」
「三葉くんですよ。海座貴三葉」
「おっけー。頭の片隅に記録しといてやるわー」
「部長が外部のヒトを覚えた……!?」
「そんなっ、たかだか水桶くんの友達ってだけで!?」
「それなら潮槻くんも姫晞さんも覚えられてて良いでしょ!」
「なんか通じるところとかあったのかな……」
「あの人の言動は意味分かんないから考えない方がいいよ、たぶん」
良い意味でも悪い意味でも信頼ある部長への言葉の数々。
思うところはあれど貶めているワケではないあたり部員たちと彩の関係性が窺える。
たしかに独りよがりで傍若無人で横暴で礼儀知らずで破天荒で型破りな天才だが、それはそれとして身内には甘いし頼れるときはとことん頼れる人物だ。
なんだかんだでみんな彩を好ましく思ってはいるらしい。
「ね、ね、はーちゃん」
「? はい」
と、三葉を見送った肇へ近付く声がひとつ。
渚パパみたいな渾名で彼を呼んだのは副部長だった。
会議や集会をサボりがちな彩に代わって日々忙しなく活動する影の実力者。
むしろ部長より部長してる、実質権力握ってる、ともっぱら噂の裏で美術部を上手く動かし続けてきた猛者だ。
ちなみに肇が倒れたとき真っ先に酸素スプレーをしてくれたのもこの人である。
「ポッキーいる? 食べる?」
「良いんですか?」
「どうぞー」
「ん、いただきます」
もぐもぐと差し出された
それを心温まるような、穏やかな表情で見詰める副部長。
ふたりの間にはなんとも言えない空気が漂っている。
主に後者から放たれる強烈な心的爆発力によって。
「また副部長が餌付けしてる……」
「急になんで? 今日は会議とかなかったろ」
「部長が余所の子の名前覚えたからでしょ」
「あっ、そっか……御愁傷様です……」
「アニマルセラピーならぬ水桶セラピーか……お疲れさまです副部長」
「……え、なんでちょっと私が悪いみたいな空気になってんの」
「実際ちょっと可哀想だと僕は思います」
「うっさいシオダレ」
「潮槻です」
あはー、なんて気の抜けた顔で微笑む少女。
無言でポッキーを囓る男子がそんなに良いのかどうかは置いておいて、彼女の心を蝕むストレスは多分にあった。
本来は補佐の立場なのに毎回実質トップとして出ざるを得ない部活動会議。
その他諸々の生徒会、部長の集まり。
加えてそれら全てにおいて悉く言われる「部長は出てこないのか」という圧力とか責めとか注意とかなんとか。
そのような毎日を続けていればアオハル的女子高生としては胃も痛くなる。
癒しだって欲しくなる。
そんな時だった。
聿咲彩と同格――ともすればそれ以上の才能を持つ少年、水桶肇と出会ったのは。
当然彼のコトも同じ天才枠として警戒していた副部長だったが、これが話してみるとなんとも物分かりが良い。
なによりきちんと会話が成立する。
常識的な観点から物事をちゃんと捉えられていた。
挙げ句の果てには自己紹介の直後。
『――はい、
聞き返すコトもなく。
覚える気はないなんてふざけたコトを
一発で名前を記憶し、純真無垢な笑顔で手を握った彼に
嗚呼、なんて素敵で当たり前というやり取り。
同じ才能持ちというだけでこうも違うものか、と彼女は感動した。
以来、肇に精神安定の妙を見出した副部長――柊木
もちろん
「はーちゃんはーちゃん、
「良いんですか?」
「どうぞどうぞ」
「ん、いただきます」
「……あっ、その前に」
「? なんですか預奈先輩」
「――――よしっ、いいよどんどん食べて全部食べて! うん!!」
にぱにぱと
それはきっと一歩間違えればそういう可能性があったのではと感じざるを得ない表情だった。
無論、彼女に他意はない。
悪意もなければ下心だって存在しない。
副部長はシンプルに心の癒しを求めて肇と触れ合っている。
そのあたりがメチャクチャ危ないというかイッてるというかやっちゃってるというか……ともかくアレだが、今のところは大丈夫なのだろう。
たぶん、きっと。
「うわぁ……副部長めっちゃ笑顔……」
「凄いな水桶くん。リラックス効果あるのかほんとに」
「優希之さんにどう伝えようあれ。うーん、悩みどころだねえ」
「肇。ああいうところあるわよね。シンプルに手遅れだわ」
「部長に比べたらまだマシだと思います」
「黙りなさいシオフリカケ」
「潮槻です」
「わっ、私も後でやっていいかな……!?」
「ステイ摩弓ちゃん。君は下心ありきだからダメだよ」
本日も星辰奏学園美術部は平和である。
「――あっ、そういえば明日緊急で部費関連の会議入ったから」
「はーちゃん! パイの実食べる!? キノコとタコノコどっち!?」
「あ、いちおうタケノコで」
「よしっ!」
……平和、なのだ。
少なくとも〝本日〟は。
◇◆◇
部活後、三葉に言われたとおり肇は自教室へ向かうコトにした。
意味深な言い方に興味が湧いたのもあるが、単純に仲良くなった彼を信頼しての行動でもある。
完全下校時刻まであとわずかとなった校舎。
聞こえてくる音は極端に少ない。
廊下も階段も閑散としていて人気はなかった。
そんな中をひとり、流れに遡行するよう上の階へのぼっていく。
(……なんか、こんな風に――――)
歩いたコトが最近あったような、と。
まだ薄れはじめて新しい記憶に指先が触れた。
いつだったかちょっと前。
けれども肇にとっては十分特別だった日の終わり。
この心に再び火が付いて、狂ったように描き上げたときも今のように教室へ戻っていた。
(…………まさか、ね)
その先にある未来を半ば予想して、ぶんぶんと頭を振る。
いくらなんでもそこまで同じであるハズもない。
考えるだけ無駄に期待を高くするものだ。
わざわざ自分から墓穴を掘って埋まりに行く……どころか自分で土まで被るような真似はしなくてもいいだろう。
――――尤も、彼の想う誰かさんは墓穴を掘って自分から入り土を被ってあまつさえ石まで持ってくるという愉快な真似を何度もしているのだが。
(にしても、海座貴くんがあそこまで言うなんてなんだろう?)
思考は回しても回しても答えまで辿り着かない。
辿り着いた答えを先ほど簡単に手放してしまったのが原因なのだが、なにも知らない肇自身はそのことに至りもしない。
カツカツと、足だけがその距離を詰めていく。
美術室のある二階から五階まで。
段数は多いけれど、昇降自体は彼にとってそう苦でもなかった。
偏に文化系の男子とはいえ運動慣れしているのが大きい。
カツカツ、カツカツと。
重くはなく、高くもなく。
小気味よく靴音を鳴らして階段をのぼりきる。
(……あれ?)
と、教室のほうを見てみればすっかり真っ暗だった。
てっきり待ち構えているのは人だと思っていた肇である。
当然いまの時間帯なら明かりはつけているものとの想定だったが違ったらしい。
余計正解が分からなくなり「ほんとになんだろう?」と首を傾げながら歩を進める。
(……誰もいないなら開いてないんじゃないかな……?)
そう思いながらドアの取っ手に触れてみる。
「あ」
かたん、と。
少し力を加えた扉は横へずれるようスライドした。
鍵は開いている。
ならこんな時間まで誰が。
一体なにをどうして――――なんて、室内灯をつけた瞬間だった。
「――――――……」
目に飛び込んできた景色に。
その中で真っ先に認識した色彩に、ほう、と知らず息をこぼす。
理解するのに時間は要らなかった。
ただ漠然と視界におさめただけでどういうワケかは判断ついた。
……なるほど、どうりで。
三葉のいったコトの意味はそれでだったかと納得もいく。
本人が頷くかは分からないが、どちらも少女には似合っているかもしれない。
(……直感、当たってたんだなぁ……)
空恐ろしくもある予想の的中でも、肇にとってはどうでも良かった。
くすくすと小さな笑い声をこぼしながら机の間を抜けていく。
廊下側の前から三列目。
そこに座る少女はぺたんと机に上体を伏せている。
彼の侵入、照明の点灯共に反応した様子はない。
ひっそりと耳を澄ませば微かな吐息も聞こえてきた。
よく眠る……のではなく、昨日からずっと眠れないままで居たからだろう。
彼女自身、混乱したまま思い悩み続けて夜を明かし。
彼と会って、問題点を自覚して、誰かの言葉で向き合い、また誰かとの会話で重みを軽くし、気を緩めたように。
「…………、」
出来るだけ足音を殺して近付き、彼女の隣――自分の席に肇が腰掛ける。
前からでは鮮やかな頭髪しか見えなかったけれど、横に来ると幸運にも寝顔を覗けた。
どこか憑き物が落ちたような、安らかに見える緊張の解けた表情。
一緒にいると自動的に百面相になりがちな彼としてはそんな顔がどこか新鮮だ。
思わず、彼女本来の容姿に込められた造形の良さを再認識するぐらいに。
(――――ああ、でも……そういえば、そうだった)
それは古く遠く、奥深くに沈殿していた化石のような記録。
今更ながら思い出したコトだけれど、
見た目はさほど変わらない。
どころかむしろそっくりそのまま。
けれど性格は至ってクール。
表情を変えるコトは少なく、声も平坦で、口調も勝気さの混じった鋭いもの。
そんな少女の得意分野だったのが歌である。
他人の心に突き刺さるような、万人を魅了する歌声。
星辰奏学園に来た理由だって、その才能を評価されてという設定があったハズだ。
一風変わった歌姫が他人との交流を通して、仲を深めて、傷を癒して、傷付いて、温かさを受けて、恋を知って、立ち上がって――――
――思い返せば返すほど、そんな流れはどこにもなかったなと。
「……ほんとに。なぞる気あったの……? ……俺が言えたコトでもないけど」
からかうように独りごちる。
世界は重なるほど似通っていた。
人だって想起できるほどそのままだ。
場所も時間もなにもかも、つくられたように現実じみている。
もっと言うとそれらが一纏めに揃って
益体もない考えはいつかのお出かけの際にも心の片隅で思っていた。
どうにも摩訶不思議でおかしなところがあるものだと。
「まぁ、だから良いんだけどね。多分そういう人なら、俺と関わるコトもなかったんだろうし」
歌唱力を見込まれてのものなら彼女は一般入試ではなく推薦入試に回っていたハズだ。
その場合、中三の春から塾に通って勉強という
なればこそ、果たしてそうだと知ってのコトか知らずのうちか。
ただたしかなのは。
そうやって関わるようになったからこそ今があって。
今があるのはそんなやり方をする彼女だったからこそという事実。
そのあたり、いい加減彼女が気付いてもいい頃だろう。
「……渚さん」
とんとん、と優しく肩を叩く。
彼女は眉を顰めながらくぐもった声を出した。
起きる気配はまだない。
「渚さん、渚さん。もう帰る時間だよ」
「……んぅっ」
「渚さん。起きて。ほら、渚さんってば」
「………………、」
……ほう、と彼は呆れるように息を吐いて。
「――――起きて、姉さん」
耳元でぽつりと。
こぼすように眠り姫へ囁いた。
「っ――――!?」
「おはよう、渚さん」
「………………は、じめ、くん?」
「もう遅い時間だよ。そろそろ帰らないと」
「ぇ、っ、あ、え……??」
きょろきょろと周囲を見渡しながら目をぱちくりとさせる渚。
寝起きの彼女の一挙手一投足が「私、いま、混乱しています」と全力で伝えていた。
引き金になったのは肇の一言で間違いない。
それほどまでに衝撃的な、眠っていた頭にでさえ響くような台詞だったのである。
……そんな大事を成した犯人は自然体なままちいさく笑っていたが。
「ふふっ、油断したね。渚さん」
「な、ぇ……?」
「――――よだれついてる。かわいー」
「…………………………ッ!?」
ガタタン! と立ち上がって渚は精一杯距離を取った。
後頭部を窓枠にガンッ! とぶつけながら後ろに下がって口元を拭う。
制服の袖でゴシゴシと。
焦りすぎてハンカチを使うなんてそんなエレガントな選択肢は浮かばなかった模様。
「…………な、なんで」
「? 寝てたからじゃないの?」
「
「毒林檎を食べて寝てるお姫さまがいるらしくって」
「………………白雪姫?」
「白
「誰」
「三葉くん」
〝
怒って良いのか感謝して良いのか感情が迷子な渚だった。
寝顔をがっつり見られたのは――まあ良いか悪いかでいうと間違いなく悪いが――まだマシだ、女子として許容範囲――でもないが、我慢はできる。
だがよだれはない、よだれは。
しかもそれを見たのが肇というあたり特に。
最悪にもほどがある。
穴があったら入りたいどころか穴がなくても掘って入りたい気持ちだ。
早速自分から埋まっていくあたり流石は渚といったところか。
「じゃあ、そろそろ帰ろっかお姫さま。あと十分ぐらいで鐘が鳴るから魔法解けちゃうよ」
「……混ざってるし。それ言ってて恥ずかしくならない?」
「女の子はみんなお姫様、って言ってたのは誰かな」
「いや私そんな話してな――――」
〝――彩斗。女の子はね、みんなお姫様に憧れるの。っていうかもうみんなお姫様なの。運命の王子様がきゃーって時期があるの。わかるかなこのイメージ!〟
「――――い…………」
思わず彼のほうを見る。
すぐに動くつもりだったからだろう。
肇はもう席から立ち上がっていた。
渚からはちょうど少し顔を上げる形で視線が重なる。
――彼は。
少年は。
水桶肇は――――
「久しぶりに一緒に帰ろう。渚さん」
「ぇ、あ…………」
「イヤ?」
「っ、い、いや、じゃない! ぜんぜん! ちがう……うん……、」
「なら良いんだ。早く行こっ、さっきも言ったけど遅いからね」
ふわりと微笑みながら彼は渚の手を取った。
咄嗟の接触に固まらず居られたのは事前に受けた大きな衝撃と、ある程度の心構えが出来ていたからか。
机の横に引っ掛けていた、帰り支度を済ませた自分の鞄を手に取って彼女はされるがままに連れられていく。
「家の近くまで送るよ。こんな時間だし」
「で、でも、結構距離……っ」
「いいからいいから。それに、距離はあるに越したことないよ」
「っ……そ、れは……どういう……」
「話したいコトも聞きたいコトもいっぱいあるからね」
「――――……そっ、か……」
コツコツ、カツカツと。
ふたり分の足音が校舎に響いていく。
あるひとときの終わり。
ある場所からの別れ。
ある時間からの離れ。
――そして、ある種の拘束の解放。
遠ざかる足音は終止符を打つように。
彼と彼女はようやくといった帰路についていった。
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