33/だって貴方が嬉しそうにするから





 入学式はこれといった問題もなく、つつがなく終了した。


 保護者との挨拶も済ませ、現在は新入生にとって初めての授業となるLHRロングホームルーム

 それぞれが軽く自己紹介を終えたあと、教壇に立った担任……神店かみだなという男性教諭……が柔和な笑みを浮かべつつ話をする。


 これからの授業のコト、部活のコト、成績のコト。

 学園の生徒として過ごしていく上での注意点。


 その他諸々を、手元のファイルに目を通しながら説明していく。


「――とまあ、色々難しく言いましたが、先生から言えるのはひとつです」


 パタン、と神店教諭はそのファイルを閉じながら、


「皆さんがいけないことをすると先生の仕事が増えます。まあそれが大人の責務なんですけど、先生も人間です。お願いだから私に睡眠時間をください。いいですね?」


 にっこりと微笑む新参者の担当者。


 その目の下にはメイクでもしたのかというぐらい深い隈が出来ている。


 最低限のセットはされているけれど、ちょこちょこピンと跳ねた髪の毛。

 不快感を覚えない程度で絶妙によれた白衣。


 加えて若干の猫背もある。


 穏やかな空気で誤魔化されているものの、彼は満身創痍の状態だった。

 そこはかとなくブラックを感じざるを得ない生徒諸君である。


「では早速ですけど、まとめ役を決めましょう。……とは言っても代々一年一組は首席が学級委員を務めることになっていますので……優希之さん、お願いできますか?」

「…………ぇ」


「返事は〝はい〟でお願いします。相棒パートナーは……ちょうど良いので水桶くんに頼みましょう。僅差の次席ですからね」

「俺って次席だったんだ……」


「そうだったんですよ。ということで、あとの進行お願いします。先ずは各種委員会と係を決めるところから。ウチは生徒の自主性を重視しますからね。先生は流石に四徹目なので休――んんっ、皆さんをちゃんと見守っておくので、安心してください」


(……大丈夫かこのひと……)


 クラスの心が初めて一致団結した瞬間だった。


 教壇を学級委員二名に譲り渡した神店教諭はそうして沈黙。

 教室後方を陣取って、腕組みをしながら生徒全員を見る――フリをしてこくこくと船を漕いでいる。


 四徹目、つまり四日寝てないというのは冗談でもないらしい。


 布団にも入らない仮眠だというのにとても幸せそうな寝顔をしていた。


「……ど、どうする……水桶くん……?」

「とりあえず言われたとおりにやろっか。じゃあ委員会決めまーす」

「そ、そんな軽いノリでいいの……?」

「良いの良いの。こういうのは悩んでも仕方ないしね」


 ささっと神店教諭の置いていった資料に目を通して、肇が黒板に白墨チョークを走らせる。

 書いていくのはそれぞれの委員会、係の名前と定員数だ。


 慣れているワケではないが、行動が早いのは偏に彼の性格故だろう。


 良く言えば割り切りの良い、悪く言えば勢い任せの気風。

 大人しく見えて騒がしい方が好みの傾向にあるのが肇のこと。


 こういう姿はなんというか、渚も素直に良いんじゃないかなと思える。


 ……頼りがいのある部分にキュンとしただけ、というのは彼女の名誉のためにも伏せておくべきか。


「優希之さん、司会できる?」

「……できなくはない、けど……」

「なら俺がやろうか? 書く方頼める?」

「……水桶くんが、それで……良いなら……」

「いいよ。はい、それじゃあお願いね」


 ぽん、とチョークを渚に渡して。

 ついでにぽんぽん、ともう片方の綺麗な手で彼女の頭を撫でて、肇はいま一度渡された資料を確認する。


 ざっと見ただけでも委員会は八つほど。

 係に関しては五つぐらいなものだ。


 それぞれの定員数を合わせてみても全員強制参加というワケではない。

 意欲のある人員がぽつぽつと協力してくれればすぐにでも埋まるだろう。




 ――などと真面目に考え込む優等生を余所に、クラスの雰囲気はざわついていた。



「ねえ、いまのなに。ねえ」

「さらっと美少女の頭撫でてんだけど。えぐない?」

「えらい奴がクラスメートになっちまったな、こりゃあ」

「ははっ、優希之のやつ固まってんじゃねーかよ。しっかりしろー」

「留奈ちゃん、留奈ちゃん。わたしたちは何を見せられたの?」

「摩弓。辛いだろうけど現実を直視するんだよ、ありゃデキてる」



 理由は言うまでもなく先ほどの身体的接触スキンシップ


 塾では他人がおらず常に二人っきりだったので何事もなかったが、これからの学園生活はまた違ってくる。


 同じ室内、同じ席の位置関係だとしても衆人環視の目があるのだ。

 当然ながらそれを見過ごされるワケがない。


 渚に対する肇の距離感は異性としても友人としても度を超している。

 なんなら例え姉弟だったとしても近すぎるぐらいなものだった。


 血の繋がりを免罪符にしても「それはどうか」と言われるほどのやり取り。


 なればこそ、そんな関係を当てはめる図式なんてひとつしかない。


「なーなー水桶ー。興味本位で訊くんだけどさー」

「? うん。どうしたの」

「おまえって普段そんなコトしてんのー?」

「そんなコト?」

「ほら、今さっき優希之さんにぽんぽんってしてたじゃーん」

「…………え、したっけ」


「「「「したよッ!!」」」」



 がたたたんっ! と机椅子を鳴らして唐突に起こる大合唱。


 一年一組の結束力はここに来て瞬間強力接着剤のごとく固まった。

 それぞれが紡ぎ出した音色と迫力に一切の乱れなし。


 今年の県内合同合唱コンクールは貰ったも同然である。


「ごめんごめん、優希之さん。無意識だった」

「っ……ぅ、ううん、別に……っ」

「頭、チョークとかついてない? 汚かったよね?」


「水桶違う。そうじゃない」

「俺らを鈴木○之マーチンにさせてくれるな」

「ははははっ! 水桶くん最高! 優希之ー、顔真っ赤だぞー!」

「ず、ずるくない? あの子ずるくない……!?」

「どうどう、落ち着け摩弓。ありゃ強敵すぎる」


 目線を合わせて謝る肇に、渚が小声で「だ、だいじょうぶ……っ」と答える。


 彼が撫でた手はちょうどチョークを握ったのとは逆のほうだった。

 汚れなんてそう気にするほどついていない。


 なんならその感触のほうが気になっていまも熱を上げている。

 さりげないとは言えオトメ的に慣れるものでもないのだ。


「ぁ、頭のコト、は……良いから……っ、は、早くさき、進めて……!」

「ん、了解。そうしよっか」

「――――――っ」


 ふわっと渚の間近で微笑む暴力そのものな眩しい表情カオ



 〝ッ!!!!!!〟



 春休みを越えて久方ぶりの接触にしては強すぎる刺激。


 ちょっとオーバーキルだった。

 なんなら過剰摂取オーバードウズでもある。


 副作用として渚の頬は際限なく赤みを増していく。


 このままでは火照りすぎて「照り焼きチキン定食」ならぬ「照り焼きナギサ定食」が完成してしまいかねない。

 お値段七三ナ(ギ)サ〇円、お求めはお近くの水桶ポンコツ食堂まで。



「…………なんか空気甘くね?」

「誰かコーヒー買ってこい。無糖のブラックがいいぞ」

「水桶。おまえ進めなくていいから一生優希之さん構ってろ」

「あははははっ! ひー! お腹いてぇー! 水桶くんマジでさぁ……っ」

「な、なにあれ。なんなの、あの、え、笑顔――――!?」

「おーい、こっちにも被害者出てんだけどー?」



 ぶすぶすぶす、と湯気どころか黒煙があがる渚の変化に肇は気付かない。

 うん? なんて不思議そうに首を傾げる様子が追撃になっているとも本人は知らない。


 悲しいかな、言い逃れ出来ないほど自覚した恋心はすでに箍の外れた代物。

 原作展開とか攻略対象とか関係なく、ひとりの少女として彼に惚れてしまったというのは揺るぎようもない事実だ。


 だからなのか一挙手一投足、彼から受けるすべての印象インパクトが五から六倍に跳ね上がっている。


 率直に言って渚は死にそうだった。

 つい先刻の姫晞某と同じ状態である。


「えっと……まずは保険委員から――ってどうしたのみんなして」


「どうしたもこうしたもねえよ!」

「何事もなかったように再開しないで! びっくりするから!」

「ほらもう優希之さんが固まったままでしょ!」

「あー……笑った笑った。いや、最高。一組で良かったわ、オレ」

「水桶さん! わたしの頭あいてますよ!?」

「摩弓、ステイ。あんたの頭はもう煩悩で埋め尽くされてる」



 がやがやと一層騒がしくなる成績上位者集団。

 はたして学年の顔になるトップ陣営がこれで良いものだろうか、と肇は内心で微かに疑問を覚えた。


 いや、彼自身としてはこういう空気も全然嫌いではないのだが。


 裕福な家系と一般家庭の違いなんだろうか、なんて思いながら苦笑する。


「とりあえず、はい。保険委員やりたい人ー?男女各ひとりずつね」

「あ、僕やろうか? 中学でもやってたし」

「はいはいあたしもやりたーい! 内申点あげたいからね!」

「他には? ……いないね、よし。優希之さん、保険委員は宮嗣みやつぐくんと高発条たかばねさんで」

「あ、うん……」


 と、渚は黒板に白墨を滑らせようとして。


「…………もしかして全員の名前もう覚えたの?」

「? うん。さっき自己紹介してたし」


(……どうりで勉強が実になるワケだよ……)


 意外なところで隠れた才能を発揮する肇だった。





 ◇◆◇





 一通りすべての委員会と係が決め終わったところで、本日の日程は終了と相成った。


「それでは皆さん、節度を守って楽しい放課後を過ごしてください。部活動見学するもヨシ、羽目を外しすぎないように遊ぶもヨシです。――あ、警察の方のお世話になるのはやめてくださいね。今日ぐらいは、先生、布団が恋しいので。それでは」


 さようなら、と挨拶をして神店教諭は教室から出て行く。


 おそらくは職員室で溜まりに溜まった仕事を消化したいのだろう。

 ポロッとこぼれた話ではあったが、流石に四徹目はやばいなと思った一組生である。


 口調も穏和で普通にしていれば態度もまあまあ。

 なにより優しい担任だ。


 ここは彼の面子を立てるためにも迷惑はかけないでおこう、と半数以上の生徒が心に決めた。


 あまりにも憐れで、可哀想すぎて。


 神店教諭の目の隈が取れることを切に願う。



「なあ、このあとどうするー?」

「野球部見に行こうぜ、野球部。知り合いの先輩が居てさ」

「ていうかお昼持って来てないんだけど! 近くにお店ある?」

「食堂開放してるって。購買におにぎりとかも売ってるみたいよ」

「今日は新刊の発売日なのでウチは帰ります! それじゃ!」

「部活は基本自由だっけ? 中学だと強制だったからありがたいわー……」



 会話をリレーしながらクラスメートはそれぞれ好きに散っていく。


 現在の時刻、午前十一時過ぎ。


 上級生はこれから所属する部活動の時間となるが、入ったばかりの一年生は言ったとおり自由行動となる。

 後にはもう授業もないので早々に帰宅したところで問題ない。


(うーん……俺はどうしよっかなぁ……)


 そんなところでぼんやり考える肇。


 はてさて今後の予定はまったくと言っていいほどない。


 誰かと会う約束をしてるのでもなし。

 通っていた塾だって無事合格の後に卒塾した。


 びっくりするぐらい放課後はまるっきり空いている。


「……あ、優希之さんはどうするの? これから」

「えっ……あ、いや、普通に帰るつもり……だった、けど……」

「そうなの? 部活とかは?」

「……あんまり、やりたい事とか……ないし……」

「なるほど」


 たしかに一年間通してみて、いまこういうコトにハマっています、という話を渚の口から聞いたことがない。

 強いて言うならどこのお店のスイーツが美味しかったとか、最近読んだ本が面白かったとか、そんなぐらいの世間話程度だ。


 肇のようにやり切った上での燃え尽き症候群ならともかく、乙女ゲー主人公ヒロインでそれは如何ほどなものか。


 よもや本編でそれを探していくのがシナリオか、なんて予想しだしたところで。


「み、みみみ、水桶さんっ!」

「? どうしたの姫晞さん」

「こ、これから一緒に美術部の見学行きませんか!?」

「あぁ、そういえばそんな話してたね」

「――――!」


 ぶんぶんぶん! と恒例のごとく上下する首振り摩弓にんぎょう


 たしかに初めて会話したとき、彼女からのお誘いに肇は答えていた。

 頭から抜け落ちていたのはそれ以外のインパクトが大きすぎたせいだろう。


 色々と忙しない……もとい飽きさせないリアクションは凄まじい。

 彼としても結構分からない思考回路をしている女子は新鮮だ。


 いや、良くも悪くも。


「……それじゃあ、私は帰るよ」

「あ、うん。ばいばい優希之さん」

「…………ん」


 こくん、とちいさく頷いて渚は席を立った。


 準備自体はとっくに終わっていたのか。

 鞄を片手にこつこつと靴音を鳴らして彼女は教室を後にする。


(…………あー)


 そこに含まれた感情の機微に気付けたのは、これまでの経験がある肇だったからだ。

 苦笑しながらさっと荷物を片付けて、早々に帰り支度を整える。


「ごめん姫晞さん、部活、また明日でも大丈夫?」

「えッ!? あ、はい! 大丈夫です!!」

「……?」

「大丈夫、ですっ!」

「ありがとう。それじゃあまた。部活、前向きに考えておくから」

「は、はい! よろしくお願いしますぅ!」


 だばだばと勢いよく頭を下げる摩弓嬢。

 それにひらひらと手を振って、肇は急ぎ足で歩き出した。


 校則もあるのでいちおうは走らない程度に。

 けれど普段のペースより二段階ほどあげて廊下を進み、階段を下りていく。


 やっとのことで人影を捉えたのは、ちょうど昇降口を出るところだ。


「優希之さんっ」

「!」


 追い付きながら声をかける。

 渚は一瞬肩を跳ねさせたかと思うと、センサーもびっくりの速度でぐるんと肇のほうを向いた。


「……ど、どう……したの、水桶くん……?」

「ううん、やっぱり一緒に帰ろうと思って」

「……え?」

「……だめ?」


 あはは、なんて笑いながら彼は訊いてくる。


 ……分かってやっているならズルいことこの上ない。


 なにせその問いかけに対して渚はひとつ以外の選択肢を持っていなかった。

 持てないでいる、というのが彼女の心情的には正しいか。


「……いい、けど……」

「ん、それなら良かった」


 だめ? と言われて。

 だめ、と返せるようならそもそもあそこで拗ねて逃げたりはしないのだ。


 きっと彼は気付いてもいないだろうけど。

 なんならコレだって単なる気まぐれだろうけれど。


 と、やっぱり若干拗ねた様子を引き摺りながら。


「………………、」

「…………」


 ふたり並んで校門から外に出る。


 身体的な距離は近くとも心は曖昧だ。


 普段と同じく穏やかな沈黙もいまだけは針の筵。

 気持ちギスギスとした空気の間に会話はない。


 本人も気付かぬうちに脹れっ面になっている渚の雰囲気が余計にトゲを強くしている。


 ……しばらくして、口を開いたのは肇のほうだった


「……ね、優希之さん」

「…………なに」


「喉、乾かない? 飲み物買ってこようか?」

「…………いらない」


「お菓子いる? 市販のチョコだけど」

「…………いらないってば」


「……優希之さん」

「………………、」


 あからさまに不機嫌な様子を隠しもせずふいっとそっぽを向く渚。


 面倒くさいのは彼女自身これがよろしくないと自覚しているあたりだ。

 いや、そのあたりも含めて納得いかないからご機嫌斜めなのか。


 ――彼に非はない。


 入学初日の授業が終わったあと、どこへ行こうとなにをしようと個人の自由。

 クラスメートの女子と部活を見学するのだって普通のコト。


 なにもおかしくない当たり前の話の流れである。

 その行動を咎める理由も、ましてやどうにかする権限も渚は持ち合わせていない。


 だから彼女の苛立ちは自分本位な、身勝手なものだ。


 それは分かっている。

 ちゃんと頭で理解している。


 ……けれど、それで納得できるならやっぱりトラブルで刃傷沙汰なんて起きないのだ。


「…………別に、行ってくれば良かったじゃん。……部活見学」

「そんな意地悪言わなくても。……どうしたの優希之さん」

「…………なにが」

「やっぱり怒ってるでしょ」

「……怒ってないもん」


 ぽそっと呟く。


 そう、これは別に、ちょっとモヤモヤしているだけで。

 胸中穏やかでなくなってはいるけれど、怒っているとかではない。


 断じてない。


「怒ってるよ」

「……怒ってない」


「怒ってる」

「怒ってない」


「怒ってるってば」

「怒ってないからっ!!」


 思わず声を張り上げながら彼のほうを向く。

 と、


「ほら、やっぱり怒ってるんだ」

「……っ」


 優しげに、宥めるように。

 自然な様子で頭を撫でられる。


 それになにか思うでもない渚だったけれど、いまは意図的に全部シャットアウトした。


 どうせさっきと同じ無意識。

 いつもみたいなこちらを乱すだけの勘違い行動だろうと。


「……またそれ」

「うん?」

「……恥ずかしいでしょ、みんなの前で……」

「あ、それが原因だったの」

「違うけどっ……、…………え、あれ……待って――」


 いまの言い方だと、なんか。


「……水桶、くん」

「なに?」

「……頭、撫でてる……けど」

「そりゃあ、まあ。そうしてるワケだし」

「…………っ」


 こいつ、分かってて、やってやがったのか、と。


 震える渚を知ってか知らずか、肇が撫でる手を強くする。


 とんでもない。

 信じられない。


 ありえない加減だ。

 ばかすきだ、水桶肇こいつ


 ……じゃあ、そのばかかれに惚れた自分はどれだけ阿呆なのかと。


「みんなと仲良くなったからって、優希之さんと疎遠になるわけじゃないよ?」

「そんなの……っ」

「俺と優希之さんが一緒に勉強して頑張ってたのは変わりないんだし。他の人とはそこらへん、比べものにならないと思うけど」

「……わ、分かってる、し……」

「でも妬いちゃうんだ」

「妬っ……!? な――んで、それ……!」

「? 違うの?」

「っ、そ……れは……っ」


 違わない。

 違わなくもない。


 ――そう、はっきり言って渚は妬いている。


 それはもうとんでもないぐらいに妬いている。

 知り合いとか塾仲間とか勉強仲間とか、そんな関係性では説明のしようがないぐらいに嫉妬の炎が燃え上がっている。


 が、それはそれ、これはこれ。


 たしかに妬いてはいるが、その事実を彼に悟られているというコトは――


「…………いつ、から……?」

「……まあ、わりと初めから?」

「っ……それって、つ、つまり……っ」


 彼女が、ふとした瞬間に意識するより前から、というコトだろうか。


(……で、でも、だって……っ)


 指先が震える。

 顔が一気に熱くなる。


 喉は焼けるみたいで、頬は溶けるようだ。


 別に嬉しくも悲しくもないのに目が潤んでくる。


 でも仕方ない。

 こんな会話をしていればしょうがない。


 だって、


(水桶くんは、私の――――)






「分かるよ。仲良い友達が他の子と交友関係持つと妬けるよね」











 〝――――――――水桶肇キサマッ〟



 ごう、と吹き荒ぶ突風。

 強風、いいや烈風とも呼ぶべき嵐の前触れ。


 燃え上がりつつあった渚の周囲からすでに熱の類いは消えていた。


 代わりに、極寒のごとき冷気があたりを伝っていく。



「――――水桶くんの」

「? うん」

「あほ」

「えっ」

「あほあほ。あほ。ばか。……ぼけなす。もう知らないっ」

「ちょっ――いや待って優希之さん。待って待って。急に走ったら危ないってば!」

「ふんっ!!」


 思いっきりそっぽを向いて駆けていく渚。


 ――嗚呼、馬鹿だ。


 馬鹿だ馬鹿だ馬鹿だ。

 大馬鹿だ、心底馬鹿だ、てんで馬鹿だ。


 もう駄目なぐらいに馬鹿で馬鹿で馬鹿らしくて――――



「…………っ」



 ――――だから、馬鹿すきなんだ。


「……もうっ、いきなりどうしたの!」

「っ!? ちょ、なんっ……追い付く……!?」

「体育祭、見てた、でしょっ! 俺、足には自信、あるからねっ!」


(――あぁああぁそうだったッ! この男走るの速いんだった――!)


 並走する肇に自身の行動の失敗を嘆きながら、渚は微塵も速度を緩めず足を動かした。


 なんだか悔しくて、負けたくなくて、でももう負けているのは自明の理で。


 ……本当、心底面倒くさくて、厄介な惚れ方をしてしまったのだと改めて感じながら。





「競争する? ……そうだ、優希之さん、負けたら比良元くんがやったみたいなお姫様抱っことかどう?」

「っ!?」



 ――競るべきか、退くべきか。


 少女の葛藤は、刹那の隙間を永遠に引き延ばしたよう続いていく――



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