32/別に恋仲とかではないけれど
星辰奏学園のクラスは一学年に四つある。
それぞれ一組から三組が普通科。
四組が商業科というのが大きな枠組み。
一クラスしかない商業科はともかく、普通科の三クラスは年ごとに入れ替えもある。
入学時は成績優秀者から一組に、それ以降は繰り下がりで二組へ。
学校指定の推薦や部活動推薦――他特別推薦の合格者は全員まとめて三組。
その後二年生では文理選択で別れ、さらに三年となると進路別になる仕組みだ。
なので、肇たち普通科の新入生は学力ごとの組み分けになる。
当然ながら彼の所属は一組。
無自覚とはいえ一点
「…………、」
かつかつと階段を上っていく。
一年生の教室は五階にまとめられていた。
四階は二年、三階は三年――と、進級するごとに下がっていく形だ。
若輩者が苦労する配置になんとなく社会構造的なアレを感じる肇である。
悲しいかな、なんであろうと年功序列は基本も基本。
年の差、勤続年数の違いによって先輩後輩はあって然るべき。
(まあ足腰自体は今のところ問題ないし、いいのかな)
昔と違ってフルパワー健康状態の身体に感謝しつつ階段を上りきる。
教室は校舎を右に行った方面だ。
手前から番号順に、三組と四組だけわずかに間をあけつつ並んでいる。
言うまでもなく一組は階段から最も近いところ。
スタスタと廊下を横断して、彼は一番手前のドアをガラリとスライドした。
「いやほんと。マジでウチは感動したね」
「
「つか聞いた? 今年の首席やばいらしいじゃん」
「化け物らしいな。兄貴が先生らの会話耳に挟んだっつってた」
「あっはっは! 彼氏が二組いってキレてんだけど! 通知止まんねー! ……ふふふ、煽ってやーろぉ」
「やめとけやめとけ。学力煽りは亀裂入るわ」
ガヤガヤと騒がしい声を聞きながら後ろ手に扉を閉める。
室内にいる生徒数はぼちぼちと言ったところだった。
半分より若干多めの人がすでに来ているかという具合。
比較的優等生が集められている筈だが堅苦しさはそこまでない。
何人か静かに本を読んだりして過ごしている者もいるが、八割方がすでに交友関係を築いて談笑しているからだろう。
……そのうちの多くがえらいところの出身だとは彼も知らないことである。
(ちょっと意外かも)
微かに目を見開きつつ、ちらりと黒板の貼り紙を見た。
最初の席順は五十音順で教室の奥――窓側から詰められている。
肇の机は廊下側から二番目の前から三列目だ。
とりあえず自分の席に向かって、持っていた荷物を置く。
……と。
「――あっ、水桶肇ぇ!」
「ほ、ほんとに来た……! 三組じゃないんだ……!」
「あほ、一般入試でいたでしょ」
「つか一組ってコトは勉強もできるんだね。はは、すげー」
「……っ、わ、わたし行ってくるぅ!」
「えっ、あ! あんた待っ、ちょっ――――!?」
なにやら名前を呼ばれたかと思えばずだだだーっ! と走ってくる少女が約一名。
机の間をぎゅるんぎゃるんとくぐり抜けて、彼女はあっという間に肇の前に着いた。
仲間内の女子が止める暇もない高速移動である。
「……えっと?」
「あッ――と! あの、えぇっとぉ!」
わたわたと慌てる少女は一言でいうと〝ふぁさっ〟としている。
ゆるふわウェーブの長い茶髪と、同色の眠たげに潰れた瞳。
寝不足なのか薄く隈まで残っていた。
けれど先の疾走のとおり、言動に寝ぼけた様子は感じられない。
「……あー……一旦、落ち着こう……?」
「――――!!」
ぶんぶんぶん! と首振り人形みたいに上下する頭。
そのままポロッと取れてしまわないか怖くなるぐらいの勢いだった。
脳みそが正常ならガンガンに攪拌されていてもおかしくない。
初対面の肇とはいえ流石にこれはどうか、と心配になってくる。
「――わたしっ、あの!」
「うん」
「
「うん、うん」
「――こ、これからどうぞ宜しくお願いしまぁーす!!」
「ん、姫晞さんだね。よろしくお願いします」
ぶんぶんぶん! と今度は握手を交わした肇の腕を上下させる姫晞女史。
いつぞやの
ちょっと肩の駆動に負担をかける動作だが。
……とはいえ、肇としても願ってもない申し出はありがたかった。
なにしろこれから一年を共にするコトとなるクラス。
友人はひとりでも多いほうがいいだろう、なんて。
「――ファンです!」
「え?」
「高校では美術部入りますか!?」
「……うーん、どうだろ? まだ決めてないかなー……」
「じゃあ一緒に見学行きませんか!?」
「いいの?」
「はいっ!!」
「……ん、わかった。じゃあそのときはまたお願いするかも」
元気な子だなあ、と口元に手を当てて笑いながら答える肇。
普段は渚との会話が多い彼からすると、この類いの空気はわりと新鮮だ。
卒業してクラスメートと直接やり取りする機会がなかったのもある。
なんであれ明るく喋る相手は気持ちの良いもの。
思わず頬を緩める肇だったが――直後、件の少女……摩弓某は急に「んぐっ」と喉になにか詰めたような反応を返した。
「――水桶さん!」
「あ、うん」
「わたし死にます!」
「なんで?」
唐突なカミングアウトだった。
余命宣告もなにもなくいきなりの死亡宣言。
肇はワケが分からない。
ワケが分からないのだが……目の前で胸のあたりをぐぐぐぅーっと押さえる
なるほどこれは死にそうである。
「……姫晞さん? 大丈夫……?」
「ひっひっふー……! ひっひっふぅー……!」
「なぜラマーズ法……」
「ふぅーっ、はぁー…………っ!」
仕方がないのでさすさすと肇が摩弓の背中を擦る。
気分は
たまたま体調が良かったときで、これじゃどっちが病人だか分からないよ、なんてトイレで愚痴った記憶が蘇る始末。
そんな経験があったからかどうなのか。
しばらくして落ち着きを取り戻した摩弓嬢は、スカートの端をぎゅっと握りしめながら勢いよく顔を上げた。
「……っ、あ、あの! 水桶さん!!」
「うん、どうしたの」
「い、いいいいま彼女とか居ますかっ!?」
「居ないけど」
「わたしと付き合ってみませんか!?」
「ごめんね?」
「かっはァ――!?」
ノータイムだった。
振り抜かれた刃は刹那の閃きを以てして乙女心を斬殺、もとい惨殺。
かくして勢い百パーセント本心五百パーセント計六百パーセントの告白は見事春の桜と同じように散っていく。
是非もなし。
場所とタイミングと好感度と交友関係のすべてが悪かった。
初対面で想いを告げても創作みたいに実るとは限らないのである。
「――あーあー、申しわけない水桶くん。この子、ちょっと興奮してるだけだから」
「あ、うん。それはなんとなく分かるけど」
「ちょくちょくコンクールで賞取ってたでしょ? そのときからこの人の絵良いなーって言ってる子なの。許してあげて」
「へぇー……学生の絵なんて滅多に見る機会ないのに。好きなんだね、姫晞さん」
(――絵のコトが)
「そうなの。メチャクチャ好きなんだよ、この子」
(――君のことが)
ふたりの会話は通じ合っているようで微妙にずれている。
が、それを指摘する人も気付く人もいまここにはいなかった。
他人とのコミュニケーションとはなんとも難しい。
認識の違い、意味の差異。
人と人との結び付きは奇妙複雑な彩模様だ。
「あ、摩弓の友達やってます。
「よろしく蒼姫さん。……ところで姫晞さんの顔色が悪いのって」
「平常運転だから気にしないで。寝不足と朝の低血圧で死にかけてるだけ」
「あ、そうなんだ……」
難儀だ、と思いながら依然として背中を擦り続ける肇。
失恋した女子は
涙を流していないのと、心が折れていないのはせめてもの強さか。
憧れとか歓喜とか愛しさとか切なさとか心強さとかがない交ぜになった表情で床のタイルを眺めていた。
「姫晞さん」
「っ、は、はい……!」
「お付き合いはアレだけど、まずお友達からお願いします」
「――――交際を前提にッ!?」
「いや流石に初対面でそれはどうかと」
「留奈ちゃん、留奈ちゃん。わたし泣いちゃいそう」
「いいぞ、泣け。水桶くんにとっては
「お友達でお願いします……!」
「いいんだ……」
よもやこの少女ちょっと分からないぞ、なんて小首をかしげながら二度目の握手を敢行する肇である。
それに引き換え、友人に頭をよしよしされながら憧れの男子と手を握る摩弓はさながら天にものぼる気分だった。
グッバイ人生、サヨナラ現世。
口の端からふわふわと空に浮かぶモノは果たして幻覚か現実か。
有名校にも色々人は集まるんだな、と至極感心している彼は気付きもしない。
「姫晞ちゃんクソ度胸の塊だなー……どう? やっぱロクデナシか?」
「いや普通っぽい。たぶんだけど」
「初めまして水桶さん。あなたの作品印象に残ってて――」
「どうもです! 早速だけど下の名前で呼んでいい!?」
(急に沢山押し寄せてきた……)
わらわらと集うどこか見覚えのある女子集団。
彼の記憶が正しければ摩弓たちを含め入試を同じくしたいつぞやの少女たちだ。
その誰もが肇の絵を気にかけているあたり、なんともこう回答に困る。
そこまでじゃないんだけどなー、と苦笑する推定八桁の無名画家。
昔の経験が泥沼に引き摺り込むレベルで足を引っ張っている例だった。
◇◆◇
――下手な芝居を打ってみて。
渚自身、いくつか分かったコトがあった。
先ず一つは知識通りになぞれば機会が訪れるということ。
彼――海座貴三葉との出会いはいちばん始めに用意されている共通のエピソードだ。
入学式の日に偶然迷った
わざとらしさ満載の流れでもそれ自体は現実になった。
ある程度でもやろうと思えば記憶は使い物になるだろう。
「えっと……オレらの教室は……五階みたいだな」
「…………、」
あと一つは、益体のない夢想話はその通り考えすぎだったこと。
無意識のうちに他人を拒絶する渚は、自分でも気付かないうちに相手への嫌悪を抱くときがある。
それは例外なく起こるものだったが、三葉と対面したときにそれはない。
だからこその他人と比べて驚くほどの接しやすさがある。
なんとなく痛む傷を誤魔化せるようなもの。
少なくとも話していて悪い気持ちにならないのだから凄まじく相性の良い相手だ。
けれどそれだけ。
だからと言ってなんというコトはない感じ。
運命じみた響きは軽いもので、感触は相応に曖昧だった。
別に
生きているものは間違いなく
「うわ、階段なっが……、あー、優希之? しんどくないか?」
「……平気。そこまで心配しなくてもいいよ」
「そっか。まあ、そうだよなあ。学校の階段ぐらい」
「そうだよ……海座貴くんは色々、気を配りすぎじゃないかな……」
「……優希之。おまえ会った時のこう、キリッとした感じはどうした。イメチェンか」
「…………これが素だから」
――そしてもう一つは、なにも誤魔化せなくなったこと。
「しっかし、あれだな」
「……? なに、どうしたの」
「いや、顔見知りに優希之がタイプど真ん中ストレートっぽい奴がいたと思って」
「ぇ…………」
「おいこら。そこで嫌そうな顔してやるなよ……本人傷付くぞ、知らないだろうけど」
「…………私、これでも一応好きな人いるから」
「まじで? あー、こりゃ負けだ。どんまいだなー」
「……そうだね。その人には悪いけど」
いつかに秘めたもしもの話。
いまとなっては到底馬鹿げた妄想だけれど。
そうなれば肇との関係なんていくら進んでも意味がない。
運命の糸みたいな修正力を前にふたりの仲は引き裂かれる――とか。
そんな紙の上でよくある話を想像した渚だったが、結果はご覧のとおり。
どころかとっつきやすい
「っと、ここだな。一組は……」
「……そこ。いちばんこっち側みたい」
「お、ラッキーだ。早く入ろうぜ、優希之」
「……そんなに急がなくても……」
いや、ほんと、自分でも笑ってしまうほど。
めちゃくちゃ
「おはようございまーす」
「……失礼、しま――」
なんて、三葉と一緒に晴れやかな気持ちで教室をくぐったとき。
少女は視界の端で。
なにやら。
数人の女子に囲まれる、
――あれは誰だ。
どうしてだろう、その光景は覚えがない筈なのに、その人物にはいやに見覚えがある。
――あれは誰だ。
茶髪混じりの黒髪と、空よりも海に近い色の瞳。
背丈は高すぎず低すぎず、身に纏う雰囲気は穏やかさの濃い男子。
――あれは誰だ?
ついでに言うと、さっきのさっき。
今の今まで考えていた、校門を過ぎたところで別れた誰かに――酷く、似ていないだろうか?
というかそっくりじゃなかろうか? なんて頭を九十度横にぐぎぎ、なんて傾げかける渚嬢。
隣にいる三葉が「優希之おまえ首どうした? 寝違えたか?」なんて有り体なボケツッコミを繰り出している。
(――――なんだあの
気付いた瞬間、渚のこめかみにピキッと浮かび上がるものがあった。
理不尽な怒りだ。
彼女がキレる道理なんてさらさらない。
なんなら彼だって別にそう悪いコトをしているワケでもない。
渚は肇の恋人でもなければ将来を誓い合った婚約者とも違う。
まだ想いもなにも伝えていないただの知り合い、勉強仲間。
彼がクラスメートの女子に囲まれているだけで嫉妬にかられるのはどう考えても間違っている。
間違ってはいるのだが――――それでどうにかなるならこの世からジェラシーという単語は消えてなくなるのだ。
「――――――」
こつん、と踵を鳴らして机の隙間を往く。
自らの席順は先ほど、黒板に一瞬目を向けて把握した。
運の良いことに。
非常に都合の宜しいコトに、
〝ま行〟と〝や行〟の五十音順の近さにいまは感謝する。
「おーい優希之? ……どうしたんだ、あいつ……?」
こつん、こつん。
靴音を高く響かせて歩いていく。
彼はまだ気付かない。
気付いてくれない。
気付
こつん、こつん、こつん。
彼我の距離は、わずか五メートル。
少女の身体からは気持ち、凍えるほどの冷気が迸っている模様。
「――――――――」
「へぇ、じゃあ油絵のほうが得意なんだ?」
「うん。そっちの方が色々慣れてるから。……上手いかは置いといて」
「一度見てみたいですね。……やっぱり部活、入りましょうよ」
「あー……でもねー……授業ついていけるか不安だし」
「水桶さんなら大丈夫だと思います! わたしはそう思います!」
「その根拠は?」
「ないですけど!!」
「だめじゃないの」
こつん、こつん、こつん、こつん。
ピタリと止まる少女の靴音。
鞄を両手に身体の前で持ったまま、仕方なく渚はニコリと微笑みつつ声をかけた。
「――――水桶くん?」
「? ……あ、優希之さん。……さっきぶり、用事は済んだの?」
「終わったよ? 水桶くんは――」
集まっていた女子一同を密かに見回して、
「――楽しそうだね?」
「そりゃあ、まあ……?」
「へぇー? ふーん?」
(そりゃあ? まあ?
「……優希之さん?」
「なに?」
「なんか、怒ってる……?」
「べつに?」
その言い方は間違いなく怒っているのだが、少女は頑なに首を振り続けた。
ここで怒ってます、と言ってしまったら負けな気がして。
なんなら今まで培ってきた大切なものが壊れてしまう気がして。
ニコニコと貼り付けた笑みを浮かべたまま、すとん、と隣の席に腰を下ろす。
「お、誰かと思えば水桶くんか。オレのこと覚えてる?」
「海座貴くん。お昼一緒したんだから忘れないって。ついでに合格おめでとう」
「おお、さんきゅ。これからよろしく。……ところで優希之になにしたわけで?」
ひそひそと耳打ちする男子ふたり。
流石は
いやまあそのあたりは肇もなんだかんだ察しているので攻略対象に限った話でもないのだが、それはともかく。
「……なにかした覚えはないんだけど……」
「でも水桶くんのこと見た瞬間からああだぜ、優希之。……もしやタイプだからってド直球のアタックでも決めたのか?」
「? 誰が誰のタイプだって?」
「? 水桶くんのタイプだろ、優希之?」
「え??」
「ん??」
混乱する肇と三葉。
両者の間にはとても大きな
乙女ゲーなんだしそりゃあ優希之さんは好きだよね、と軽い気持ちで話題にあげた彼と。
自己紹介代わりなのかな、と話の流れで誤解した男子のすれ違いだ。
「言ってたじゃん、入試のとき。銀髪美少女どう思うって」
「あれは純粋に訊いただけだよ?」
「質問の範囲絞りすぎだろ……え? なら本当になにもないの? 優希之あれだけ――」
「海座貴くん」
「はいッ!」
びくーん! と名前を呼ばれて三葉が大きく肩を跳ねさせた。
ギリギリと油の切れた様子で後ろを向けば、なにやらパクパクと口を動かす渚が見える。
無論、いくら攻略対象者とはいえ彼は読唇術なんて持っていない。
持っていないのだが――
『ヨケイ ナ コト ヲ イウ ナ』
――なぜか分かってしまった。
「優希之、優希之。おまえちょっと怖いよ」
「海座貴くん?」
「
(おぉ……流石だ、海座貴くん。もうあんなに仲良くなるなんて)
入学初日、波乱の幕開けはこのように見えない冷気と炎に包まれてスタートした。
「超絶美少女が水桶さんと仲良さげにしてるぅ――! ……ごふっ」
「あぁ、また摩弓がダメージを受けて……」
「このままじゃ教室が血の海だよ、姫晞さん」
「……水桶さんは顔でどうこうという人じゃないのでは?」
「ちっちっち。甘いね、男子はみんなメンクイのオオカミよ」
……しばらく機嫌は、直りそうにない。
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