31/その出会いは軽く早く、そして
県立星辰奏学園。
肇たちの暮らす近辺でもひときわ有名なそこは、ドの付くレベルの超名門校でもある。
入試の合格ラインも他と比べていっそう高め。
土地や敷地内施設の規模も大きく、設備だって色々整いまくっているという。
入ったらそれだけで将来安泰とまで噂される学びの園だ。
――そして、ありえないコトにどこかの別次元における〝乙女ゲームの舞台〟でもある。
銀に輝く渚の恋歌。
ジャンルは女性向け恋愛シミュレーション。
俗にいう乙女ゲーと呼ばれるタイプのものだ。
その舞台に、本日、足を踏み入れる本編シナリオでは名無しモブだった男子が一名。
(……今更だけど。考えてみるとよく分からない事態だなぁ……)
彼の名前は
どこかから流れ着いてきた
あろうことか原作開始前から
長い時間をかけて親睦を深め、
今となっては(本人の自覚の有無はともかく)取り返しのつかないところまで落としてしまった
(ゲーム……とは言ってもどういう話だったかはあんまり覚えてないし。そもそもそれっぽい感覚があるワケでもないし。……うん、結局あれだ。普通と変わらないや)
ぼうっと考えながら肇は慣れない通学路を歩いて行く。
入学式当日。
最寄りの駅から学園へ向かう人の波は少なくない。
その殆どが制服に身を包んだ星辰奏の生徒たちだった。
彼ら彼女らは不安や期待に胸を躍らせながら遠く見える校門に吸い込まれていく。
かくいう肇だってそのうちの新参者。
下ろしたての学生服に着られながら、のんびりと
(――いや、でも本当……受かってよかった……)
合格後、家族や親戚から盛大に祝われたコトを思い出す。
彼自身としても一年間続けた努力の成果が実を結んで達成感に浸っていたのだが、
おそらく期待半分ぐらいだったろう両親は「マジで!?」と二度見三度を見繰り返し、妙に心中のハードルが高い妹は「兄さんなら当然では? 私は信じてました」と胸を張り。
それ以外の親類縁者からはよしよしと撫でられ褒められ、ついでにお小遣いをもらうという好待遇っぷりである。
なんというか、そう、最早乙女ゲーの舞台がどうとか関係なく。
星辰奏、凄い――――と思わざるを得なかった肇だった。
(……よし、とにかく頑張ろう。まず勉強。成績が振るわなくて退学とかになったら合わせる顔がないからね)
うんうん、と深く頷く真面目な新入生。
なお、そんなコトを考えているのが満点合格をした首席にギリギリ一点差で敗北を喫した次席という真相を誰も知らない。
はたして己の力量を勘違いする呪いでもあるのかというぐらい自覚が足りなかった。
「…………、」
通学路には仄かな喧噪が入り交じっている。
友人たちと楽しそうに話す声。
元気よく空に響く朝の挨拶。
不規則に塗装された道を蹴る固い靴音。
――――その中で、
(…………ん?)
ふと、彼は場違いに浮いた
学園への入り口になる校門からわずか二十メートルほど手前。
ブロック積みの擁壁にもたれ掛かって、ひときわ目を引く美少女が佇んでいる。
髪は日差しに照らされて光る銀色で、腰あたりまで伸びるほど長い。
頭には特徴的な赤いカチューシャと黄色いリボン。
その場の誰よりも
独特な雰囲気からか近寄ろうとする人間はいなかった。
おそらく纏っている空気が本能的に忌避感を呼ぶからだろう。
ひとりの少女が発するものは黒いブレザーに染みるほど陰鬱だ。
言うなれば葬式の静けさがそれに近い。
いつであろうと基本的に、彼女は喪に服する人間じみた暗さを漂わせている。
それが容姿の綺麗さと相まって、余計他人を寄せ付けない絶対的な防御壁になっているのだが――当然自分では知る由もなかった。
そしてついでに、そんな空気を微塵も気にしない少年だって同じく。
「優希之さん?」
「っ……」
声をかけると少女の肩が跳ねた。
びっくりしたように、顔を上げて視線が肇のほうを向く。
……空気が解ける。
嫌な気配が霧散する。
十代の女子から出ているとは思えない死臭じみた雰囲気が和らいだ。
たったひとりの人物を前にして。
まるで呪いが解けるみたいに。
「……お、おはよう……水桶、くん……」
「おはよう。元気してた?」
「う、うん……っ」
やあ、という気軽さで肇が挨拶を返す。
彼と一緒の塾に通っていた女子で、その関係で仲良くなった相手。
ついでに言うと、実はこの舞台の元になる乙女ゲーにおいて
……詰まるところどういうコトかというと。
「でも、思ったとおりだね」
「……? な、なに……が……?」
「制服、とっても似合ってる。今日の優希之さんも可愛いよ」
「――――……っ」
この
その二以降があるかどうかは知らない。
いやむしろ渚的にはあったとしても無くていい。
今でも相当なモノなのにこれ以上増えるとすればもう悪夢だ。
きっと心に少なくないダメージを受けることになる。
「……あ、ありがと……」
「綺麗な人が着ると様になってるよね。ほら、俺なんかこう、しっくりこないし」
「……水桶くんだって、その、似合ってると思う……けど……っ」
「そうかな……? 個人的にはどうにも。了華は激写してたけどね」
「…………あぁ、あの妹ちゃん……」
「??」
ずぅん、とあからさまに肩を落としながら渚はため息をつく。
思い起こすのはつい最近の春休み。
気分転換がてらショッピングモールに立ち寄った彼女は、偶然にもひとり休憩スペースでくつろぐ肇と遭遇した。
そうなれば当然世間話にも花が咲くというもの。
なにしろ勉強三昧の塾仲間とはいえ一年間を共にした戦友。
彼女からすれば付き合ってもいないのにぞっこんレベルで惚れきった男子になる。
時間もなにも忘れてふたり楽しく過ごしていたところで――そんな穏やかな空気を裂くように、件の
『――肇さんっ! 私という
『ッ!?』
開口一番、とんでもない
『…………あー、紹介するね。優希之さん。この子は――』
『貴女は誰ですかっ!? 私の肇さんに何の用です!?』
『了華、了華。冗談も程々にするんだよ? 変な噂になるからね?』
『ど、どどどどういうコト水桶くん……!? 前、恋人、いないって……!』
『うん、いないから。これ了華の
『肇さんから離れなさいっ! この泥棒猫っ!!』
『了華??』
その後、あまりの酷さに
もし妹ではなく本物の彼女だったら今頃布団の上で貝になっている自信がある。
無事に登校できていたかも怪しいぐらいだ。
……それはもう手遅れなのでは、という指摘はご遠慮願いたい。
彼女だって内心薄らと分かっているのである。
『……どうもっ、妹の水桶了華ですっ』
『ど、どうも……優希之渚です。……えっと、お兄さんとは塾が一緒で――』
『知っています。……勘違いしないでくださいっ』
『……え?』
『兄さんは誰にも優しいので。ちょっとよくされたぐらいで調子に乗らないでくださいね。私、貴女のコトなんて絶対認めませんから!』
『えぇ……?』
『こらこら、初対面でなんてこと言うの了華。優希之さん困ってるから……』
『困ってしまえばいいんですぅ、こんな人ぉ! 私のっ、私の兄さんですから……っ』
『どうどう、落ち着いて。よしよーし。可愛い了華ちゃん落ち着けー』
『――――ふにゃぁ……』
〝なんだろうこの何とも言えない微妙な感情……〟
以上が渚と了華のファーストコンタクトだった。
第一印象が最悪どころの話ではない。
下手するとトラウマになるレベルで酷い有様。
そんな相手の話を聞いて憂鬱になるなというほうが無理な話だろう。
例えそれが彼の大事で大切で最愛の妹だとしてもだ。
「……水桶くんはさ……」
「? うん」
「もうちょっと、妹離れしたほうが良いんじゃない……?」
「えー、でも了華、長期休暇でしか帰ってこないし。たまにしか会えないから、とことん付き合ってあげたほうが良くない?」
「…………限度があると思うな、私は……」
そうやってしみじみと語る渚だが、
最愛の弟をでろんでろんに甘やかし、愛してるの
震えるほど抱き締めるどころか抱き潰し
渚に彼の兄弟愛を指摘できるようなところなど更々なかった。
一度冷静になって
「それに了華だって優希之さんの人となりを知れば仲良くなれると思う。普段は凄い良い子なんだよ? 可愛いし、天使だし」
「……また言ってる……」
「世界でたったひとりの兄妹は超絶可愛いんだよ、優希之さん」
「それは……、」
すっきりしない気分だが、そこに関しては渚も頷けなくはない。
世界で唯一無二の姉弟は可愛い、然りだ。
いまは亡き
一挙手一投足頭の天辺から足の爪先までオールパーフェクト。
キュートでクールでナイスの化身、ついでに絵の
……たったひとつ身体が弱いという欠点はあったが、それはそれ。
たかだかそんな問題で人の魅力も価値も変わらない、と。
「まあそれはともかく。新入生の代表挨拶、優希之さんなんだって? 凄いね」
「……好きでやるんじゃないけどね……成績、いちばん良かっただけだろうから」
「だからそれが凄いんだよ。……俺、今回は自信あったのになぁ」
「…………まあ、ずっと私のほうが合計は上だったし」
「なんか言ったー?」
「……ううん、なにも」
じとーっ、とした目を向けてくる肇の視線を躱しつつ、渚が歩を進める。
いつの間にか彼女を中心とした
人の流れだって道端で会話する男女に気を取られるコトもない。
その異様な変化に気付けたのは一体何人いたものか。
ふたりは何事もなかったように並んで校門へ向かっていく。
「……最近、優希之さんが俺のこと嫌いなんじゃないかと思って悲しくなるときがある」
「そんなことないって。ちゃんと好きだよ、水桶くん、の……こと…………」
と、言っている途中で恥ずかしくなったのか。
それとも自分がなにを言っているのかそこで自覚したのか。
ぼっ、と髪の毛が跳ね上がりそうなぐらい渚の顔が赤くなる。
(――い、いい、いま、いまなんて!? わたしいまなんて――――!?)
もう脳内は大
悲鳴じみたサイレンが頭の中をうるさく響き渡る。
会議を開こうにも重役たちは先の衝撃で全員洩れなく重傷。
瀕死の身体で召集にすら応じれない状態だ。
「おー……嬉しいけど、そうはっきり言われると気恥ずかしいね」
「っ、あ、えと! いまのはその、あのっ――だから!」
「大丈夫、大丈夫。俺も優希之さんのことは結構好きだよ」
「っ!!!!!!」
その、返しは、聞いて、ない。
「ぇ、ぁ……ぅ、ぁ、ぇぁっ……!?」
「なんだかんだで付き合い長いし。……あ、おはようございます」
「はい、おはよーう! 入学おめでとー! 隣の子も、おはよう!」
「っ、ぁ、お、おはようっ、ございます!」
「うん! 元気がよくて宜しいっ!」
からからと笑うのは校門前に立っている在校生の女子だった。
腕に「庶務」と書かれた腕章をつけているあたり、おそらく生徒会役員だろう。
朝の挨拶運動みたいな仕事なのか、彼女は通りがかる生徒――主に新入生――一人一人に明るく声をかけている。
お陰で初日の登校というのに堅苦しい空気がほぐれていた。
なるほど人選としてはこれ以上ない。
「……い、いきなり、好き……とか言わないでよ……っ」
「あはは、やっぱ恥ずかしいよね。ごめんごめん」
「っ――な、もっ……ひ、独り言も、聞かないで……!」
「この距離だから聞こえちゃうって」
くすくすと笑う肇に、渚が顔を真っ赤にしながら涙目で睨みつける。
……最悪だ。
よりにもよってその一言を聞かれたくなかった。
いまだけは彼が難聴にでもなってくれないかと渚は願う。
いまだけでいい。
普段の態度に難聴まで加わったら難易度がナイトメアなんてモンじゃないほど跳ね上がるので本当いまだけでいいから。
というかなんならこの十秒間の記憶をさっぱり消してほしいまである。
「ほら、照れてないでしっかりして。新入生代表さん」
「
「……直接会場に行けばいいんだっけ? 皆に付いて行ったらいいのかな」
「…………先ず、教室じゃないかな。ほら、そこ……昇降口のとこに、クラス分けの貼り紙してあるみたいだし……」
「なるほど」
胸中で手をぽんと叩くような返事をして、肇は真っ直ぐ道なりに進んでいく。
……と、
「……優希之さん?」
「――――…………、」
急に隣からの足音が止んで後ろを向く。
見れば渚はどこか複雑そうな面持ちで俯き加減。
目を伏せて自分の足下の少し先あたりを見詰めていた。
なんだろう、と小首をかしげながら肇が近付く。
「どうかしたの?」
「……あ、そ……その……」
「……?」
「ご、ごめんっ……よ、用事、思いだし、ちゃって……――さ、先、行ってて……っ」
「……ん、了解」
言いながら、さっと敷地内のいずこかへ消えていく渚の姿。
微かな葛藤はあるものの決断はハッキリしているらしい。
遠くなる後ろ姿は暗くはなく、少なくとも沈む感じはなかった。
ならばきっと、いつかみたいな心配は要らないだろう。
(まあ、優希之さんなりに都合はあるだろうし)
なにしろ本来のゲームであればたったひとりの
出会いはそれこそ各所に散らばっているように。
これから沢山の
そのあたりは今のところ肇に関係のない事情だ。
(寂しくなるけど、わざわざ首を突っ込むようなコトじゃないし。……うん、頑張れ優希之さん)
未来はたぶん明るいよー、と胸中で
他人の心配ばかりもしていられない。
彼だって正真正銘、経験の薄い高校生活一日目。
自分のコトでも気にかけるべき点はいっぱいあった。
名門校への進学は良くも悪くも忙しないのだ。
◇◆◇
――辿り着いた桜の木の下で、彼女はぼうっと校舎を眺める。
あたりは静かだ。
場所が場所だからだろう。
校門や昇降口と比べて周囲の喧噪は極端に少ない。
通りがかる生徒だって滅多に見ないほど。
それもそのはず。
まだまだ式の開始までは遠い朝の時間帯。
中庭にまで足を運ぶような物好きは殆どいなかった。
なにもかも分かっている彼女を除いて。
「――どうしたんだ? あんた」
ふと、耳をついたのは酷く透き通る声。
けれど違和感なく耳朶に馴染む不思議な震え。
変な予感と共に、ゆっくりと音のほうを振り返った。
「――――――」
「……?」
目を見開いて、その姿を視認する。
頭の中の
翳りと暗さはあったかどうか。
自分では他人から見た姿は分からない。
ただ、あまりにも慣れないその感覚に彼女は瞠目して。
そして――――ゆっくりと目を閉じた。
(……あぁ、そういうこと……)
胸中で細く息を吐く。
なるほどこれなら仕方ない。
呆れるぐらい正直な代物に思わず笑ってしまう。
だってそうだ。
こんなもの。
(……どうりで)
――心は穏やかだ。
ざわめきたつコトも、騒ぎ立てるコトもない。
理性の紐は簡単に緩んで本能が綻んでいる。
彼女のすべては極めて自然体。
ともすれば知らないと勘違いしてしまうほど暖かな手触りだった。
「……少し迷って。桜を見てたの」
「こんなときに? ……おかしなコトしてるんだな、あんた」
「…………、」
嫌悪の類いは一切湧かない。
そもそも初対面の相手に湧くはずもない。
だからこそ清々しくて駄目だ。
……ことごとく彼女の事情でしかないけれど。
「見たところ新入生だろ? 俺もなんだ。折角だし一緒に行こうぜ」
「……貴方はどうしてここに来たの?」
「偶々だ。先輩に知り合いが居てな、挨拶してきた帰りだよ」
「…………そう」
胸に覚えたのは微かで確かな不鮮明なもの。
心の跳ね方。
意識の飛び方。
感情のはじけ方。
なによりこの場における居心地そのもの。
「オレは海座貴三葉。あんたの名前は?」
「……優希之渚」
「優希之ね、了解。……ところで自分のクラス、分かるか?」
「…………ええ」
嫌いではないけれど。
悪くはないけれど。
不合格ではないけれど。
無理ではないけれど。
なんというか――――
「……よろしく、海座貴くん」
――――ちょっと、なにもかも足りない、なんて。
誰かと比べて、思ってしまったのだ。
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