30/本編前のエピローグ






 例えば、仲の良い女子の場合。



「お、貴様もお返しかー? 苦しゅうない、苦しゅうない!」

「待ってクッキー手作りじゃん!? 水桶すごぉ! 作り方おせーてー!」

「水桶ちゃんありがとー! あたし抹茶味超好きだし超食べる!」



 例えば、もっと仲の良い女子の場合。



「えっ、あ、ありが、とう――ッ、ございましたぁあぁ――!」

「容赦ないね、水桶くん……私、笑ってるけど心は泣いてるよ?」

「ぐぬぅっ……分かっては、分かってはいたけどっ……水桶ぇ……っ」



 例えば、未だにパネルを根に持つ彼女の場合。



「ありがとう……ありがとう……! この恵みは天からの供物としてきちんと崇め奉るから……っ!」

「いやいやちゃんと食べて。美味しくできたからね」

「肇くん……! ――ところでコレって他意とかない感じスか」

「? なにが?」

「おっけぇい! 未来は明るいぞ私! ふははは! ……あれなんか眼鏡が曇ってッ」

「??」



 例えば、いつも一緒に勉強していた優希之渚かのじょの場合。



「…………まあ、むしろ安心したかな……」

「え?」

「……うん。水桶くんは、そのままの水桶くんでいてね」

「? どういう……?」

「……純粋なのは美点だってコトだよ」

「なるほど」


 ふんふむ、なんて納得するちょろすぎな男子。


 それに渚はため息なんてこぼしながら、受け取ったクッキーを眺めてみる。


 家庭の事情で料理をするのは慣れている――と時々言っていたのは本当だったらしい。

 分量やら時間やらがシビアなお菓子作りにもかかわらずよく出来ていた。


 女子力どうのというのは置いておいて、現役男子中学生でこれなら十二分だ。


 きっと西中がっこうでもらったクラスメートも阿鼻叫喚だったろう。


「……他のみんな、喜んでくれた?」

「? そうだね、殆どは。泣かれたり抱きつかれたりしたのはびっくりしたけど。……そんなに嬉しかったのかな……?」

「……そうだと思うよ、うん」


 てか抱きつかれたんだ、と渚はジト目で肇を睨む。


 一体どういうシチュエーションなのかは……おおよそ想像できるとして。

 こう、なんだかもやもやっとする感覚はやっぱり消えてくれない。


(……まぁ? 水桶くんに知識求めてる時点で敵じゃないし?)


 ふいっとさりげなくそっぽを向きながら、鞄に肇お手製のクッキーを仕舞った。


 何かしらの意味を求めているのも、その答えに衝撃を受けるのもぜんぶ雑兵の仕種。

 彼のコトをまだまだ全然理解できていないド三流の考えだ。


 少しでも水桶肇だれかさん天然ポンコツ加減を知っていればすぐに分かる。


 彼はお返しにそうそう特別な意味など込めていない。

 ただ貰ったコトがありがたくて誠実な感謝を伝えたいだけ。


 そこを察せてもいないのなら、本気でなんてことはない相手である。


 そう――恋敵たり得ない、と。


(まぁまぁ? そういうの把握してるのって、たぶんそこまでいないだろうし……むしろ私ぐらいなもので――)


「あ、でも何人かには深い意味とかあるのって聞かれたんだよね。あれなんだろ」

「――考えないで。それたぶん、ろくでもないコトだから」

「そ、そうなの……?」

「うん。――うん」

「二回も頷くほど……?」


 いた。


 いてしまった。


 彼の思考を読んでダメージを抑えた同士ライバルがすでに存在していた。


 ホワイトデーのお返しで撃沈した雑魚とは違う本気の手合い。


 これは強い、きっと一筋縄ではいかないだろう。

 なにせ度重なる天然クソボケの嵐に揉まれた戦士だ。


 渚も相当なものになったと自覚しているが、同校のアドバンテージは計り知れない。




 ……なお、距離感的にもその脅威が最大級に振りまかれているのは自分などと冷静さを失った彼女には気付けなかった。


 優希之渚は俄然突き抜けるようにトップ。

 アドバンテージもクソもないのである。


「――……それにしても、三日後だね……私たちの、合格発表」

「うん、いよいよだ。ほんと、ここまで長かったなあ……」

「……もう受かったつもり……?」

「自信あるよ。全部解けたし! ……あ、ごめんやっぱないかも……」

「……情緒不安定じゃん……」

「不安なものは不安だって。よくできた、とはたしかに思ってるんだけどね……」


 その気持ちは渚も分からないでもなかった。


 いくら手応えがあって確信があっても、結果が出るまではあやふやなもの。

 合格しているかどうかは実際に見てみるまで確証なんてない。


 シュレディンガーの猫ならぬシュレディンガーの合否判定だ。


 それだと純粋に意味が変わるのでは、とかいうツッコミはなしの方向で。


「受かってるなら間違いなく優希之さん以上だよ、今回は」

「……ふーん……そんなに良かったんだ……」

「当然。俺がどれだけ勉強してきたか知らないの?」

「……何度も言うけど、それ、私が一番分かってるんだよ」

「ふふっ、何度聞いても嬉しいんだよ」


 小さく微笑む彼の笑顔にやられて、渚は頬を染めながら視線を逸らした。


 彼女自身どうにも最近気付いたコトではあるが。

 前世のときからわりとその傾向があったように、自分はふわっという笑い方が大の弱点らしい。


 いまだってそうだ。


 彼の表情を見た渚はこれ以上ないほど熱で茹だっている。


「嬉しいこと言ってくれたついでに、はい。手、出して」

「……なに、それ?」

「いいから。追加でお礼っ」

「………………、」


 変なモノなら即行で投げ捨てよう、とアレな覚悟を決めながら手を差し出す。


 きゅっと握り込まれた肇の拳は中身を見せないまま移動。

 そのまま渚の手のひらの上で停止して、ゆっくりと降下していった。


 ……くすぐったいような、こそばゆいような。


 開けた手に彼の指先が掠める感触がなんとも言い難い。

 頬が緩まなかったのと身をよじらせなかったのは最低限の意地だ。


 ゆっくりと解かれた手から、ついぞその品物を受け取る。


 ……見れば、それは。


飴玉キャンディー……?」

「ホワイトデーだからね。チョコが有名だけど、それも良いんでしょ?」

「え、まあ……うん、そう……だけど……、」

「優希之さんからも貰ってたし。付き合いも人一倍濃いんだから、色を付けるって意味でもね」

「…………そ、れって」


「正真正銘、優希之さんだけ。サービス、みたいな?」


「――――――っ」


 ぴーす、と二本指たてる彼はきっと本当の意味など知りもしない。

 知っていればきっとこんな真似はしてくれない。


 それは少し複雑なコトだけれど。


 ……でも、今だけはちょっとだけ喜ばしい無知だった。


 包装紙に赤い色の果実がプリントされた市販の飴玉。

 奇しくも林檎味というのがなんともいえない。


 もしもそうなら、本当、どれだけ良かったことかと。


「……あり、がとう。水桶、くん……」

「いえいえ。いっぱいお世話になったんだし、このぐらいはぜんぜん」


 素敵な意図など微塵もないただの贈り物。

 そこに価値を求めるのは先の通り雑兵のごとき愚かさだ。


 渚は違う。


 彼女はきちんと、このお返しに深い事情なんてないと分かっている。


 分かっているのだが――――


「………………っ」


 これが優希之渚だけの特別なのだと、同時に理解もしていて。


 だからこれは違う。

 どこの誰とも知らない人と同じ過ちではない。


 ちゃんと意図を把握した上での、自分にのみ贈られたモノに対する想いだ。


 勘違いなんかじゃ絶対にない、彼の用意した唯一のお礼。


(…………ばか)


 胸中でぼそりと呟く。


 どこまでいっても敵わない。

 長いだけの人生経験がなければ即死だった。


 こんなコトをされて勘違いしない女子など、じぶん以外にいないだろう。

 まったくもって迷惑なコトだ。


 だから。


 ……そう、だから。


 こんなのは、私だけにしておいてくれれば良いのに――と。


(ばか、ばか、ばか)


 そんな、ちょっとどうかと思う独占欲が胸の中をぐるぐる渦巻いて。


(――――――ばかすき


 頬から熱が、引いてくれない。


ばかすきばかすきばかすきばかすき――――)


 わずかに指を握り込む。

 渡された飴玉を大切そうに両手で包む。


 胸につかえるトゲは沢山あった。

 思うところだってひとつやふたつじゃない。


 でも、だとしても、些細なコトでも。


 肇にとっての特別に自分がなっていたというのは、諸々の些事を吹き飛ばすぐらい酷く心臓を穿ったもので。


(――――水桶くんの、ばか)


 堪えきれないほど、胸の奥からすきが溢れてくる。


 ……ああ、どうしよう。


 彼の思っている以上に。

 彼女が自覚している以上に。


 わたしかれが、えらく大好きだ――――





 ◇◆◇





 家に帰って夕飯とお風呂を済ませると、渚は自室のクッションに腰を下ろした。


 部屋の中央に置かれた安物のガラステーブル。

 その上には本日午後、肇から手渡されたお菓子が乗っている。


 彼お手製のアイスボックスクッキーと、ついでに貰ったキャンディーだ。


「…………、」


 眺めて思わず顔をほころばせる。

 唇の隙間からはくすりとこぼすような笑い声。


 期待していたワケじゃないし、望んでいた答えともズレてはいたけど。


 それでもこうして貰えただけで悪い気はしなかった。

 むしろどちらかと言えば良いぐらい。


 とくに、彼なりのサービス、というあたりが。


(……ま、水桶くんだし……)


 偶然とはいえドンピシャを引いた時点で褒めてあげるべきだ。

 肇の気持ちがどうかは知らないけれど、渚にとってはこれ以上ない正解になる。


 本心が伴っていたらもっともっと最高だったろう。


 が、そこまで求めるのは何度も言うように理解不足な希望モノ

 いまのところはこのぐらいで勘弁してやる、と彼女はお菓子の包装を解いた。


(おー……ふーん? ……水桶くんのくせに、やるじゃん……)


 そっと取り出して軽く掲げてみる。


 中に入っていたのは抹茶とプレーンの二色で出来た市松模様のクッキーだ。


 袋の外からでも見えたとおり、市販品とまではいかないが出来は良い。

 少なくとも味が苦手とかでなければコレを渡されて嫌な気分にはならないだろう。


 ……そう、見た目は合格点。


 肝心なのは美味しいかどうかである。


(……いただきます)


 胸中でどこかの誰かさんに向かって呟きつつ、口に含む。




(……うん、これは美味し――――)




 い、と続くはずの言葉が頭の中からフッと消えた。


 電池がなくなったのとはまた違う。

 急にコンセントを抜かれたような思考の遮断。


 ――衝撃は遅れるよう脳髄の奥底に。


「――――――……、」


 呆然とただ顎を動かす。


 気付けば部屋のカーペットに、ぱたた、と数滴の雫が落ちていった。


「………………っ」


 震える頭。

 悲鳴をあげる心の音。


 古い記憶が金切り声をあげて急激に上がってくる。


 ……不思議だ。


 なんて、涙が、止まらない。


「……っ、…………っ! ――――!!」


 食べ始めた分を噛み締めるように嚥下して、渚は跳ねるように立ち上がった。


 ベッドに転がる携帯を引っ掴んで、勢いのままトークアプリを開く。


 冷静な思考など微塵もない気持ちのままの衝動。

 メッセージの返信すら思い悩む躊躇も戸惑いもいまはどこかへ行ったらしい。


 どうでもいい、なんだっていい。


 いまはただ、すぐにでも彼と話さなくてはいけない気がした。


 発信ボタンを押す。

 耳が潰れるぐらいに携帯を顔の横へ当てる。


「…………っ、…………――」


 一コール目。


 ニコール目。


 三コール目――の途中で、ぽつ、と切り替わる音を聞く。


 電話は無事に繋がった。


『もしもし、優希之さん?』

「――――っ、ぁ……う……っ」

『……? 優希之さん? あれ、おーい……?』

「…………っ、ふ、ぅ……っ……!」


 どうしよう。


 声が、上手く出ない。


『……優希之さーん?』

「っ、ぃ……み、――み、みな、みなぉけ、く……っ」

『――どうしたの』


 震える声で感じ取るものがあったのか、肇の声からスッと穏やかさが消えた。


 今まで話していて一度もなかったぐらい冷たい声音が耳朶に響いていく。


 心配してくれたのだろう。

 無理もない。


 普段はメッセージのやり取りすら滅多にしない相手から急に通話がかかってきて、さらにその相手が電話口で泣いているとくればもうビンゴだ。


 なにかに巻き込まれているか怖い思いをしているかぐらいしかない。


『いまどこ? 大丈夫? どういう状況? 落ち着いて、すぐに――』

「ち、ちがっ……ちが、くて……っ、わ、わた、しっ……私……っ」

『…………どう、したの』


 打って変わって、今度は電波の中でも暖かさを感じるほど優しい声だった。


「――――っ、ぅ、あ……っ、ぁあ……っ」

『……大丈夫。落ち着いて、優希之さん。ゆっくりで、良いから』

「わ、たし……っ、こ、れ……、この……――――っ」

『…………うん』

「この……っ、ぁ、ぁあ、あじっ、あじ、がっ……なん、か」


 ありえない。


 嘘みたいだ。


 涙が止まらない。


 まったくもって酷すぎる。


 彼のあずかり知らない事情で、彼の分かるはずもない理由で泣いている。


「なんかぁ……っ、ぁ、ぅ、っ……――――っ」

『うん、うん……大丈夫』


 こんなのはただの一人芝居。

 相手が本当にいないのも含めて救いようがない。


 肇はワケも分からないだろう。

 なにもかもが意味不明のコトだろう。


 それでも優しく相づちを打って、柔らかな言葉をかけてくれる。


 あまりにも惨めで、情けなくて。酷いもので。

 申し訳ない、ばかり。


「ご、めん……っ、ごめん、急にっ……こん、こんな……っ」

『いいから。気にしないで。俺もちょうど暇してたんだ』

「――っ、ごめん……! ごめんっ、ごめん、ね……っ、みなおけ、くん……っ」

『……謝らないで。大丈夫だから。全然良いから、ね?』

「――――……っ」


 ――――彩斗カレだ。


 彩斗カレの味だ。


 間違いない。

 間違えるはずなど断じてない。


 この陽嫁ワタシが、それを誤るコトなど絶対にありはしない。


 ……でも、違う。


 コレをつくったのはかれで。


 沢山愛情を注いで、いっぱい好きになって、消えていった彩斗カレじゃなくて。

 いまの自分を支えてくれた、胸に秘めるモノを抱えこんだカレであって。


「ふ、ぅ……っ、ぇぅ……っ」

『……大丈夫、大丈夫』


 別人なのだと、渚は分かっている。


 たまたま似通っている部分があるだけで、致命的に異なっているところだってある。


 彼は絵がそこまで上手くないと言った。

 /弟なら違う。


 彼はたまにしか絵を描かないと言った。

 /弟なら違う。


 それを裏付けるように指はまだまだ綺麗だった。

 /弟なら違う。


 もしも彩斗おとうとならそんなコトはない。

 だから別人なのだと、頭では分かっているのに。


「――――っぅ、――――……ぅぁ……っ」


 こんなのは、重ねるなというほうが。

 思い出すなというほうが、到底無理な話だった。


(あや、と――――……っ)


 ……たまに調子が良いと、弟は彼女を真似て料理するコトがあった。

 普通のおかずから少し難しいお菓子類まで。


 最初は失敗ばかりだったものの、数をこなすうちに着々と腕をあげていって。


 病人に包丁を持たせるのが怖くて何度も止めたけれど、結局目を盗んでなにかとつくっていたものだ。


 クッキーだってそのうちのひとつに入る。

 とても味が似通った、抹茶とプレーンのクッキーが。


 ……あの頃は市松模様じゃなくて、渦巻き模様だったけれど。


「――あ、あり、がと……っ、ご、めん……っ」

『だから――……、……良いんだよ、うん。ぜんぜん』

「……っ、あり、がと……ありがと……ありがと、水桶、くん――――」

『…………うん』


 それから十分間。


 渚が泣き止むまで、彼は律儀に相づちを打ち続けた。

 本気で感謝しかない話である。


 こんなのでは彼女はもう一生肇に足を向けて寝られない。




 ……そしてついでに。


 翌日の渚が顔も向けられなかったのは、まあ、言うまでも無いコトだった。








 ◇◆◇







 ――そして、運命の日はやって来た。


 色々あったホワイトデーから三日後。


 三月十七日。


 星辰奏学園の敷地内、昇降口の前には大勢の人が詰めかけている。

 一般入試と推薦入試……学校指定のものと、特別推薦と呼ばれるもの……を含めた合格者の発表がされる瞬間だ。


 見ればチラホラと試験会場で見かけた顔も窺えた。


「……人、多いね……」

「そりゃあ……有名校だし。……というか水桶くん引率の先生は……?」

「知り合いがいるので一緒に見てきます、って言ったらちょっと離れたところに行っちゃった。人ごみ嫌いなんだって」

「えぇ……」


 教員としてそれはどうなのか、と思った渚だがこちらもこちらで微妙に離れていた。

 どころか、先ほど……肇と合流してから五歩ほど下がった位置で微笑ましいもの見るような笑顔を向けてくる。


 一体なんだというのか。


 一年間を共にした担任の女性教諭の意図が今日だけは掴めない。


「――――あ、きた」

「っ」


 と、不意に周囲がざわめき出した。

 視線を向けると昇降口からは数人の教師が出てきている。


 一緒に運ばれているのは紛れもない掲示用のパネル。


 それが期待に胸を弾ませる……あるいは動悸に気分を悪くする……受験者の前にズラズラと並んでいく。


「……うわ、今更になって緊張……」

「…………、」


 県立星辰奏学園、合格者一覧。


 そのヴェールがいま。


 幕を切って落とすように。




「――――っ」






 ……どっと沸いたのは、まず周囲の反応から。


「ぃよっしゃぁあああ――ッ!!」

「やった! やった! あったぁ!!」

「あーやべ! 最高っ、母さん父さんっ、ありがとう!!」

「七十二番、七十二番……! っし……!」

「いやあ安心安心。ほっとひと息だわマジで……」


 歓声に埋もれるあたりの空気。


 テンションの差だろう。

 耳に聞こえてくるのは揃って成功者たちの声だ。


 惜しくも届かなかった敗者は影に沈むよう退いていく。


(えっと、私は……あった、七十五番……)


「こっちは大丈夫だったみたい。……ねぇ、水桶くんは――――」


 瞬間。

 こう、ざわっと。


 生まれてこの方、生きていて一番、人生ではじめて。

 渚は文字通り生命の危機じみたものを感じ取った。


 理由は分からない。


 だが、この場にいては大変なコトになると本能が必死に告げていて――



「――――――、や」

「…………や?」



 ざり、と一歩後退る。


 しかしその判断はもはや遅かった。




「やったぁあぁあ――――――――――ッ!!」


「きゃぁあぁあぁああぁああぁ――――っ!?」




 ふたり同時に発された絶叫が重なって轟いていく。


 肇はこの目で確認した己の番号に歓喜して。

 渚は隣でハイになった彼に思いっきり抱き締められて。


 ぐるんぐるんと空中で振り回されながら、わたわたと慌てふためく。


 美少女、少し早い春の大回転祭りだった。


「あははっ、あった! あったよ優希之さん! ちゃんと受かってた!」

「そっ、そそ、そう、みたい、だねっ!?」

「あはは! あははははっ! やったーっ! よかったぁーっ!」

「――っ、わ、わか、わかった! わかったから! ちょっと、下ろ、下ろし――」


 喜ぶ彼とは打って変わって彼女の心境はもう大混乱真っ最中。

 まるで小さい子供にやるみたいに抱え上げられてふわりと回る姿はとんでもない。


 いや本気でとんでもない代物だ。


 羞恥で顔から火どころか太陽が昇るんじゃないかという赤面っぷり。

 よもや手で覆ってしまいたくなるほどに熱を帯びている。


 これを冷静に止めてくれる相手がいれば良いのだが、頼みの綱の担任教師はなにやらカメラを構えたシャッターチャンスを狙う始末。


 終わりだ、と渚は内心絶望した。

 こんなのはもう、処刑となんら変わらない。


「――――下ろしてぇ……っ」

「あはは! あはははっ! あーもう最高! 生きてて良かったー!」

「お願い……! ――して……! お願いぃ……!」

「合格だよ、合格! 優希之さんも、俺も! あはは! よし! よぉっし!」


(頼むから誰かいますぐに私をコロしてぇ……っ!)


 大騒ぎの中ふたりの声が溶けていく。


 ――ともあれ。


 なんにせよ無事入学は決定。

 これにて彼らはまだ見ぬ未来への片道切符を手に入れるコトとなった。


 後戻りはもうできない。


 これより先は記されていない過去の記録ではなく。

 どこかに記憶された、いつかにあるべき筈の物語。


 本編前かいそうはこのように。


 ついぞ現実シナリオは、乙女ゲームの舞台へと突入するとき――











「――これからもよろしくね、優希之さんっ!」

……っ、…………っ!良いようにやられながらも反撃できない





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