20/とてもつらい、くるしい、たえられないので





 予想外だった闖入者との遭遇からおよそ一時間後。

 ある程度人の流れも落ち着いてきたところで、渚に実行委員の女子から声がかかった。


「優希之さーん、次の班と交代だからもうあがっていいよー!」

「……うん、わかった」


 回収した食器を引き継ぎに来たクラスメートに渡して、そのまま近くの空き教室へ。

 いつもは使わないそこは臨時で使用申請を出していた着替え用のスペースだ。


 メイド喫茶というコトもあって出入りするのは基本的に女子だけ。

 当然ながら内側から鍵がかけられるようになっている。


 念のため、軽くノックをして反応を待つ。


「誰ー?」

「……優希之、です」

「えっ、渚ちゃん!?」

「いま大丈夫だよー」

「どーぞどーぞ! 入ってー!」

「? し、失礼します……」


 妙な返事に首をかしげながら、ゆっくり扉をスライドしていく。


 室内は着替えの覗き対策でカーテンが全部閉めきられていた。

 外からの光は殆ど入ってこないような状態。


 代わりと言ってはなんだが、電灯は全部つけられている。


「ウチら今着替え終わったところだから、気にしないでねー」

「……うん、ありがと……」


「あ、いちおう鍵しといて! 誰が間違えてあけるか分かんないから!」

「……そうだね、ごめん。今しておく」


「まあ外に貼り紙してあるから大丈夫とは思うけど。馬鹿な男子連中でもない限り」

「……あはは……たしかに、だね……」


 短く答えながら、自分の鞄類を置いた机まで歩いていく。


 メイド服はあくまで接客用の格好に過ぎない。

 人数分ではなく、数着限られたものを全員で使い回していく形になる。


 着たままどこかへ出歩くのはNGだ。


 まあ尤も、これを着て余所へ向かうなんて渚は出来てもしたくはないのだが。


「――――ねぇねぇ、優希之さんっ」

「ん、なに……?」


 しゅるしゅると衣装を脱ぎながら返答する渚。


 声に抑揚がないのはわりといつものコトだ。

 そのぐらいは話しかけた彼女たちですら分かっている。


 ただ、そんな渚を見慣れているからこそ誰もが興味津々で。


「さっき話してたのが優希之さんの彼氏って本当!?」

「っ!?」


 がここん! と音を立てて揺れる机や椅子。


 それまで不変を保っていた表情はその一言で瓦解した。

 目を見開いてビシッと固まったかと思えば、見る見るうちに顔が赤くなっていく。


 ニヤリ、と女子たちの口元が歪んだのは錯覚ではない。


 ある程度親しくなければいつだって低く静かに、どこか怖いぐらい冷め切った態度がデフォルトになっている雪の優希之女王様。


 そんな渚がここまで取り乱すのはなんとも珍しい。

 クラスメートでわりと打ち解けているほうに入る彼女たちからしてもだ。


「あっ、そ、その、だから、ち、違って……っ」

「じゃあじゃあどういう関係!?」

「お、同じ塾……で、勉強とか、教え合ったり……してて……」

「あー、塾仲間。じゃあ優希之さん的にそういう感じではないみたいな?」

「そっ、それ、は……――――」


 と、考え込んでいた表情が二秒と待たずぼっと熱に溶ける。


「えっ、まさか!?」

「っ、や、あのっ、そ、そそそんな……っ」

「うそうそー! やっぱりそういうこと!?」

「だっ、まっ、わ、私は、あの、えっと」

「そっかー、渚ちゃんはああいう人が趣味なのかー。草食系? 意外だねー」


 わたわたと手を振って焦る女王様をニヤニヤと見守る女性陣。


 咄嗟に掴んだシャツで渚が顔を隠そうとするが、当然全部が隠せるワケもなく。


 彼女特有の冷たい空気なんて最早残り香すらない。

 とっくのとうに飛び去ってしまっている。


 そこにあるのは飾り気もなにもない、ただの女の子じみたいじらしさだ。


「い、いや、その、趣味……とかじゃ、なくて……」

「うんうん」


「……い、一緒にいて、あの、よ、良かった、から……っ」


「きゃーっ! あの優希之さんが!」

「渚ちゃんにここまで言わせるとはやるな、あの男子!」

「あはは。あんまりからかうのもやめなー? 優希之さんのラヴは伝わってきたけど!」


「――――――っ」


 口に出すと余計に恥ずかしくなって、急ぎ制服へと着替えていく。


 これ以上は耐えきれない。


 この場の空気に馴染めないとか。

 彼女らの質問攻めが嫌だとかではなく。


 次にこの唇が反射的になにかを口走ったとき、たぶん心臓が耐えられない。


 もう無理、限界である、瀕死も重傷。


 身体が伝えるのは紛うことなき体調不良のサインだ。

 顔は熱い、心臓の鼓動は早い、血液は脈打っている、なにより頭は混乱の渦である。


「……じゃ、じゃあ私、行くからっ」


「あ、待って待って優希之さん!」

「もうちょっと話聞かせて! 出会いとか経緯とか詳しく!」

「そこまでー……と言いたいけど、こういう優希之さんは貴重だからね、あと少しだけ!」


「ご、ごめんなさいっ」


 勢いよく扉を開けて外へ出る。


 全員着替え終わっているので配慮する必要はない。

 頬に帯びた熱も冷めやらないうちに渚は一歩踏み出した。


 そのまま早足で廊下を進んでいく。


 なにはともあれクラスの出し物における役目も終え、晴れて自由行動の身だ。

 とりあえずは落ち着いてこの気分をどうにかしようと――


「あ、優希之さんさっきぶり」

「はぅぇっ!?」


 びくぅーん! と過去イチトンデモな反応で飛び上がる渚。


 たぶん尻尾か何かがあれば見事なぐらいピンと立っただろう。

 が、生憎ただの人間である彼女にできたことは足を止めて気を付けするぐらいだった。


 どこか遠く、後方から「きゃーっ!」なんて聞こえてくる。

 いや、むしろ隣の空間きょうしつからも同じように。


 話しかけた男子はそんな騒ぎを前に謎のニコニコ顔。

 大方その胸中は賑やかでいいな、ぐらいの気持ちであるのを渚は察した。


「接客は終わったの?」

「ぇ、あ、う、うん。いま、終わった……」

「そっか。……ね、このあと用事ある?」

「……と、特には……ない、けど……」

「じゃあ一緒に回らない? 俺北中ここのコトよく知らないから、色々教えてほしいなって思って」

「――――――っ」


 一段とボリュームを増して四方八方から響き渡る「きゃあぁあーっ!!」という黄色い歓声、あるいは絶叫みたいなもの。


 もう渚はいっそ蹲りたかった。


 この場で膝を抱え込んで静かにこの気持ちを落ち着けたい。

 一度ゆっくり休んで整理したい。


 けれど悲しいかな、嘆いても現状はなにも変わらないのである。


 ……無論、彼が悪いというワケではないのだ。


 むしろその申し出自体は非常に嬉しく思う。

 ここが教室の前ではなくどこか人通りの少ない廊下だったら素直に喜びを噛み締めているぐらいの自信が渚にはある。


 だが、だがしかし。


 彼がおそらく考え無しに誘ってきた場所は、偶然知り合いや友人の多いところだった。


 ならば仕方ない、それが運の尽き。

 もはや渚にある選択肢などひとつしかない。


《xsmall》「…………うん……」《/xsmall》

「いいの?」

《small》「うん…………っ」《/small》

「おー、よし。やった」


 そう言って、相も変わらず屈託のない表情で肇が微笑む。


 きっと彼はそれに秘められた破壊力というものを知らないのだろう。

 羞恥に崩れかけていた渚の心はそんな笑顔ひとつで安くも簡単に立ち直ってしまう。


 ……本当単純で馬鹿らしい。


 先に惚れたほうが負けというなら彼女はもう挽回のしようもない敗北者だ。


 ちょっと自分でもどうかと思うぐらい、肇の笑った顔が特効薬になっている。


「……っ、ほ、ほら、行こ、み、水桶くんっ」

「ん? ……ふふっ、そんな急がなくても」

「み、みんな見てるから……っ」

「そうなの? ……あっ、自己紹介とかしたほうがいい?」

「い、いいっ、やらなくていいからっ!」


 咄嗟に彼の手を掴んでそのまま引っ張っていく。

 瞬間的に行った自らの大胆さなど今は振り返る余裕もない。


 耳まで真っ赤にしながら、俯き加減で渚はずんずんとその場を離れた。


 繋いだ手の感触に気付くのはそれから十分後。


 ようやく辿り着いた人気のない廊下で、雷に打たれたみたいに跳ねながらのコトだ。


 唯一の目撃者であるかれは後に語る。

 そのときの渚の叫び声は、まるで猫みたいな響きだった――などと。


 真相はもちろん当人にしか分からない。





 ◇◆◇





 しばらくして渚が落ち着いたあと、ふたりは先の約束通り文化祭を回ることにした。


 校内の廊下を隣同士並びながら進んでいく。


 いちおうは比良元クラスメート指導のもと大勢で来た肇たちだが、リーダーがリーダーなのもあって着いてからはそれぞれ単独行動。

 今は全員別れて好き勝手に楽しんでいるらしい。


 現に彼の手にはそこらの出し物で買ったであろう焼き鳥が握られている。


「――それにしても」

「……? どう、したの……?」

「優希之さんって驚くと、こう、毎回かわいい声を出すよね」

「っ……かっ、なっ……」

「さっきのもそうだけど」

「そ、それは忘れてっ、お願いだから……!」


 やっとのことで引いてきた熱をぶり返しながら、渚はじろっと真横を歩く少年を睨む。


 顔が赤くなっているのはちょっと不意打ち気味だったからだ。


 勘違いしてはいけない。

 いまの〝かわいい〟はどちらかというと冗談半分、からかい交じりのほうで、率直に彼女を褒めたワケではない。


 他意なんてない、ないったらない。

 逆に肇の言動からしてあるだろうか。


 いや、ない。


「ごめんごめん。でもかわいいのは本当だよ」

「――――っ」


 ないったら、ないのだ。


 ……たぶん。


「制服に着替えちゃったのがもったいないぐらい」

「そ、そっちの記憶も消して……っ!」

「あはは……うん。あれだね。今日の優希之さんは一段とかわゆい」

「――っ、や、やめて、ほんとやめて……っ!」

「それこそ俺まで見られてるのかな、って視線を感じるぐらい。凄いね」

「き、気にしないで、別に、違うから。ぜんぜん……っ」


 わしゃっと横髪を梳くように引っ張りながら顔を隠す渚。

 耳を澄ませば「うぅー……」なんて唸り声が聞こえてきそうな形態である。


 言うなればキャパオーバー寸前の限界域。

 恥じらい百パーセントのマックス照れモードだ。


 それを心穏やかに見詰めながら焼き鳥を頬張る少年ポンコツは、純粋に知り合いが注目されているのを喜んでもいるのだろう。


(やっぱり有名人とか人気者みたいな感じなんだろうか、優希之さん)


 塾でよく一緒になり、さらに関わりも多いから忘れそうになるが、渚の容姿は極めて整っている。

 肇の学校でも類を見ないレベルの美少女だ。


 然もありなん、イケメンにも負けないレベルの可愛さを詰め込まれてデザインされた乙女ゲーヒロインはとにかく顔が良い。

 美人は三日で飽きるというが、彼としては未だ素直に素敵だと思える。


 わりと渚に対しての褒め言葉に嘘はない肇だった。


「な、なあ、アレ……」

「優希之先輩が……男と歩いてる……!」

「てかなんだ。めっちゃ、その、雰囲気がやわっこい!」

「へー……あの人、ああいう男子あいてがタイプだったんだ……」

「神は死んだ……っ、天使は堕ちたんだ……っ」

「天使っていう性格タチか……? いや綺麗ではあるけど」


(こういう騒がしい感じ、良いな。なんか……好きだな、うん)

(やめてやめてそれ以上なにも言わないでやめて黙ってお願い静かにして――――っ)


 両者の心は交わらないまま、けれど進行方向は同じく。


 ざわざわと声の飛び交う校舎のなかをふたり歩いて抜けていく。


 その際、下を向いていた渚が誰ともぶつからなかったのは、やっぱり誰かさんの所為おかげなのだろう。

 彼の隣にピッタリとくっついておけばとりあえず安全だ。


 それを無意識のうちにやっている時点で彼女も彼女なのだが、当人たちが気付いていないコトをとやかく言ってもしょうがない。


「あ、中庭にもあるんだ、出し物。……アイス? 時期的に……ギリギリ、あり……?」

「――――――……、」


 ひっそりと、細く長い息を吐き出しながら渚は顔をあげた。


 十分、十五分も歩いていればちょっとはメンタルも回復してくる。


 羞恥に染まっていた顔の色も今や既にいつも通り。

 ほんのちょっぴり頬っぺがまだ赤いかな、というぐらいで不調はない。


「…………、」

「でもな……いまアイスは……うーん……?」


 なにやら窓の外から覗いた光景に頭を悩ませる肇。

 その顔をちょうど窺うように見ていると、彼がもぐもぐと焼き鳥を頬張った。


 帰宅部だが体育祭で見せたように運動自体は嫌いじゃない彼のこと。

 おそらく食欲は男子中学生らしくそれなりにあるのだろう。


 ――と。


「……あ、優希之さんも食べる? 焼き鳥」

「えっ」


 こてん、と首をかしげるように肇が問いかけてくる。

 それを聞いた渚は一瞬、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして。


「……っ!? あ、ぇ、えと……っ、そ、っ!?」

「? うん、


 不思議そうな顔で肯定する天然男子。

 その手には件の焼き鳥が――厳密に言うなら彼が先ほど口にして、食い止しとなった串が――握られている。


(……ど、どう、なん、こ、こここれ、は、なに!? なんの試練――!?)


 彼から放たれたあやしい誘いひかりに渚は混乱こんらんした。

 ピヨピヨと頭の周りを得体の知れないひよこが飛んでいる幻覚まで見える。


 ――冷静に、落ち着いて考えよう。


 これは一体なんなのだろうか。


 彼は渚の視線に気付いて食べますかと訊いてきた。

 問題はその手にあったのが今、つい先ほど肇がかぶりついたものであったということ。


 つまりそれは、その、なんとも口にしがたい、とんでもなく恥ずかしい、間違いなく距離感が近い者とを許容できる人同士の間柄でしか起こらないコトで。


 だから、えっと、なんというか、彼と渚の、あの、それがあれして、あれがこうで――


「……遠慮しなくていいよ?」

「えっ、あっ、と……み、水桶くんはいい、の……!?」

「? うん。別に、このぐらい」

「っ!?」


(こ、このぐらい!? このぐらいって、どのぐらいか分かって――!?)


 優希之渚、二度目の混乱である。

 空中を飛ぶひよこの幻覚はまだ晴れない。


 このぐらい。


 食べかけこのぐらいおさそいこのぐらい間接キスこのぐらい


 それはモノを測る定義としてどうなんだと言いたくなる単語だった。


 このぐらいもなにもない。

 こんなのはあんまりだ。


 なんだかゲシュタルト崩壊まで起きかけている気がする。



「――――――…………っ、じゃ、じゃあ……っ」



 ぎゅっとスカートの端を掴みながら返事をこぼす。

 なんだかワケも分からないが、貰えるものは……そう、貰っておいたほうが良い気がする……、ので、はい。


 別に、それ以上も以下もない、と。


「そう。なら、はい。どうぞ」


 言って、彼はもう片方の手に持つプラ容器を差し出した。

 当然、中にはまだ誰も手を付けてない焼き鳥が入っている。


 少女はパチパチとしばし瞬きを繰り返して、ひと息。



「…………あッ!!」



 ――渚の、混乱が、解けた!


「……あ?」

「あ、あり! ありがとう、ね! 水桶くん! す、凄い、嬉しいっ!!」

「……そう、そんなに? もしかして焼き鳥好きなの? 優希之さん」

「う、うん! 好き、だよ! すっごい好き! うん! うん!!」

「ふふっ……なら良かった。まだあるから、いっぱい食べていいよ」

「あ、あははっ、あははは――――」


(――――うぁあ……っ、やだもぉ……やだぁ……!)


 顔は笑っていても心は泣いている。


 それはそう。


 普通に考えれば、常識に則って判断すれば、変に捉えなければ。

 冷静に落ち着いてみれば、彼が食べかけのモノを渡してくるなんて先ずありえない。


 当然も当然の流れだった。


 渚はもう静かに眠りたい。

 なんならこのままどこかへ消え去りたい気分。


「美味しいよね、文化祭の出し物なのに」

「そっ、そそ、そう、だね!!」


 誤魔化すように笑いながら、やけになって串にかじりついた。


 たしかに美味しい。

 たぶんそこらで買ってきた市販品の味だろうけど、雰囲気的に美味しく感じる。


 ……あとはまあ、一緒のモノを食べているから、こう、余計に。


「――――…………っ」


 ああ、間違いなく。

 今日は彼女にとって厄日か、天誅殺である。



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