35 RE:降臨

 夜が明けてから。


 そう約束したけど、なにしろ呼ぶ相手が大物過ぎる。いつ、どこで呼んでいいか、モリ爺に確認することにした。


「ねえ、モリス。今日の午前と午後だったら、どっちがいいと思う?」


 朝食の後、周囲にはまだ人が何人もいた。だから、思いっきり歯に衣着せまくって問いかけたら、モリ爺はすぐに察してくれた。目配せひとつで速やかに人払いが完了だ。


「リオン様。ご用件をお伺いいたします」


「あのね。水精王様を呼び出したいんだ。それも、早ければ早いほどいい。今日中って可能かな? ……召喚するって約束しちゃったから」


「そういった重要な案件は、できればお約束をする前にご相談いただけるとありがたく存じます」


「そうだよね。次からは気を付ける。面倒をかけるけどよろしくね」


「承知しました。周知や警備の手配にしばらく時間を要します。本日の午後はいかがでしょうか?」


「わかった。午後ね」


 §


 午後になり、空中庭園にやってきた。


 夏の間はちょくちょく遊んだ場所だけど、寒くなってからは初めて来た。常緑の植物が多いのか、すっかり枯れ果てているなんてことはなかったけど、やはり夏場よりは寂しげな景観に見える。


 でも、修復された水盤の周囲だけは明らかに印象が違った。

 修復時に植えた星花が根付いて豊かに葉が生い茂り、小さな白い蕾が鈴なりについていたからだ。


 もうこの場所にはグラシエスはいない。だけど、ヒューゴ卿の愛の言葉を刻んだ銀板が、水盤の中央に記念碑として輝いている。


「じゃあ、呼ぶね。水精王様との話し合いには、少し時間がかかるかもしれない。その間は、この辺りで待機していて欲しい」


 緊張と期待を隠しきれていない周囲の人たちに声をかけた。今この空中庭園にいるのは、大人はモリ爺とモリス家当主のネイサンに各所で配置につく護衛騎士が複数名。


 そして、俺以外に子供が二人。ジャスパーとルイスだ。


 この二人は将来の文武の側近候補なので、いずれどんな状況にも対応できるようにと見学を許された。英才教育的な感じなのかも。


 水盤から少し離れたところをみんなの待機場所に指定して、俺一人が水盤の前に進み出た。


 召喚場所については、ルーカスさんと午前中に打ち合わせ済みだ。

 その際に、前回の降臨ほど大胆でなく、できる限り地味に、目立たないように出てきて欲しいとお願いしてある。


 さて、いきますか。両手に小さな緑色の蝙蝠を抱えたまま、召喚の言葉を紡ぎ始めた。


「我、汝と盟約を結ぶ者なり。水界を統べる精霊よ。清明なる千万無量の王よ」


 最初の呼びかけの段階で、精霊紋から眩い銀光が吹き上がった。俺を中心として急速に水属性の精霊力が満ち始める。


「我が呼び声に応え降臨せよ! 【精霊召喚】リクオル!」


 水精王の名前を発すると、水盤直上の空中に縦に長さ二メートルほどの亀裂が入った。

 亀裂は徐々に横に広がっていき、半端ない存在感がのしかかってくる。


 あの亀裂から出てくるのかな?


 そう思った直後、水盤の水がザンッ! と間欠泉のように高く吹き上がり、その状態を維持したまま視界が白く霞んでいく。


 霧?


 空中庭園がみるみる霧に沈んでいく。念のため後ろを振り返ると、警戒はしているが動揺や混乱は起きていないように見えた。


 モリ爺と専属護衛官のハワード、そしてジャスパーとルイスに目配せして、このまま話し合いに入ることを知らせておく。


 視線を前に戻したら、正面に霧を凝縮したような白い人影ができていた。

 真っ白な影はすぐに造形がはっきりしてきて、女性と分かる形になってから動きを止めた。


「やあ、本当に蝙蝠なんだね。それも危ういほど小さい」


「ルーカスさん、リクオルさん。顕現ありがとうございます。実際にご覧になってどうですか? レオさんで間違いないでしょうか?」


「うん。姿は様変わりしているけど、この子はレオだ。記憶障害があるんだっけ? レオ、分かるかな? 君の父親とその精霊だよ」


「ち、ちちうえ。ちちうえ、ちちうえ! わ、わかる! レオ! そうだ、レオだ! なんでわすれてた?」


「おそらくそれは、レオとレオの精霊が相当な無茶をしたからだ。幽魂が損傷しているし、精霊力も枯渇しかけている」


 精霊力の枯渇? それって、レオさんの側に精霊がいないせい? あれ? でもレオさんは精霊化に失敗したって言ってたよね?


「レオさんが蝙蝠の姿なのはなぜですか?」


「大きな損傷を受けた幽魂を修復しようとして、近くにいた生き物の幽魂の器を利用した。それにより幽魂の崩壊は免れたが、その代わりに器の影響を大きく受けて蝙蝠の姿になってしまった――レオの様子から考えるに、そういった事態が起こったはずだ」


 蝙蝠の幽魂を利用した? つまり人の幽魂と蝙蝠のそれが混ざり合った状態だってこと?


「ルーカスさん、レオさんが冥廻人に狩られそうになったのは、魂が傷ついたからですか?」


「そうだね。おそらく今のレオは半分死んだような状態だ。既に人ではなく、肉体を失っていて、精霊にもなり切れていない。この状態を例えるなら精霊獣、あるいは風の精霊の影響を大いに受けているから風霊獣と呼ぶのが相応しいかもしれない」


「肝心の風の精霊はどこへ行ったのでしょう? 少なくともレオさんの近くにはいませんでした」


「それはレオに聞いてみるしかないね。精霊化に失敗したレオは、精霊から精霊力を分けてもらわないと『存在』を維持できない。現状は極めて不安定な状態だ。精霊力が枯渇しかけているせいで、蝙蝠の影響が強く出て幽魂自体が獣性に支配されそうになっている」


「じゃあ、精霊力を補充してあげれば、記憶が戻る可能性があるってことですか?」


「そうだね。ただこの子は風霊獣だから、水属性よりも風属性の精霊力が望ましい。だからリオン、君の精霊にお願いできるかな?」


「分かりました。頼んでみます。フェーン! こっちに来てくれる?」


 上空に向かって声をかけた。


 フェーンは空から俺の様子をジッと見ていたようで、呼びかけるとすぐに下りてきた。


「フェーン、俺とルーカスさんの話って聞こえてた?」


 ――キイテタ チカラ ソソグ イル


「そうなんだ。フェーン協力が必要なんだ。無理しない程度で構わないので、頼めるかな?」


 ――ワカッタ ヤッテミル


「面倒をかけてすまないね。僕からもお願いするよ。この子を、レオに力を貸して欲しい」


 ――レオ カゼ ノ ニオイ スル ダカラ ダイジョウブ


 フェーンが俺ごと蝙蝠を包み込むようにして、力を注入し始めた。精霊視で観察すると、蝙蝠がじわじわとパステルグリーンに染まっていく。


――コレデ オシマイ ウツワ チイサイ モウ イッパイ


「ありがとう、フェーン! 念のため、まだ上空で待機していてくれる?」


――ウン ワカッタ


 さて。どうだろう? これで少しは話が通じるようになったかな?


「レオ、どう? 自分を取り戻せた?」


 ルーカスさんがレオさんに話しかけた。数百年ぶりの親子の対話に耳を澄ます。


「……ち、父上! えっ、あれ? これってどういう状況ですか?」


「どうやら思い出したみたいだね。君は身も心も蝙蝠になりかけていたんだ。精霊力が枯渇しかけたせいで。君の精霊はどうしたの? あれだけ熱烈に求愛した子が、君を見捨ててどこかに行ってしまうとは思えないけど」


「あ! そ、そうだ、大変だ! 早く探しに行って、僕の精霊を取り戻さなきゃ!」


「取り戻す? レオさん、いったい何が起きたんですか?」


「えっと、君は? なんか見覚えがある気がする!? でも初対面だよね?」


「リオンといいます。ルーカスさんの子孫で、西の地であなたを見つけて、ルーカスさんに会わせるために、ここに連れてきました」


「そうなんだ。覚えていなくてゴメン」


「いえ。それより、レオさんの精霊について教えてください。あなたがいた場所に精霊はいなかった。どこに行ってしまったのか見当はつきますか?」


「僕の精霊は、フラトゥスは攫われてしまった。おかしな連中がやってきて、フラトゥスを無理矢理に連れ去ったんだ!」


 精霊を誘拐? いったい誰が? どうやって? そして、なんのために?

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