31 風穴
『バウゥゥ? バウワン!(起きたか? さっさと出かけよう!)』
「待宵、随分とやる気満々だけど、いつも外で何をしているの?」
待宵に西円環へ行こうとせっつかれた。
やけにソワソワしているそぶりが不思議で、待宵に目的を尋ねてみたところ、意外な返事が返ってきた。
『ババウバウ!(追いかけっこだ!)』
「追いかけっこって……えっ? いったい誰と? 塔の外に一緒に遊ぶような相手ができたの?」
そう聞いてはみたものの変な話だ。待宵は幽明界の住人で、人にはその姿が見えない。
待宵を認知して競争できるってことは、相手は人ならざる存在になってしまう。
魑魅魍魎の類? あるいは幽霊とか?
……気になる。単にぷらぷら散策していると思って放っておいたが、どんな相手か確認しておいた方がいいかも。
『バウッババゥバウッ! (今日こそ絶対に捕まえる!)』
待宵が言うには、とてもすばしっこくて空を飛んで逃げてしまうなにか……だそうだ。それだけしか分からなかった。まあ、行けば分かるか。
意気込む待宵と一緒に移動して、深夜の西円環門へ。
鍵章がある部屋を出て、常夜灯が灯る正面の待合スペースで立ち止まり、周囲を見回す。
クストスさんの姿はなく、辺りはシンとしていた。真夜中だから当然か。この時間ならきっと寝てるよね。
「待宵、今夜は俺も一緒に外に行くよ。追いかけっこの相手を見つけたら、すぐに教えてね。あと、俺を置き去りにしないように気を付けて」
『バウッ!(分かった!)』
「あっ! 正面じゃなくて、こっちから出よう。あと、いいと言うまで走らないで」
今にも飛び出しそうな待宵に声を掛けて引き留める。本当に分かっているのかなあ? ちょっと心配になる。
正面の両開きの扉は、東円環塔のとき同じく俺には通り抜けができなかった。だから、右側の食堂みたいな部屋の窓から外に出ることにした。
窓を塞ぐ木製の蓋をすり抜け、初めて見る西の大地に降り立つ。
「待宵。一旦止まって!」
外は意外なほどに明くて、茫漠と広がる景観に目が釘付けになった。
今夜は満月だったらしい。空高く煌々と輝く月が昇っている。
空を覆う紺青。薄暗闇の中に浮かび上がる赤みが強い大地。そのふたつに視界がほぼ二分されている。
遠景に連なるゴツゴツとした岩山。どこまでも赤く、塔の周辺を除けばまとまった緑は見当たらない。
岩石砂漠だ。足元の大地は、表面が捲れたようにひび割れていて、酷く乾いていることを表してしていた。
この辺りだけ木が生えていて、電信柱の先に羽根はたきをつけたような樹影が幾つも見えた。
傍に近寄ってみると、木々は首を折って見上げなければいけないくらい背が高い。木の天辺から、張りを失った大きな葉がだらんと垂れ下がり、葉の大部分が枯れ色をしていた。
ヤシの木の仲間かな? 形が似ている。
「お水……あげておこうか?」
クストスさんが食べていた乾果は、こういった木から収穫したのかも。そうでなくても、砂漠で貴重な緑地だ。焼け石に水かもしれないが、手の届く範囲だけでもと水を撒いてみた。
「待宵、お待たせ。じゃあ、案内してくれる? ついていけなくなるから、あまりスピードは出さないでね」
今日の探索は待宵任せだ。迷子になるのは嫌だから、予め釘を刺しておくことにした。
『ゥゥゥ……バウッ!(面倒だ……乗れ!)』
そう言って待宵が、俺の足元にきて背中を見せた。フサフサの鬣は魅力的だし、無理に騎乗できなくもないけど、サイズ的には厳しい。
「背中に乗るの? べったり張り付いて首にしがみつくことになるけどいい?」
『バウ? バウゥゥゥゥウッ!(なぬ? ではこれならどうだ!)』
「えっ!?」
目の前で待宵の身体が変化し始めた。スレンダーな四肢がニョキニョキと縦に伸びて、筋肉質でしなやかな身体は逞しくなり体高がどんどん高くなっていく。
「身体の大きさを変えられるの!? いいね、凄くカッコいい」
『バウゥバウ!(もっと褒めていいぞ!)』
なんか楽しくなってきたぞ。
いそいそと待宵の背中に乗って、そのスラリと伸びた首に腕を回した。フサフサ度が増した鬣に顔ボフッとが埋まる。……至福以外のなにものでもない。
体勢を安定させてすぐに、待宵が勢いよく走り始めた。まさか馬に騎乗する前にワンコ……じゃなくて
実体じゃないから風を感じることはないが、顔を横に向けるとかなりの速さで移動していることが分かる。
遠くに見えた岩山のシルエットが、あっという間に近くへ迫ってきた。そそり立つ巨岩を軽々と飛び越え、ゴツゴツとした岩肌を利用して岩山を駆け上がり、尾根伝いにさらに疾走する。
……これ、どこまで行くつもりなんだろう?
既にかなりの距離を移動したはずだ。標高も上がっているし、果たしてどんな場所に連れて行かれるのやら。
ようやく待宵の動きが止まった。
「ここが目的地?」
『バウッ!(そうだ)』
そこは周囲を岩壁に囲まれた巨大なすり鉢の底のような場所だった。岩壁に幾つか横穴が穿たれている。
横穴の入口は暗く奥は見通せない。
「追いかけっこの相手は?」
『バウウウゥワン!(待っていれば出てくる)』
言われるがまま待つことしばし。
横穴のひとつから、小さな影がヒュンッっと飛び出してきた。
『バウッ!(来たぞ!)』
既に元のサイズに戻っている待宵が、影に向かって大きくジャンプする。なるほど。小さな影の正体は分からないが、確かにすばしこい。
小さな影は待宵を挑発するように近づいては、パッと離れていく。その繰り返しだ。楽しんでいるのは、待宵だけではなさそうだ。
「あっ!」
忙しない追いかけっこに、ついに決着がついた。相手が俺の存在に気づいたようで、急に慌てたような動きになったからだ。
その隙を逃さず、待宵がパクっと影に噛みついた。
鼠を捕まえた猫のように、相手を口に咥えたまま待宵が得意げな様子でこちらにやってくる。
肝心の相手はとても元気で、翼をバタバタと動かして逃れようとしながらも、その視線は俺にひたっとロックオンしたままだ。
その相手から思わぬ声が聞こえた。
『……ち、ちち……うえ?』
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