32 喋る蝙蝠

「今……なんて?」


 びっくりして、待宵が咥えているものをマジマジと見つめた。そして、小さな蝙蝠も俺を見つめ返してくる。


 そう。どう見ても見た目は蝙蝠なのだ。


 手足や尾と一体化した皮膜を伴う翼に小さな体躯。顔は結構可愛くて、ビーズみたいなまん丸い目と少し尖った鼻。頭の両脇にシェルパスタみたいな形の耳がついている。


 喋る蝙蝠というだけで風変わりなのに、その身に纏う色も珍しい色合いをしている。


 もし昼間だったら、カワセミと見間違えたかもしれない。真っ黒な目を除けば、どこもかしこも宝石のような青みがかった緑色に染まっていた。


 ……この世界で蝙蝠を見たのは初めてだから断言はできない。でも、普通じゃないっていうのは分かる。


 だって、なぜか【精霊感応】が反応している。【精霊感応】が蝙蝠の声を拾った。だから聞くことができた。


 ふと、ひとつの可能性が頭を掠めた。ああでも、まさかそんなことって……あり得るのか?


『ちち? ……ちがった?』


 不思議な蝙蝠は、あどけない口調で再び俺に話しかけてきた。


「待宵、追いかけっこはおしまい。待宵の勝ちだ。だから、その子を放してあげて。いろいろ聞きたいことがあるから」


 おそらく蝙蝠の声が聞こえていないだろう待宵に、蝙蝠を解放するように告げる。


 ポトリと、待宵の口から蝙蝠が落ちた。地に伏せながらも、なお円らな二つの瞳が、何かを見極めようとするかのように俺をひたむきに見上げてくる。


「俺は君の父親ではない。だけど、もしかしたら俺たちは血の繋がりがあるかもしれない。とても大事なことだから教えて。君の名前は?」


『なまえ? なまえ……あれ? わ、わすれた? わすれちゃった!? ……たいせつな……ずっといっしょだって……どこ? どこに? ない! ないないない! いない!』


 名前を聞いただけなのに、蝙蝠がパニックに陥った。忘れただって。自覚がないままに記憶が欠けているってこと? それに、まるで幼児退行したかのように語彙が拙い。こんなの想定外だ。


「落ち着いて! なにがないの?」


「なにが? ……なに? それも、わすれた? ……ずっとなのに! ないないない!」


 ……ダメだ。いくら宥めても蝙蝠は同じ言葉を繰り返すだけで埒があかない。


 かといって、放置するという選択は無しだ。


 どうしようか?


 とにかくここは場所が悪い、状況もよくない。言葉が通じても記憶が曖昧なら、次に会う約束なんて、しても意味がないし。


「悔しいな。幽体でなければ、すぐにこの場に呼び出して確かめることができるのに」


『バウウ?(知り合いなのか?)』


「もしかしたらね。間接的な知り合いの可能性がある。でも、それを確認する手段がここにはない。身体に戻らないと無理だ。でもそうすると、この子が逃げちゃうから……」


『バウゥゥバウ!(共に連れていけばいい)』


 思案する俺に、待宵が意外な提案をしてきた。


「共に……って、できるの!? えっ、でも、この子って幽明界を通れないよね!?」


 待宵が言うには、幽明界の住人である自分が咥えることができたのだから、幽明界を通れるはずだって。といっても、確証があるわけではなくて、これまでの経験則からそう考えたらしい。


 経験則……いったい何を咥えて幽明界入ったのか? 聞いてみたいような、聞くのが怖いような。気にはなるが、今はそれどころじゃないから棚上げだ。


 ……あれ? 待宵が咥えられるなら、幽体でも掴めたりする?


「試してみれば分かるか」


 すぐに身をかがめて、床でぺっちょりしている蝙蝠に両手を差し伸べた。


「おっ、やっぱり掴めるよ!」


 それにしても。凄く綺麗だけど、蝙蝠の色がやけに気になった。両掌を顔の高さまで持ち上げて、間近で小さな蝙蝠をマジマジと観察する。


 青と緑。二つの色は完全に融け合っているわけではなく、緑に青が載っている感じ? あるいはその逆か。


「この蝙蝠の正体がよく分からないんだよね。待宵はどう思う?」


 なんというか、捉えどころがないのだ。


 精霊に似た雰囲気があり【精霊感応】で声を聞くことができる。でも、精霊ではない。見た目は獣。こんな存在は初めて見た。


「バウッ! バウバウ〜バウバウゥゥウバウ? ババウバウバウ! バウゥゥバウワン!」


 待宵の意見を要約すると、俺と似たような印象を抱いていることが分かった。


 現世の生き物ではないが幽明界の住人というわけでもない。どの階層に所属しているのかが曖昧で不可思議な存在。微かに精霊の匂いもするって。


 ここでいくら考えても結論は出ないと分かったので、蝙蝠が門を潜れるかどうか、実際に試してみることにした。


 再び待宵に巨大化してもらい、塔まで運んでもらう。巨大化した口はさすがに大き過ぎたので、蝙蝠は背中乗った俺が抱えていくことにした。来た道を引き返して速やかに西円環塔に帰還。


 塔から出る時に利用した窓から侵入を試みる。待宵も元のサイズに戻り、俺の後に続いてもらう。


「うわっ! なに!?」


 油断した。てっきり誰もいないと思ったのに、目の前に背の高い二つの影が立っている。常夜灯の薄暗闇の中でもはっきり見える大鎌。


「こ、こんばんは」


 いつぞやと同じように、間の抜けた挨拶が零れた。お願いだから、その振り上げた大鎌を下ろして欲しい。


「何か御用……ですか?」

 

 俺、なんかした? あっ、まさか、嚮導神の加護が消えちゃったとか!?


《大丈夫です。加護に変化はありません》


 じゃあなんで? なぜ冥廻人たちは大鎌を俺に向けてるの?


—— 縺ゥ縺托シ√?? 譚ア縺ョ髢?逡ェ繧医?ゅ◎繧後?遘ゥ蠎上°繧牙、悶l縺溷ュ伜惠縺?縲


—— 蜉?隴キ縺ェ縺榊ケス鬲ゅ?霈ェ蟒サ縺ォ謌サ縺輔?縺ー縺ェ繧峨↑縺??


 アイ! 通訳をお願い!


《どけ!  東の門番よ。それは秩序から外れた存在だ。加護なき幽魂は輪廻に戻さねばならない》


 対象は俺じゃない!? 当然、待宵でもない。だったら対象は一人、いや、この場合一匹か?


 冥廻人は自力では「残響冥路」に辿りつけなかった迷えるの幽魂を狩る存在で。


 小さな蝙蝠を抱える手に力が入った。


「……渡さない。絶対に渡せないんです」

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