56 夜間飛行

 次は呪素を撒き散らす元凶を退治しに行かねばならない。予想では、そこに呪器に囚われた風の精霊フラトゥスもいるはずだ。


 王城の敷地内にあった呪素溜まり。あれが非常に怪しい。ただ、場所が場所だけに、どうやって入り込むかをよくよく考えなきゃならない。


 さて、どうしようか? と思い悩んでいる内に、あることを思い出した。


「そういえば……待宵が追いかけていった妖精って、結局どうなったの?」


『バウゥゥバウバウ(バクッと食われた)』


「えっ!? 何に食べられたって?」


 織神の神殿を訪れたとき、中庭から飛び立った妖精を待宵に追跡してもらった。なのに、魔虫騒ぎのせいで、うっかり確認するのを忘れていた。


『バウバウバウゥゥ バウッバウッ!(怪しい触手を生やした、化け物みたいな花に食われた)』


 ……その花には心当たりがあり過ぎる。


 うん。待宵から聞き出した花の特徴は、過去の夢で見た禍々しい花のそれと同じだ。


 そして、花のある場所はそう遠くない……というか、かなり近いという。


「その場所に案内できる?」


『バウッ!(任せろ!)』


 ちょっと近所に化け物の花を見に行くから。なんて言っても、すんなり外に出してもらえるわけがないので、夜になるのを待った。


「じゃあ、アラネオラ。留守番をよろしく」


《はい、マスター。お気をつけて》


 寝室に肉体を残したまま、幽体姿で大きくなった待宵に騎乗する。そしてバルコニーの窓をすり抜けて、外へ飛び出した。


 建物の屋根から屋根へ。あるいは高い外壁を足場にして、待宵は羽が生えたように貴族区の上空を疾駆する。


 空には冴え冴えとした月が昇り、眼下を街路や広場に焚かれた篝火が通り過ぎる。そして正面には献神教会の高い尖塔が黒い影になって見えている。


 その尖塔がぐんぐん間近に迫ってきて、このまま教会に突っ込むのかと思ったら、教会を迂回するような進路に変わった。そしてしばし。


「待宵! ちょっと待って、そこで止まって!」


 待宵が今まさに目の前の壁を飛び越えようとしたところで、慌てて静止をかけた。


『バウウウ ウウウ?(この中だぞ。ここでいいのか?)』


「今日は偵察だから。おそらくこの先には、呪素汚染の元凶がある。勢いで乗り込むのは、さすがにマズいよ」


 だってこの壁、今現在の王都で最も危険な場所――即ち王城北側の外壁じゃないか。


『バウゥッ?(そうなのか?』


「ここから例の花がある場所までは近いの?」


『バウッ!(そうだ)』


 となると、呪素溜まりの中に花があるのは確実で。うーん。場所の特定はほぼできたし、一旦引き上げて作戦を練るか。

 

《マスター! 至急お戻り下さい。屋敷の中が騒がしく何かあったようです》


「分かった。すぐに戻るよ」


 超特急で王都邸に引き返し身体の中に入った。すると間もなく、ドアをノックする音がしてモリ爺が部屋の中に入ってきた。


「リオン様。お休み中のところを申し訳ありませんが、奥方様が尋常でないご様子です」


 急いで母親がいる部屋に駆けつけると、窓のすぐ側で床に倒れ伏し、ぐったりとした様子の母親を父親が介抱していた。


「父上。いったい何があったのですか?」


「それが……シャーロットが急に取り乱したかと思うと、頭を抱えて『痛い』『頭が割れそう』『やめて』と言いながら、暴れ苦しみ出した。『呼ばれている』『行かなきゃ』と、窓から外へ飛び出そうとするので押さえていたのだが、つい先ほど気を失い糸が切れたように倒れたのだ」


 母親の顔を覗き込む。顔色が悪く、苦悶の表情を浮かべ、呼吸は荒く胸が大きく上下している。脳卒中という言葉が頭をよぎったが、すぐにそれは否定されることになった。


「……なっ! シャーロット!?」


 母親の身体から、じわじわと黒い靄が染み出した。徐々に黒い人型の輪郭が浮かび上がり、母親の身体から何かが分離しようとしている。


 背中に蝶の翅が生えてる。……これって妖精の翅か? 


 でも、大きさがほぼ等身大だし、どうみても女性の姿をしている。


『ねえ、一緒に行きましょう?』


 黒い妖精が、やけに親し気な口調で父親に話しかけた。


「貴様は何者だ? なぜシャーロットに憑りついていた?」


「父上にも妖精が見えるのですか?」


「妖精? あれは怨霊ではないのか?」


『酷い……あんなに愛し合ったのに、なぜそんな酷いことを言うの?』


「何を言う、化け物め。貴様と情を交わした覚えなどない」


『そう……あなたも偽物なのね。てっきり運命の相手だと思ったのに。ああ、なにもかも思い通りにならない。妬ましい。私ダケが不幸で、皆が嘘をつく。優しさも、労りも、全部嘘。ウソヲついて騙すだけ。誰も私のことなんて見ていないし、誰も愛してはくれない。キライ、ミンナキライ、ウソツキナンテシネバイイノニ!』


 妖精は悍ましい声で呪いの言葉を吐き、掻き消えるように姿を消した。


「……消えた。今のはいったいなんだったんだ?」


「父上。とりあえず母上を寝台へ移しましょう。酷く顔色が悪いです」


「そ、そうだ。シャーロット……医師を、すぐに医師を呼べ!」


 医師の診察の結果、いまだ母親の意識は戻らないが、呼吸や心拍は正常に戻ったので、一晩様子をみることになった。


 自室に引き上げてベッドに横になったが、目が冴えて眠れない。


 アレはなんだったのか?


 いったいいつから母親の中にいた? 最初は、まるで自らが母親シャーロットであるかのように父親に話しかけていた。


 背中の翅は妖精のものとよく似ていた。だけど、妖精が抱える情念はもっとシンプルで、あんな複雑なものじゃない。


 それに……『誰も愛してはくれない』と言っていた。


 他のセリフはともかく、あの言葉だけは変だ。だって、アレが憑りついていた母親シャーロットは、少なくとも父親エリオットにだけは愛されているのだから。


 じゃあ、あの慟哭は……いったい誰の言葉だ!?

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