57 呪いの花

 母親から分離した黒い妖精。目の前で掻き消えてしまったけど、すんなり消滅したとは思えないんだよね。アイ、どう思う?


《マスターのご懸念通りだと思います。かなりの怨念を抱えているようでしたから》


 じゃあ、どこへ行ったのかな? 母親の中に戻ったわけじゃないよね? それに、そもそもアレって妖精であってる?


《妖精の定義は蝶の翅を持つ人の情念から生まれた存在です。アレはその定義に合致している可能性が高いですね。とすれば、その性質は妖精と同じ。幽明遊廊においては、妖精は一旦生まれてしまえば昇華するのを待つだけですが、この地上には昇華する術がありません》


 待宵が織神の神殿から追った妖精は、迷うそぶりを見せずに一直線に飛び、王城の外壁内――つまり呪素溜まりに進んで化け物の花に食われた。当然、昇華しているはずがない。


《黒い妖精が同じように花に引き寄せられたなら、怨念を呑み込んで花がパワーアップしてそうですね。それでも立ち向かわれますか?》


 うん、行くよ。外壁に近づいたときに感じたからね。精霊の存在を。すぐに引き上げてしまったから、それ以上のことは分からなかったけど、ほぼ確信してるよ。あれはフラトゥスだ。


《精霊の愛し子であるマスターが断言されるなら、そうなのでしょう。状況的にも妥当な判断だと思います》


 だよね。この王都は呪素塗れで、他の精霊たちは臭い匂いを嫌って逃げ出している。その匂いの中心と言える場所に精霊がいるなら、無理矢理連れてこられたとしか考えられない。


《では、乗り込みますか》


 うん。ただし、やるからには徹底的に掃除をしたい。花と対面するのは、いろいろ下準備してから。


 ……まずは、作戦会議だ。


§ § §

 

 先日は幽体姿で偵察に行ったけど、今回は精霊の助力が必須だから、実体を伴って行動する。


 緑煙を吸い込むのはゴメンなので、身体の各所に風幕の魔道具をぶら下げて、王城の外壁までは目立たない外装の馬車で移動した。


「君を助けるのが僕の使命だとは言ったけど、最初の仕事が王城への無断侵入とはね。さすがに驚いたよ」


「先生、無理を言ってすみません」


「いや。リオンには僕が見えないものが見えている。だから、もう腹は括ったよ。君が必要だと判断したなら従うまでだ」


 王都邸を抜け出すにあたっては、バルトロメウス先生に協力をお願いした。身内に最大危険区域の王城に行くと言ったら、間違いなく反対されるから。


 やってきたのは、外壁の北側にある通用門だ。


「どうやって門を破るのかと思ったら、既に開いているのか」


「王城で異変があったときに、ここから逃げた人がいたのかもしれませんね」


 事前調査通り、本来門を守っているはずの衛兵はおらず、門の錠前も外されて開いたままだった。


 木製の扉を潜ると、少し先に緑煙がけぶる庭園が見えた。その緑色が濃い方に向かってゆっくり進んで行く。

 

……あった。


 大輪の黒百合。怨念を生み出す呪いの花。夢で見た姿よりも大きく、赤い花脈が不気味に拍動していて、最早情念花とはかけ離れた存在だ。


 まるで手足のように生やした触手がウネウネと蠢くたびに、花から呪素を吐き出され、辺りをどす黒く染めていく。なるほど、この花が呪素の発生源だったのか。


「先生には、あそこにある巨大な花が見えますか?」


「例の花かい? ……何かあるような気がするけど、残念ながらはっきりとは見えな……貴様は誰だ!」


 先生が俺を庇うように立ち位置を変えながら、背後の人物に向かって詰問した。


「坊やたち。誰の許可を取って入って来たの? ここは立ち入り禁止なのよ」


 あのティーテという女だ。あるいは双子の片割れか?


「また会いましたね。ここを掃除するのに許可なんていらないんじゃないですか?」


「リオン、あの女を知ってるのかい?」


「ええ。母を誑かした術師です。襲撃犯の一味でもあります」


「なるほど。禁術を使う連中か」


「リオン君は悪い子ね。余計なことばかりして。勇者ごっこは楽しい?」


「余計なことをしているのはそっちだろう! それに、この世界に勇者なんていない」


「あら。いい子ちゃんぶっているかと思ったのに、それが素なのね。いつもそうしていればいいのに。その方が、男らしくて素敵よ」


「あんた、口が減らない奴って言われたことない?」


「よく言われるわ。ねえ、見事に咲いているでしょう? この花は、人間の醜い感情の化身なの。正直言って、最初は好きではなかったのだけど、育てている内に愛着って湧くものよね」


「それも今日で見納めだから」


「やっぱり、そういう意地悪をするつもりなのね? あなたは奇妙な存在よね。見えない部分が沢山ある。いったい誰の指示で動いているの?」


「勝手に見るなよ。それに、いつまでお喋りを続けるつもりだ? ここにいるのは、何か目的があってなんだろう?」


「もちろん! 種を取りにきたのよ。この花は、坊やが枯らしてしまうだろうから。これでも私も必死なのよ。呪神の加護を授かった者は、最適な呪いの媒体になるの。私は苗床にされるのはまっぴらごめんだから」


「へえ、自分の首を絞めかねない組織にいるんだ? 悪趣味だね」


「そう? 目的はわりと合っているの。ごく限られた人間だけが、いいことずくめなんて、そんなの不公平でしょう? だから、みんなで平等に不幸になってもらおうと思って。坊やも、坊やの家族も、仲良しのお友達もね」


 言うだけ言って、ティーテは緑の炎に包まれて姿をくらました。あの時と同じだ。


「……また逃げられた」


「他に誰か隠れている様子はなさそうだが油断はできないね」


「これからいろいろ作業や召喚をするので、警護をお願いします」


 さて。邪魔者はいなくなったようだし、目の前の化け物退治だ。まずはこの大量の呪素を処理する。


 アラネオラ、始めるよ!


《はい、マスター!》


「ここに、新たな転化の力をもって、精霊を脅かす邪な呪素を世界に還元する!」


 白く浮かび上がるアラネオラの手の中に、呪素の裁断を成し遂げる新たな印紋が現れた。


 周囲に立ち込める濃密な呪素が、印紋に取り込まれバラバラに分解されていく。


 呪いの花は未だ呪素を吐き出しているが、こちらの転化量の方が遙かに多い。空気中の呪素密度はみるみる希薄になっていった。


 だけど、分解物を速やかに世界に還元するには、広く大空に拡散しなければならない。精霊には臭くて申し訳ないけど、ここは力を貸してもらおう。


「集え! 風鳴鳥に惹かれし風の精霊よ! 広き世界を渡る気まぐれな旅人よ」


 まずは風鳴鳥の音色で、王都周辺にいるフリーの風の精霊を呼び寄せる。


「ここに精霊を愛し、愛される者あり」


 言ってて恥ずかしいけど、こういうベタな表現が精霊には効くそうだ。


「我が願いに応え、陣風の腕を振るい給え!」


 遠くで雷鳴が轟き、その音がどんどんこちらに近づいてきた。


 空に濃い灰色の雲が湧いて日が陰った。冷気を纏った激しい突風が吹き付け、塵芥を巻き上げていく。


 空からパラパラと雹が降ってきて、そこでようやく、呪いの花が自らを脅かす存在に気づいた。


「あっ、怒った!?」


 花が姿を変え始めた。


 大きく開いた花弁が中央に集まり、閉じて蕾になった。そして、大きく膨らんだかと思うと勢いよく弾けて、見覚えのある――しかし、一層邪悪さを増した黒い妖精が現れた。


《敵意察知》――《迎撃します》


 益々激しくなる強風の中、白い護連星が飛び出した。護連星は妖精を直撃し、容赦なく激しく殴打する。


『キライ』

『ダイッキライ』

『ウソツキ』

『シネ!』


 降下してきた白い骸骨の軍団に取り囲まれた妖精は、護連星に抗いながら、つい先日聞いたばかりの言葉を子供のように叫び続けていた。


 呪いの花の苗床になったフロル・ブランカ。


 この妖精が……彼女が抱えていた情念の化身だとしたら。……なあ、もういいだろう?


 あなたが本当に愛した人は、とっくの昔に死んでいる。彼の魂は真っ新に洗われ、既にこの世界で輪廻転生を果たしているかもしれない。


 なのに、貴女一人が地上に取り残されて、未だ悲鳴を上げ続けているなんて……そんなの、辛すぎるじゃないか。もう終わりにしよう。


「待宵! 【裂空】!」


 巨大化した待宵が、時空の壁に噛みつき、これまでにない巨大な穴を開けた。その向こうには、足の踏み場もないほどの花が咲いていて……あっ、始まってる!


 百花繚乱。花が次々と地面から浮き上がり、上空を目指して昇っている。


「スカラ! こっちに誘導して!」


 穴の入口に向かうように指示を出すと、白い骸骨の軍団が妖精を包み込むようにして時空の穴へと押しやり、遂に境界を越えた。


「先生、しばらく俺の反応が悪くなりますが、心配はいらないので、そのまま警護をお願いします」


「分かった。僕の命に代えても守るよ」


 先生とアラネオラに肉体の保護を任せ、【幽体分離】して妖精を追い穴の中へ。


 すぐに昇華する花々の中に佇む黒い妖精を見つけた。先ほどとはまるで様子が違う。妖精の表情はあどけない子供のようで、ひどく戸惑っているように見えた。


 だから、上空を指さして、行くべき方向を教えてあげることにした。


「皆と一緒にいけばいい!」


 黒い妖精は上空を見上げて、次に後ろを振り返り自分の背中を見て、蝶の翅がなんのためにあるのか初めて気づいたように見えた。


 再び上を見つめた妖精は、翅を大きくはためかせ、七色の花に囲まれながらヒラヒラと飛翔して、遂には虹色の光となった。


 それに手を振り見送る。


 妖精の昇華を見届けた後、花がすっかりなくなり剥き出しになった地面に、キラリと光るものが落ちていることに気づいた。


「これ、『妖精の珠』だ」


 澄んだ透明な玉は、黄金に染まる空の光に負けないほど、眩いほどの金色に輝いていた。



――あとがき――

『代償θ』二巻、明後日発売です!(3/25)


書き換えるところが多くて、更新時刻が遅くなりました。

いただいたコメントへのお返事が溜まってしまい恐縮です。順番は前後しますが全部に目を通す予定で、少しずつ書き始めたところです。

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