29 呪素
ワラワラと湧き出す小百足。対象は小さく数が多い。そして地を這って移動している。
「まとめて刈り取るか」
草刈り……じゃなくて、魔術の放出訓練の応用で、小さな風魔術を同時に幾つも構築する。
放出訓練では杖に内蔵された魔術式を使い旋風を起こした。でもここは室内なので、構築する魔術は変えておく。
刃が床と平行になるように、複数の風の刃を生み出した。床すれすれの低い位置で横一列に隊列を組んで……一番百足が多い方向へ一斉に解き放った。
「まずはあそこから! 飛べ!」
イメージは燕の群れだ。低空飛行した風の刃が、逃げ出す小百足の背後から襲いかかる。
刃に触れた小百足がパチンパチンと弾けていった。次々と、膨らませた風船が破裂するように、あっけなく『呪素』が霧散して消えていく。
「えっ!? この程度で消えちゃうの?」
あまりにも弱い。弱過ぎる。強いよりはいいんだけど、本当に倒せたのか心配になってきた。
《以前戦った異形は敵対勢力により入念に用意された呪具的な存在です。百年以上あの場所で封印の役目をしていたことから、呪術に使われた『呪素』は膨大な量だったはずです》
なるほど。あれは対キリアム仕様の特別製だったか。比べる相手が強すぎたってわけね。
あの異形を大魚とすれば、こいつらは生まれたての稚魚みたいな……あれ? 本当にそうだったりして?
手を休めず魔術を操りながら、今の思い付きを掘り下げていく。
魔術回路を覆う『呪素』を攻撃したら、目の前でこいつらが湧き出した。まるでスイッチが入ったみたいに。
あの異形もそんな感じだったから、そこまではいい。変なのは次の挙動だ。迎撃や包囲するのではなく、即座に泉から逃げ出すという不思議な動き。
呪術のシステムには詳しくないけど、呪いが対象を放棄して逃げ出すなんておかしくないか?
『呪素』を生み出した何者かは、この泉を指定して呪術を仕掛けたはずで……いや、待て待て。そう考えるのは早計かもしれない。
呪術は人の欲望の写し鏡だ。強い執着――妄執に憑りつかれた悪意そのものと言っていい。陰湿で、執念深く、往生際が悪く、他者へ不幸を押し付ける。
一方で、魔導回路を覆っていた『呪素』は、ふんわりと床に積もる埃みたいだった。実際に吹けば飛んだし。
……そうだよ。全くもって呪術らしくない。『呪素』はあるけど術式が構築されていない。そんな感じだ。もしそうなら、小百足の無秩序な行動にも説明がつく。
誰にも制御されていない『呪素』だとして。ただ積もるだけで魔術回路に悪影響を及ぼすなんて知らなかっ……あれ? 積もるってことは、元は空気中にあったのか?
風媒花の花粉みたいに、生み出された場所から離れて空中を漂い、何らかの理由でこの泉に集まった。でも、そんなことってあり得る?
《『呪素』には、魔術の起動や魔素への転化、あるいは魔素の動きそのものに引き寄せられる性質があるようです。空気中に一定密度の『呪素』があれば、この泉のような自律的に稼働する魔道具に『呪素』が集積する可能性は、理論的にはありえます》
そうなの? もし仮定が正しければ、どこか別の場所に『呪素』の発生源があることになる。いったいどこから来たのか? そして、ここ以外にも『呪素』に汚染された場所があるのかどうか?
いずれも簡単に調べられることじゃないけど、気に留めておいた方がよさそうだ。
小百足を全て駆除し終わった。黒いもやもやとした呪素はすっかり消え去り、代わりに、床に赤黒いグミのような粒が幾つも散らばっている。
これって、空中庭園で異形が残して、白蛇がパクっと食べたやつの縮小版?
大きさが全然違うし、悍ましい模様は見えない。でも、ぐにゅぐにゅした質感がそっくりだ。
あの正体について初代様に尋ねてみたところ、『呪素』を生み出すための媒体として使われ、変質した生き物の幽魂ではないかと言っていた。
初代様の知り合い――三傑の一人であるリリア・メーナスが呪術関係に詳しかったそうで、かつて彼女から、呪いを解消した後にそういった類いのものが残ると聞いたことがあるらしい。
しかし……これ、どうしよう。あの時は白蛇が処理してくれたけど、最近は姿をみせないんだよね。
埋刻の影響でメンタルがグラグラなときに、こちらの都合も考えずに強引に振り回してくれるから、あの一連の出来事の最中はイラついて当たってしまったこともある。
誘導され巻き込まれたのは確かだが、結果的にヒューゴ卿の精霊を助けられたのも事実で。なのに、ぞんざいに扱いすぎたかもって。大人げなかったと今は反省している。お腹の具合がよくなったら、また会いに来てね。
さて。目の前の赤黒い粒々です。ぶっちゃけ触りたくない。でも、呪いの残骸らしいから、このまま放置って訳にもいかな……えっ! なにこれ? 糸?
目の前にツツーッと一本の糸が垂れてきた。細くて白い蜘蛛の糸が。デジャブか!
転生時に絡んでいた糸によく似ていたが、先端はフリーで先に小さな星の子――銀色の極小蜘蛛が一匹ついている。
君、なんで出てきたの? ここは夢の中じゃないのに。……ないよね?
極小蜘蛛を見て、ちょっと自信がなくなってきた。身体は今も自室のベッドの上だけど、ちゃんと幽体分離してここに来たはず。
《はい、間違いなく現実です》
よかった。アイの声を聞いて、改めて極小蜘蛛に注目した。糸の先端が俺の目の前でピタッと止まり、顔の真ん前に静止した極小蜘蛛がいる、いわゆるお見合い状態だ。
仲間とはぐれちゃったの? 夢の中に戻った方がいいよ。……え!? 食べたい? なにを……って、まさかあれを!?
白蛇に続き、極小蜘蛛――改め「星蜘蛛」と命名――が食べたい食べたいと訴えてくる。
一応、意志の疎通ができる範囲内で理由を聞いてからにしよう。……ふむふむ。アレを食べると、呪いへの……抵抗力的なものがつく?
いわゆる耐性の獲得ってやつか! あんな身体に悪そうな見た目なのに、実は有用だった!?
えっ、それなら俺も……とか一瞬だけ思ったけど、元が人の幽魂かもしれないので、すぐにその考えは却下した。
しかし、呪いだ。住んでる場所に呪いがあり、旅先でまた呪いに遭遇。
異形との戦いで対抗魔術を作ったけど、こんな風に遭遇するなら、もっといろんな対策が要るよね。
……あっ、食べていいよ。どうぞ好きなだけ召し上がれ。
へぇ、凄い。どんどんグミが消えていく。
小さな体にも拘らず、星蜘蛛は意外な速さで赤黒いグミ擬きを全て食べ切っててしまった。
この子、気のせいでなく身体が一回り大きくなってる。
ひとつ食べるごとに僅かずつ成長して、元は直径1ミリ大の砂粒サイズだったのが、最終的に直径2ミリ大の粟粒サイズになって姿を消した。
さて。泉周りの掃除が済んだし魔術回路を確認しよう。おっ! 魔力がすんなり通った。この感じなら回路自体は無事かもしれないぞ。
……動く様子がないね。この泉は自律的な魔導具のはずなのに、なぜだろう? 周囲の自然魔素密度が薄すぎるから? 試しに魔素を供給してみるか。
魔術回路の上に水属性の魔素をふんだんに生み出すと、魔術回路が励起して青く輝き始めた。
「クストスさん、こっちへ来てください。泉が回復したようです」
「なんと! まことですか?」
早くも泉の中心部からチョロチョロと水が湧き出している。
「おおっ! 水が出ている! リオン殿、なんとお礼を言っていいか。感謝してもしきれない。貴殿は我々の救世主じゃ!」
泉の様子をもう少し見ていたかったけど、昼寝だから長いこといられない。待宵が戻ってきてすぐに退去することになった。
保険として、空の水瓶を魔術で作った水で満たしておく。これでもし泉の機能が止まったとしても、しばらくは飲み水に困らないはずだ。
「近い内にまた来ます」
「いつでも歓迎しますぞ」
いろいろあって、今回はあまり話ができなかった。次は門番の仕事について聞けるといいな。
笑顔のクストスさんに見送られて門を潜った。
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