28 純精の泉


 昼寝の時間に様子を見に行くと、クストスさんは驚くほど元気になっていた。


「おおっ、リオン殿! 来て下さったか。お陰様で、ほれこの通り。だいぶ元気になり申した」


「あんなにぐったりしていたのに、凄い回復力ですね」


 羨ましいほどの生命力だ。水と塩を摂取してから、まだ半日程度しか経っていない。なのに彼は早くも起き出して、待合室のようなスペースの床を掃いていた。


 掃除中の床を駆け抜け外へ出る待宵を見送りながら、クストスさんとの会話を続ける。


「いや、まだまだですじゃ。ワシら有角種は、この角のおかげで飢えや渇きには強い。ですが、さすがに今回は堪えましての。角の力自体が落ちているようじゃて」


「有角種? 初めて耳にします。大陸の西側のことはあまり知らなくて。角に特別な力があるのですか?」


 あれ? てっきり獣人だと思っていたのに、違う人種? 改めて見れば、角以外に獣の特徴はないように見える。


 その驚きが顔に出ていたのか、クストスさんが自らの種族について説明してくれた。


「並人の国ではよく獣人と間違われるらしいが、異なる起源をもつ別の種族じゃ。遠い昔、ワシらの先祖は魔人に仕えていた。大多数は魔人の滅亡時に運命を共にしたが、各地で農耕に従事していた者が生き残り、『断罪の刻』以降の荒れ果てた地で細々と暮らしてきた。ワシらはその末裔だと言われておる」


 魔人!? それに『断罪の刻』だって。気になる単語が次々と出てきた。初めて聞く古代の歴史。いったい過去になにがあったのか。


 古代遺跡から出土する高度な魔道具。その失われた魔導技術は、魔人が築き上げた文明の残滓ってことか。


 魔人と呼ばれるほどだ。特別に魔術に長けている種族だったはず。……気になる。めっちゃ気になる。その人々が住む都市や文化はどれほどの栄華を誇っていたのか。


 古代遺跡ってどこにあるのだろう? 根ほり葉ほり聞いてみたいけど、今は現状確認が先だ。


「クストスさんのご家族の方は、どこに避難されているのですか?」


「北にある『関門』にいるはずじゃ。この地はぐるりと山に囲まれている。東から南にかけては赤龍が鎮座し、人がその背を越えることはできない。外への出口は『関門』から西へ抜ける隧道だけじゃて」


 大陸の地理を頭に思い浮かべた。おそらくここは、地図で空白だった場所だ。大陸西の沿岸部にはムスカ首長国がある。外というのは、あの国を指すのかもしれない。


 でも、ご家族がいるのはその手前だ。『関門』は関所を意味するから、外へは出ていかず内に留まっていることになる。


 大勢の人が暮らす国があるのに、そこに助けを求めない理由……地理的に難しいのか、他に原因があるのか……なんだろう?


「その西への隧道を抜けるとどこへ出るのですか?」


「沿岸部のムスカじゃ。しかし、隧道内は迷宮になっていて、踏破するのは容易ではない。さらに苦労して隧道を抜けても、ムスカまで行くには険しい渓谷を通らねばならない。従って、こちらからはめったに外へは出て行かないが、ときにあちらから人が来る。廃墟を漁っているらしいが、物好きなことじゃて」


 なるほど。間に迷宮や難路があるなら、少なくない脱落者を出しそうだ。一族引き連れて移住するのは簡単じゃない。


「大陸の西側には古代遺跡があると聞きました。廃墟とはその遺跡のことでしょうか?」


「そうかもしれん。そういえば、西から来た連中は遺跡調査隊と名乗っておったらしい」


「その調査隊は、どんな人たちでした?」


「さて。若い者に話を聞いただけで、ワシが直接見たわけではないからのう。彼らはムスカの住人ではなく、船に乗ってカリブなんとかという国から来たと聞く」


 カリブなんとか……あっ! 北部諸国のカリブンクルスか!


 魔道具の輸送は南方航路――大陸南の沿岸諸国を経由していると聞いている。北方航路は北部諸国に管理されていて、ムスカとの交易には使えないとも。


 その北方航路を使って、魔術師の国であるカリブンクルスが、独自に古代遺跡にやってきているってことか。


 遺跡調査隊については、戻ったら先生に質問してみよう。国は違うけど、何か知っているかもしれない。


「古代遺跡から魔道具が出土しますよね? 水が出るような魔道具はなかったのですか?」


 そんな疑問が湧いた。


 大陸の東側では大型家電のような扱いの魔道具が多くて、中には冷水や温水が出るものもある。かつては魔人がいたという西側に、同じ類いの魔道具がないとは思えない。


「それがのう。ワシら有角種は魔力を体内に巡らせて生命力を底上げできるが、それと引き換えに、魔力を放出して魔道具を動かすことができない。自律的に動く魔道具もあるが貴重での。大昔は村々に幾つか備えられていたが、現存するのはただひとつじゃ」


「それはどこに?」


「あの部屋の中じゃ。『純精の泉』と呼ばれていて、長きにわたり、澄んだ水が滾々と湧き出していた。残念なことに、今は壊れて動かない」


 プレートの文字が読めなかったドア。あの先にあるのか。

 魔人が作ったオリジナルの魔道具かもしれない。ぶっちゃけ、めっちゃ気になった。


「泉を見に行ってもいいですか?」


「構わないが……ふむ。魔術師であるリオン殿なら、『純精の泉』が壊れた原因が分かるかもしれん」


 クストスさんがドアを開けてくれたので、擦り抜けるまでもなく部屋の中が見えた。予想より広く二十畳くらいのスペースがある。入口付近には幾つも水瓶が並んでいたが、どれも空だ。


 部屋の奥に進むと床に1メートル四方の四角い水盤があった。底はそう深くはなくて、目測で70-80センチ程度だ。


「これが『純精の泉』じゃ。見ての通り、すっかり枯れておる」


 パッと見には魔道具だとは分からない。ただの干上がった水盤に見える。


 魔眼を働かせると、水盤の底に直径50センチくらいの魔術回路が浮きでてきた。でも、黒いもやもやとした霞が蓋をするように底に溜まっていて、回路を遮断している。


 なんかデジャブ。この霞には見覚えがある。これって呪いの類い?


 もう半年近く前になる空中庭園での戦い。異形が俺を攻撃しようと黒い触手を伸ばしてきた。その触手と色や質感がそっくりなのだ。


 アイ、気のせいじゃないよね?


《はい。あれと同じものです。『呪素』ですね》


 通常の転化とは異なった特殊な方法で生み出される変異系の魔素。魔素の一種ではあるが『呪素』を使って起こす現象は魔術ではなく呪術と呼ばれる。


 もし魔術回路を遮断している『呪素』を排除できれば、『純精の泉』は復活するのか?


 あのとき倒した異形は水属性に耐性があったが、黒い触手は風属性で防げた。ならこれにも、風の魔術が効くかもしれない。


「クストスさん。『純精の泉』の底に目に見えないゴミが溜まっています。よくないものなので、魔術の風で掃除してもいいですか?」


「なんと! 泉は汚れておったのか! ひと目でそれを見抜くとは、さすが魔術師じゃ。リオン殿、よろしくお頼み申します」


 念のためクストスさんには泉から離れてもらって、魔術回路の上を吹き流すように小さな風魔術を展開する。


 あれ!? 随分と簡単にどけられる。もっと抵抗されるかと思ったのに。


 そのまま風を流し続けると『呪素』が変則的な動きを見せた。風を避けるように底の四隅に集まり、生き物のようにモゾモゾと動いて塊になる。


 その塊の中から、悍ましい姿をした小さな黒い虫が這い出てきた。S字にうねうねして、うじゃうじゃと脚が沢山ある。本能が悲鳴をあげた。


 うわっ! 気持ち悪い。百足?


 虫たちが泉の側壁を這い登り始めた。そして泉の縁までくると、俺に背を向けてバラバラに逃げ出していく。


 なぜこちらに向かってこない?


 意味不明な行動だけど、『呪素』から湧いたものを見逃がすわけにはいかないって。

 さて。虫退治といきますか!


 

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