50 地上の花 

 というわけで、段取りをつけて織神の王都神殿へやってきた。


 白亜の壮麗な建物の外観は神殿というよりも教会で、世界史の教科書に載っていた欧州の大聖堂を彷彿とさせた。


 その神殿の入口に、まさに聖女といった風情の美しく着飾った少女が立っている。彼女が今日の接待役かな?


「あなたがリオン? あっ、いけない。初めまして。私はここ王都神殿で斎主を務めるアメーリアと申します」


 第一印象は、にこやかで友好的な雰囲気といったところ。まあ神殿の入口付近で、いきなり何か仕掛けてはこないよね。


「初めまして。リオンです。本日はご招待ありがとうございます」


「王都に着いて早々にお会いできて嬉しいわ。今日は沢山お話をしましょうね。どうぞ奥にいらして。お茶とお菓子を用意してあるから」


 アメーリアに先導されて、しずしずと神殿の内部に進んだ。


『待宵、待って! うずうずしているみたいだけど、先に行っちゃダメだよ』


『バウッ? ババウバウ (ダメなのか? あっちに何かありそうなのに)』


 一緒についてきた待宵が飛び出しそうになっていたので、待ったと静止をかけた。なにしろここはアウェイだ。モリ爺もハワードも一緒にいるけど、味方は一匹でも多い方がいい。


 ……それにしても、一目で姉妹だと分かるくらいに容貌がよく似ている。ただし、若い。母親とは10歳違いだと聞いているから、16か17歳のはずだ。


 それと母親より全体に色素が薄くて、白磁のように輝く肌に薄青の瞳、結い上げた髪は淡い金髪だ。


 そして、表情がまるで違う。


 優しげな笑顔は愛想笑いだと思うけど、嫌な印象は受けなかった。前面に出ていたのは、親戚の子供に初めて会う戸惑いで、嫌悪や侮り、敵意といった負の感情はなかった気がする。


 アメーリア……夢の中で聞いた声の主と同一人物だと思う。


 いかにも少女然とした高めの声。銀砂の夢と共に繰り返し聞こえた会話。


 夢の中で、彼女は俺の篭絡を命じられていた。でもあのときは、まだ俺に織神の加護があることを知られていなかったはずで。


 さてと。相手がどう出るか警戒しつつも探らないといけない。出たとこ勝負だけど用心だけはしておこう。


「ここよ。さあ、中へどうぞ」


 美しい天井画が描かれた明るく豪奢な部屋に招き入れられる。しかし、部屋の中で最も目を引いたのは天井ではなく窓だった。


「随分と大きな窓ですね。これって一枚板ですか?」


 入口と反対の壁一面が大きく切り取られ、クリスタルの様に澄んだ板がはめられている。


「この窓は神殿のちょっとした自慢なの。グラス地方産の迷宮水晶を使っているらしいけど、これほど大きく加工されたものはめったいないんですって。中庭が良く見えるでしょう? 今は殺風景だけど、春になれば花が咲いてとても綺麗なのよ」


「ああ、水晶板ですか。どうりで……」


 促されるまま水晶板の向こう側に視線を向け、視界に映る光景に言葉が止まってしまった。


 中庭には、殺風景どころか一面に花が咲いている。それも大層珍しい碧玉のように輝く幻想的な花々が。


 これって普通じゃないよね?


『待宵。あそこに花が沢山咲いているのって見えてる?』


『バウウ! バウッバウウ? (もちろん。しかしなぜここにある?)』


 ……やっぱり。


 これらは地上にあってはならない花だ。情念花。死者が抱えていた負の情念が花と化したもの。待宵が言うように、なぜ幽明遊廊にあるべき花がここに? それもこれほど数多く咲いているのか?


「中庭に出てもいいですか?」


「構わないけど、今の季節は何も咲いていないわよ?」


「構いません」


 変わった子だと思わてしまった気がするが、確かめずにはいられなかった。


『悔やしい』

『羨ましい』

『ズルい』

『妬ましい』


 花を踏み散らすたびに上がる怨嗟の言葉。それはどれもこれも嫉妬を表すものだ。こんなに美しい花なのに、人を妬む気もちが凝り固まったものだなんて。


「あっ!?」


 不意をつくように植栽の影から飛び出してきたものに驚いて、思わず声をあげてしまった。


「どうかしました?」


 アメーリアが不思議そうに問いかけてきた。俺の視線の先を追い、何も見えないのか、困ったように周囲を見回している。


 返事をしないといけない。だけど、今は対象から目を離せないんだよね! 俺の真上まで飛んできて一旦停止し、ホバリングしている奴から。


 蝶に似たはねを持つ緑色の妖精が、パタパタと翅を開閉させながら、小首を傾げている。


 おっと、移動し始めた!


 妖精は向かう先が決まったのか、神殿の屋根を越えて外に出ようとしている。


『待宵! あの妖精を追いかけて!』


『バウッ!(承知した!)』


「リオン!? どこか具合でも悪いの? ねえ、返事をして!」


「あっ、済みません。空中に珍しい虫が飛んでいたので、観察していました」


「えっ!? 虫が? やだ、どこに?」


「もうどこかに飛んで行ってしまったので、ここにはいません」


「そ、そう。それならよかった。でも庭は寒いし、虫が出るなら中に入りましょう?」


 もうちょっとこの庭を調べたかったけど、これ以上不審がらせるのはマズいかもしれない。


 ……仕方ない。妖精の追跡は待宵に任せて、訪問の目的であったアメーリアとの歓談に戻ろう。


「甘いものは好き? 今日は王都で評判の店からお菓子を取り寄せたの」


「それは楽しみです」


 好きな食べ物や趣味、王都で流行りの舞台など、まるで合コンみたいな雑談が続いた後、ついに本命というべき加護の話を切り出された。


「リオン、あなたは周囲に不思議な生き物を見かけたことってない?」


「不思議な生き物と言うと?」


 相手の出方が分からないので、質問には質問で返しておく。


 蛇に蜘蛛にワンコに妖精。冥廻人なんてのもいたけどね。こちらから積極的に手札を見せる必要があるとは思えないし、できるだけ相手から話を引き出さないと。


「例えば……小さな可愛らしい蜘蛛とか?」


「虫はお嫌いではなかったのですか?」


「えっ!? さっきの!? あれは飛ぶ虫が苦手だからよ。でも、蜘蛛は飛ばないし小さくて丸っこくて可愛いでしょ?」


 なんか、目が真剣で蜘蛛愛に本気を感じる。


「蜘蛛にも大小いろいろいると思いますが、何か特定の蜘蛛を指されてます?」


「そう。そうなんだけど……あっ、ほら、天井を見て。三人の女神様と一緒に御使いの姿が描かれているの。そのうちのひとつが蜘蛛で……尊いのよ。だから蜘蛛は好きなの」


 そうか、アメーリアさんの御使いは蜘蛛なんだね。


「確かに蜘蛛が描かれていますね。他に蛇や蜂もいますが、それも好きなんですか?」


「えっと、蜂の御使いはとても稀少でめったに現れないから、好きというより会えたら驚嘆するかも。蛇は……蛇は、過去の出来事を知るのは、必ずしも幸せには繋がらないと言われているわ」


 へぇ。それは知られては困る後ろ暗いことがあるからでは?


「なるほど。ところで、蜘蛛の御使いって実際にはどんな見た目をしているのでしょう? 天井画ではかなり大きく見えますけど、実際にあのサイズの蜘蛛がいたら怖いですよね?」


 大きな蜘蛛といえば、前世で見たアシダカグモが思い浮かぶ。あれは大人が手を広げたくらいのサイズだったが、天井に描かれた蜘蛛は、更にその三倍くらいの大きさに見える。


「実際は、あんなに大きくはないのよ。もっと麦粒みたいに小さいの。だから、最初はいるのに気づかなくて……もし、もしもよ? あなたが御使いらしきものを見かけたら、すぐに織神の神殿に教えて欲しいの。とても大事なことだから」


「分かりました。でも今のところ、そういった気配は微塵も感じません」


「本当に?」


「はい」


「……そう、そうよ。そんな簡単に視えるわけないのよ。もし視えたら、もっと大騒ぎになっているはずで……」


「騒ぎって?」


「あっ、ごめんなさい。リオン、今日はとても楽しかったわ。是非、また遊びに来てね。あなたならいつでも歓迎するわ」

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