07 光る花
差し込む昼の光で部屋の中は明るかった。
だからか、引きずり込まれたときは、穴の中がやけに暗く感じた。
一瞬だけど、転生時の状況がフラッシュバックするほどに。
「光る花? 目が慣れたら思ったより明るいかも」
落ち着いて辺りを見回せば、あの全てを吸い込むようなトラウマティックな暗闇とは、全く様子が違っていた。
足元に綺麗な花が咲いている。蛍光色にぼんやりと光る、幻想的な花々が。
ダリア、チューリップ、水仙、百合やバラに似た花もある。花の形はバラエティに富み、色はバラバラで、季節感なんてないように思えた。
「随分とカラフルだなぁ。ネオンサインみたいだ」
発色の良い青や赤、橙や緑に黄色と多彩に光っている。丈が低いものが多いせいか、フットライト的な感じで足元を照らしていた。背景が暗いだけに、花の色がより際立ち、それはそれは幻想的で綺麗な光景なんだけど。
この光景に見覚えがあるような? 淡い既視感が湧いたが、そのふわっとした何かを上手く捉えられない。
もどかしい。答えを探すように、目の前の花畑に視線を彷徨わせた。
「あっ、あれか!」
曼殊沙華によく似た赤い花を見つけた。その瞬間に、子供の頃に読んだ黒い表紙の絵本が思い浮かんだ。
タイトルはうろ覚えだが、話の流れは記憶に残っていた。
小さな少女が一人で山に入る。家の助けになるようにと、食べられるものを採取しに行ったのだ。
ところが道に迷い、綺麗な花が咲き乱れる場所に入り込んでしまう。そこには山姥がいて、少女の足元に咲く赤い花は、少女自身が咲かせたものだと教えてくれる。
幼い妹が、晴れ着が欲しいと駄々をこねて暴れ、母親を酷く困らせていた。少女は家が貧しいことを知っていたから、自ら母親に申し出る。自分の晴れ着はいらないから、妹に買ってあげて欲しいと。
その瞬間に少女の花が咲いた。
自分のことよりも、人のことを思いやる心と、それに基づく優しい行い。幼い子供たちの健気な心に報いるように、人知れず咲く美しい花の物語。
いわゆる美談的な話だけど、最初に読んだ時は、絵本が伝えようとしている意図が全く理解できなかった。なぜ母さんが、しきりに読めと勧めてきたのかも。
まだ幼くて感性が未熟だったせいかな。挿絵が変わっていて、切り絵で構成されていた。だから、ページの大部分が真っ黒で、切り絵独特の女の子の顔だちを、ちょっと怖く感じた。
だいぶ後になって読み返して、人としての生き様というか、逆境における心の在り方を示唆した本なのかなと解釈した覚えがある。
背景の暗さと花の色合い。起伏のある土地に広がる花畑が、あの絵本にあった風景によく似ている。
あれは地球の、それも絵本という空想上の物語で、目の前に咲く花々が、あれと同じなわけはない。でも、これだけ綺麗に咲いているのだ。踏みつけたり、気軽に手折ったりしてはいけない気がした。
さて。状況観察はこれくらいでお終い。背後を振り返れば、通り抜けてきたばかりの穴がある。
「よかった。塞がってなくて」
俺が通り抜けられるように広げられた穴は、大きく切り取られた窓のようにだった。そこから、さっきまでいた部屋の景色が明るく覗き見え……見えた、たたたたったーーっ!?
小さな子供が倒れている。黒髪で、寝巻きを着た、よく見知った子供だ。
「お、俺? あれって、俺の身体じゃない?」
じゃあ、この俺は? 自分は何? 身体と意識が離れている。ってことは、まさか今の状態って、死んじゃってるの!?
《ご安心下さい。まだ生きています。ただし、待宵により幽体が強引に牽引された影響で、理皇の派生能力【幽体分離】が働き、幽体が二つに分離した状態にあります》
「それって大丈夫? 戻れるんだよね?」
《今のところ、生命維持活動に問題は生じていません。肉体に残っている幽体は、アラネオラの制御下に置かれています。分離したマスターの幽体とリンクが繋がっているので、目を凝らせば見えますよ》
あっ、本当だ。意識すれば分かる。極めて細い銀糸のようなものが、俺からスッと伸びて、破れた穴を通って向こう側に行っている。
「ずっとこのままはマズいよね?」
《長時間分離したまま放置すれば、肉体に脱水や体温低下が生じる危険があります》
じゃあ、あっちに戻ろう。すぐ戻ろう。さっさと戻ろう!
敷物があるとはいえ、床に身を投げ出している。自分自身の虚弱さには自覚があり過ぎるほどある。室内は温かいが外気温が低い季節だ。床にゴロンなんて、実にヨロシクない。
『バウウウゥゥゥ! バウッ!』
「うわっ! 急に吠えるなよ。そもそも、なんでここに俺を引っ張り込んだの? 嫌だって言ったよね?」
『キュウゥゥン! キャンキャン! キューンキューン』
尻尾を股に挟んでいるのは反省のポーズ? なにか懸命に訴えているようだけど、意味が分からない。
《せっかく来たのに、なぜ戻るのか。加護があるから大丈夫なのにと言っているようです》
「加護って?」
『バウッ! バウウウ! バウバウッババウバウッツ!』
《嚮導神の加護【幽遊】。幽明境界内のフリー通行許可証。オプションとして、幽体が肉体を離れても、死者の国に引っ張られることがなくなるそうです》
アイは待宵の言ってることが理解できるんだ?
《はい。まだ解析途中ですが、幽明境界語による念話であれば、言っている内容を概ね理解できます》
さすがアイ先生だ。いいな。俺も待宵と話してみたい。その言葉って難しいの?
《程度によります。
できれば。さっきみたいに、わけも分からず振り回されたら困るし。
《幽明境界語は、人間にとって難解な言語です。しかし、幸いなことにマスターには嚮導神の加護があります。正確なやり取りとなると厳しいですが、意訳程度であれば、練習次第で習得可能だと思います》
今すぐは無理か。なら、おいおいだね。
「ところで、この穴って放っておいてもいいの? 塞がったりしない?」
『バウバウッ!』
《すぐにではありませんが、朝まで放置すれば塞がるそうです》
ダメじゃん。ちゃんと寝室に戻れるか心配になってきた。
「あれ? もしかして、イケるか?」
穴をじっと見つめていたら、じんわりと湧いてくるものを感じた。
おっとこれは。門に関する認識が上書きするように塗り替わっていく。嚮導神の加護と職業【門番@】。今までバラバラに存在していた、その二つに由来する能力が、初めて
【門番@】としての覚醒といったら大袈裟かもしれない。だけど、この穴をどう扱えばいいかが、今なら理解できる。
「あんな形でも、門の一種……仮初の門なんだね。隣接、いや違うな。同じ場所に重なって存在する時空間を繋ぐ出入り口。門の定義は、たぶんそんなだ」
漠然とイメージが湧くのだ。この場所も世界の内にあると。
《その認識で合っていると思います。ここは、幽明境界浅層の『幽明遊廊』と呼ばれる階層です。幽明境界の住人や肉体を持たない者が自由に出入りできる前庭のような場所だそうです》
アイは物知りだね。その知識ってどこから仕入れたの?
《待宵からです》
なるほど。コミュニケーションは早くも大丈夫そうだ。
となると、今やるべきなのは、さきほど新たに湧き出てきた曖昧な概念。それを、きちんと言葉に変えて整理し、適切な使用方法を模索することかな。
アクシデント的にではあったが、門を作ってしまった。ただし、【裂空】で開けた穴は、あくまでも仮設の門でしかない。時間が経てば塞がってしまう。
その一方で、【
なんていうか、それぞれに片手落ちな能力だね。
モリ爺は、【門番】は資料には載っていないレアな職業だと言っていた。今は廃れてしまった、古い職業の可能性があるとも。
過去には時空の穴が、ありふれていた時代があったとか?
古代史はまだ習っていないけど、統一王国以前には神聖ロザリオ帝国が支配した時代があり、それ以前にも古代遺跡と呼ばれる痕跡を残す高度な文明があったらしい。
その名残とか。古の時代に需要があった職業が、アップデートされずに残っている。そう仮定してみた。じゃないと説明がつかない。
だって通常の【門番】だったら、既存の門の場所を知らない限り、せっかく授かった能力が何の役にも立たない。まさに宝の持ち腐れだ。
授職式で提示された五択の職業。その中から、あえて使いどころに困る職業をくれたとは思えない。神様たちの意図はなんなのか? 単に加護と相性がよかったから?
嚮導神の加護【
職業【門番@】。果たしてこれでなにができるのか。それを、これから確認する。
時間が惜しいから、早速やってみよう。まずは、時空に空けた穴を門として固定する。そのための方法は……う、うん、分かった。分かったけど、えっ、これやらなきゃだめ?
門の固定はワンクリックではできなくて、儀式めいた動作が必要とされる。頭に浮かんだビジョンに若干引きつつも、素直にやってみることにした。
穴の正面に立ち、脚を開いて身体を斜に構えた。右足を前に出し、左足を後ろに引く。左の拳を腰にあて、右腕を顔に交差するように十時方向にピンと伸ばす。
そして、ここからが大事らしい。大きく息を吸って止めた。
イメージはコンパスだ。ゆっくり息を吐きながら、右腕を十二時、二時方向へと円弧を描くように旋回させ、素早く右脇を締めて右手は腰に。右腕と入れ替えるようにしてシュッと左腕を二時方向に伸ばした。
そして今度は、左腕を二時から十時方向へ逆旋回だ。旋回し終わったら、左脇も締めて左手を腰に。そして、両手を同時に前に突き出して。
「【
穴がぐるぐると渦を巻いた。
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