06 君に決めた!

 端的に言うなら、犬……っぽい頭?


 正面に見えているのは、ノーズが長くて、シャープな印象の、狐と狼を混ぜたような容貌の獣の頭だった。それが、破れた穴につっかえて嵌まっている。


 ハンティング・トロフィー。アニマルヘッド。動物の頭の壁掛け。要は、そういうものにそっくりなのだ。でも、はく製じゃない。生きて動いてる!


 黒く濡れた鼻面が、フンフンと匂いを嗅ぎ始めた。まるでワンコだ。

 かなり間抜けな絵面なんだけど、笑うに笑えない。


 アンバランスな印象を醸す大きな三角の耳。体毛は紺青が暗く沈んだような闇色で、ほぼ黒に近い。後頭部から首元にかけては、鬣のような長い淡金色の毛が見えている。


 随分と個性的な色合いだけど、なによりも、その目に釘付けになった。獣の虹彩には、紫電を封じ込めたような青白い光が走っている。ビカビカって。触れたら感電するのではないかと思うくらいに。


 どう見ても、普通の生き物じゃない。バリッって何さ。いったい、どこから出てきたんだよ。


《嚮導神【悉伽羅シュリガーラ】の固有能力【裂空】が発動しています》


 あの、使い方が皆目分からなかった加護か。なぜこのタイミングで?


《先程マスターが日本語で念じた言葉が、【裂空】の起動ワードに該当したようです。どうやら、加護を経由した自動翻訳がなされていますね。対象言語を解析中です》


 えっ、念じた言葉ってどれ? あの時何を考えてたっけ?


《まだ解析中ですが中間報告です。起動ワードになったのは「ここ掘れバウバウ!(日本語)」だと判明しました》


 は? ちなみに、どう翻訳されたか分かる?


《言語互換性が低いため意訳的な解釈がなされています。ニュアンス的には「我が呼びかけに応え、穿て、咆哮獣よ!(幽明境界語)」ではないかと考えられます》


 意訳にしても強引過ぎるような。でも今は、この状況をどう受け止めるかだ。


 目の前のワンコ? は、いまだフンフンと匂いを嗅いでいる。空中に空いた穴に、ズッポリ首が嵌まったままで。


《生体サーチの一部が上書きされました。該当箇所の確認をお願いします》


 加護:嚮導神【悉伽羅シュリガーラ

 固有能力:【裂空:夜豻やかん[名称未登録]】【幽遊】

 

 ふむ。追加されたのは、夜豻[名称未登録]の箇所だ。「我が呼びかけに応え」の文言からすると、これって召喚系の能力なの?


《そのようです。この度のマスターの呼びかけに応えたのが目の前の個体ですね。現時点では仮契約の状態です。名称登録、つまり命名を行えば、契約が正式に成立するはずです》


 契約しないなら?


《別れを告げれば立ち去るのでは?》


 ここでバイバイしたら、この子とはもう会えない?


《召喚系の能力には相性があるので、また同じ個体が現れる可能性はあります。ですが、システム的には一期一会です。二度と巡り会えないと考えた方がよいでしょう》


 相性がいいのか。このワンコ、いや夜豻と。


 改めて目の前の夜豻を見つめた。野生的な面構えだけど、耳が大きいせいか、どこか愛嬌がある。


 果たして、こういうのって初回で決めていいものなのかな?


 あんな、何気に浮かんだセリフでやって来ちゃうなんて、せっかち、あるいはうっかり系なのかもしれない。でも、人懐こそうではある。もし尻尾が見えたら、ブンブン振っていそうだ。


 いや、ブンブンとは限らないか。小さな尻尾だったらフリフリかもしれない。逆に大きな尻尾だったら……パタパタ? あるいは、ファサファサ?


「あっ!」


 俺の迷いを感じたのか、夜豻が穴から顔を引っ込めてしまった。逃げちゃった? サッサと決めればよかった。


『ズボッ』


「うぉぉぉっ! 尻尾きたっ! 俺の考えを読んで、しっぽをアピールしたいってこと?」


 悪くない、どころかとても良い。フッサフサの狐の尾のような形をした、それはそれは見事な襟巻……でなく、尻尾が目の前にある。


 凄くボリューミィなそれが、無理矢理穴から押し出され、丸っと飛び出しているのだ。ダメだよ。そんな扱いをしたら、上等な毛が傷んでしまうじゃないか。


 気づけば、尻尾に吸い寄せられるように、ふらふらと立ち上がり、書き物机の向こう側に回っていた。


 俺は決してケモナーやモフラーではない。しかし、直接肌に触れるものには拘る方だ。特にその感触には。


 セールなのに税込で二万円近くもしたカシミヤのマフラー。なけなしのお年玉で買ったのに、異世界転生のせいで半シーズンしか使えなかった。


 それも、もう七年も前の話で。虫食いになって捨てられちゃったかも。思い出したら悲しくなってきた。


 しかし、目の前にそれ以上になりうる極上のブツがある。


 気づいたら触っていた。撫で撫でして、スリスリしても嫌がらない。尻尾がパフンと頬に当たって顔が埋まった。艶々としていて、温かみのある夜色のフワッフワに、顔面が包囲される。


 あまりの心地よさに動けない。


 視界に広がるコバルトブルーは、内側に行くにしたがって色が明るくなる。

 全然獣臭くない。陽だまりに干した布団のようないい匂いがする。


 何これ尊すぎる。内側にある極めて密な産毛が、この上もなく柔らかい。陶然とするような天にも昇る質感。カシミアを超越した神の繊維と言われるビキューナってこんななのかも。


『バウッ?』


 あっ、お返事ですね。尻尾どうよって感じ? それはもちろん、文句のつけようもない。だからってわけじゃないけど。


「君に決めた!」


 この子自身が、俺と契約するのに前向きなのがいい。最初から尻尾を触らせてくれるくらいに友好的だなんて評価大だ。俺の方もいややはない。そこまで相性が良いなら、決めちゃっていいよね。


 そうなると、名前はどうしようか?


 さっき見た光を弾く淡金色の鬣。あれが凄く印象的だった。夜色の毛皮に映えていて、月夜に浮かぶススキみたいだと思った。性別が分からないので、男女どちらでも通用しそうな名前がいい。


待宵まつよい! 今からそれが君の名前だ!」


『バウッ!』 『バリッ! バリバリバリバリ!』


「うわっ、な、なに?!」


 眩しい発光と共に尻尾が穴から引っこ抜かれ、新たな破壊音がした。見れば、頭サイズだった穴が、何倍にも大きく広がっている。ちょうど、子供が一人通れそうなくらいに。


 穴の向こう側には暗闇が見えた。背景の黒から浮かび上がるように、全身から金色の光を放つ待宵がいて。


 スーパー待宵。


 まさにそんな外見にチェンジした待宵が、何を思ったか、俺の服を咥えてズルズルと穴の中に引きずっていこうとする。


「えっ、ちょっと待って。なんでそっちに行くの? 暗いのはヤダ。嫌だって」


 抵抗はした。だけど、非力な七歳児の力では全く敵わない。ズリッと全身が引き剥がされるような感覚が生じて、得体の知れない穴の方へ強引に引きずり込まれていく。


 名前をつけた途端に拉致誘拐? それって酷くない!? 聞いてないよ!


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