第二部
第一章 転生者の足跡
01 子供の遊び
空中庭園での戦いから早くも数カ月経った。季節はもう秋を迎えていて、涼しい風が吹いている。
あんな派手な戦闘をしたから、あちこちから面倒な干渉をされると予想して身構えていた。なのに、拍子抜けというか、至って平穏な日々を送っている。
まあ。何事もなければ、それが一番いいよね。
夏の間、共に遊んだ御三家の子供たちは、モリス家を除き全員が帰郷済みで、ジャスパーとジェイクの兄弟だけが本邸に残っている。
といっても、つい最近、ジャスパーは見習い修行が始まった。将来の俺の側近、つまり、広大なグラス地方を治める当主の右腕になるための多岐に渡る修行が。
「では、私はそろそろ失礼いたします」
「もうそんな時間? 分かった。いっていいよ」
七歳にして職業を貰うこの世界では、子供が大人の仲間入りをする年齢が、現代日本に比べてとても早い。
庶民はもちろん、貴族の子供でも、男子であれば遅くても十二歳になる前には、徒弟や奉公といった形で社会に出る者が珍しくない。
主な教育は、机上ではなく現場で成される。 OJT(On the Job Training)、つまり 現場教育至上主義なわけだ。
新人は業務を通して実践的に職業の特性を学び、知識の習得や実務経験を積むのが当然とされている。
例外は、領主や神官になるための基礎教育くらいで、俺も既にそういった学びが始まっている。
そういったシステムだから、互いに自由になる時間が減ってしまうのは仕方ない。ただ困るのは、まだノルマのないジェイクが宙に浮いてしまうことだった。
「にいさま、どこにいくの?」
「もちろん仕事だよ。ジェイクには、僕の立場をちゃんと説明したよね?」
ジャスパーとジェイクの兄弟は、見ていて微笑ましくなるくらいに仲がいい。ジャスパーは面倒見がいいお兄さんだ。弟が頼りにするのもよく分かる。
「そっきん……になるってやつ?」
「そう。遊びじゃないから、ジェイクは連れていけない」
「ヤダ! おいてかないで!」
どうやらジェイクが俺の影武者になる案は未だ生きていて、早く環境になれさせたいという大人たちの思惑がある。
でも、ジェイクは俺の三つ下で四歳でしかない。幼稚園でいえば年中さんだ。まだまだ幼い。この年齢の男子に状況を理解しろというのは、さすがに無理じゃないかな?
人見知りで大人しい。兄の背中に隠れている甘えん坊。
出会った当初に抱いていたジェイクに対する認識は、今なお変わらない。兄と一緒にいてすら、もじもじするばかり。一向に喋らないし、チラッと俺を見ては、すぐに影に引っ込んでしまう。
そんな彼が、庇護者である兄と離れて、俺と二人っきり(世話役や警備の大人は控えている)にされたら。
「僕には覚えるべき仕事がある。ジェイクは僕の代わりに、リオン様のお側にいてね」
「にいさま! いかないで!」
追い縋るジェイクをクールに振り切り、ジャスパーが速やかに退場した。そして、兄に置き去りにされたと理解した途端に、ジェイクの様子が目に見えて変わった。
ソワソワ、キョロキョロ。俺とは目線を合わせない。なのに、めっちゃ意識しているのが伝わってくる。
ジェイクは、猛獣に睨まれた小動物のごとく、逃げ場を探して落ち着きなく室内を見回していた。
でもね、この遊戯室には身を隠す場所なんてほぼない。俺専用の遊び場兼作業場ゆえに、細かい配慮がなされているからだ。
転んだり、ぶつかったりしても大丈夫なように、家具の角は磨かれて丸くなっていて、そもそも家具自体が少ない。
だいぶ揃ってきた画材道具を収納する棚や、飾り棚兼本棚。寝転がるための敷物やクッションに、書き物をするための机。
鎧馬がモデルだろう、厳ついデザインの木馬が、唯一のそれらしい遊具だと言っていい。
だから。……ああ、そこか。まあ、そこくらいしかないよね。
ジェイクが急に走り出した。目指すは窓際だ。吊り下がるカーテンに勢いよく飛びつき、布をバタバタと激しく振ると、タッセルが外れてドレープが緩く広がった。
出来上がったのは、カーテンの裾にあるポッコリとした丸い膨らみだ。もちろん、裏側にジェイクがいる。
巣穴に潜るウサギのごとく、本人は隠れたつもりだけど、荒い呼吸音がここまで聞こえてきた。
これって、無視するわけにはいかないよね? といっても、どうすればいい?
「ジェイク? どこに消えたの?」
優しく声を掛けながら、ゆっくりと窓際に近づいていく。
すると、俺の気配を感じたのか、ジェイクがカーテンの影から飛び出して、またキョロキョロと視線を彷徨わせると、今度は特注の大きな安楽クッションの下に潜り込んだ。
「えっと、隠れんぼをしたいの?」
絶対に違うよなと思いつつ、クッションの方に足を向けた。
「ジェイクは隠れるのが上手だね。どこにいるか分からないや」
一旦立ち止まって呼びかけたが、セリフが棒だ。我ながら大根役者だなって思う。
夏の間は子供たちで賑やかだった部屋は、子供二人だと寂しく感じた。秋も深まる今では、酷く寒々しくて、声も冷たく響く気がした。
「こ、こっちにこないで! 絶対にきちゃダメ!」
ジェイクが俺から逃げるように、クッションの下から飛び出して、書き物机の下に潜り込んだ。これも特注品で、通常のものより小さめに作られている。
狭いスペースに
困った。これじゃあ、虐めているみたいじゃないか。
とりあえず、足を止めて追うのをやめた。だって、泣かせたい訳じゃないから。
問題は、なぜあんなに不安そうなのかだ。
俺が怖いってこと?
以前より頬がふっくら、子供らしい可愛らしさが出てきたと自負していたのに。思わず頬に手を伸ばし、表情が緩めばいいなとムニムニしてしまった。
――フキトバス?
「ううん。フェーン、それは可哀そうだからやめてあげて」
フェーンの荒療治的な提案は、即却下。以前より力が強くなっているから、フキトバスは大惨事になりかねない。
それに、ジェイクはこれまで、精霊紋に反応する素振りを見せていない。おそらく“視えない側”の人間だろう。室内で突風が吹いたら、余計にビビらせるだけだ。
幼児の心理。子供が子供相手に怯える理由……わからん。
そもそも、前世で四歳の頃って何をしてた?
幼稚園の頃の記憶なんてほとんどない。当時のことは、強く印象に残った光景を、その瞬間だけ切り取った静止画のように覚えているに過ぎない。
「あんたは一人でぶつぶつ言いながら、工場や工事現場設定で、何が楽しいのか、車庫入れやクレーンごっこばっかりしてた」
「そうそう。将来は運送業か土木建築方面に進むかも、なんて思っていたのよね」
「手のかからない、いい子だったよ」
参考になる意見はこれである。順番に、前世の姉・母・婆ちゃんのコメントだ。
ちょうど幼稚園に入園した頃に妹が産まれて、大人しく遊んでいれば、割と放っておかれたらしい。
そうそう。思い出した。某玩具メーカーのタウンシリーズ。
緊急車両満載のセットが欲しくて欲しくて、珍しく駄々を捏ねた。なのに、収納スペースがないと即却下されて、めっちゃ泣いた。
仕方なく、色だけはカラフルなお菓子の空き箱を車両に見立てて、一人寂しく遊んだんだ。でも、紙ごみの日に全部消えていて、また泣いた。なんか、ちょっと切ない。切なすぎる。
ところが、ここ異世界では、紙工作どころか子供向けオモチャそのものが、あまり発達していない。
子供らしい遊びを介して学ぶとか、創造力を鍛えるといった概念自体がない。せいぜい、抱き人形や、子供向けの絵本があるくらいだ。
だから、天気の良い日は外に出て遊ぶ。走ったり、登ったり、跳んだり、飛び降りたりと、運動量が多く、身体能力が鍛えられる活発な遊びが主体になる。
周回していないと死んでしまう回遊魚。まさにあんな感じで、彼らは体力が続く限り動き続け、エネルギーが切れるとパタっと寝る。そんなON・OFFしかないような生き物として育つ。
年齢や体格による差が極めて明らかな集団に混ざり、身をもって社会性を学ぶのだ。
個々の力の強さや、足の速さ、弁が立つかどうか。そういった目に見える能力が、上下関係に与える影響が大き……そうか! 怯える理由が分かった気がする。
たぶん、合っていると思うけど。念のためジャスパーに確認かな。
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