14 真夜中の探検

「じゃあ、行ってみよう!」


 良い子は寝ているはずの深夜に、こそこそと起き出した。

 といっても、身体はベッドに横たえたままだ。


「【幽体分離】!」


 意図的に幽体と肉体を切り離す。いわゆる幽体離脱と違うのは、幽体の一部を肉体に残しておけるところだ。


 これは一応保険になる。【幽遊】があるから、やらなくても肉体に戻れそうだけど、世の中、何があるか分からない。不測の事態に備えてってやつだ。


 アラネオラ、留守番は任せた!


《はい。マスター。お気をつけて》


 うん、行ってきます。


 前回は待宵によって強引に引き剥がされたけど、こうして自分から幽体離脱をするのは不思議な感覚だ。

 身を起こすようにして、そっと肉体から離れた。横たわる自分の姿を上から眺める。静かな呼吸音。顔色もいい。


 うん。大丈夫そうだね。


 そして、今の俺のはというと、幽体の姿は肉体と同じ格好をしている。つまり寝巻&裸足。


 これはイメージ的なものらしい。練習すれば服装を変えられそうだけど、それよりも時間が惜しかった。肉体を離れる時間を短くしたいからね。とりあえず今回はこのままの姿で探索に行こう。


 鍵章の前に移動して、その表面にペタッと掌を押し当てた。見た目はこれだけど、門を通り抜ける感覚があるのが不思議だね。


 一人っきり(withワンコ)のお出かけに、気持ちが浮き立つ。深夜だからかな? ちょっと悪いことをしている気分だ。


「うわっ! 何これ!」


 門の中は以前と様子がすっかり変わっていた。

 上の方は相変わらず暗いままだけど、足元がとても明るくなっている。


 見渡す限りの花畑。一面に、色とりどりの光る花が咲いていたのだ。


「前はこんなになかったよね? もっとまばらで、歩けるくらいの隙間があったはず」


 門のごく周囲だけが刈り込まれた感じで、地面には何もない。でも、それ以外の場所には、花が咲き乱れている。


 花の大きさは、大人の拳大より一回り大きいくらいのものが多い。そして茎丈は、花の位置が俺の膝を越えた太腿あたりにある。これだと、足の踏み場を探すのも大変そうだ。


「困った。どうやったって踏んじゃうよ」


 花畑を荒らすのは躊躇われた。あの絵本を思い出したせいもあるけど、花がそれはそれは見事に咲いているから、散らしてしまうのが惜しまれた。


 でも、そうも言ってられないか。時間は有限。迷っている余裕はない。花には申し訳ないけど、踏み折るのを承知で花畑に入っていく。


 今日は、門の周辺を探索する予定だ。門からある程度の距離を離れてしまうのは仕方ない。門の位置は【門番@】と紐ついているから、周辺を探るだけなら確実に戻って来れるはず。


『悲しい』


 えっ、ご、ゴメン。


 花を踏んだ途端に声が聞こえた。年齢性別不肖の、やけにもの悲しく響く声が。まるで花自身が喋ったかのように思えたので、足裏に踏みつけられた水色の花に反射的に謝ってしまった。


 今の声っていったい?


 躊躇う俺をよそに、待宵が先導するように花畑をズンズン進んでいく。


『辛い』『ムカつく』『悔やしい』『寂しい』


 花畑から立ち上る幾つのもの声。どのフレーズも短いが、共通しているのはネガティブな気持ちを表す言葉ばかりだということだ。なんなんだこれ?


「待宵! ちょっと待って」


 俺の声掛けに、待宵が歩みを止め振り返った。尻尾がパタパタと揺れている。うん、ご機嫌なんだね。


 この怨嗟のような声が聞こえていない? あるいは、気にしていないとか?


《後者のようです。この花は『情念花』といって、死者が抱えていた負の情念が、花として咲いたものです。散ってしまっても問題はない、というか、散らされて昇華する時を待っている存在です》


 死者が抱えていた負の情念。怖えって思ったけど、散らした方がいいの? 本当に歓迎? だったら遠慮なく進めるね。


『怖いよぉ』『頭にきた!』『イライラする』『もうダメだ』


 いやいやこれ、メッチャやりづらいんだけど。マイナスイオンならぬネガティブワードのシャワーだ。それを容赦なく浴びながら大股で進んでいく。


「あれ? 花が浮いている」


 前方にある花が、フワッと宙に浮かび上がってくるのが見えた。根元で茎が切れたのか、がくの下から細くて真っ直ぐな茎がスラリと伸びている。


 エメラルド色の美しい花は『妬ましい』という言葉を放って、眼前を通り過ぎて上空へと昇って行った。それを眺めている内に、連鎖するかのように色とりどりに光る花が次々と地面から離れ、一斉に浮遊し始めていた。


 さっきの花はフライングだったのか? 足を止めて不可思議な花の動向を観察することにした。


 足元にあった花々は、ふわふわと頼りなく揺れながら、腰の高さから肩まで上がり、そのままゆっくりと俺の頭を超えていく。


 気づけば、周りを無数ともいえる花に取り囲まれていた。視界が全て花に埋め尽くされる。花の洪水だ。


 身動きせずにじっと待っていると、ついには全ての花が遙か頭上を目指して昇って行った。


「なんか、下から見るとクラゲみたいだ、でなければボウフラ?」


 ふと、厚いガラスの向こう側に泳ぐクラゲを連想した。ネガティブな声とは相反する、優美で幻想的な眺めは、とても見ごたえのあるもので。ユラユラと浮遊する花々を、自ずと目で追っていく。


 遥か上空に昇った花々は、絨毯のように広がり空を覆い尽くした。形にならない点描画、あるいはモザイクアートにも見える。


 花々は示し合わせたように一斉に弾けて、キラキラとした七色の光になった。打ち上げ花火の最後に星のごとく煌めく光跡を彷彿とさせる。暗闇に乱舞する数多の虹光。


「綺麗だなぁ」


 そういえば、この世界に打ち上げ花火ってあるのかな?

 魔術がある世界だし、魔花火? みたいなのを鑑賞して楽しむ文化があってもよさそうだ。モリ爺なら知ってるかな?


 なんか、すっごくいいものを見せてもらった。そんな感じ。


 虹光がすっかり消えてしまうと、空全体が金色に輝き始めた。その明度が徐々に低下していき、色合いも移り変わって辺りが茜色に染まっていく。


 気づけば、地面も空も赤から朱、橙色、黄色のグラデーションに覆われていた。


「どこもかしこも真っ赤っかだ」


 燃える夕陽の中に閉じ込められた。そんな色彩。


 一人で見るのがもったいないような染み入るような茜色。誰かとこの想いを共有できたら……なんて、無理だろうなぁ。待宵は、見慣れているのか、この光景には関心がないみたいだし。


 足元を見ると、地面の花はすっかり消えていた。


『ポン!』『ポンポン!』『ポンポポポポポン!』


「わっ、なに!」


 ポップコーンが弾けるような軽快な破裂音。それが立て続けに響く。

 気が緩んでいたところに不意打ちだよ。


 見れば空中に新たな異変が生じていた。音が鳴るたびに、地面から二メートルくらいの高さに、大人の頭ほどの大きさの先が尖った風船のようなものが出没している。


「なんだろう? 形は鬼灯ほおずきに似ているけど、大きさが全然違うし、色も濃過ぎる」


 血のような赤。その中心部がより明るく光っている。そのせいで、巨大鬼灯は提灯のようにも見えた。


 遠くの方は景色が滲んでいて判別がつかない。見渡す限りの夕焼け空。その中で、距離感が酷く曖昧になっている。


 辺りが段々と薄暗くなってきて、空が赤から薄紅色、そして紫色に変化していった。


 見惚れるほど美しいのに、妙に怪しい感じもした。黄昏。昼と夜の境目。こういうのを逢魔時おうまがときと言うのだろうか?


 鬼が出るか蛇が出るか。


 得体の知れない雰囲気に、少なからず緊張が走る。それを見計らったように、巨大鬼灯が先端から裂けるように割れて、朱色に明るく光る珠が露出した。


 まるで煌々と道を照らす街灯のよう。巨大鬼灯は、意志のある生き物のように配置を変え、いつの間にか一定間隔を空けて列を成していた。


《カタシハヤ、エカセニクリニ、タメルサケ、テエヒ、アシエヒ、ワレシコニケリ》


「うわっ! びっくりした。アイ、急に意味不明なセリフを呟かないで」


《マスターの記憶からの引用です。このような状況にはぴったりかと思いまして》


「俺の記憶から?」


 あんな呪文みたいな言葉なんて……あれか? 百鬼夜行の害から身を守るためのまじないの言葉。


 えっと、『難しはや、行か瀬に庫裏に貯める酒、手酔い足酔い、我し来にけり』だっけ?


「確かに唱えたくなるね。でもここは日本じゃない。異世界だよ……なんて、いってられなさそう。何か来る!」


 黄昏の中を、こちらに向かって来るモノがいる。輪郭が曖昧ではっきりしないが、正体不明の何かが近づきつつあった。


 身動きせずにじっとしていたら、目の前を通り過ぎて門の方に向かって行くようだった。


 —— 譁ー縺溘↓髢?縺後〒縺阪◆


 —— 邊セ髴翫?蝗ス陦後″縺?


 —— 萓ソ蛻ゥ縺ォ縺ェ縺」縺溘?


 —— 縺雁共繧√#闍ヲ蜉エ讒


 その時に、声らしきものを捉えた。全く意味不明だ。会話的な響きがするのに、何を言っているのか分からない。


「アイ。今通り過ぎた声が、何て言ってたか分かる?」


《新しい門、精霊の国行き、便利になった、お勤めご苦労様。そんな感じだと思います》


 そうなんだ。なんだ。全然怖くないじゃん。幽明遊廊の利用者には歓迎されているってことかな?


《少なくとも門を作ったことに関しては、そのように受け取れます》


 お勤めご苦労様だって。その言葉が意味するのは、俺が新しくできた門の番人だと、彼らが認識しているってことだ。


 いったいアレは何者だったのだろう?


 巨大鬼灯は次第に影が薄くなって、空中に溶けるように消えていった。それに連れて、辺りがすっかり暗くなる。


 静寂な暗闇に足が竦んでいたら、足元にポツンと明かりが灯った。花の蕾だ。色鮮やかな七色の花の蕾が、視界に浮かぶようにポツリポツリと増えていく。


 花畑の再生が始まったのかな?


「今日のところは、これで帰ろうか。少し時間を空けたら門をチェックしに行こう。ところで、待宵はどこに行ったの?」


 待宵の姿がなかった。置いていったらマズいよね?


『バウ! バウバウ!』


「あっ、戻ってきた」


 以心伝心? あっ、やば。ちょっと怒ってる?


「どうどう、落ち着け。やだなぁ、本気にしないでよ。置いていかないってば。じゃあ、もうちょっとしたら一緒に帰ろう」


 初日の探検は頓挫したけど、また来ればいいさ。今日はこれでおしまい。門に向かって行った彼らも気になるしね。

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