第50話 失われた星花

 次から次に情報が入ってきて、ちょっと頭が追いつかない。

 なぜフロル・ブランカが、魔女と呼ばれるに至ったのか?


 彼女の母親の生家であるローカスト侯爵家は、保護血統に指定されている希少な加護の継承家系だった。


 呪神【呪華パナケイア


 術者の生命力を削り、奇跡的な治癒力で他者を癒すという、自己犠牲的な能力を発揮する善性の加護だ。


 その一族の血統に、数百年に一人生まれるかどうかの、イレギュラーかつ異質な存在が現れる。


 フロル・ブランカがまさにその一人で、【呪華】とは対極的な性質を持つ呪神【妖華マルム】を授かっていた。


【呪華】と【妖華】は、同じ神から与えられる加護であり、術者の生命を糧とする点では共通している。


 しかし、【呪華】が起こし得る人の身に余る奇跡を清算するかのように、【妖華】は人智を越える摂理に干渉して疾病や災害を撒き散らす。


 厄介なのは、その固有能力【百華妖乱マレフィキウム】だ。


 術者が妬みや憎しみといった負の感情を覚えるだけで、無自覚に加害的な力を発動する悪辣な性質を持つ。


 最初の被害は、アレクサンダーの婚約者が病に倒れるという形で現れた。グラス地方に不穏な影が差していたこともあり、アレクサンダーは、予定を切り上げてキリアム王国へ帰郷してしまう。


 己の加護に無知なフロル・ブランカは、自ら引き止めることができず、みすみすアレクサンダーを帰してしまった周囲の人々に憎しみを抱くようになる。


「アレクサンダー様が私の元から消えてしまった。運命の出会いなのに、なぜ結ばれないの? 何がいけなかった……いえ、誰が私たちの邪魔をしたのかしら?」


 自分以外の全ての人が幸せに見えた。自分だけが悲劇のヒロインで、可哀想な犠牲者だった。当時の情勢を知った彼女は、よりその思いを強くした。


 国家権力に引き裂かれた愛し合う二人。

 フロル・ブランカの認識が現実と乖離し、あり得ない方向に歪んでいくのを、誰も修正することができないまま、時が過ぎた。


 その結果。


 王国に次々と凶報が届けられた。黄色い悪魔『絶枯グーラ』の襲来という悪夢が発生したのだ。


 黄変し大量発生した、群生相の魔虫が引き起こす飛蝗ひこう現象。

 飢えに狂った魔虫が、地に生える全ての草木や生き物を食べ尽くし、国土を蹂躙していく災害は、古くから『黄暈こううんの魔女』の怒りが原因だと伝承されている。


 ただでさえ、火山の大噴火による飢饉が予想される中で、死体に鞭打つように襲い掛かる無情な災厄。黄色に黒い斑が入った魔虫は、進行方向にある生きとし生けるものを全て無に返した。


 人々はただ逃げ惑い、『黄暈の魔女』の怒りが治まるのを、身をすくめて待つしかなかった。


 そして、死神の群れが全て通り過ぎ、遠く海上に消え去った時、食糧を求めて争う人々の目は、不思議と被害が少ないキリアム王国に向かうことになる。


 常なら互いに牽制し合うベルファスト王国の諸侯たちが、ある者は手を組み、またある者は独自の判断で、西に向かって進軍を始めた。


 豊穣の大地、いまだ飢えを知らないキリアム王国を目指して。


「諸侯軍だけでなく、ベルファスト王国の王軍も、こちらに向かっている。このままでは戦争は避けられない。彼らの提案を飲むしかないだろう」


「ベルファストの傘下に収まるだけでなく、あの娘の機嫌を取れと? 気は確かですか?」


 病床に伏すウィリアム王と、父王の決断に納得がいかず、不満を漏らすアレクサンダーの姿が映し出された。


「正気ではないだろうな。何しろこのザマだ。伝承が真であれば、それしか事態を収める方法はない。もし『黄暈の魔女』を排除しようとすれば、死の恐怖に誘発され、今まで以上に恐ろしい災厄に見舞われる。それだけは絶対に避けなければならない」


「しかし……他に方法はないのですか?」


「済まない。我々の王国の、いや、このグラス地方の安寧のためだ。我慢してくれ。ベルファストも最大限の譲歩を示してきた。ここで手を打たざるを得ないだろう」


 自然災害だけではなく、ある意味人災とも呼べる大飢饉と、迫り来る諸侯軍や王軍との交渉。キリアム家の歴史の転換点。その裏側がこれなのか。


 場面が切り替わり、世相とかけ離れた華やかな結婚式が催され、物語は加速度的に進んでいく。


 歴史の授業では、アレクサンダーの政略結婚の相手とだけ知らされ、名前すら挙がらなかった人物。だからあの時は、政治的な駒として使われた女性だという認識でしかなかった。


 しかし、こうなると、意図的に情報規制をしているとしか思えない。分家の子供たちが「魔女」と呼んでいるくらいだから、決して上手くはいってはいないようだが、『黄暈の魔女』の正体は、公には口にできない、いわゆる公然の秘密になっていそうだ。


 キリアム王国の王都から、グラス地方の主都へと呼称を改めたグラスブリッジ。

 そこで新生活を始めた年若い夫婦だったが、花嫁の顔色を伺うような婚姻関係は、徐々に破綻をきたし始めていた。


 その煽りを受けたのが、グラスブリッジの防衛に死力を尽くし、精霊と共に眠りたいと願ったヒューゴ卿だ。

 領主夫人となったフロル・ブランカの、により、やむなく彼の遺言は踏み躙られることになる。


 どこか色褪せた空中庭園の中で、憂いを帯びた姿で立ち尽くす、現当主アレクサンダー。その周囲で悲鳴を上げ、彼を責める人々の姿が見えてきた。


「なぜ王家の言いなりなのです?」


「今すぐやめさせて下さい。独立を捨て、降嫁を承諾しただけでも大概なのに、墓荒らしまで同意するなんて。不撓不屈ふとうふくつのキリアムの誇りを失ってしまったのですか?」


 抉られ掘られ抜かれていく星花。親族に詰め寄られながらも、新妻の我儘を容認するアレクサンダー。


「済まない。私の一存では、止めることはできない」


 その傍らでは、王家から送り込まれた石工職人たちが、粛々と水盤の改修工事を進めていた。


「墓を荒らす理由は? キリアムの尊厳を傷つけるためですか?」


「それは違う。あくまで個人的な理由だそうだ。……死後も愛される精霊に嫉妬すると。この場所が目障りで我慢できない。だから、無くしたいと言われた。永遠の愛を誓えとも。でなければ、私を信じることができないらしい」


「しかし、ここはキリアム一族にとっては特別な場所です。都市防衛に死力を尽くした精霊への感謝と敬愛の証なのですから」


「だからこそ、どんな形でも残さなければならなかった。それに、アレが望みを叶えるまで、我々を襲う不幸は止まらない。止めようがないのだ」


 婚姻に際して、王家からフロル・ブランカの特殊性を知らされたアレクサンダー。

 ベルファスト王国から甚大な被害報告がもたらされると、拭い切れない恐怖と重圧が彼をさいなんだ。


 魔女に魅入られた己の一挙手一投足に、この大陸の命運が左右される。

 グラス地方に押し寄せる流民と治安の悪化への対処や、ベルファスト王国からの度重なる食糧輸出の要請に忙殺され、眠れない日々が続いていた。


 そして彼は、妻を恐れるあまり、男性としての機能に問題をきたしていたとされている。


「なぜ私を求めて下さらないのです?」


「君のことは愛している。しかし率直に言って、私は君が恐ろしい。君自身ではなく、君が抱える能力がだ。この恐怖がなくならない限り、身体は元に戻らないという医師の見立てだ」


「しかし、私は意図的に何かをしているわけではないのです。そもそも、望んで得た加護ではありません。能力に迷惑しているのは、誰よりも私自身なのに」


 上部だけでも愛していると、言い続けざるを得なかったアレクサンダー。自らの危険性を知らされ、人生で最も欲しいと思ったものが、手に入らなかったフロル・ブランカ。


 金色の板に刻まれた愛の言葉。形だけでしかない永遠の誓いに、彼女がどの程度満足したのかは、今となっては分からない。


 なぜなら、大陸に撒き散らされた大いなる災厄と不幸は、その対価として彼女の命を大幅に削り、短い生涯を終わらせてしまったからだ。


 彼女の遺体は王家が引き取り、キリアム家が預かり知らぬ場所に埋葬された。


 当然のことながら、フロル・ブランカとアレクサンダーの間に、子供はできなかった。当時の状況を鑑みれば、キリアム本家の血統を守るため、あえて作らなかった可能性もある。


 キリアムの跡は、フロル・ブランカの死後、アレクサンダーと後妻(元の婚約者)との間に生まれた子供が継いでいる。


 誰も彼もが報われない。

 

 そんな虚しい、すっきりしない余韻を残して、視界が元に戻った。


 白蛇は、いったい俺に何を見せたかったのか?

 今回のは、続・アレクサンダー事変ともいうべき内容で、一連の事件の真相に迫るものだ。


 それに巻き込まれるようにして壊されたヒューゴ卿の墓。

 そして、改修され、偽りの愛の誓いの場になった水盤に、今また異変が起きている。


「リオン様、お怪我はありませんか?」


「大丈夫。しかし、酷い有様だね。床材が粉々だ」


「破損の程度次第では、崩落する危険があります。誘導しますので、直ちに退避をお願い致します」


 崩落と聞けば長居はできない。護衛の騎士たちの先導に従い、後ろ髪が引かれる思いで空中庭園を後にし、俺たちは無事に上郭へと帰還することができた。





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【あとがき】

 ここまでお読み頂き誠にありがとうございます。第七章終了です。

 物語第一部は、ついに最終章へ向かいます。


 作品及び作者フォロー、応援コメントに星レビュー。どれも大変ありがたく、見るたびに励まされ、感謝しております。

 段々と改稿がキツくなってきましたが、毎日更新を目指して頑張ります。

 

 漂鳥

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