第49話 愛に束縛されし者
「保護血統」
「横恋慕」
「災厄」
もしもーし。引き続きポンポンと飛び出す怪しい単語。でも、そんな風に並べられても、なんのことやら分からない。
「えっと、もっと具体的に言える?」
「具体的にって、どういう意味? ……じゃなくて、意味でしょうか?」
俺の要求に対し、女の子たちが揃って首を傾げる様を見かねて、これまで物静かに側に控えていたジャスパーが口を開いた。
「あなたたちの話が飛び過ぎているのです。魔女の悪行以前の、この場所の説明から始めてみては?」
そう。そもそもそれが分からない。
・水盤には、かつてヒューゴ卿の墓標と花壇があった。
・花壇は壊され、遺骨は移されている。
・愛の誓いのメッセージは、以前とは書き換えられている。
・犯人は魔女。
飛び交う言葉から、ざっくりと把握できたのはこのくらいだ。
「魔女以前の話? どこまで戻ればいいのかしら?」
「以前は花壇があったと言っていたけど、何が植えられていたか知ってる?」
「もちろん、
「それって、花冠に編んだ花だよね?」
熱冷ましに効く、水の精霊に好まれる花だと聞いて、あのあと少し調べてみた。
星花は地を這うように生長する、
しかし、精霊が多いこの地では、一年中、季節を問わず花をつけるらしい。
つまり、目の前にあるような華麗な彫刻ではなく、グランドカバー的な植物が、ここに植えられていた。それだと随分とイメージが変わる。
「そうです。星花は、子宝や家族の絆を象徴する花」
「水面に
「かつてはここで、一族の婚姻の儀を挙げたのよ」
「星花に囲まれて、精霊に見守られながら式をあげるなんて、とても素敵よね。だから、こんな
なんか急に
――チガウ
えっ?
――チガウ チガウ チガウ チガウ
――ゼンブ コワシテ
――ヤメテ ナゼ
――ワカラナイ
――ヤクソク
――ヤクソク シタノニ
誰かの悲鳴が聞こえた。
体感温度が急激に下がり、吐く息が白くなる。そして、水盤とその周囲の床に目に見えて霜がつき、白く凍りついていった。
「いったい何が?」
「危ない!」
凍った床に亀裂が入り、蜘蛛の巣のようにひび割れ、粉々に砕けてゆく。
状況を把握する間も無く、目の前に列車みたいなサイズの巨顎が迫り、パクりと丸呑みにされていた。
金色の蛇眼。真珠色の光沢。
またお前か!
文句を言い立てる暇もなく、観客一人の舞台劇が開演する。
「姫君のご誕生、おめでとうございます」
「うむ。生まれたばかりだというのに、大層愛らしい顔立ちをしている。成長の暁には、さぞ美しくなるに違いない」
「名付けはいかがされますか?」
「そうだな。この子には大輪の花が似つかわしい。フロル・ブランカの名を与えよう」
フロル・ブランカ。
先程、耳にしたばかりの花の名前だ。魔女の花だと言っていた。じゃあ、この子が魔女?
特に変わったところはなく、可愛らしい赤ん坊に見える。それがなぜ、後世に魔女と呼ばれるようになったのか?
赤ん坊に焦点を当てたまま、周囲の景色が目まぐるしく変わり、彼女の数奇な生涯を映し出す。
愛らしい女児は、真綿に包むようにして育てられ、物心がつく前から大勢の大人が彼女に
欲しいものは常に誰かが察してくれて、直ぐに目の前に差し出される。願いを口にすれば、叶わない望みなどひとつもない。
成功物語の主人公のように、全てが思う通りに動いていく生活。
我慢することや諦めることを全く経験せず、その必要性も感じないまま、少女は思春期を迎えていた。
ある日、変わり映えのしない退屈な毎日に、光が差すような変化が起こる。
「あの殿方はどなた?」
「隣国からの使節です。外交のためにいらしたと伺っています」
数え切れないほどの明かりが灯された、煌びやかな大広間。
大勢の着飾った人々が騒めく中で、一際注目を浴びている青年がいた。
優美さの中にも、どこか野生的な色気がある端正な顔立ち。表情豊かに話す仕草や、背が高く鍛えられた身体は、男性的な魅力を十全に発揮している。
彼を知っている。以前、見たことがあるから。なんなら墓参りもした。
いわく付きの人物だったし、その墓標に刻まれた言葉にインパクトがあり過ぎた。
『愛に束縛されし者』
苦渋に塗れた人生を送り、グラス地方に訪れた過去最大の危難の渦中にいた人物。
王太子アレクサンダー、その人だ。
どうやら、あの一連の事変の少し前の光景を見ているらしい。
彼は国家間の折衝のために、国王の名代として隣国ベルファスト王国を訪れていた。
緊張を孕む二国間の関係。にも拘らず、その麗しい貴公子ぶりに、彼に懸想する妙齢の貴族女性が後を立たなかった。
年若いフロル・ブランカも例に漏れず、青年をひと目見た瞬間に心を奪われ、初めての恋情にその身を焦がすことになる。
「ああ、なんて綺麗な月。アレクサンダー様。あなたも、この澄んだ光を放つ月を見上げて、私と同じように、運命の出会いに思い乱れていらっしゃるのかしら?」
まるで、以前見たロマンチックな歌劇のようだと、彼女の心は浮き立ち、これから起こるであろう甘美な恋の駆け引きを思い描いていた。
彼女は疑いもしなかった。初めての恋の行き先を。
自分がこれほど想いを募らせているのだから、相手も当然、同等あるいはそれ以上の熱量を返してくれると、本気で思っていた。これまでの人生と同じように、何もかも上手くいくと信じていたのだ。
しかし、彼女の予想は直ぐに裏切られることになる。
思わせぶりに話しかけても、つれない態度を貫かれて、少しも気を引くことができない。
ならばと、率直に気持ちを打ち明けてみれば、「自分には婚約者がいる」の一点張りで、全く
そしてついに、あからさまに避けられるようになってしまった。
「アレクサンダー様は、どうして会って下さらないの? 私がこんなにも、お慕いしているというのに」
初めて経験する挫折。彼女は益々、溺れるような恋情に呑まれていく
これまで一度たりとも、客観的に物事を捉えたことがないのが災いし、彼女は誤った考えに囚われ始めた。
「きっと誰かが邪魔をしているのよ。私に嫉妬して、アレクサンダー様を遠ざけているのだわ」
初恋に翻弄されるフロル・ブランカは、恋しいアレクサンダーを嫌うことも、諦めることもできなかった。
だから、アレクサンダーが自分の想いに応えられないのは、二人が結ばれることを快く思わない者が妨害しているせいだ。そんな風に思考が傾いていく。
この時代に生きた人々にとっての最大の不幸は、彼女が普通の少女ではなかったことだ。
フロル・ブランカ・ローカスト・ベルファスト。
王族に生まれ、その身分はこの上なく高い。
しかし、それ以外のある理由で、生まれてから今に至るまで、周囲から腫れ物に触れるように扱われてきていた。
その大元の原因は、彼女が持つ特殊な加護にあった。
叶わぬ恋を知ったことで、フロル・ブランカは、憤り・悲嘆・嫉妬といった負の感情を生まれて初めて体験する。それは周囲の人々が、彼女から必死に遠ざけようとしていたものそのもので。
抑え切れない暗い感情の矛先が、顔の見えない第三者に向かい、物語は悲劇への幕を開けることになる。
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