第八章 キョウランヲキトウニメグラス

第51話 約束

 その後の調査で、空中庭園の被害状況が把握され、報告が上がってきた。


 水盤の貯水槽や、水盤中央にある台座とその脚部は無事だったが、雪花石でできていた水盤の縁石や周辺の床材、そして台座上の彫刻には破損が及んでんいた。


 つまり、元々の構造部分には被害がなく、フロル・ブランカが改修した箇所だけが、狙ったように壊れていたのだ。


 花の彫刻は全壊で、一角獣と少女の彫像は半壊。誓いの言葉が刻まれていた金板においては、粉々に砕け散っていたという。


 金属の板が粉々? と驚いていたら、その認識自体が間違っていることを教えられた。


「あれは迷宮水晶を特殊加工した金水晶と呼ばれるもので、金属ではありません」


 なんと、迷宮素材から作られた、なんちゃって金属だった。


「金属の光沢を持つのに、錆びない、比較的軽い、十分な強度ありと、売れ筋商品になっています。墓廟にあった銀色の板も同様の商品で、そちらは銀水晶と呼ばれています」


「馬車の窓も迷宮水晶の加工品だったよね? では、金水晶や銀水晶も特産品なの?」


「はい。迷宮素材の加工には、特殊な技術を要します。素材の入手も限定されますので、こういった製品は、どこでも作れるわけではありません」


 グラス地方では、産業保護のために、迷宮水晶の買取を強化しているそうだ。技術者も、キリアム家が囲い込んでいる。


「水盤の補修工事は早々に始まる予定です。それほど時間はかかりませんが、当面はあの場所への立ち入りは禁止となります」


「どんな工事をするの?」


「瓦礫の撤去及び、破損した縁石や床材の張り替えを行います」


 台座の上にあった彫像や彫刻は取り除かれ、更地になる。補修部分に使う素材は、雪花石ではなく、もっと床材に適したものに変更される。


 水盤の底にある吸水口は、報告書を見る限りでは、特に異常を指摘されていない。


 しかし、あそこには何かいると、以前から感じていた。

 淡い燐光を放つ球。立ち昇る気泡。見守るように群れていた風の小精霊。


 もう答えは出ている気がする。


 かつては、ヒューゴ卿の墓があったのだ。改修時の光景の中では、親族らしき男性が「都市防衛に死力を尽くした精霊への感謝と敬愛の証」だと言っていた。


 その場所で響いた悲痛な叫び。


「ヤクソク シタノニ」


 あの声が聞こえた直後に、激しい転化の流れを感じて、床や彫像が凍りついた。水属性の魔素が生み出され、氷結という現象が起きたのだ。


 だったら、あの時に聞こえた声は、その精霊のものなのではないか? そう考えるのが自然だ。


 じゃあ、精霊が言う約束ってなんだろうと考えた時に、唐突に、以前、馬車の中で見た白昼夢のことを思い出した。というか、なぜ今まで忘れていた?


 夢に出てきたイーストブリッジは、グラスブリッジの昔の名称だ。あの夢で主人公だった青年は、話していた内容からいって、5代目ヒューゴ卿としか思えない。


 だったら、夢の中で「君」と呼ばれていたのは、彼が深い絆を結んだ精霊なのではないか?


 ヒューゴ卿は、グラスブリッジの攻防以降、巷では「精霊狂い」と呼ばれていた。その理由は、生涯を自らの精霊に捧げると、公私に渡って明言していたからだ。


 「精霊狂い」は決して悪名ではなく、一般には不可視の存在と、そこまで想いを通じることができたヒューゴ卿への、畏怖や畏敬の念を含んでいる。


 そんなヒューゴ卿が自らの墓と定めた場所。


 水盤には地下水が絶え間なく流れ込んでいる。当時、精霊は衰弱して存在自体が消えそうになっていた。水盤が、その精霊の復活のために用意されたものだとしたら。


 本来ならキリアムの親族だけが訪れる、極めて静寂だったろう水盤の底で、少しずつ精霊力を取り戻していくはずだった。傍らに寄り添うヒューゴ卿と共に。彼の死後も変わらずに。


 ただ一点、気になることがある。詳しくは年表でもみないと分からないが、グラスブリッジへの侵略戦争から、既に一世紀以上、二世紀未満の時が経過している。


 果たして精霊の復活に、こんなに長く時間がかかるものだろうか?


 いまだ精霊が、あの場所に眠っているとする。

 フロル・ブランカの嫉妬が精霊に向かった影響も考えられるが、彼女の力が猛威を奮ったのは、そう長い期間ではない。だから、他にも復活できない原因があるのではないか?


 吸水口は浄化装置だと見做されていた。浄化後の水は、生活用水として使われ、また、周囲にある堀を満たしていたという。


 大量の水の行方。うーん。さすがに見当もつかないや。


 でも、精霊については、何か手を打てるかもしれない。水盤の復元。とりあえず試してみたいのはそれだ。


 もう一度、あの白昼夢を見れないかな? そうしたら、確証が得られるのに。


 そんなことを、深夜のベッドの中で悶々と考えていたら、出たよ。真珠の光沢を持つアイツが。


 ガバっと現れて、パクッとされた。


 今回も丸呑みかよ。最初みたいに道案内してくれてもいいのに。えっ、こっちの方が断然早い? なら仕方ないか。不思議なことに、なぜか意志の疎通ができている。だったら、注文してもいいよね。


 肝心のセリフは、あの夢の最後の方で言っていたはず。なんなら、そこから見せてもらえる?


 ――イッショニ イテ シアワセ


 そうそう上手い、ちょうどこの辺りだ。今度こそしっかり聞かなきゃ。


「お願いだから、消えないでくれ……君を愛してるんだ。僕を一人にしないで!!」


 ――キエナイ ココデ ネムルダケ


 ――ダカラ ナカナイデ 


「眠るだけ? 本当に?」


 ――ナガイ ネムリ ガ ヒツヨウ


「それなら、僕は一生……いや、それじゃあ足りない。死んだ後も、眠る君の側を離れない。毎日うるさいくらいに話しかけて、君が好きな可愛らしい白い花を、辺り一面に咲かせる。そして、朝に晩に愛を誓うよ。だって君は寂しがりやだから。僕がずっと一緒なら、君も寂しくないだろう?」


 やっぱり。キーワードは恐らく、花と、愛の誓いと、ヒューゴ卿自身だ。これが精霊を縛る約束、つまり言霊になっていると想定してみる。


 精霊をあの場所から解放する、あるいは覚醒させるには、どうすればいい?


 花についてはそう難しくない。水盤に花壇を作って、星花を植えればいい。

 愛の誓いは、墓標に嵌め込まれている銀板が使えるのではないか? 銀板に刻まれたメッセージは、各当主の信念や生き様に相当するものだから、改葬する際に破棄せず、そのまま再利用されたと考えるのが自然だ。


 下郭の墓廟にある墓から、ヒューゴ卿の遺骨と共に銀板、あるいは墓標を移せば、それほど手間は掛からなそうだし、課題は全てクリアかな?


「ヒューゴ卿の遺骨や墓標を、空中庭園に移動することは可能かな? できれば、水盤を昔と同じ姿にしてあげたい」


「水盤の改修に伴って、墓の復元を試みるという御提案に、反対する者はいないはずです。砕けた金水晶の下に、かつての納骨場所だと思われる隔室があり、既に清掃が終わっています。ですから、今すぐにでも動かせます」


 はい。早速行動ということで、再び墓廟にやってきた。


 お墓を開ける際の手続きを聞いたら、特に必要ないと言われた。

 精霊と共に生き、精霊に見守られて死ぬ歴代当主の葬儀は、近親者や故人と親しかった友人・知人だけに見送られる、宗教色のない自由葬で行われるからだ。


 よって、モリス家当主で、本邸の家宰でもあるネイサンに立ち会ってもらい、俺の傅役のモリ爺にも一緒に来てもらった。


「ヒューゴ卿の墓標については、当時の記録がなくはっきりしないのですが、名前が刻まれた銀水晶については、当時のものである可能性が高いと思います」


 ヒューゴ卿の名前の下にある文言を改めて確認する。


『愛する君に 朝に晩に愛を誓う』


 もうこれ、ドンピシャだろう。

 下郭の工房から石工職人さんを呼んで、すぐに作業が始まった。


「墓標を外しますので、立ち会いをお願いします」


 墓の蓋になっている墓標を専用の道具で浮かせて、横に敷いていた布の上に慎重に移す。


 遺骨が納められた骨壺を取り出すために、白い手袋を嵌めたネイサンが隔室を覗き込み、そこで驚愕の表情を浮かべた。


「な、なんということだ!」


「どうしたの?」


「ありません。空なのです。中に納められているはずの骨壺がないのです」


 びっくりして、俺も隔室内を確認すると、確かに何もない。まるで蒸発したように、痕跡すら残っていなかった。


「えっ!? これって、どういうこと?」


「分かりません。確かにここに納めたと、記録には残されていたのですが」


 そう難しくないと考えていた水盤の復元が、初手から暗礁に乗り上げた。肝心の遺骨がないなんて。


 困る。とても困る事態だ。

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