第52話 消えた遺骨

 遺骨が消えた理由。それが分からない。


 事故なのか事件なのか。言い換えると、過失による紛失なのか、故意の窃盗行為なのかだ。それにより、意味合いが全く違ってくる。


 とは言ったものの、過失の線は、かなり薄いのではないかと考えている。

 だって、移動距離があまりにも短過ぎる。中郭に隣接する下郭へ行くだけだ。いくら広いと言っても同じ敷地内なのだから、骨壷ひとつなんて無くしようがない。


 それに、水盤の工事には、当主であるアレクサンダー卿が自ら立ち会っていた。彼はもちろん、あの場にいた親族だって、大事なご先祖様の遺骨を粗略に扱うはずがない。


 じゃあ、いったい誰が盗んだのか?


 当事者の一人であるフロル・ブランカには、恐らく、そこまでする理由はない。

 淑女である彼女が、遺骨を盗んでどうするというのか? 彼女は精霊に嫉妬して、アレクサンダー卿に愛されているという確証を欲した。


 でもさ、箱入り育ちで王都生まれの彼女が、どうやってほぼ一世紀前のヒューゴ卿と精霊の愛情物語を知ったのか? そこに甚だ疑問が残る。


 彼女は思い込みは激しいが、ある意味純粋で、基本的に単純な思考回路の持ち主だと思う。他人が意図的に何かを吹き込めば、容易に影響されてしまうくらいに。


 そういった点で、キリアムの弱体化を目論む勢力に、便乗、あるいは唆された可能性を否定できない。


 水盤の工事を請け負った職人たちは、王家から派遣されて来た。そして、人だけでなく、縁石に使う石材や彫像も持ち込んでいる。


 フロル・ブランカの要望に全面的に応えたという形で、キリアム家の中枢に堂々と乗り込んで来たのだ。


 雪花石は、ベルファスト王家が好んで使う鉱石で、グラス地方ではほとんど産出されない。白くて綺麗だけど強度がイマイチで、彫像ならともかく、明らかに床材には適さない。それをわざわざ強化して、水盤の縁石や、その周囲の床に使用している。


 重たい石材を運搬するに当たって、人足なんかも出入りしただろうし、外部の人間が入り込む隙ができたはずだ。


 黄色い悪魔『絶枯グーラ』の襲来だけに限れば、ベルファスト王家も【妖華】の被害者に見えなくもない。


 しかし、果たしてそうだろうか?


 損得勘定のフィルターを掛け、穿った見方をしてみると、この一連の出来事が違う景色に見えてくる。


 最大の損失を出したのは、大飢饉で命を奪われた人たちなのは間違いない。

 では、それ以外の生き残った人たちは、どうなのかと眺めてみれば。必ずしも全員が、損した側に立っていないのだ。


 明らかな大損をしたのは、キリアム家だ。なにしろ、理不尽な脅迫により国を失い、不本意な婚姻まで押し付けられたのだから。


 じゃあ反対に、最も得をしたのは誰か? それは、紛れもなくベルファスト王国——正確に言えば、ベルファスト王家になってしまうのだ。


 数年間の飢饉で多数の餓死者を出したとしても、彼ら自身の命が脅かされるわけではない。こう言ってはなんだが、最優先で物資を供給される特権を持つ王家にしてみれば、それは身近な問題ではなく、統計上の数字でしかない。それも、ある程度の年数が経てば、自然に回復する数字だ。


 その損失と引き換えに、その後の約百年間に渡って、彼らはグラス地方という揺るぎない食糧庫を確保することができた。それも、王家が主導するという形で。


 傘下に収めたグラス地方からの、絶え間ない食糧輸入。それは当時、どれほどの優位性を王家に与えたのか。


 諸侯たちは、より多くの食糧を融通してもらうために、窓口である王家と何がしかの交渉をせざるを得なかった。


 長期的な収支は、間違いなく大幅な黒字だろう。そして、短期的にも、王家の懐はそう痛んではいないのだ。


 笑いが止まらなかったかもしれない。


 統一王国が瓦解した時、中興の祖ロジン・ベルファストが、領邦国家として国を再出発させたが、王家と諸侯の力関係は大きく変わってしまった。諸侯が王家に対して、強い姿勢を取るようになったのだ。


 その諸侯側に傾いた天秤を、再び王家側に戻すための、非常に有効なカードを彼らは手に入れた。


 その上、逃した魚は大きいと、大いにほぞを噛んでいたのに、放流中に肥え太ったキリアム王国という魚を、再び釣り上げることにも成功している。

 

 手元にいたフロル・ブランカというジョーカーを、最大限に活用するだけで、一挙両得に実現してしまったのだ。


 全てが計算の上で成り立っているとは思わないけど、その後のキリアム家の歴史を見れば、ベルファスト王家は極めて油断がならない相手だと言える。


 5代目ヒューゴ卿は、周辺諸侯に奇襲的な戦争を仕掛けられた。


 10代目アレクサンダー卿は、侵略戦争が起こる寸前で、ベルファスト王国の傘下に入り、降嫁を受け入れざるを得なかった。


 14代目グレイソン卿の時に二度目の降嫁があり、15代目にして、王家の血を引くライリー卿がキリアムの当主の座に就いている。


 そして16代目の現在。さすがに二代続けての降嫁は無理だったのか、王家の腹心ともいえるスピニング伯爵家との縁組を行い、その子供、つまり俺が次の当主になる。


 このペースで行けば、俺のひ孫ぐらいの代には、キリアム家が王家に喰われていてもおかしくない。


 分家が警戒するわけだ。


 まあでも、全部推論だけどね。はっきりとした証拠がなければ、机上の空論に過ぎない。


「ねえ、モリス。大勢の人に甚大な害悪を及ぼすと分かっている人物を、あえて生かしておく理由って何かな?」


 独りよがりは危険なので、人生の先達に意見を聞いてみたくなった。


「それがどういった人物を指しているのかは分かりませんが、最も考えられる用途は、戦争への利用でしょう」


「戦争?」


「はい。人間兵器。そう例えられるほどの加害能力があれば、時が来るまで匿い、いざという時に敵陣に放ちます。捨て駒なので失っても惜しくない。できるだけ大勢の敵を巻き込んで、盛大な戦果を挙げてくれることを期待します」


 なるほどねぇ。


「馬鹿とはさみは使いようで切れる」。まさにそれかも。厄介な加護も、その性質を見極めて適切に使えば、良い結果を生み出せるってわけだ。


 そう。ずっと引っかかっていたのは、フロル・ブランカの存在だ。


 王家の力をもってすれば、彼女を厳重に隔離して、感情を揺さぶるような刺激を一切与えず、起伏に乏しい平坦な人生送らせることができたのではないか?


 それなのに彼らは、フロル・ブランカの幼少期から、最大限の贅沢を湯水のように与え続け、それがあって当然だという価値観を植え付けた。


 綺麗で楽しいものしか見せず、極端にストレスフリーな環境下で、世間知らずのまま、感受性だけは豊かという偏った存在として育て上げたのだ。


 どんな些細な障害でも、感情を膨らませる導火線になり得て、それを自分では満足に制御することもできない、堪え性のない人間に。


 結果として、まんまと彼女をアレクサンダー卿に押し付けて、キリアム王国をベルファスト王国の傘下に収めることに成功している。そこに謀略がなかったとは、思えないんだよなぁ。


 少なくとも、国家絡みの脅迫が成されたのは事実で。


 フロル・ブランカの初恋が、それこそ運命なのか、周囲の誘導によるものかまでは分からない。しかし、アレクサンダーとフロル・ブランカの出会いは、意図的に演出されていた可能性が、十分に考えられる。


 さて。そこで遺骨だ。


 かつてのグラスブリッジの攻防戦では、強大な力を持つ精霊が、ヒューゴ卿と共に侵略者たちを殲滅した。もしその精霊が復活を遂げれば、キリアムにとっては大きな力となる。


 グラス地方の独立を恐れ、いずれは全てを手に入れようと画策する者がいたら、精霊の復活を是非とも阻止したいと思うはず。


 そういった連中が、精霊の復活の条件を知った、あるいは、推測するに至ったら。


 仮に花壇が壊されても、珍しい花ではないので、簡単に元に戻せる。今工事しているみたいにね。愛の誓いも同様だ。


 だから、代替がきかない最も重要なピースが、ヒューゴ卿の遺骨になる。


 ヒューゴ卿の墓を暴く理由を作り出し、まんまと遺骨を盗み、それと分からないように工作をする。水盤の工事そのものが、カモフラージュだったなんて……さすがに考え過ぎかな?


 名探偵気取りは良くないな。行き過ぎた思い込みは、本質を見逃してしまうから。


 実は案外単純な動機で、強力な精霊の盟約を持っていた、ヒューゴ卿の遺骨そのものが欲しかっただけかもしれない。


 その当時は、今ほどには盟約の恩恵について周知されていなくて、グラス地方から離れたら効果がなくなることを、犯人が知らなかったとかね。


 いずれにせよ、遺骨がグラス地方の外に持ち去られたのは、ほぼ確定だ。なぜなら、グラス地方内に限定した移動なら、精霊たちが騒いで、盟約を持つ誰かが気づいたはずだから。


 精霊の復活のためには、水盤の復元が必須だと思う。そして、それを成し遂げるためには、遺骨の代替品が要る。


 例えば遺髪とか? ヒューゴ卿の身体の一部があれば理想的だ。

 あれ? 身体の一部……あるかも。もしかしたら、手に入るかもしれない。


 そうだよ。ヒューゴ卿は、城郭都市グラスブリッジを作り上げた人であって、この地で生まれたわけじゃない。当主になってから移り住んだのだから、子供の頃は当然、バレンフィールドで過ごしていたはずだ。


 以前覗いたあの部屋。4代目までの当主の墓廟には、様々な遺品の他に、子供の頃に抜けた歴代当主の乳歯が保存されていた。もしかして、その中にヒューゴ卿のものもあるんじゃないか?


 うずうずする。早く確かめたい気持ちが募るけど、まずはモリ爺に相談だ。モリ爺なら、詳しく知っているかもしれないから。


「歴代当主の乳歯でございますか? 果たして全員分あったかどうか。湖上屋敷にある収蔵品のリストを確認してみないと、確かなことは申し上げられません」


「それなら、バレンフィールドへ行ってみようよ。遺骨の代わりになるものを探しに」


「ネイサンに聞いてみましょう。簡単に往復できる距離ではありませんから、もし反対されたなら、私だけで探しに参ります。それでよろしいですか?」


「できれば一緒に行きたい。その方向で交渉をお願いね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る