第53話 RE:湖上屋敷

 旅行気分で出立して、実は引越しサヨナラだったバレンフィールド。

 でも、戻ってきたよ。ただいま。


 ――カワイイコ キタ

 ――カエッテキタネ

 ——マッテタ オカエリ

 ——オカエリ リオン


 湖上に浮かぶ屋敷が見えてきた時、早速、無邪気な声が聞こえてきた。小精霊たちが、湖の方からフワフワ飛んできて、出迎えに来てくれたんだ。


 オカエリだって。


 それほど長い間離れていたわけじゃないのに、懐かしさが心を満たす。

 郷愁と言ったら大袈裟だけど、若干の感傷を含んだ、くすぐったい感情を伴って。だから、俺の帰るべき場所は、もうここなんだと、素直にそう思えた。


 今回の訪問の目的は、もちろん里帰りではない。ヒューゴ卿の遺骨に代わるものを、どうにかして手に入れるためだ。


 だから、着いて早々に、目的のブツがありそうな霊廟へ向かった。


「どう? 見つかった?」


「いいえ。くまなく探しましたが、目録、現物のどちらにも、ヒューゴ卿の遺品は見当たりません」


 残念というか、凄く困った事態だ。この霊廟にあることを、かなり期待していたのに、当てが外れてしまった。


「ここに保存されていないなら、抜けた乳歯はどこにあるのかな?」


「多くの場合、自然に還ることを願って、湖の中に投擲されていると思います」


「湖の中に!?」


 前世でも、地方によっては乳歯を屋外で投げる習慣が存在していた。永久歯が正しい方向に生えてくるようにという、おまじない的なもので、上の歯なら床下に、下の歯なら屋根の上に向かって投げるルールだった。


 しかし、よりによって湖とは。いくらなんでも、手に入れるのは無理だ。試すのすら無謀だよ。

 広大な湖から子供の小さな歯を見つけ出すなんて、砂漠に落とした砂金を探すのと同じくらい難しい。


 うわぁ、どうしよう? 意気込んで来たのに、いきなり頓挫してしまうとは。


 二百年も前に生きていた人だ。当たり前だけど、当時を知っている人は、皆故人になっている。個人に関する記録が残されていない以上、最早、調べる方法がない。


 ——困っているみたいだね。僕でよければ相談に乗ろうか?


 どこか飄々とした声が、唐突に頭の中に響いた。それと同時に、左肩を中心に、身体がじんわりと温かくなる。これって久々の感覚だ。


「リオン様、精霊紋が!」


 モリ爺の驚きを含む声が、やけに遠く感じた。視界が一気に暗くなり、指一本動かせなくなる。


 次に来るのは……うん。落下だよね。


 急激な浮遊感に襲われると、足元がグニャリと凹み、引き込まれるようにして、下へ下へと落ちて行く。ようやく動きが止まった時には、どこまでも青い水底のような世界に沈んでいた。


 ここに来るのは二度目だ。金縛り状態は相変わらずだけど、前回と違って俯瞰視点ではなく、最初から相手が正面にいた。


「やあ、久しぶりだね。勝手に招待しちゃったけど、大丈夫だった?」


「それを今言われても」


「あはは。それもそうか。でも、タイミング的にはバッチリじゃない? 子孫君が困っているようだったから、精霊紋の起動テストも兼ねて、呼んじゃった」


「起動テスト? では、そろそろ【精霊召喚】を行えそうな感じですか?」


「そういうこと。今はこちらから、精霊紋を介して交信リンクを開いてみた。随分と待たせちゃったけど、【精霊召喚】をしても支障がないくらいに、やっと精霊界での力場が安定したんだ。だから、早く知らせたいと思ってさ」


「お気遣いありがとうございます。そして改めて、お久しぶりです」


 以前と変わらず、フレンドリーな初代様。会えて安心したし、嬉しくもある。


 バレンフィールドでは、それこそ神様みたいに崇められている存在だけど、このカジュアルな物言いだと、頼れる近所のお兄さんって感じだ。


「というわけで、改めて僕の精霊を紹介しよう。以前は、あえて名乗ってなかったからね。水の精霊王『リクオル』。覚えておいて。召喚するには、精霊の名前が必要だから」


 精霊紋を授けてくれたのは、目の前にいる初代当主ルーカス卿(略して初代様)と、彼のパートナーである精霊王だ。


 彼らは数年前、バレンフィールドから精霊界に移り住んだ。その際に、俺の盟約の上書きをして、新たな絆を結んでいる。


 いずれは精霊紋を介して【精霊召喚】ができると言われていたが、あれから三年。やっとそれが解禁になった。


「はい。『リクオル』様ですね。お姿が変わられたのは、精霊界へいらしたからですか?」


 以前は、精霊紋と同じ模様(樹枝六花と角板の複合結晶)の巨大な氷晶に見えていた。


 ところが今は違う。

 硬質な質感と、向こう側が透けて見えるほどに透明なのは同じだが、その姿形がすっかり変わっていたのだ。


 「うん、そう。凄く綺麗でしょ? 精霊界では、精霊は何者にも縛られず、好きな形態になれるからね。僕が持つ『リクオル』のイメージをかたどってもらったんだ。いくらでも見惚れていいよ」


 初代様が惚気るのももっともで、流れる水を女性の形に閉じ込めたような、幻想的で不可思議な造形には、ずっと眺めていたい魅力があった。


 高品質のクリスタルガラスで作られた美術品。純度が高く澄んでいて、宝石のような煌めきを内包している。まさにそんな感じ。


 その流麗な姿に、畏怖を覚えるような、揺るぎない存在感を伴っているのは、さすが精霊王といったところ。


「はい。とてもお美しいです。こちらに現れる際も、このお姿なのですか?」


 この青い世界は、彼らが構築した力場と呼ばれるもので、おそらく亜空間的な私的空間なのだと思う。そこが精霊界の影響下にあるのなら、理や法則が召喚時にも適用されるのかどうか。それが気になった。


「時と場合によるかな? 僕たちの気分次第というか」


 えっ、そんな感じ? 意外。わりと融通が利くというか、自由なんだ。


「分かりました。どんな時なら、『リクオル』様をお呼びしてもよいのですか?」


「いつでもいいよ。なにしろ暇だから。用がなくても、もちろん助けが必要な時も、時々喚んでくれると嬉しいな。交信リンク程度なら勝手に開いても看過して貰えるけど、押しかけるのは世界秩序的にうるさいからね。あ、あと喚ぶときに『様』はいらない。僕はリクオルと常に一緒だから、僕の名前もいらないよ」


「分かりました。では、近いうちに召喚を試してみます」


「楽しみだなぁ。ほんと。君に会えてよかった。で、何か困り事があるんだよね?」


 気軽に頼るには大物過ぎるけど、今の状況で相談できる相手ができたのは、正直いってありがたい。


「はい。探している物があります」


「それは何?」


「5代目ヒューゴ卿の身体の一部です。例えば乳歯や遺髪のようなものが手に入れば嬉しいです」


「なるほど。君は今、そういうことをやっている訳ね。じゃあ、本当にタイミングがよかった。間に合ったっていうか。ヒューゴと彼の精霊については、僕も気になっていたんだ。ヒューゴは昇天しちゃったからいいとして、彼の精霊はあのままじゃ可哀想だ」


「ヒューゴ卿の精霊をご存知なのですか?」


「もちろんだよ。元々ここにいた子だからね。あの子は盟約者を亡くしたのに、未だに盟約と、不愉快な枷に縛られて動けなくなっている」


「精霊は『ヤクソク』という言葉を繰り返していました。とりあえず壊されたヒューゴ卿の墓を、できる限り元の形に近づけてみようと考えています」


「方針としては合ってるかな? でも、ちょっと勘違いしている。精霊が必要としているのは、ヒューゴの想いであって、身体じゃないよ」


 おっと、ここでいきなり新情報だ。それも凄く重要な。


「えっと、それはつまり、遺骨そのものはいらない? もし乳歯が手に入っても使えないということですか?」


「そうなるね。遺骨にはヒューゴの強い残留思念が宿っていたはずだ。精霊への愛情がたっぷり詰まったね。必要なのはそれ」


「そんなのもう、どこにもない……ですよね?」


「彼は普通の人間として、普通に亡くなったからね。さすがに、二百年も経つと無理かな。でもまあ、君なら取ってこれるよ」


「取ってくる? どこからですか?」


「そりゃあ、もちろん。ヒューゴ本人からだよ。封じ込めておいで。古き盟約を成就させる愛の誓いをね。ほら、迎えが来てる」

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