第57話 氷の精霊

 魔物討伐が無事に終わった。


 相手は精霊の封印に特化した、防御偏重の魔物だった。だから、畳み掛けるように攻撃を加えて倒したけど、あれほどの上級魔術を連発して、ようやくだ。


 仕方がないことだけど、せっかく修復した水盤とその周辺は、それはもう酷い有り様になっている。でも、それだけで済んだとも言える。

 被害を最小限に抑えられたのは、事前の作戦会議で、いろいろ工夫をしたからだ。


 これで、キリアム家の力を抑制しようという目論みのひとつが潰えた。


 状況証拠からすると、金属性の魔物を仕掛けた敵としては、ベルファスト王家が最も怪しい。キリアムの歴史を振り返れば、彼らは貪欲で利己的かつ粘着質で、欲しいものを手に入れるためには手段を問わない。


 率直に言って、関わり合うのが嫌になるような相手だ。でも現状では、そんな王家が支配する国の貴族であり、更には、血の繋がった親戚でもある。厄介なこと、この上なしだ。


 ――今回は、大活躍だったね。よくできました。そして、初体験おめでとう!


 初代様、初体験ってなんですか?


 ――もちろん、「初めての精霊召喚」と「初めての上級魔術」さ。凄くよかった。特にあの牙狼シリーズなんて、男の子のロマンじゃないか。

【牙狼・大割砕】【牙狼・凶削杭】は、元はクラッシャー・ブレイク、イビル・オーガとルビが振ってあったよね。分かるよ、分かる。特殊車両ってカッコいいもの。


 重機好きがバレてーら。


 ——そして、君の精霊も大活躍だった。今回の戦闘で成長したね。精霊としての『存在』が、随分と大きくなっている。


 君の精霊って……あっ、フェーンか! 


 大役を果たした風の小精霊たちは、群体を解いて散開したが、その中心となっていたフェーンは、見れば小精霊の範疇を越えるくらいに成長していた。


 でも、その本質は変わらない。人懐こくて、ちょっと得意気で、褒めて褒めてというような感情が如実に伝わってきている。


 今回はとても重要で、そして危険な役目を自ら買って出てくれた。本当に感謝しかない。


 ――それにしても君、面白い子を見つけたね。小さいのにとても情熱的で、君のことが大好きだと言ってるよ。


 フェーンとは、縁あって仲良くなりました。俺にとっても、波長が合う好ましい相手です。


 ――盟約持ちと精霊は、互いに惹かれ合う存在だ。それが風の精霊だったのは、ちょっと意外だった。だけど、水系統の精霊術は、僕の精霊がいれば大抵のことはできるからね。

 君がその子と絆を持ったのは、僕的にも大歓迎だ。


 初代様に認めて頂けて嬉しいです。フェーン、よかったね。


 精霊としての格が違い過ぎて、返事ができないみたいだけど、フェーンが喜んでいるのが分かる。


 ——風の精霊は、十分に育てば行動範囲が飛躍的に広がって、探し物に向いている。そして、精霊の愛し子である君との仲を深めて行けば、いずれはもっともっと強くなる。それは即ち、君の力にもなるから。良いご縁を大切にね。



 さて。これで一件落着とはいかない。というか、ここからが本番だね。

 魔物に封じ込められていた、ヒューゴ卿の精霊の解放。そのイベントが残っている。


 これから起こるであろう復活劇では、瑠璃色の宝玉がキーアイテムになる。戦闘を始める前にモリ爺に預けておいたから、それを回収しないといけない。


 というわけで、避難していた分家当主たちの元にやってきた。


「嗚呼! 素晴らしい体験だ。精霊王の降臨を、この目で見れるなんて」

「ルーカス卿——偉大なる先祖の奇跡は、いまだこの地にある」

「キリアムの新たな歴史が始まろうとしている。我々はそれに立ち会ったんだ」


 彼らは滂沱の涙を流して、感動にプルプルと震えながら、ひたすら似たようなセリフを繰り返していた。


 なんかロールプレイングゲームのエンディングみたいな有り様だ。今回の後始末は、彼らに丸投げ……じゃなくて、彼らに負うところが大きいから、しっかりしてもらわねばならない。


「水盤に巣食っていた魔物は消滅した。これから、あの場所に眠っている精霊に宝玉を捧げに行くけど……みんな、少し落ち着こうか」


 だいぶ静かになったけど、期待に目が輝いている分家当主たちとモリ爺、そして護衛の人たちを引き連れて、水盤へと戻ってきた。


 改めて水盤を観察すると、魔物がガッチリ食い込んでいた台座は、抉られるように無くなっている。台座を支えていた脚柱は半壊状態だ。


 脚柱の下部と、脚柱に囲まれた水底にある、淡い燐光を放つ球—— 長いこと浄化装置だと思われていたそれは、周囲を無数の気泡に取り巻かれ、綺麗な形を保っていた。フェーンが指揮する風の小精霊たちに守られて、無事だったのだ。


 彼らは、ずっと見守っていた。自らを癒すための眠りに就いたのに、魔物に取り憑かれてしまった精霊を心配していたんだ。憤ってもいた。自由闊達であるべき精霊を、忌まわしい枷で閉じ込めていた悪意に対して。


 あんな化け物に抑え込まれていたにも拘らず、精霊は下界の声を耳にし、約束が破られていると訴えてきた。そんなことができたのは、絶えず精霊に接触しようとしていた彼らのおかげかもしれない。


 そして今、精霊とその盟約者が、以前とは形を変えた再会をする。


「今から投げるよ。たぶん、何かが起こる。水精王様の守りがあるから、身の守りは心配しなくてもいい」


 ポチャンと、今度こそ宝玉が水面に落ち、静かに水中に沈んでいく。ヒューゴ卿の愛の誓いは、果たして精霊に届くのだろうか?



 ――ヒューゴ!!


 悲鳴のような、でもあの時とは明らかに違う、精霊の歓喜の声が聞こえてきて、水盤から冷気が吹き出した。


 立ち昇る細氷の柱。陽光を浴びてキラキラと輝くダイヤモンドダストの中に、瑠璃色の宝玉が浮かんでいる。


 しかし、吐く息は真っ白で、周囲の気温は氷点下。おまけに薄着。つまり、メチャクチャ寒いわけです。


 ——ちょっと不味いね。体温調節をしておくよ。


 ありがとうございます。非常に助かります。


 初代様の言葉と共に、身体の中心から末端に向かって、温かい力が流れていって、体温が奪われるのを防いでくれた。


 ——アイニ キテクレタ

 ――マッテタ

 ――ウレシイ ヒューゴ ヒューゴ?


 興奮した精霊の声。百年ぶり、いやもっとか。久々の恋人たちの逢瀬。


 といっても、片方は思念だけの存在で、ヒューゴ卿の愛の証だ。採れたての新鮮なものだけど、一方的に想いを伝えるだけで、言葉のやり取りまではできない。


 それでも必要だった。いまだ精霊が彼との盟約に縛られているからだ。


 ヒューゴ卿は、とうの昔に亡くなっている。墓や遺骨があったのだから、精霊も分かっているよね? そこがちょっと心配になる。


『グラシエス……ああ、僕の愛しの精霊よ』


『…… でも、僕はちっぽけな人間でしかなくて、もう命の限界がきてしまった』


『僕の精霊。僕の唯一』

 

 『愛してる。過去も、現在も、未来も、君だけを……愛してる。未来永劫、悠久の愛……を、かけがえの……ない、愛すべき……君に……てる』


 ——ヒューゴ イヤ! イカナイデ!!


 ——グラシエス。その宝玉は、ヒューゴが託した君への想いであると同時に、盟約の終わりを告げるものでもある。

 彼の最期の言葉は、君への確かな愛情に溢れているけれど、そこで彼の時は止まって、天に還った。君は、ヒューゴの死を認めて、彼との盟約を終わらせなければならない。


 狼狽えるヒューゴ卿の精霊に、初代様が現実を告げる。


 ——デモ! ココニ タマシイ マダ アル


 えっ?! どこにあるって? ヒューゴ卿は確実に昇天していると、初代様が言ってた。だから、この地上に留まっているはずはないのに。


 ——グラシエス、よく見てご覧。この子はヒューゴじゃない。魂の形はそっくりだけど、色が違うでしょ。

 ヒューゴの魂は、もっと澄んで、冴えわたるような色だった。でも、この子の魂は、荒ぶって今なお定まらず、幾つもの色が混ざった色合いをしている。別人なんだよ。


 ——ニテル ノニ イロ ガ チガウ?


 ——そう。この子は、ヒューゴの血縁者でもある『リオン』。その宝玉は、リオンが君のために用意してくれたものだ。


 ――ナラ オレイ スル


 ——いいの? 僕には反対する理由はないけど。


 ——タマシイ ヨク ニテイル ダカラ


 ――子孫君、グラシエスが宝玉のお礼をしたいそうだ。是非受け取ってあげて。


 ――リオン カンシャ アゲル

 ——ワレ ハ グラシエス コオリ ノ セイレイ ナリ


 ――うん。しっかり受け取ったみたいだね。この二人は僕らに任せておいて。精霊界に引き取るよ。じゃあ、僕たちは還るから、後はよろしく。


 宝玉を抱えたまま、初代様たちと共に氷精霊グラシエスは精霊界に渡った。本当の復活の時は、まだ先になりそうだ。

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