第32話 空中庭園
「旧本邸は大円塔とも呼ばれ、5代目当主であるヒューゴ卿が建築されました。当初は、あの建物と周囲の堀を囲む城壁しかありませんでした」
そこから始まり、長い年月をかけて増改築を繰り返した結果、本邸はここまで規模が大きくなったそうだ。
木橋と、それに続く跳ね橋を進み、中郭の円筒形の建物——旧本邸にやってきた。
眼下に広がる
建物の中は、空気が冷んやりとしていた。薄暗い通路を抜けて、正面奥の
「途中の階層は長らく使われておりません。屋上だけが利用されています」
階段を昇りきると、短い柱廊に出た。柱の間から陽が差し込んでいて、急に明るくなった。
「ここを抜けると屋上に出ます。四季の花が咲き、水路や水盤が配されているため、いつの頃からか空中庭園と呼ばれるようになりました」
屋上に緑が見えたのは、そのせいか。
「思っていたよりずっと広いね。それに、風が気持ちいい」
屋上の外周には、無骨な胸壁の代わりに、列柱がアーチ状に連なっている。
柱頭が凝った装飾で飾られていて、教会建築の中庭を囲む
アーチの上から、蔓性や匍匐性の常緑の植物が、カーテンのように枝垂れ、そよぐ風でユラユラと揺れている。
所々、植物の代わりに、列柱に巻き付くように這う大蛇の彫刻があった。
蛇の口から、いく筋もの白糸状の滝が吐き出されては、モザイク模様の床を巡る水路に流れ落ちている。
「水路に、滝? この水はどこから来て、どこにいくの?」
「地下から汲み上げられ、この滝壺に落ち、水路から床下の水道管を経由して中央にある水盤に流れ込んでいます」
「地下水なんだ。飲めるの?」
「水盤の底に浄化装置があると聞いています。浄化後の水は、昔は生活用水や堀を満たす用途に使用されていました」
昔は? 堀はすっかり緑で覆われている。草だけでなく低木も生えていたし、長い期間空堀だったに違いない。
「こうして水が流れているのに、今は空堀なのはなぜ?」
「理由は不明です。中郭の城壁を築いた頃には、既に空堀だったと言われています」
「それだと、だいぶ前だね」
気になったので、水盤を見にいくことにした。
真っ白な幅広の縁石で飾られた、フラットな正六角形の水盤が見えてきた。結構大きい。一辺が4メートルくらいありそうだ。
水盤の中央には、白く滑らかな石で作られた彫像があった。
咲き誇る大輪の花に囲まれ、鳥や蝶と戯れる少女と一角獣の像。陽光が生み出す印影も計算の内なのかな? 細部まで写実的な彫刻は、華やかで可憐なモチーフだ。なのに、どこか憂いを帯びているように見えた。
「見事な造形だ。本物の花や人が、そのまま石になったみたい。この石は何?」
「雪花石です。縁石にも同じものが使われています。本来は床材に向かない石なので、魔術的な強化が施されています。しかし、何があるか分かりませんので、踏まないようにお気をつけ下さい」
「分かった。気をつける」
掃除とか大変そうだけど、それも魔術でどうにかしてるのかな?
「何故あそこだけ色が違うの?」
彫像がある台座の上に、金色に光っている場所がある。しかし、日差しを反射していて、ここからではよく見えない。
「あの場所には碑文が埋められています。水盤に近づけば文字が読めるかと思います」
近づいてみると、なるほどだ。少し手前に、傾斜した正方形の金色の板が埋められている。一辺が30センチくらいの金板に、二行に渡って
『我が唯一』『高貴なる貴女に 永遠の愛を誓う』
うわぁ、キザ。シャイな日本人には絶対に言えないセリフだ。いやでも、貴族だったら、こういう口説き文句は当たり前なのか?
熱烈な愛の誓いに、ある意味感心しながら、目線を下げて水面を覗き込んだ。
「深いので、近づかれると危のうございます」
「これ以上近づかないよ。落ちたら困るからね」
あれだけの水量を受けるのだから当然かもしれないが、水深はかなりありそうだ。これって、大人でも足がつかないんじゃないかな? 柵がないから、子供が誤って足を滑らせたりしたら大変だと思う。
気持ち腰を屈めて、恐々と水盤を覗き込む。時折り漣を立てる水面を通して、彫像が載っている台座を支える何本もの脚柱と、脚柱に囲まれた水底にある、淡い燐光を放つ球が見えた。
「あれが浄化装置なの?」
「おそらく。少なくともあの部分が、吸水口の役割を果たしていると言われています」
吸水口ねぇ。あの中に何かいそうなのに。
周囲にプクプクと気泡が立ち昇っている。あんな風に、風の小精霊が群れているのは、なぜだろう?
見ただけでは判断がつかないや。
いったい何がいるんだろうね? そして、なぜあんなところに?
――タリナイ
「えっ?」
不意に声が聞こえた。フェーンのでも、他の小精霊のでもない。もっと存在が大きい何か。
足りない? 何が足りないの?
――ヤクソク シタ
約束? 誰と?
――タリナイ
一方通行で、全く意味が分からない。
いったいこの声は、何を求めているのか?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます