第31話 東塔

 主都グラスブリッジは、小高い丘の周囲に展開する城郭都市だ。

 その中心部の最も高い位置に、領主の居館であり、行政・軍事の中枢でもある本邸が存在する。


「ハワード、重くない?」

「はい。日頃より鍛えておりますので、ご安心下さい」


 石の階段を一段登る度に、コツーン・コツーンと、ハワードが履く騎兵用ブーツの踵が音を鳴らす。

 不思議なことに、背後からついて来ているモリ爺は、なぜか足音がしない。靴の違いなのか、あるいは、そういう歩き方なのか。


 もちろん、俺の靴音もしないよ。

 身体は軽過ぎるくらい軽い。布製の上等な靴を履いてる。


 でもそれが理由じゃなかった。

 絶賛、細マッチョなハワードに腕抱っこされているから。元高校生男子としては、小っ恥ずかしいなんてものじゃない。


 ぶっちゃけ7歳でも、逞しいハワードの首に、縋り付くように腕を回した格好は、居た堪れなくて仕方ない。どう見ても若いお父さんと幼子ですよ。

 でも、自分の足では長い階段を昇り切れるとは到底思えないし、ハワード抱っこが俺の希望を叶えるための絶対条件だった。


 以前、ルシオラが偵察に出ていたとき、この都市は遠景で見るに留まっていた。さすがに遠かった。【感覚同期】の範囲外だったから。


 ただ、どうしても見たかった。結果、中継可能なギリギリの地点から、望遠で覗き見るのが限界だった。


 遠くに小さく霞む、白壁と瑠璃色の尖塔。それが見えたとき、世界遺産になっていた欧州の瀟洒な古城を想像した。

 でも、予想は大外れ。間近で見たら全然違った。人に例えたら、容姿端麗×、威風堂々◯みたいな。


 垂直に切り立った高い城壁は、巨人の襲来にも耐えれそうなほど厚く堅固だ。防衛のための側守塔や張り出し櫓が林立し、城壁上部の歩廊には、狭間つきの胸壁が備えられている。


 遠景で見た何本もの尖塔の正体は、内側だけに開かれた外殻塔であり、近づく敵を警戒するための見張り台。つまり、軍事目的で作られた監視塔だった。


 本邸の本質は、戦争を前提に作られた幕壁式の要塞であり、有事の際には最後の砦の役割を担う。


「凄いパ……凄い眺望だね。街が一望できる」


 ヤバっ。見事な景観に釣られて、思わずパノラマって言いそうになった。


 快晴の今日。


 「監視塔の天辺に行ってみたい」という、俺の願いが実現。モリ爺を落とすために、既に勝ちパターンとなっている「叶えてムーブ」を発動したけどね。


「ご説明致します。本邸は計5区域から成ります。現在いるこの場所が上郭で、あちらに見える壁の向こうが中郭、更にその奥にあるのが下郭です。上郭と中郭に隣接する二つの区域を、どちらも外郭と呼んでいます」


 本邸はとにかく広い。

 ロの字型の城郭を三つ並べて連結した上郭・中郭・下郭に、上郭と中郭を守るように配置された外郭。おそらく、敷地面積はドーム球場を余裕で越えている気がする。


 公爵家の私的な生活スペースは上郭にあり、今来ているのは、そこから一番近くにある東塔だ。

 正門の近くにある南塔からなら、ジェミニ大橋要塞が見えるらしいので、本当はそちらに行きたかった。でも、南塔があるエリアは、人の出入りが多いからダメだと言われてしまった。


 東塔から見えるのは、主に城下町だ。

 馬車の中から見たときは、おとぎの国に迷い込んだような、クリームソーダみたいな色彩に目を奪われた。

 

 しかし、こうして高所から見ると、景観が美しいだけではない。

 耐火性が高い漆喰の壁。防水性が高く、日光による劣化に強い陶器瓦製の水色の屋根。統一感のあるデザインの街並みは清潔感があり、井戸や下水などのインフラが整っていると聞いている。 


 城郭都市と言うだけのことはある。城壁は高く三重になっていて、一定間隔で城門と望楼が設置されている。


 おそらく、過去の教訓を生かしたのだろう。

 城郭内には、商業地区・工業地区・居住区はもちろん、市街地に緑地が点在していて、耕作地のようなものも見えた。これなら、長期の籠城にも耐えられそうだ。その内、城下町にも行ってみたいな。


 ふんわりと、微風が頬を撫でた。


 ――ミンナ キテル


 うん。沢山いるね。


 バレンフィールドから付いてきた風の小精霊フェーン(リオン命名)が、俺の耳元で話しかけてきた。


 ハワードが、精霊の気配に気づいて目を見張っている。

 それでも、俺をしっかり抱えたまま、微動だにしないのは流石だ。


 古参の家臣であるフォレスター家出身の彼は、キリアムの遠縁にあたり、いわゆる見える人の一人だ。血筋の良さと、精霊との親和性を買われて、俺のSP警護官的な役目を任されている。

 

 ――ミンナ オシャベリ


 フェーンが言うミンナとは、この地の風の小精霊たちを指している。俺が見晴らし台に出たら直ぐに気づいて、徐々に包囲網を狭めながら、俺の周りに集まってこようとしている。それぞれが、無秩序に喋りながら。


「リオン様」

「大丈夫。何か話があるみたいだから、しばらく黙っていて」


  心配気なモリ爺を制して、注意深く耳を傾けた。


 でも、小さな小さな囁きが幾つも重なり合い、何を言っているのか聞き取れない。


 ――ネ……ヨ ……キ……ト マ……ル……ヲ


 一所懸命、何か伝えようとしている気がするのに、途切れ途切れにしか言葉を拾えない。


 フェーン、あれはなんて言っているのか分かる?


 ――ココ ジャナイ アッチ ダッテ


 あっちって、中郭の方? それとも下郭?


 各城郭を隔てる壁の向こうに視線を移す。


 小精霊が示す方向にあるのは、中郭の中央にある円筒形の建物のようだった。一見すると小城あるいは塔のようにも見える。


 あれ? あそこにはどうやって行くんだ?


 その建物は、屋根や外壁を緑で覆われ、環状の深い堀に囲まれていた。まるで切り立った崖の上にあるかのように、高く積まれた盛土の上に建っている。


 よく分からないけど、精霊たちがこれだけ訴えているのだから、何かありそうだ。また、モリ爺におねだりして行ってみるか!





 

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