第47話 シャーロットという女性
シャーロット・アピス・スピニング・キリアム。
前世と今世を通じて。
これほどに美しい人を見たことがなかった。
生まれた時に、もしこの人が見えていたなら、噂に聞く転生の女神様と勘違いしたかもしれない。それほどの清艶。類まれなる美貌。
光が
まだ二十代半ばだと聞いている。
子供を三人も産んだとは思えない、細く括れた腰。女性を主張する胸部は、豊かに服を押し上げ、華奢な首筋や肩のラインとのギャップが、やけに艶めかしい。
贅を凝らした豪奢な貴婦人の装いや、おそらく流行りの髪型なのだろう、高く結い上げた髪は、隙がなく洗練されている。
匂い立つような美しさに、誰もが目を惹きつけられ、魅了されるに違いない。
——その口から毒を吐かなければ。
初めて会う母親は、イメージしていたのとは違う、まるで少女のような人だった。
とはいえ、外見は年相応か少し若く見える程度だから、大人の女性のそれである。
つまり、何が言いたいかというと、少女のようだと思ったのは姿形ではなく、その精神年齢だった。
「あなたがリオン? 実物は随分と小さいのね。とてもロニーより歳上とは思えない。よく育ったと聞いていたのに、聞き間違い——それとも、見えすいた嘘だったのかしら? それに、見苦しいくらいに貧相だわ。これが、本当に私が産んだ子なの?」
口元を優雅に扇で隠しながら、出会い頭に言い放った。
なんだろう? これって、一種のマウント取り?
母から幼い息子への声かけなのに、剣山のように棘だらけ。
相手をボコボコに
あまりに酷い言葉と、その狙いが分からなくて、思わず目点になってしまった。
もしこれが、なんらかの意図を含まないのであれば、七年ぶりに会う息子に対する挨拶としては、配慮に欠けている。高位貴族の婦人としても、軽薄というか思慮が足りないように思う。
例えそれが社交辞令だとしても、『大きくなりましたね。離れてはいましたが、あなたのことはいつも心にかけていました』くらいのセリフは聞けるだろうと予想していたのに。
小さくて貧弱だってさ。客観的に見たら否定できないけど、常識があるなら面と向かって言わないよね? それとも社交界っていうのは、こういう態度が通常運転なの?
ちなみに、引き合いに出されたロニーは、二つ歳下の弟の名前だったはず。
「初めまして。お会いできて嬉しいです」
俺のこの挨拶に、澄ましていれば女神のように麗しい顔が、目に見えて不機嫌に歪んだ。
なんでだ?
あっ、もしかして「初めまして」が不味かった? 唖然としながら、無意識に返した言葉だから、つい本音が漏れてしまった。
でも、仕方ないと思わない? なにしろ、この女性を見た記憶がないのだ。おそらく、産み落として直ぐに引き離されている。産婆から乳母への鮮やかなバトンリレーが目に浮かぶ。
三人の乳母は伊達じゃない。この人数は、病弱だから増員されたわけではなく、生まれる前から用意されていたと聞いている。
高位貴族の夫人は、自ら子供を育てることはない——という建前で、キリアムの子供を、外様の家出身の母親から切り離すつもりだったのではないか? そう推測している。
母親の『こんな子供いらない』発言があったから、備えあれば憂いなしの結果になったけどね。
俺の沈黙が余計に癇に障ったのか、母親の視線が、より険しくなった。それ、子供に向けていい目つきじゃないから。
「あなた、目ばかりがギョロギョロしていて、おかしな顔をしているのね。いったい誰に似たのかしら? エリオットでもないし、もちろん、稀有な血が流れる私とは、欠片も似ていないわ」
ふぅん。嫌味の応酬をしたいってわけ?
俺は別に当てこすりで「初めまして」と言ったつもりはない。でも、そうは受け取らなかったみたいだ。子供相手になにやってんだか。
よほど気に
物憂げな影を落とす睫毛。その下に覗く深い青の瞳は、作り笑いを浮かべる余裕もなく、イラつきと値踏みするような視線を隠しきれていない。
どうしよう。早くも好きになれない。
「少なくとも母上には似てないですね。ですが、黒髪は父上譲りだとよく言われます」
ああ、俺って素直だから、思ったことがそのまま口から出ちゃったよ。
親族の母親への評価は、産みっぱなしで育児放棄して、領地には顔を出さず王都で遊び暮らす放蕩女というもの。
最初に聞いた時は、随分と辛口だという印象を受けた。てっきり盛っているのかと思っていたけど、この分じゃあ推してしるべしかも。
「可愛くない子。精霊紋? 盟約? それで偉くなったつもりなの? その盟約とやらも、卑しく独り占めしているそうじゃない。一人で欲張らないで、精霊でも盟約でもいいから、少しは弟妹に分け与えるとかしたら?」
は? 何言ってんだこの人。わざと喧嘩を売ってる? 言っている内容がめちゃくちゃだ。
「盟約は、気軽に摘めるお菓子ではありません。精霊との大切な約束です。好きな大きさに切り分けるなんてできないし、ましてや人にあげるなんて無理です」
「あら、心がとぉっても狭いのね。ご大層に扱われて、随分と勘違いしているみたい。こんな田舎で鼻を高くしていても、いざ中央に出れば相手になんてされないから。そんな口のきき方で、立派な当主になれると思って?」
「さあ? 立派かどうかは結果として周りが判断するもので、なろうと思ってなるものではないと考えています」
「なんて子かしら! 反抗的で、生意気で、意地が悪い。きっと教育が良くないのね。これだから辺境育ちは。何もかも泥臭くて遅れてるのよ」
教育だと? この人にそれを言う資格なんてない。俺が認めない。
「産んで頂いたことには感謝します。しかし、ご自分が微塵も
「やだ、何この子。なぜ私に口ごたえするの? もう知らない! 相手にするのなんて御免だわ。ちっとも子供らしくない。こんなの懐かせるなんて無理よ。素直さの欠片もないじゃない」
それは、相手があなただからでは。
「おかしいですね。日頃から、素直過ぎると指摘されることが多いのに……それとも、正直過ぎるだったかな? ここは田舎だそうですから、王都とは言葉の定義が違うのでしょうか?」
ああ、ダメだ。相性が悪過ぎる。言うつもりがないことまで、口からツルツル溢れてしまう。ことなかれ主義の俺、どこへ行った?
「まだ言うの? それが母親にする態度? 全然なってないわ。そもそも、こんなところに来るのは嫌だったのよ。帰ります!」
そうかよ。好きにすればいい。
母親は嵐のようにその場を立ち去った。
来訪を耳にして、アウェイな環境で針のむしろにいるような感じなら、息子の俺が庇ってあげなきゃと考えていた。今朝までは。
しかしその目論見は、対面して早々に砕け散った。子供じみた口喧嘩という情けない形で。
七歳児相手に嫌味を突きつけてくるなんて、あまりにも想定外だ。中身が高校生でよかった。いや、それでもキツいか。反抗期真っ盛りだった妹の方が、まだ話が通じたかもしれない。
あの人、めっちゃ苦手なタイプだ。
最初から、やり込めてやろうという気満々で、相手の弱みをあげつらう。自分のことは丸っと棚に上げて、攻撃的に言いたい放題。それができる特権が、自分にはあると思い込んでいる人の典型だもの。
それでいて、私は裏表がない性格なの、だから他人から誤解されやすくて……とか悪びれずに真顔で言ってそう。ああ、ヤダヤダ。臭い水を飲んだ気分だ。
「本当に帰っちゃったの? いったい何しに来たんだろう?」
「ああ仰っていましたが、おそらく一泊はされるはずです。でないと面目が立ちませんから。奥方様には、久しぶりにお会いしましたが、以前と全くお変わりがないようです。従って、リオン様が気にされる必要は少しもございません」
「いえ。流石に言い過ぎたと反省している。つい、感情的になってしまって」
「貴族としての適切な応対の仕方は、おいおい覚えて頂ければよろしいかと存じます」
母親も貴族教育を受けているはずなのに。あんなに堪え性がなくて、海千山千だという貴族社会でやって行けてるのが不思議だ。
あれが領主夫人は確かに厳しい。素人の俺でも分かる。
泣き寝入りするだろうと思っていた子供に、少しばかり反論されただけで、何もしないで王都にほぼ蜻蛉返りだなんて。
領地に全く関心がない主人に、誰が心からの忠誠を尽くすというのか。
王都に置いてきたという弟妹には、一度くらい会ってみたかった。だけど、あの母親と一緒に住んでいるのかと思うとね。なんかなぁ。無理して会わなくてもいいかな。
疲れた。精神的に。こんなにカッときたのは、転生してから初めてだ。塩対応とか柄じゃないのもあるけど、なにか、大事なものがゴッソリこそげ落ちた感じだ。
——ああそうか。
これまで得た情報から、理性では見込みがないと分かっていた。
日本の高校生だった咲良理央としてなら、前世の家族とのあまりの違いに、今世の家族との関係を諦めていた。だって、理央にとっては赤の他人だから。
でも、リオンが。
この世界に生を受けた、まだ7歳でしかないリオンとしての自分は、まだ諦めてはいなかったのだ。
この身体には、前世の記憶を持つ自分と、その記憶に影響を受けている、もう一人の自分がいて、前者が諦観していることでも、後者はそれでは納得がいかないと騒ぐ。
何も別の人格に憑依したり、乗っ取ったりしたわけじゃない。この身体も意識も全て、まごうことなき自分なのに。
ただ過去の記憶が。
転生の際に持ち越した幸せな思い出が、今も熾火のように燻っていて、母親の存在を特別視していた気がする。
どんなにヘマをやっても、その時は烈火の
決して自分を裏切らない絶対的な存在。そんな幻想と期待を、捨てきれていなかった。
一緒に暮らすどころか、顔さえ知らなかった相手に。
家族って、そういうものだと刷り込まれていたから。断ち切れない情が、自ずと湧いて出るものだと思い込んでいたんだ。だって、それしか知らなかったから。
分家の人たちが「あの女」呼ばわりしていたのが、理解できた。
「こんなところ」だってさ。「泥臭い」とも言っていた。
そりゃあ、折り合いも悪くなるよ。自分たちが大切に育んできたものを、ああも貶されて、歩み寄れるわけがない。
ヘドロ臭がするのはそっちだよ。誰のおかげで、王都で安穏と暮らせているのか。その贅を凝らしたドレスを買う費用は、誰の汗を吸い取って積み上げられたものなのか。グラス地方を治める領主夫人が、決して言ってはいけない言葉だ。
キリアム一族の結束が固いのは、グラス地方の成り立ちに根差すものだ。
王国に加入してから何代も経っているが、開拓時代や独立国だった歴史は語り継がれ、その気風はいまだ失われていない。
その彼らにとって、あれは異分子にしかならない。明らかに浮いている。
信じられない話だが、恋愛結婚だと聞いている。
体裁だけでも繕ってみせた、現在ドナドナ中の父親は、彼女のどこに惹かれたのか?
あの外見? 現状では、他に理由が見つからない。
前世の母さん。小学生の頃、友達の母親のが若くて綺麗だなんて言ってごめん。中学の時に、忙しいなら授業参観に来なくていいよと言ったら、無理にダイエットしようとして、ブロッコリーばっかり食べてたよね。
だけど今なら、健康に害を及ぼさない程度に、のり塩ポテチや大福を好きなだけ食べていいよ。洋服のファスナーが上がらないと、ため息をつかないで。
だって、あなたは。母親の資質には容姿なんて一切関係ない。もう手遅れだけど、そのことに気付かせてくれた。それで十分なんだ。
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