第四章 湖上屋敷

第22話 鏡よ鏡

 規則正しい生活と、消化がよく栄養価の高い食事。その甲斐あって、骨皮だった身体はだいぶマシになってきた。


 でも、まだまだ細くて、健康的とは言い難いかなぁ。


「鏡ある? 大きめの」

「ございます。お持ちしますか?」

「持って来れるなら。大変なら鏡のある場所に行ってもいい」

「お部屋にご用意致します。しばらくお待ち下さい」


 少しの筋肉と薄ら脂肪がついたので、一応は使えるようになった分体ルシオラの目で、自分の姿を見てみたいと思った。


  分体を作って良かった。


 まだ完成前であり成長途上なので、本体から切り離せないし、分体眼の解像度も甘く、満足できる見え方ではない。それでも、以前と同じ自然な色彩は、見ているだけで気分が落ち着く。


 最初は、分体と【感覚同期】した視界に戸惑った。


 視点が数センチ横にずれる。たったそれだけで、空間認識が狂ったからだ。でも、だいぶ慣れてきたかな。


 自然色で見えるメリットは大きいと思った。


 色調が変わった。ただそれだけで、周囲の様子や人々の挙動を格段に認識しやすくなったからだ。


 生活様式は、たぶん前世とあまり変わらない。服装は中世から近世のレトロなデザインだけど、電化製品の代わりに大型の魔道具が使われ、予想していたよりも文化的だった。


 おっ、馬鹿でかい姿見が運ばれてきた。三畳くらいありそう。


「随分と大きいね。割れちゃわない?」

「特殊素材で強化・軽量化されていますので、ご安心下さい」


 いや、大きい鏡とはいったけど、何もここまでじゃなくても。全身どころか部屋全体が映りそうだ。


 恐る恐る鏡の前に移動する。そして、心の中でお祈り。


 フツメンでもいい、健康的に育って欲しい。

 これは嘘じゃないけど、イケメンだという父親に多少なりとも似てたら。なんてちょっとだけ期待してしまった。

 

「ふぁ?」


 鏡には、小さくて(鏡がデカいから余計に)、触れたらポキッて折れちゃいそうな、幼い子供が映っている。


 これが俺?


 驚いた。頭では理解していたのに、見て直ぐは自分だと認識できなかった。鏡に高校生の自分が映っていないのを、とても不思議に感じたんだ。


 今世の姿をよく観察したくて、鏡に少しずつ近づいて行く。そして、ついに鏡像が等身大になった。手を前に出す。鏡を介して、二人の子供が手を合わせた。


 ——ああ、本当に転生したんだ。この瞬間、やっと実感できた気がする。


 思ったよりいいじゃない。少なくともムンクではない。


 髪の色は、いわゆる烏の濡羽色だ。ひと房の変色した髪。毛先が左の目元から頬にかかっている。これが分体。


 分体の色は、最初は白髪のような白だった。なのに、視界に映る色は、濃紺あるいは青みがかった紫に見える。これならあまり目立たない?


 髪色の変化は、分体が成長したから? それとも、香油のせいかな?

 メッシュの白髪になってから、念入りに髪の手入れをされている。そういえば、あの香油ってなんだろう? 今度聞いてみよう。

 

 黒髪に縁取られた白くて小さな顔。溢れそうに大きな目が、とても目を引いた。


 人形ドールみたいだ。小顔なのに、目がやたら大きい。スッとした小さな鼻に、口角が上がった小さな唇。ひとつひとつのパーツは悪くないかも。


 思わず鏡に顔を近づけて、マジマジと自分の眼を観察する。瞳孔は黒い。白目の部分は白いまま。日本人にはあり得ない、明るい緑色の虹彩。


 よかった。魔改造の影響を心配していたけど、見た目は普通っぽい。凄く安心した。白目と黒目の色が入れ替わっていたり、血のように赤く染まってたりしてなくて、本当によかった。


 あれ? 見る角度によって、虹彩の色が変化してる? 低解像度のせいで、いまいちはっきりしない。


「リオン様、どうかされましたか?」


 いろんな角度に顔を動かしていたせいか、モリ爺から声が上がった。ちょっと聞いてみよう。


「眼の色が変かなって思って。モリスにはどう見える?」


「お色でございますか? リオン様の眼のお色は、橄欖石カンランセキのようで、大変お美しいです」


 この世界にもあるんだ、橄欖石が。前世と同じものなら、オリーブ色がかった明るめの黄緑色だよね。


「見る角度によって色が変わらない?」


「失礼してお顔を拝見しますね……確かに、仰る通りです。不思議ですね。光の加減でしょうか? 虹のような色が浮かぶことがあります。まるで希少な宝石のようです」


 モリ爺の様子からすると、ありふれたものではなさそうだ。


 この目は生まれつき? それとも改造の影響な? 疑問に思って、アイに問いを投げかけた。アイは改造前後の状態を把握しているから。


《虹のように見えるのは構造色です。眼球に重層魔導基盤を構築した影響と考えられます》


 構造色って、確か孔雀やモルフォ蝶の羽の色がそうだ。物質そのものには色がないのに、表面の微細ナノスケールな構造により、特定の波長を強く反射する。意外な副産物だね。


 あれ? じゃあもしかして、分体の色の変化は?


《同様に構造色だと考えられます》


 あれもか。


 鏡から少し離れて全体を眺めて見る。

 深窓の令息がそこにいた。弱々しいというか、やけに儚くて、柔風が吹いたら倒れてしまいそう。


 なるほど、周りが過保護になるわけだ。


 イケメンになれるかは、まだ分からない。それはオマケって事で。生きのいいピチピチキッズにクラスチェンジするのが先だね。


 じゃ、次は魔眼に切り替えて見てみよう。


 俺の魔眼は【魔眼+++】。+が多いほど、高解像度、高性能、多機能を獲得できることを表す。


 色彩は相変わらず、原色ビビッドな刺激色。視覚野が順調に発達しているようで、最初より随分と詳細に見えるようになった。


 でも、見え過ぎて困ることもあるんだなって、鏡で自分自身を見て初めて思った。


 魔心がある胸の辺りが、凄まじい高輝度で、かつグルグル渦を巻きながら白く発光している。

 頭部や腹部もフラッシュレベルに明るい。それぞれの光から無数の線が放射され、人というよりは、前衛的なオブジェみたいだ。


 これじゃあ、わけがわからない。先日、幽体を認識したときは、こうじゃなかった。あれは【感覚同期】によるもので、直接見たわけじゃないけど。


 あんな感じに見え方を調整できない?


《可能です。魔眼に対魔フィルター設置済みです。段階的に調整もできます。使用しますか?》


 ちょっとやってみて。


 光が徐々に抑えられていき、ようやく人の形が浮き上がってきた。


 小さな人の形の中に描かれる、大小様々な光点や幾何学模様。それが、夜空の星のように散らばり、星々の間を、魔導軌道が縦横無尽に走っている。


 特に頭部は凄い。極細レースでパーツごとに人体模型を編んだらこんなかも。立体的かつ緻密な模様で埋め尽くされている。


 光のレースに見惚れていると、徐々に輪郭がはっきりしてきて、白く光り輝く少女の姿が浮かんできた。


 鏡越しとはいえ、【感覚同期】による認識ではなく、自分自身の目で見るアラネオラ。俺の肉体の像と二重写しになってるけど、確かにそこにいて、分離した別の存在に見えた。


 幽体と肉体のオーバーラップ。魔眼は、肉体優位の視覚機能を、幽体優位に再構築したものだ。


 俺が魔眼を使っているせいか、鏡の中のアラネオラは目を閉じていた。でも、見えてるよね? だって、この魔眼は俺のものには違いないけど、幽体の化身とも言える君のものでもあるのだから。


 目を開けて。君の目が、俺を映すのを見てみたい。


 俺の願いを聞き入れたのか、アラネオラの銀糸のような睫毛がぴくりと動き、瞼裂に隙間が開いていく。


 ゆっくりと上がる目蓋。虹色に輝く虹彩が露わになり、そして遂に。

 

 ——目があった。

 

《魔眼の並列起動、及び幽体の分離に成功しました》



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