隠しエピソード1 出生と困惑

 注意)この回は主人公が知らない(いわゆるネタバレ的な)要素を含みます。

 

 隠しエピソードの多くは第三者視点です(今後もたまに出てきます)。

 読むと物語の舞台や主人公の背景に対する理解が深まると思います(約4600字)。


 主人公視点で先入観なく物語を読み進めたい方はご注意下さい。

 隠しエピソード回を一旦飛ばしても文脈的には繋がるように書いています。

 

 ――――――――――――――――――――――――――


 キリアム公爵家に待望の後継男子が生まれた。


 年若い公爵夫人にとっては初産であり、予定より早めの破水を迎えて出産に至った。

 出産の場となった主都グラスブリッジの本邸には、人的物質的な両面で万全の準備がなされており、産月が生育に与える影響は、たいした問題にはならないはずだった。


 しかし、すぐに様子がおかしいと騒ぎになる。


 赤子は火がついたように泣き続け、どうにかして飲ませたわずかな乳さえ吐き出し、時に呼吸が止まり、心拍が止まり、ぐったりして死んだように失神する。その繰り返しだったからだ。


 泣いたり吐いたりは赤子の常とはいえ、その有様は限度を越えていた。

 内蔵系の重大な不具合を疑われたが、医師団の見立てでは、身体には異常がないという。


 日に日に赤子は衰弱していったが、このような事態は、全く想定されていなかった。


 関係者の皆が不安と焦りに陥る中、本邸を取り仕切る家宰の判断で、赤子は別の場所へ緊急移送されることになった。


 移送先は、バレンフィールド領、湖上屋敷にある「六角錘堂」。


「六角錘堂」は、精霊力に満ちた聖地ともいうべき場所であり、初代ルーカス卿の遺産のひとつとされている。


 数百年前にルーカス卿が交わした大精霊との盟約。それは、この地に大きな変革をもたらした。

 盟約の恩恵は一代に留まらず、ルーカス卿の直系子孫には、今なお精霊との親和性が高い者が生まれやすい。その最たるものが、盟約【精霊の恵み】である。


 一縷の望みをかけて、赤子の「六角錘堂」での養育が始まった。にもかかわらず、生命の灯火がいつ消えてもおかしくないという危うい状態が続く。


 事態を深刻に捉えた公爵は、主都の奉職神殿から神官長を招くことを決定した。


 本来であれば、七歳の「授職式」後に行うのが慣例である「顕盤の儀」。それを生存の見通しが暗い我が子に執り行ってもらうために。


 なぜなら、もし赤子に盟約【精霊の恵み】があれば、生命を惜しむ十分な理由になったから。


闕失職ロストジョブ? それは真ですか?」


「断定はできません。生まれつき顕盤に職業の記載があるが、その職業が正しく表示されない。職業由来の【能力】の記載がない、即ち無能である。この二つの特徴から、とある闕失職が示唆されます」


 闕失職とは、過去には存在したとされるが、詳細が今もって不明の稀職を指す。


「正しく表示されない? それで職業を有しているといえるのですか?」


「それはなんとも。こちらをご覧下さい。顕盤の写しになります」


 個体名:――

 年齢:0歳

 種族:人

 職業:【#皇】

 @%◼️〆イ

 ◼️Å≒♭


「これはどういうことです? 職業以下の記載が、まともに読めないではありませんか」


「はい。年齢と種族以外に読み取れたのは、職業欄の【#皇】の部分だけです。この様な表示の異常は、皇職であればありうることですが」


「皇職というと……まさか『英雄王』の?」


「公爵様は、やはりご存じでしたか。現在、公的な歴史書には、『英雄王』の職業は『武王』であったと記載されています。しかし、正しくは『武皇』であったというのが我々奉職神殿の認識です」


『英雄王』


 数百年前に、大陸統一王国を打ち立てた伝説的な人物である。


 当時、人の世は争いが絶えず、秩序も正義も麻のように乱れていた。

 世相が混迷を極め、弱者が絶望に呑まれて救いを渇望していた時代に、『英雄王』は彗星のように現れた。そして、二人の共闘者と共に、その圧倒的な武力でもって、破竹の勢いで大陸統一を果たしたのである。


 ここリージス大陸には、現在複数の国々が存在するが、その多くが、かつては大陸統一王国に恭順していた。それ故に、『英雄王』を『統一王』と呼ぶ者もいる。


『英雄王』の覇業は、吟遊詩人の格好の題材となり、夢物語を含めて数多くの伝説が語り継がれている。


 しかし、その一方で、『英雄王』の人物像や職業、能力には不明な点が多く、公にも全ては明らかにされていない。

 今では、作られた英雄、あるいは実在しない架空の人物なのではないかという俗説まであるほどだ。


「『英雄王』は王職の上位職である皇職であった。我が家でも、そのように伝承されています」


「では公爵様は、『三傑』の他のお二方の職業名もご存じなのでしょうか?」


『三傑』は、ベルファストと二人の共闘者を指す言葉である。

 英雄王 アーロン・ベルファスト

 救世の聖女 リリア・メーナス

 稀代の精霊使い ルーカス・キリアム


『ベルファストは、人々を糾合し国を興した。メーナスは、道を誤った生命教会を粛正し、献神教会へ変革する礎を築いた。その一方で、キリアムは世俗の覇権闘争から身を引き、隠棲した不毛の荒野を、精霊の力により豊穣の地に変えた』


 国民の誰もが知る建国伝説である。


「聖女様については、口にするのは憚られますのでご容赦下さい。肝心の我が家の創始者ですが、その正確な職業は、なぜか子孫である我々にも明かされておりません」


 どちらも迂闊に漏らせない秘事である。それ故に、公爵は慎重に思案しながら答えているよう見えた。


「なぜ初代様は、ご職業を隠されたのでしょうか?」


「分かりません。ただ、『過ぎた力は身を滅ぼす。多くを望まず、キリアムの血を繋ぐことだけに注力せよ』――これがルーカス卿の遺言として伝わっています」


「それは……なんとも謎めいたお言葉ですね」


 神官長は、無意識にか、少し眉根を寄せながら言葉を発していた。公爵の言葉の真偽を、判断しかねていたのかもしれない。


「しかし、『三傑』の内のお二人が皇職だったと仮定すれば、残りお一人も同じであった可能性があるのでは?」


「それはどうでしょうか? 我が家は代々、精霊と交わした盟約の恩恵に与って参りました。今回のような事態は初めてなのです。それに、数代前に王家から降嫁がありましたから」


 かまをかけるような神官長の質問に、公爵は否定的な見解を示した。


「なるほど、初代様の血統ではなく、公爵家の血に入った英雄王の血統が、お子様に出たと仰りたいのでしょうか?」


「畏れながら。我が家に皇職の者が生まれたという記録はありません。皇職が血統に由来するのであれば、直近の王家の血筋が出たという方があり得るのではないでしょうか」


「なるほど。いずれにせよ、我々が把握している限りでは、皇職は特定の家系に稀に生まれてきます。ですが、幻の職業だとされている。それはなぜかお分かりですね?」


「生まれた者が育たないから、ですか?」


「はい。一部の例外を除き、皇職であるとみなされた者は、ことごとく無能のまま、幼い内に死んでしまいます」


「無能、つまり職業に、なんらかの欠陥があるから夭折してしまうのですか?」


「分かりません。『英雄王』の武力は圧倒的でした。どうすれば、その能力の継承者を生み出せるのか? 諸王家によって、密かに試されてきましたが、あまりの乳幼児死亡率の高さに、欠陥職であると考える者も少なからずおります」


「そこまで生きながらえることが難しいのですか。英雄王の職業が【武皇】であることを、王家が秘匿している理由をご存じですか?」


「それはやはり、無能として生まれた故かと思います。当時は、無能は社会の最底辺として差別され、迫害される存在でした。差別意識はあってはならないものですが、長く浸透した認識を変えるのは容易ではありません」


 誰もが神々から職業を授かり、有為な固有能力を得ることができる。それが常識の世界において、無能であることは生き辛く、神の恩寵を受けられない、神から見放された存在だと見做されることがままあった。


 ベルファストは、若き日を無能として送ったが、艱難辛苦を乗り越え、壮年になってようやく職業の固有能力を獲得していた。


 しかし、後の世に向けて、彼の偉業を公文書に綴る際に、建国の英雄に無能の経歴は不適切であるとの判断がなされている。


 従って、『英雄王』の不遇時代については、固有能力だけでなく、その出世や生い立ちを含めて、公式な記録には残されていない。真実は、諸王家の直系と「顕盤の儀」を司る奉職神殿の上層部にだけ伝えられてきたのである。


「もし……もし、我が子が生きながらえれば、いずれは強力な固有能力を得られるかもしない。そう考えてもよろしいのでしょうか?」


「可能性はあります。しかし、皆が一度は夢見て、ことごとく残念な結果に終わっています。成し遂げることは非常に厳しいと言わざるをえません」


「今後、顕盤の記載が正される可能性は? あの子はキリアム公爵家の直系であり、母方は特殊な加護の継承家です。精霊あるいは神の恩寵があったとしても、生存は難しいのですか?」


「特殊な加護? 奥方様のご実家はどちらでしたでしょうか?」


「スピニング伯爵家です。ただし、妻自身に加護はありません」


「そのようなご事情でしたか。盟約に特殊加護に英雄の血統。そして、皇職の発現。そうなると顕盤の記載について、ある程度の推測ができます」


「それはどのような?」


「これはあくまで私的な見解であると、先にお断りしておきます。その上でお聞き下さい」


 代々子孫に継承されるような、強固な盟約や加護は、母親の胎内にいる時には既に獲得済みだとされている。

 それに加えて、7歳時に執り行われる「授職式」で、職神の恩寵として職業を授けられる。


 複数の恩寵は、一人の人間の器には収まりきらない。少なくとも、同時に受け入れることは困難であるとされている。


「授職式」が7歳で行われるのは、盟約や加護を持つ者が、新たに職神の恩寵を受け入れるのに、七年の猶予が必要だからだと言われている。


 今回、顕盤の職業欄の下に、異常記載は二つあるように見えた。


 多過ぎる恩寵が、生まれたばかりの赤子に集中したため、どれもが定着せず不確実なものとなっているのではないか。


 あるいは、なんらかの欠陥を抱えているとされる闕失職が、盟約や加護の素養に負の影響を与えている可能性もある。


 私見と前置きはあったが、神官長の話は、奉職神殿が永年に渡って培ってきた見解と概ね一致するといってよかった。


「恩寵が多ければ良いというものではないのですね。思うようにならないものです」


「酷なことを申し上げるようですが、お覚悟は必要かと存じます。発露しない盟約や加護は、おそらく役に立ちません」


「やはりそうなのですか。この地に連れてきても、一向に容体がよくならないのです。束の間ですが、精霊の力を感じることはあるそうです。しかし、すぐに、何かに打ち消されるように消えてしまう。お話を伺って腑に落ちました」


「精霊の力を感じるのであれば、盟約の素養をお持ちなのかもしれませんね。誠に残念なことです」


「初めての子供、それも男子であり、盟約を持っている可能性がある。大事な子供です。なんとしても生かしたい。その気持ちに変わりはありません。しかし、家の存続を見据えるのであれば、次の子に期待するしかなさそうです」


「このような結果となりましたが、今回の『顕盤の儀』については、くれぐれもご内密にお願いします」


「承知しております。この度は、特別なご配慮を頂き大変感謝しております。誠にありがとうございました」

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