第三章 開花
第13話 水底
その日はいつもと違った。
ついさっきまで、部屋の頂点にある天蓋を仰ぎ見ていたのに、いつの間にか目を閉じていた。
なぜか目蓋が開かず、横たわった身体も指一本動かせない。
何もできないでいる内に、いつもはしっかりとした弾力を保つ寝台が、ゼリーみたいにグニャリと凹んで、身体が地面に呑みこまれるように、とめどなく沈んでいく。
ああこれは、眠りばなにみる夢かな、明晰夢というやつかもしれない。そう思ったときには、心地よい微睡の中に
こんなに楽なのは久しぶりだ。この世界に来て初めてかもしれない。
逆らわずに全身の力を抜いて、安寧に身を委ねた。浅い眠りを漂っている間も、どこまでも沈んでいくような感覚は続いていた。
前世でも、徹夜明けでやっと眠れた時なんかに、身体が浮いたり沈んだり、あるいは、意のままに自在に飛んだりするといった擬似的な浮遊体験をすることがあった。
それは結構楽しくて、身ひとつで星のない宇宙を飛んでいるような感じだった。
ただし、疲れが酷い時は、身体が硬直して金縛りに陥ってしまうので、それだけはちょっと怖かった。
意識はあるのに、指一本すら自由に動かせない。得体がしれない無数の手が、身体の至る所で這い回り、撫でられ、モゾモゾとまさぐられるといった、ホラーな状況に陥る――そう、まるで今みたいに。
目は依然閉じている。にもかかわらず、夢特有の俯瞰視点で、自分が青で埋め尽くされた世界にいるのが分かった。
見渡す限りどこまでも青く、その果ては見通せない。空のような希薄な青ではなく、水底にいるような、透明なのに重みを伴った深い青に浸っている。
身体が沈む感覚は既に消えていた。
触られる感覚もようやく一段落して、何か小さな存在に体表面を撫でられているような、くすぐったい感じがしている。
その何かに悪意はなさそうに思えた。だから少しも怖くない。そこにあるのは、純粋な好意や好奇心、あるいは戯れといったもの。
そう。例えば、気になる子の気を引きたくて、不器用にちょっかいを出す。そんな感じだ。なぜか、それが分かる気がした。
この整合性のなさは、やはり金縛り状態で見る幻覚的なものだろう。そう考えたとき、お触りがようやく途絶えた。
音が聞こえないない静謐な青。状況に、戸惑いと幾ばくかの緊張を覚えていると、視界に変化が起き始めた。
無数にも見える透き通った小さな欠片が、上からシンシンと降ってくる。
これは雪? いや、もっと小さい。光を反射するようにキラキラしている。これは、
——そう思ったのは最初だけで、どうやらそんな可愛いらしいものでは済まないらしい。都会なら警報が出そうな勢いで、遠慮なく降り注ぎ、渦を描いて集まり、密度を増しながら自分を取り巻いていく何か。
より強く意識すると、その欠片のひとつひとつが、より大きな、美しい形をした結晶に変わっていく。
六花、扇状、樹枝状、羊歯状、角板。
夢ならではの便利さで、結晶がやけに大きく見える。様々な形をした雪の結晶――いわゆる氷晶が、俺の周囲で
虫じゃないのに、蠢くという表現がぴったりだと思った。漂うというには密度が高過ぎたし、そわそわと落ち着きがないように見えたから。
そして、見た目は冷たそうなのに温かい。これって、謎の力と同じ?
その温かさは、危機的な状況で何度も生命を救ってくれた、謎の癒しパワーと同じ気配がした。
その気配が、徐々に圧力を感じるほど濃くなってくる。いったい何が起きようとしてるのか。
待ち構えていると、際立った存在感を醸し出す、大きな氷晶が現れた。
交差する三本の針。その中央に輝く六芒星。針を飾る繊細な細工は、硝子で摸した花葉や翅のようで、針先は三叉戟のように鋭利な枝を伸ばしていた。
樹枝六花と角板の華やかな複合結晶。
前世では写真集や図鑑を集めるくらい、氷晶は好きなモチーフだった。自然が生み出す偶然の産物。それが驚くほど芸術的な造形をしている。その神秘性に、称賛と畏敬の念を抱かざるを得なかった。
今、目の前にいるのは、かつて見たことがない流麗さで、ため息がでるくらい見事な、巧緻極まる装飾紋様に飾られた氷晶で、思わずその美しさに見惚れた。
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