第11話 レクス・トリニティ

【感覚同期】の失敗から約半年が経った。


 いやぁ、死ぬかと思った。胸腔内の改造はマジヤバくて、何度も死線を越えた。

 

 頭頸部から延ばした魔導軌道を魔心(魔力炉)に連結することに成功して、魔心を稼働した。最初はジワッて感じで流出が始まり、魔力が胸腔内の幽体にヒタヒタと満たされていくのが分かった。そこまでは、おっ、いい感じだなんて思っていた。


 ところが、次第に流出の勢いが増していき、魔力が魔心から溢れ出した。魔力の奔流は暴力的に膨張して肉体まで圧排し始めた。


 こうなると、もう痛みがどうこうレベルじゃない。直接的な肉体への侵襲が大きくなり過ぎて、心臓や肺がまともに動かなくなった。

 肺は容易に膨らまず、心臓も動きを制限され拡張できなくなる、いわゆる魔心タンポナーデという極めて危険な状態に陥ってしまったからだ。


 さすがにアイも慌ててたね。


 しかし、魔心からの駆出は、そう簡単には止まらない。何度も心停止とショック(重要臓器に血流が届かなくなる)を起こして、死の瀬戸際を彷徨うハメに。

 そんなデンジャラスな胸腔内の改造から、なんとか生還を果たし、再び長めの調整期間が訪れたときは、まさに息も絶え絶えだった。


 でもまあ、喉元過ぎればなんとやら。体調が回復してくると、基本寝たきりなだけに、余計に不自然な見え方が気になってしまった。


 ねぇ。追加的な魔眼の機能拡張ってできない?


《今ですか?》


 うん、できれば。色って、思っていた以上に食欲に直結するんだよ。いつまでもオッパイってわけにもいかないから、なんとかならないかなぁ。


《率直に申し上げて、現時点では非推奨です》


 それはなぜ? 理由を教えて欲しい。


《視覚野の発達は概ね順調ですが、発達上限で固定するまであと数年かかります》


 そのあたり詳しく。


《ヒトが"見ている"のは、眼球が捉えた映像そのものではありません。修飾する脳の働きが非常に大きいのです》


 これは以前も聞いたことがある。でも、更に詳細な説明を求めた。


 脳に送られた視覚刺激は、脳の視覚野で集約・統合・修正処理されて、“加工済みの映像”として“脳内の仮想スクリーン”に投影される。


 その情報処理は段階的で、対象の認識・形状把握・色や質感・静的及び動的な見え方・パターン認識・位置情報・身体制御・長期記憶関連・他の感覚入力との連合など、多岐に渡っているそうだ。


 生下時のニュートラルな状態から、継続的な視覚刺激を受けることによって、脳の視覚野の発達・成長は促される。大人の視覚の水準に達するのは、概ね6歳頃。そこで発達が止まってしまう。


 期限付きだから、年齢がとても大事になる。


《魔眼の形成は、肉体優位であった眼球を、幽体優位に作り変えることから始まります。

 肉体の従属物である従来の視物質を排し、魔素や魔力に反応する擬似視物質に置換して、幽体としての眼球の再構築を行い、脳内の情報処理系統も制御下に置いているのです》


 視覚野の発達がより進めば、魔眼の解像度や魔眼視力が飛躍的に向上するので、生活するのに支障はなくなるし、この世界ならではの特殊な視覚も得られる。


 ただ、その見え方は魔眼特有のものだ。見慣れた視界とは異なってしまう。


 それを従来の見え方に寄せるには、単に眼球を弄ればいいというものではない。

 まだ発達が未熟な状態で、視覚刺激を切り替えると、視覚野の正常な発達が阻害される恐れがあるからだ。


 えっ! じゃあ、【感覚同期】で他人の目を借りるのも不味いんじゃないの?


《【感覚同期】では、既に加工済みの映像が、脳内の仮想スクリーンに投影されるので、概ね問題はありません》


 なるほどね。既に処理済みの完成イメージを読み取るだけってわけか。問題がないならまた試したいところだけど、前回の騒ぎもあって、目を借りるのが人間相手じゃ難しそうなんだよね。


 なにかいい方法がないかな?


蠱式こしき「ルシオラ」を育成すれば、安全に【感覚同期】が可能になります》


 蠱式? 何それ、初耳なんですが。


《今現在、掘削作業を担当しているのが、最初に共生進化した蠱弦こげん「アラネオラ」です。その他に、休眠中の蠱珠こじゅ《オーヴ》が2体分あります。そのひとつを使役進化させて蠱式として育成すれば、マスターの分体として使うことができます》


 へえ、そんなこともできるんだ。


 実はこの身体には、「理蟲りちゅう」—レクス・トリニティという異質な存在が宿っている。

 この世界では、むしは小さな生き物という意味らしくて、理蟲はその中でも高位進化生命体であり、宿主の能力を大幅に底上げしてくれる。


 理蟲は三つの基体シアから成り、それぞれ蠱珠に封印されていたが、管理者であるアイが、目的に合わせて個別に孵化させることができる仕組みだ。


 現在進行形で幽体改造を行なっているのが、理蟲の一基体である蠱弦で、魔導基盤や魔導軌道を構築するために、日々、幽体内を掘り掘りしてくれている。そんな説明だった。


 理蟲の基体は残りふたつ。ふたつもある。または、ふたつしかないとも言える。もうひとつを孵化させてしまって、後々困らない?


《蠱式としての運用は妥当だと考えます。但し、理蟲の生命活動に必要な理源リソースは有限であり、その割り当ては随時変動します。現在は、ほぼ全ての理源を蠱弦が使用しています。分体を育成するには、理源の一部を蠱式に割譲しなければなりません》


 うーん。アイが妥当だと言うのならいいか。分体と【感覚同期】できたら、きっと凄く便利だよね。


 分体って、本体と別行動はできるの?


《ある程度育成が進めば、本体から切り離した単独行動も可能になります》


 分体の移動力は、どれくらい?


《成長すれば、いかようにも。ただし、距離と連携強度は反比例しますので、本体から離れるに連れて、遠隔操作下での行動は制限されます》


 なるほど。なんか面白そうだし、やってみようかな。


《分体を育ててみたい。できるかな?》


《実行すれば腹腔内改造過程の開始が遅れますが、よろしいですか?》


 はい。


《蠱弦に確認しますので、しばらくお待ち下さい》



 ……まだかなまだかな。しばらく待てと言われてから、かなり時間が経った。確認はまだ終わらない?


《申し訳ありません。交渉が長引いています》


 交渉って、蠱弦、えっとアラネオラだっけ? が、分体を作るのを嫌がってるの?


《分体を作ること自体には賛成していますが、先に軌道構築を一通り終わらせたいそうです。序列をはっきりさせてから新しい蠱珠を起こした方が、基体間のトラブルが起きにくいという主張です》


 えっ? 基体同士で揉めることなんてあるの?


《理蟲は三つの基体で構成されていますが、それぞれ個別の意志が宿ります。序列が明確でないと、理源の奪い合いなどが生じる可能性はあります》


 マジか。頭が三つ。地獄の番犬ケルベロスみたいな感じなのかな? ここまでやったんだ。内輪揉めなんてリスクは、できる限り避けたいところだ。


 じゃあ、分体に関しては、良いタイミングを待つことにする。その間は……仕方ない。当面は魔眼に慣れていくしかないね。

 前世からの固定観念というか刷り込まれた認識の問題だから、変えていくのはなかなかに難しいところだけど、腹を括ればより順応できるかもしれない。


 アイ、我儘言って済まなかった。今回は見送るよ。


《常に自らの願望や目標について考えることは、決して我儘ではありません。人生は「思考」で作られていて、その行為は未来の成功に欠かせないものですから》


 アイは、相変わらず言うことが高尚だ。


 自覚はなかったが、俺は焦っていたのかな? でも、話を聞けてよかったよ。少し先の見通しがついたし、まだ人生は序盤も序盤で、これからなのだ。


 焦って何かを取りこぼすより、万全の体制で行こうじゃないか。

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