第10話 派生した能力

 前世の俺の母親は、一時幼児教育というものに嵌っていたことがある。


 その対象が、姉でも妹でもなく俺になってしまったのは、ただ運が悪かったとしか言えない。当時のママ友に触発され、いわゆる幼児教室というものに一年くらい通わされた。


 既に幼稚園の年長だったので、幼心にも自分が出遅れているのが分かった。周りの子供は、いわゆる“出来上がり”に近い状態で、スピーディで的確なペーパーや運動だけでなく、大人の指示をしっかり聞き取り、返事はハキハキ、姿勢良く背筋は伸びて、絵に描けるような体験エピソードを幾つも持っていた。


 焦ったのは俺の母親だ。賢いと思っていた長男が、お受験という意味では全然使い物にならなかったのだから。


 だから、無駄な足掻きとも言える、幼児教室の夏休み企画「親子で富士登山」に申し込んでしまった。


 五合目までは貸切バスで行き、実際の登山はそこからのスタート。

 最初はよかった。でもね、富士山って上の方は勾配がめっちゃキツくて、緑なんかなくて砂礫だらけなんだよ。生憎と天気がイマイチで、ただでさえ寒いのに小雨まで降ってきた。


 長袖の上着やパーカー、レインコートまで着てるのに、ブルブル震えて、鼻水を垂らしながら半泣きで、それでも八合目までは登った。いや、登らされた。


 辛かったけど、ゴールの八合目に着いた時には、嬉しくて笑顔が出たし達成感も湧いた。


 幼稚園の頃の記憶なんてほとんどないのに、あの登山のことだけは、やけにハッキリと覚えている。それだけ強烈な体験だったってことだよね。


 あの時の光景が、フラッシュバックのように脳裏に蘇ったのは、おそらく、今の心境と重なるものがあったから。


《お疲れ様でした。頭頸部の改造工程が完了しました。調整期間に入ります》


 うん。アナウンスを簡略化してもらって正解だった。このくらいで丁度いい。


 これで、二年近くに及ぶ頭頸部の改造が完了したわけだ。まだ二年、もう二年。どちらかというと、気分は後者。


 次は胸腔内の作業に入る予定で、魔導軌道の魔心への連結や、魔心の駆動確認といった大仕事が待ち構えている。


《マスター、たった今、生体サーチ結果に変化が生じました》


 どう変わったの?


《職業【理皇】欄——[蛛弦縛枷]の、三つ並んでいたがひとつ減り、三つの派生能力が発現しています》


 [蛛弦縛枷]って、能力になんらかの制約を課しているんじゃないかと言っていたやつだよね?


《そうです。改造工程の前進に伴い、一部の制約が緩和されたようです》


 分かった。報告ありがとう。


 【超鋭敏】感覚が鋭くなる

 【並列思考】複数の脳処理を並列に行える

 【感覚同期】双方向または単方向で他と感覚を共有できる


 よしよし。新しく派生した三つの能力は、どれも有用そうだ。


 注目は【感覚同期】。他と感覚を共有。これで視覚を共有したら、凄く良さげな気がしないか? そうだよ。とりあえず見るだけなら、他人の目を借りればいい。


 この二年の間に、ビビッドな見え方にもだいぶ慣れてきていた。でも、この目を本来の見え方に近づけたい。その思いは依然持ち続けている。

 だって、人の顔がサーモグラフィみたいに不気味に映るのと、食べ物がどうにも美味しく見えないのには、いまだに困っているから。


  使い勝手はやってみないと分からないが、凄くいいアイデアだと思ったから、早速実行に移すことにした。


 やたら広いのに、いつも清潔で心地よい寝台に寝転がり、屋敷内で働く人の視覚に【感覚同期】を試みることにする。


 行動範囲が広そうな人がいい。そう考えて、部屋の入口にいる人(おそらく警備担当)にロックオン。【感覚同期】を発動。


 あれ? なんだこれ。


 分厚いゴム出てきた膜のような反発がある。あっ、弾かれた。えっ、どういうこと? 俺がそう思うのと同時に、周囲が急に慌ただしくなった。


「エヴァンス夫人。リオン様にお変わりはありませんか?」


 三人の乳母の一人、筆頭乳母のエヴァンス夫人に声がかけられた。


「はい。先ほどお食事を召し上がり、今はお休みになられています。何かあったのですか?」

「ええ。侵入者かもしれません。安全確認のために家令殿をお呼びしましたので、許可が出るまでは、この部屋から出ないようお願いします」

「承知しました」


 間もなくモリ爺(家令のグレイソン・ハイド・モリス)がやってきて、部屋の外がザワザワし始める。状況を把握するために、【超鋭敏】を使って感度を上げた聴覚で、彼らの会話を捉えて聞いてみることにした。


「ハワード、何がありましたか?」

「先ほど魔力干渉による微弱な精神攻撃を感知しました。今は消えています」

「あなたは何か影響を受けましたか?」

「いえ。抵抗したらすぐに止みましたので、影響下にはありません」

「精神攻撃とは厄介ですね。魔術士官に警戒に当たらせましょう。攻撃者の痕跡も探さなければなりません。人員を手配致しましょう」


 やばい。気づかれた上に、めっちゃ警戒されちゃってる。


「リオン様。お休みのところを申し訳ありません。少し騒がしいですが、ご心配なくお過ごし下さい。何があろうと、私たちが命に変えてもリオン様をお守り致しますから」


 そう囁きながら、エヴァンス夫人が優しく抱きしめてくれた。労わるように、頭も撫でてくれる。既に馴染んだ甘い匂い。俺が起こした騒ぎなのに、なぜか安心してしまう。


「うん。わかった」


 さて。二歳児らしく短い返事をしたら、あとは知らんぷり。


 大変申し訳ないけど、俺がやったなんて言えない。思いつきで行動して、周囲に迷惑をかけてしまったことについては要反省だ。

 残念な結果だけど仕方ないや。【感覚同期】は一旦保留にして、警備体制が落ち着くまで、しばらくは大人しくしていようっと。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る