第5話 自傷行為からの


「門……門……俺の門……門……ない、ない、なんでないんだ」


 どのくらい時間が経ったのか。


 着の身着のまま。時計もスマホも、肩に引っ掛けていたナップサックも、なぜかなくなっていた。どこかに消えてしまった。


 そんなだから、暗闇の中で時間感覚はとっくに麻痺していて、みんなが消えてから、どれくらい時間が経ったのか全く分からない。


 感情の赴くまま、喚いたり、暴れたり、泣いたりしたが、ここには自分しかいない。その現実を再認識するだけだった。だから。


「痛い。うん、痛い。生きてる。俺は生きてる」


 暗闇と同化してしまうような、自我が溶けてなくなってしまいそうな恐怖から、どうにかして逃げ出したかった。でも、そのために取れる手段なんてどこにもなくて。いつしか俺は、自傷行為をするようになっていた。


 最初は手足や頭を床に打ち付けたり、爪を弄ったりしていた。でも、そんな一瞬の痛みじゃ恐怖を打ち消せなくて、指や腕に噛みつくようになっていた。痛みを感じるたびに小さな安心を覚え、自分を取り戻す。


「……っ痛……不味い」


 深く噛んで、錆臭い血の味を感じて、生きていることを実感した。


「大丈夫。まだ大丈夫。俺はここにいる」


 生きてはいる。でも、そのうち狂いそうだ。


 うとうとして、何度も浅い眠りを繰り返す。目が醒めるたびに自己喪失感に襲われ、自身を噛んで、血を舐めながら、門が出ていないかと暗闇をぐるっと見回す。何度も何度も。


 いつしか、それが習慣になっていた。


「えっ?」


 依然、辺りは真っ暗だった。でも、ある方向を視線がよぎった時、今までにない違和感を覚えた。


「……なんだ? あそこに、何かあるのか?」


 そう声に出した直後、頭の中に、以前聞いたあの声が入り込んできた。


 ――転生門


「声? や、やった! 路が開いた。門だ、転生門だ!」


 絶対に逃さない。視点をずらさないように、じりじりと、なかば這いながら、違和感を感じた方向に移動していく。


「ここが入口かな?」


 ギリギリまで近づいてようやく、目の前に門があることを認識できた。期待に心が浮き立ってくる。


 暗闇に溶け込んだ漆黒の門。以前見た他の門と違い、一切光っていない。


 酷く視認し難いが、近づくと肌がざわめいた。じっと見つめ続けると、なんとなくだけど、そこだけ暗闇の密度が違う気がした。


 この門は、時間が経つと消えてしまうのか?


 ――転生門は救済対象者の通過により消滅する。


 救済対象者とは誰を指す?


 ――槨離狭界への迷入者である。


 ここには、他に誰もいない。いないはずだ。つまり、この門の救済対象者は俺だけ?


 ――救済対象者は質問者ただ一人である。


 よしっ! 潜るまで消えない、俺のための、あれだけ待ち望んだ門だ。早く潜れと気が急いた。


 待て。ダメだ、潜るのは少しでも多くの情報を集めてからだ。弱気になりがちな気持ちを叱咤し、なけなしの自制心をフル動員する。


 門の前に居座りながら辺りを見回した。この空間に他にも変化が生じてないか探してみたが、結局、何も見つからなかった。


 じゃあ、この門を潜るのは決定だ。 


 門の情報は、誰かが潜らないと得られない。今まではそうだった。

 でもこれは俺の門だ。俺のために開かれた門なのだから、教えてもらえて当然だ。そんな気持ちで尋ねてみた。


 この門の名前は? 潜るとどんな職業をもらえる?


 ――『蛛弦門』

【職業】代償θシータ型[オートマッチング]

【能力】未開花

【技能】―

 特典:自己開発指南カスタマイズガイド


 きた! 聞いてみてよかった。事前に門の情報を入手できたじゃないか。


 なになに。門の名前は『蛛弦門』で、職業は代償θ型。能力欄には未開花とある。技能は空欄で、何の記号もついていない。

 あれ? なんで◯や△がないの? 喜んだのも束の間、不可解な情報に眉根が寄る。


 ……落ち着け俺。今さら慌ててどうする。冷静に、ひとつずつ聞いていけばいい。


「自己開発ってなに?」


 ――【能力】を獲得するために、素体を最適化する作業。


 よし、答えてくれた。分からない言葉が出てきたら、次々聞いていこう。


「素体ってなに?」


 ――『蛛弦門』を選択した対象者の器を指す。肉体・幽体・魂で構成される。


 どうやら、未来の俺を形作るものの一部ってことらしい。


「素体の最適化って、どうやるの?」


 ――素体の改造を主体とする改変を行う。


 改造? 能力を得るのにそこまで要求されるのか。


「オートマッチングの意味は?」


 ――素体の潜在能力ポテンシャルを最も引き出せる様式を自動的に決定する。


 スラスラ答えてくれるけど、いまいち意味が分からない。

 この後、幾つも問いを投げかけた。しかし、なにしろ転生先は異世界だ。世界の法則からして異なるようで、物事の概念もゲーム的なラノベファンタジーとはかなり隔たりがあり、答えの全てが理解できたわけではない。


 はっきりしたのは、転生後に持ち越せるのは、ここで得た情報を含む俺自身——咲良理央さくら りお——の記憶だけだということくらい。


 今の身体と魂は、転生先の世界に吸収されてしまい、その対価として【職業】と特典を付与される。そして、転生先の世界秩序に適応した異世界仕様の新しい器(肉体・幽体・魂)に、記憶と対価を封入して生まれ変わる。


 対価ねぇ。


 門は少なくとも四種類あることが分かっている。どの門を潜ったかで変動する対価なんて、救済としては不公平なのではないか?

 そう尋ねてみたら、転生先の世界に管理者(いわゆる神様)が複数いる場合、それぞれの管理者が独自の裁量で門を開くので、門の名前や対価も変わるのだとか。


 じゃあ仕方ないのかな。追加で俺のために門を開いてくれた名前も知らない神様に、大いに感謝こそすれ文句を言うのは筋違いだと思うから。


「さて、行くか」


 これ以上、この空間で引き出せる情報はなさそうだ。不安は大きいけど、さすがにもういいかな。


 俺はようやく納得して、漆黒の門の向こうに身を投じた。新しい人生。できれば、魔術を使える職業になれたらいいな……なんて願いながら。

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