緑の鉄格子

星一悟

緑の鉄格子の中で

 初めましての方は初めまして。

 星一悟と申します。

 退院して暫く経ったので、経験談を記します。


 私はある精神病を患い、緊急に入院致しました。

 急性一過性精神障害性障害というもので、急激なストレスやショックを受け、一過性ながら統合失調症の様な症状が出て訳が分からなくなるというものでした。


 症状が出ている間の記憶はほとんどありませんでしたが、2024年の正月頃から少しずつ思い出してきました。


 初めは親に日付を聞いてみたら、覚えている今日の日付と食い違って未来の日付を度々口にし、時間の感覚が完璧にズレるところから始まりました。

 それから症状が始まり、しまいには、朧げながら友人に支離滅裂な罵声のラインを送り完全に絶交されたこと、SNSのスパムにまで返事を送りまくっていたこと、父親の顔の判別がつかなくなったことなど、記憶が飛んでディテールが曖昧ながらもそんなことになりました。

 その時は完全に意識が自分のコントロールを離れていました。人格が変わるとはこういうものだという感じでした。


 退院後、自分の部屋の入り口に蛍光ペンで「頭頭頭…」と沢山書かれていたり、机の上のノートに「き」と「ち」の文字が上下に合体したような字が書き散らされていたのを見て軽く恐怖いたしました。


 また、症状の中に酷い妄想がありまして、妄想の中身はこんな感じでした。

 自分の姿が、目と目が伸びて向かいあうようにくっつき黒い毛をびっしりと生やした醜い獣の姿をしており、宇宙の数を無限に数えていました。


 数えてる間、映画ファンタスティック・プラネットの魚人間や、レンタルビデオ屋という文字、夢で必ず見るという都市伝説に出てくるおじさんの顔などが次々と浮かび、これは放送大学に流さねばという使命感で虚空に電波を送っていました。


 散文的ですがそうとしか書けない妄想だけの状態になり、傍目に見ていてこれは危ういと両親が精神病院に緊急で入院させてくれたのだそうです。


 診察があった記憶も、注射されたらしい記憶も、病院での入院までの記憶は何も思い出せません。

 聞いた話では暴れたわけではないというのが救いでした。



 さて、入院していた特別病棟について、差し障りのない程度にご紹介します。

 狭い部屋の入口に緑の鉄格子がはまっており、クリーム色の鉄の扉で横に開閉される構造になっていました。

 部屋は四角い壁に囲まれており、床をくり抜いたぼっとんトイレが奥の方に一つあり、凸になった壁でトイレにまたがり用便している様子がかろうじて見えないようにしてありました。

 敷布団、掛け布団、枕と、時折渡される千切れたトイレットペーパーが部屋にあるもの全てでした。

 古い建物も相まって、牢獄めいた構造の施設でした。


 その中で私が正気を取り戻すまでの間、無限なのに宇宙の数は有限で、同時に無限で数え終わることはないのに宇宙の数が決まっているという意識で、現実では特別病棟の檻の中で親指を計算機として震わせながら数を数え、宇宙に思念の電波を送っているという、丁度ラブクラフトのクトゥルフ神話作品の登場人物の最後みたいな光景になっていたみたいです。


 みたいですというのは妄想の世界にいた記憶しかなく、ぼんやりとしか思い出せないからです。思い出さないほうが幸せなのかもしれません。


 壁や床に頭突きしてぶつけたり、または転倒を防止する目的でラグビー帽を被る方もいらっしゃいましたが、私は被らずに済みました。

 頭のネジが外れていた時も、頭を自らぶつけない程度の自意識はあったみたいです。


 正気に戻る過程ですが、初めは家から運ばれたことも分からず、数を数えること(症状)が止まってから段々と、ここはどこ?状態に陥り、二、三日床に突っ伏してぐったりした後で、自立した意識が戻るにつれ医師や看護師さんと話していくにつれ、徐々に頭の中が回復していきました。


 急性一過性の名前の通り、病気は急に発症して比較的短期間に回復しました。

 酷い妄想や錯乱が頭から消えていくにつれて、入浴の時間のときクリーム色の鉄扉を開けてもらい、風呂に入ることが出来るようになっていき、最後には部屋を出てテレビを数分見るといったリハビリに向かっていきました。

 テレビでは2022年らしくロシアがウクライナを攻めているニュースばかりでした。Zが描かれた車の映像を眺めるだけでも現実にかえってきた気分になったものです。



 病室は繋がっており、鉄格子ごしに声が聞こえてました。

 出せ出せと看護師に向かって何度も要求する人、46時中何かの嘆きをわめいている人、ヒアルロン酸を主張する人。色々でした。


 隣では「助けて助けて誰も信用できない誰も助けてくれない」と早口で喋る女性の声がしていたので、ちょっと寝づらかったです。

 気が狂ってるという感想は不思議と起きませんでした。自分も同じような身の上だったからかもしれません。



 看護師さんは男女半々位で、支離滅裂な状態の患者さんを前に冷静な態度をとっていました。

 鉄格子の隅に物を出し入れする小さなスペースがあり、そこでトレー単位の食事や、コップにお茶を貰うという事をしていました。



 頭は回復しますが、なんだか虜囚りょしゅうのような気分になっていたのは確かです。

 何も出来ないので、敷布団に横になったり壁を背に座ったりしていました。



 それから、回復したと判断された後、特別病棟から患者さんの集まる閉鎖病棟そして退院となりました。


 閉鎖病棟は個性豊かな人たちがいました。

 40年引きこもっていた人、老人ホームから来た元ヘビースモーカー、気弱いかと思えば顔つきの変身して咆哮を放つ老婆など。

 その中で、特に統合失調症で年の近い女性と、同じく統合失調症を患う壮年男性、躁鬱病を患っている元セールスマンといった方々と親しくなり、楽しく雑談をする仲になりました。


 患者さんの多くは病院から出たら、仕事したり生計を立てなおす人たちばかりでしたが、病院にいることが最高とか、居心地がいいという人もいました。

 口では早く退院したいと言う人も、いざ退院する人を前にして、自分は退院したくないと隠れるさまをみていて、『正常で健常な』世間でどんな視線を浴び、どんな生きづらさを味わってきたのか、一過性で回復した私にはおもんばかることしか出来ませんでした。

 ネットでは統合失調症にかけて糖質(統失)なんて侮蔑する用語があるくらいですし。偏見とヘイトと差別が生んだ悪言だと思います。



 私は入院生活の体験を通じて、狂気とは正気なのに常軌を逸した犯罪や行為をする人達を狂気というのであって、精神疾患を患う者を指すものではないと勝手ながら看破したつもりになりました。


 精神疾患は適切な治療を受けて回復または寛解する病気です。緑の鉄格子の中で、私は身を持って経験したので、これには自信があります。

 症状により社会的に不都合な状態や言動をとる前に、早めに受診をなさることを強くお勧めします。




 最後に、私が患った急性一過性精神障害性障害は再発することもある病気なので、通院しつつ再発することのないように気をつけて生きていくつもりです。

 また、今、精神疾患に苦しむ方に、疾患でどんなに苦しんでも、文章が書ける所まで回復できるのだということはここでお伝えしたいと思います。


 ご拝読ありがとうございました。

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