第5話 9
シャルロッテは自室で目覚めた瞬間、意識を失う直前のすべてを思い出した。
「おああああおおおおおおぉぉぉぉぉ――――――ッ!!」
ベッドの上を転がり、床に落ちてもなお転がって、壁にぶつかる。
「あああああぁぁぁぁ――ッ!」
ガンガンと壁に頭をぶつけ、奇声をあげ続けるシャルロッテ。
このまま死んでしまいたかったが、神器によって頑丈になった身体は、簡単には傷ついてくれない。
それでも壁や床に頭を叩きつけ続けていると、隣室で激突音を聞きつけたマリサが部屋にやって来た。
「おはようございます。お嬢様。
どうやら記憶も意識も問題ないようですね」
と、すっかり慣れっ子のマリサはいつもと変わらぬ対応を取る。
「――マリサぁ~!」
シャルロッテはマリサに抱きついた。
「ねえ、
「え? はぁ!?」
半べその甘えた声で、ひどく物騒な事を言うシャルロッテに、さすがのマリサもドン引きだ。
「と、突然、なにを仰ってるのです?
バカって、ルキオン様の事ですよね?」
どうやらいつもの発作と違うようだぞ、と。
この時になってマリサも気づいて、シャルロッテの頭を撫でながら訊ねた。
「――見られたのぉ。たぶん……きっとぉ……」
「見られた?」
「うん。神像使ってるトコ……見られたの……」
「あ~……」
あの状態のシャルロッテが全裸である事を、マリサは知っている。
だからこそ、シャルロッテの言いたい事が理解できて、額に手を当てて天井を仰ぎ見る。
「――で、でもですね。
五席様とルキオン様は、お嬢様と飛竜の戦闘から逃れる為に退避なさってたはずでしょう?
魔法がお得意ではないルキオン様では、お嬢様の姿までは見えてなかったのでは?」
「――でも、お父様もルシウスお兄様も仰ってたわ!
男はエロの為なら、超常の力を発揮するって!」
だから、男の前では常に毅然として油断するな――ふたりはシャルロッテにそう教えていたのだが。
その教えが、今は悪い方向に作用していた。
「特に女好きのルキオンだものぉ……そこに女の裸があるなら、絶対に見逃さないはずよぉ」
マリサの胸に顔を埋めて、わんわんと泣き喚くシャルロッテ。
完全に面倒臭いモードになっていた。
そしてマリサもいい加減、面倒臭くなってきていた。
「別にいまさらじゃありませんか。
昔は一緒にお風呂にも入ってらしたでしょう?」
「まだ社交界にデビューすらしてない、本当に小さな頃じゃない!」
シャルロッテはマリサの肩を掴んでガクガクと揺さぶる。
「そもそもそんな小さな頃から、姉弟のように育ってるのですから、いまさら裸くらい良いじゃないですか」
「でも、でもぉ……」
なにか言いくるめられてる気がして、シャルロッテは「でも」を繰り返す。
マリサはため息。
「――そんなに気になるなら、ご本人に訊けば良いじゃないですか。
……エレノア様とルキオン様、客間でお待ちですよ」
途端、シャルロッテにスイッチが入る。
「それを先に言いなさい」
「はいはい。それでは身支度をしましょうね」
しゃっきりしたシャルロッテを化粧台の前に座らせて、マリサは呆れたようにそう告げるのだった。
キーンバリー家の客間は、重苦しい空気に包まれていた。
エレノアとルキオンがローテーブルを挟んで座っている。
ふたりとも、昨日意識不明のまま帰宅したシャルロッテを心配しての訪問だったのだが――
(まさか、同じタイミングになるなんて……)
エレノアにしてみれば、いまさらルキオンと一緒なんて気まずいだけである。
一方、ルキオンはといえば、変わるきっかけをくれたシャルロッテへの礼と、以前までの態度の謝罪を告げたいという想いがあっての訪問で、やはりエレノアとの同室は気まずい。
重い沈黙の中、窓の外の小鳥のさえずりだけが室内に響く。
「……その、元気のようだな」
先に音を上げたのはルキオンだった。
「ええ。お陰様で。どなたかから解放されたお陰で、日々を楽しめております」
対するエレノアの答えは刺々しい。
実際のところ、エレノアは昨日の晩、シェイナからルキオンが変わりつつあるという話を聞かされてはいたのだが、以前の事を思えば優しい言葉は出てきにくいのだ。
ルキオンは言葉に詰まり、ぐっと息を呑む。
落ち着く為に震える手で、マリサが用意していってくれたお茶を口元に運び、唇を湿らせる。
気を取り直して。
「以前の事は……悪かった」
と、ルキオンはあれこれ言い訳するのをやめて、まず謝罪する事にした。
これも開拓村で学んだ事だ。
間違ったなら、まず謝る。
言い訳するのは男らしくないのだと、村の仲間達は言っていた。
「は!? え、ええっ!?
――ちょっ、ル、ルキオン様!?」
膝に頭を擦り付けるほどに深々と下げられた頭に、さすがにエレノアも驚きの声をあげた。
「なにを言っても言い訳にしかならない。
だから、ただおまえを傷つけ続けた詫びをさせて欲しい」
今度はエレノアがうろたえる番だった。
まさかこんなにも素直に謝罪を口にするとは――こんなルキオンの姿を、エレノアは見た事がなかった。
震える手でカップを掴み、ルキオンがそうしたように、喉を湿らせる。
元婚約者のふたりは色々あったわけだが、なんだかんだで付き合いが長いだけに、些細な仕草は良く似通っていた。
「……わたしも――実はあなたに謝らなければなりません」
「――おまえが?」
驚いて顔をあげるルキオン。
ルキオンは、エレノアに謝罪されるような覚えがまるでなかった。
「ええ。わたしがあなたの婚約者で居続けようとしていたのは、あなたを愛していたからではないのです」
「それはそうだろう。こんな女たらし、俺が女でも願い下げだと、今なら思える。
家の決定だから、従っていただけ――そうだな?」
だが、エレノアは首を振る。
「実は――わたしがお慕いしているのは、シャルお姉様で……」
これにはルキオンも驚きを隠せなかった。
「あなたの妻となれば、お姉様とは従姉妹同士……その繋がりを欲していただけなのです。
……それでも、いつかはあなたも愛せるようになるのでは、と。
そうも考えておりましたが……」
「つまり俺は、アレと比較されてたという事か……」
「……はい」
元婚約者の内心の告白を聞いて。
「はは……はははは――」
ルキオンは笑わずにはいられなかった。
「そりゃ、俺には勝ち目がない!
アレは並みの男では太刀打ちしようがないほどの男前だぞ!?」
「ですが、どんな淑女より淑女です!」
頬を膨らませて否定するエレノア。
ふ、と。
ふたりは同時に吹き出す。
「――はじめから、すれ違ってたわけだな」
「――はじめから、すれ違ってたわけですね」
同じ言葉をふたりで告げて。
「あなたはあちこちの女性に目移りし……」
「おまえは俺の
ふたり同時に笑みを浮かべる。
「過ぎた時間は取り戻せません。
わたしは自由になった今、お姉様の為に生きて行こうと思っております」
「ああ。俺が犯した過ちはいくら謝罪したところで済まされないだろう。
だから、俺もまた、あいつがいつか誇れるよう、努力を続けて行こうと思う」
生真面目にうなずきを返すルキオンに、エレノアは微笑みを返した。
「……でも」
と、そう前置きして。
「同じ方を目標にする以上、お友達にはなれると思います」
「……エレノア……」
「困った事があったら、ガリオノートを頼ってください。
お友達の為なら、多少の無茶はしてみるつもりです」
エレノアが差し出した手をルキオンが握り返して。
「ありがとう……」
吐き出すように、ルキオンは礼を告げた。
客間を包んでいた重苦しい沈黙は、いつの間にか暖かな語らいへと変わっていた。
「――待たせたわね」
と、客間を訪れた時には、シャルロッテはすっかりいつもの調子を取り戻していた。
「――お姉様っ!!」
エレノアが胸に飛び込んでくるのを受け止めて、シャルロッテは彼女の頭を撫でる。
「心配をかけたようね」
「お身体はもうよろしいのですか?」
「ええ、すっかり」
そう応えつつ、シャルロッテはソファに腰掛けたルキオンに視線を移す。
エレノアを安心させたい気持ちは強かったけれど、今のシャルロッテにはそれより優先させなければならない事があったのだ。
「ルキオン、おまえ、昨日、あの時、神像を見たわよね?」
「神像って――あの大きな女神像のことか?
ああ。遠目に見えたが……」
シャルロッテがずずいと身を寄せる。
「遠目に。それだけ?」
威圧感がハンパない。
「それだけ、とは?」
眼力に脂汗が吹き出すのをルキオンは意識した。
鼓動が早まって、目眩さえしてくる。
「他になにも見てないわね?」
ルキオンは、いつの間にかシャルロッテに襟首を掴まれ、顎に拳を突きつけられていた。
泣かされまくった幼少期から、つい最近まで続くトラウマが蘇り、勝手に涙が込み上げてくる。
「み、見てない! ホントだ!
そもそもこっちは逃げるのに必死だったんだぞ!
正直、今でもなにが起きたのか理解が追いついてないくらいだ!」
シャルロッテの拳が降ろされ、ルキオンの拘束が解かれる。
「……命拾いしたわね」
安堵の息と共に告げられた物騒な言葉に、ルキオンは目を白黒させてマリサを見る。
「物理で記憶を消そうとなさってたのですよ」
「――なにがどうなってそうなる!?」
悲鳴じみた声をあげるルキオン。
「おまえは知らなくて良いことよ」
と、すっかりいつもの調子を取り戻したシャルロッテは、口元に手を当てて笑った。
「本当に良かったですねぇ」
微笑みを浮かべるマリサの言葉は、シャルロッテとルキオンの両者に向けられたもので。
「さあさ、お嬢様もお座りください。
お茶の用意を致しますね」
「――お姉様、聞いて頂きたい事があるんです!」
「シャ、シャルロッテ。
実は俺もだな――」
身を乗り出すふたりに気圧されながらも、シャルロッテは微笑みを浮かべた。
「あらあら、なんだか懐かしいわね」
まだ幼い頃も、ふたりは見舞いに来るたびに、先を争って話題を提供してくれたものだ。
まるであの頃に戻ったようで。
シャルロッテは心から嬉しそうな微笑みをふたりに向けるのだった。
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